宇宙家族ロビンソンの”The Challenge”

宇宙家族ロビンソンの”The Challenge”を観ました。ジュピター2号に夜中に侵入者があるので、ドクター・スミスとウィルが警報装置を張り巡らして外で寝ていたら、ウィルと同じで12歳のエイリアンの少年が槍を持ってやってきます。その少年はある星の支配者の息子で、その後を継ぐためには、彼の勇気を証明する必要があるということで、やたらとウィルにからんで来ます。結局その少年クオモとウィルは、クオモの父「支配者」(「王様と私」のユル・ブリンナーみたいな俳優)の立ち会いの下で果たし合いを行います。最初の戦いではウィルが負けましたが、徐々にウィルが盛り返し、互角の戦いになります。そこでその「支配者」がクオモの代役で戦うと言い出し、結局ロビンソン博士がその相手になります。それは5万ボルトの電撃を持つ剣による斬り合いでしたが、ロビンソン博士が勝ちます。父親に信用してもらえなかったクオモは自分の勇気を証明するために、ある洞窟のモンスターに槍だけで挑み、それを助けに父親が来て、という所で唐突に終わって次週予告に変わります。何というか、1960年代ではまだ色濃くあった男性マッチョ主義の象徴的なお話でした。

白井喬二の「富士に立つ影」読み直し、主人公篇

白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、第三篇の主人公篇を読了しました。第二巻の江戸篇からいきなり二十数年が飛んでおり、読者は小里が伯典の妻としてどのような暮らしをしたのか、また主人公である熊木公太郎の幼少時代がどうだったのか、などということは断片的にしか知ることが出来ません。そしてその主人公の公太郎の登場の前にいきなり出て来るのが「ばくち猿」で、猿回しの助一が連れている賢い猿で、ばくちの真似をして壺を振ってみせるだけでなく、丁半の目を正確に当てることが出来るという猿で、千葉一帯で大評判になります。しかしその評判が災いになり、ある土地の親分の所で芸を見せて、その親分の部下に博打でこの猿が四回も続けて勝ってしまったため、親分から猿を取り上げられてしまいます。まったく、この「ばくち猿」だけで短篇が書けてしまう程の見事な脇役設定です。助一は取り上げられたさばくち猿の代償に別の猿をあてがわれますが、途方に暮れている所に登場するのが公太郎です。公太郎は即座にばくち猿を取り戻してやる、と言い、親分のところに乗り込むと、さっさとばくち猿を捕らえてスタコラ逃げ出します。子分も親分も追いかけて来ますが、公太郎の剣の腕はなかなかで、全員倒してしまいます。公太郎の特長は、
(1)弱き者に対し味方するという正義感
(2)深く考えず突飛なほどすぐに実行に移すという行動力
(3)細かなことを気にしない大らかさ
(4)人を信じやすく騙されやすい
といった感じになります。実際、あの悪の権化というか権謀術数そのものの熊木伯典からどうしてこのような天真爛漫な青年が生まれて育つのかが不思議ですが、江戸篇で述べたように小里の息子というのが重要な要素となっているように思います。
また今回気がついたのはこの小説で既に「万能児・万能人間」というコンセプトが登場しているとうことです。例の伯典の出生の秘密を書いた書き付けですが、江戸篇の最後で伯典はようやく本物の書き付けを手に入れます。それには伯典または伯典の息子がいくつかの一定の技芸を修めて名乗り出れば、それなりの重要な官職に付けてやる、ということが書いてありました。伯典自身は色々悪行をやっていてもう名乗り出るのは無理だったので、息子に期待をかけ、諸芸を身につけさせようとします。実はこのことが、白井の作品のいくつかにある「万能児・万能人間」育成という話と似ているということです。この「万能児・万能人間」の話としては「陽出づる艸紙」、「豹麿あばれ暦」などがありますが、その先駆は既に「富士に立つ影」にありました。
しかしながら、公太郎の場合は「影法師」という謎の人間がつきまとい、公太郎が何かを修行して最後に免許皆伝になるといった場面でことごとく邪魔をされ、結局公太郎は何も最後まで身につけることが出来ないことになります。で、この影法師の動機をある程度解き明かしたのが、猿回しの助一で、彼は驚くべき設定ですが、裾野篇で牛曳き競争の時に佐藤菊太郎側に加担した常太の息子でした。助一は公太郎に伯典が多くの人に憎まれていることを告げ、影法師もその一人だと言います。しかし公太郎はそれを信じず、二人は喧嘩別れに終わります。
公太郎は、結局軍学の入門にも失敗し、実家に戻りますが、そこで鼠小僧次郎吉に押し入られ、公太郎の妹が機転を利かせてその次郎吉を座敷に閉じ込めたにも関わらず、次郎吉の言葉に騙されてまんまと次郎吉を取り逃がしてしまいます。次郎吉は千両もの金を伯典の屋敷から盗み、さしもの一代の栄華を誇った熊木伯典もここから没落が始まります。
しかし、兎にも角にも、白井喬二はまだ大衆小説がほんの黎明期の時に、それまでなかった公太郎というきわめてユニークなキャラクターを作り出しました。「富士に立つ影」の最大の魅力は公太郎であり、日本人がきわめて好きな人間類型です。

宇宙家族ロビンソンの”The Magic Mirror”

宇宙家族ロビンソンの”The Magic Mirror”を観ました。ペニーは宇宙嵐に襲われた時に、エイリアンが残していった不思議な等身大の鏡を見つけます。ペニーのペットのお猿さんがその鏡の中に入って、銀の鐘を持ってきます。ペニーも誤って鏡の中に入り込んでしまいますが、そこには不思議な少年がいて、ここは時が止まった世界で、年を取らず楽しいことばかりだと、ペニーにここで暮らすことを勧めます。お年頃のペニーは、ウィルみたいな髪型にして遊び回りたいと言ってジュディを困らせたりしていましたが、鏡の中に入ってやはり人にとっては年を取ることが必要なのだということをようやく理解します。その内ドクター・スミスが鏡の世界に入ってきて、彼はこれが自分の夢だと思っていましたが、中で怪物に襲われてそれが夢で無いことが分かります。ドクター・スミスが銃で水に映った自分の映像を撃ったら、外へ出ることが出来ました。ペニーは自分も銃を取り、同じように外に出ようとしますが、少年にも同じことをやって外に出るように言います。ペニーは首尾良く脱出出来ました。しかし中の少年はそもそも映る影を持っておらず、中に閉じ込められたままです。その内ドクター・スミスがハンマーで鏡を割ってしまったので、ペニーがもう一度少年と会うことは永久に出来なくなってしまいました。ちょっと鏡の中のアリスとか、ミラーマンとか、R・シュトラウスの「影の無い女」とか、色んなものを思い出させました。SFというよりファンタジーの世界で、ペニーが中心の話はこういうのが多いようです。

東映の昭和31年の映画「怪力類人猿」(水戸黄門)

この写真は昭和31年4月の「文藝」臨時増刊号の裏表紙の東映の広告です。注目すべきは「怪力類人猿」!「マタンゴ」みたいなSFと思ったら大間違い、何と「水戸黄門」です!Movie Walkerでストーリーを見たら、結局「ゴリラ」なんですが、格さんが「空手チョップ」でゴリラを倒すとかもう無茶苦茶。明らかに「キングコング」のパクリと思います。キングコングのパクリで一部で有名なのは吉川英治の「恋山彦」で、映画の「キングコング」を観た吉川英治が感激して日本に舞台を置き換えたある意味での翻案です。しかし登場するのは巨大ゴリラではなく、平家の残党の若い武士で2mぐらいの身長があるという設定で、柳沢吉保の六義園の開所式に乱入し、吉保の側室の一人を脇にかかえて六義園の塔を登っていく、という無茶苦茶さではこちらも負けていません。

白井喬二の「国民文学論」

白井喬二の「国民文学論」を読了。「文藝」の昭和31年4月の臨時増刊の「中里介山 大菩薩峠読本」に収録されたもの。
白井喬二は、中里介山の「大菩薩峠」を大衆文藝の先駆者として高く評価しており、山梨県と長野県にある大菩薩峠の記念碑の設立のどちらにも白井喬二が関わっています。(白骨温泉の記念碑は今年の4月見てきたばかりです。)
白井は日本には国民文学と呼べるものが昔からあり、「南総里見八犬伝」と井原西鶴の作品を挙げています。このどちらについても白井は現代語訳を行っています。先日読んだ座談会で、小林秀雄が日本の純文学の西洋かぶれぶりを挙げていましたが、それに比べると中里介山も白井喬二も、日本における馬琴や西鶴らの伝統をきちんと受け継ぎ、それに負けないものを作っていこうとした気概を感じます。大衆小説家の中でもこの二人は別格だと思います。それに比べると、今は作家の中でそういう気概を持った人は皆無かと思います。ちょっと寂しいですね。また介山にしても白井にしても、そのどちらにも太い漱石の言うモラルバックボーンがあると思います。一度しかない人生でこういう作家二人の作品を読むことが出来たのは幸せだと思います。

宇宙家族ロビンソンの”The War of the Robots”

宇宙家族ロビンソンの”The War of the Robots”を観ました。本題に入る前に、この宇宙家族ロビンソンに登場するロボットをデザインした人って、ロバート・キノシタという日系人なんですね。戦争中はアリゾナの日系人収容所に入れられていたみたいです。それでウィルが釣りの帰りに「ロボトイド」(命令によって動くのではなく、自分の意志で動けるロボット)を見つけます。それは長い間放置されていてあちこちが錆び付いていましたが、ウィルはロボットが強い警告を発したにも関わらずそのロボトイドをジュピター2号に持ち帰って修理します。ロボトイドは動き出すと、自発的に動き回ってロビンソン一家を支援し、全ての点でこれまでのロボットよりも優れた働きをします。ロボットは何故か「嫉妬」の感情を見せますが、結局ロビンソン一家とドクター・スミスが新しいロボットの方をチヤホヤし、ロボットは自ら出ていきます。ロボットはそこで自殺を試みますが、保護回路が働いて出来ません。ロビンソン一家の中でウィルだけがロボトイドについて不審を抱き、警戒します。それは正しくロボトイドはある動物みたいな顔をしたエイリアンの手先でした。ロボトイドはジュピター2号にあるすべての武器を隠してしまい、自分に従うようにロビンソン一家に命令します。そしてボスであるエイリアンをその星へ導こうとします。かろうじて逃げ出したウィルがロボットを見つけ、作戦を立てます。ロボットはロボトイドの味方になるといって接近し、そこで煙幕を張ってロボトイドのレーザービームの的にならないようにし、ロボトイドの後ろに回って電撃でロボトイドを無力化します。このロボトイドも、ロバート・キノシタが「禁断の惑星」という映画のためにデザインしたものです。この回は今まで観た中では一番の傑作の回だと思います。

NHK杯戦囲碁 鶴山淳志8段 対 井山裕太四冠王


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が鶴山淳志8段(収録時は7段)、白番が井山裕太四冠王の対戦でした。布石は左下隅でちょっと珍しい形にになり、白が4子を捨て外勢を築き黒が実利を取りました。左上隅で黒が上辺からかかって白が上辺からはさみ、黒は三々に入りました。この結果白は左辺に大模様が出来ました。これに対し黒は右辺の模様で対抗しました。それまでは比較的ゆっくりした碁だったのが動いたのは、白が右辺に打ち込み、黒が上から付けてハネに伸びた時、通常は白は伸び込むのですが、そうしないで単に断点を上方に掛け継いだのがある意味戦略的な打ち方でした。黒は白が伸びなかった所を押さえて好形になり、白は押しました。黒が白のカケツギを当てて来た時に、劫にはじいたのが井山裕太四冠王の作戦でした。劫材については、左下隅で取られている白4子を助けるというのでかなりあります。黒はそれでも劫にねばり、結局白が左上隅の黒を取り、黒が劫に勝って右辺一帯を地にするという分かれになりました。この時点では形勢不明でした。この後、白が下辺を攻められた時に右下隅に付けました。それによって白は下辺に地をもって治まった感じになりました。しかしこの後、白が右上隅をはねていって、その後ハサミツケを決行しました。黒はここは下がって頑張りたかったですが、あっさり継いで白を渡らせました。その後、下辺の白の中央の石の下に付けていってこれが黒の狙いでした。その手に受ける前に、白が右下隅から右辺へ伸び込んだのですが、黒は受けずに下辺を動き、結局下辺は黒の地になり、その代償として白は右辺の黒地を減らしました。その後、右下隅からの白が下辺が黒地になった関係で薄くなったので、井山裕太四冠王は一手かけて補強しました。しかし黒はそれでも一団の白の中央に置いていき、眼を奪いに行きました。置いた石は中手ではなく、外の黒に連絡しましたが、その結果中央に外回りに白石が来て、黒の右辺の地を削減し、逆に左辺の白模様が盛り上がり、中央に白地が見込めるようになりました。この一連の黒の打ち方が問題で、普通に寄せていた方が細かい勝負になったと思われます。その後左辺に打ち込んでいった黒が一応活きたようになりましたが、終盤で中央と切り離されてかつ眼を奪われてしまい左上隅の黒とも連絡出来なくなりました。その代償で中央の白地を荒らすことが出来る形になりましたが、この収支は白の得の方が大きく、ここで黒の投了となりました。

IELTS General 2回目受験

IELTSのGeneralの2回目を受けて来ました。会場は横浜のランドマークタワー25Fの会議室でした。
まず最初に自己評価による結果と前回の結果の比較です。

前回
ライティング  5.5
リーディング  8.0
リスニング   5.5
スピーキング  5.0
オーバーオール 6.0

今回の予想
ライティング  6.5~7.0
リーディング  7.5~8.0
リスニング   5.5
スピーキング  6.5~7.0
オーバーオール 6.5~7.0

まあ前回よりはおそらくマシだと思います。
きちんと(お金をかけて)対策したライティングとスピーキングが大きく改善されています。
それに対して、公式問題集しかやっていないリスニングは前回と同じく駄目でした。
(というか公式問題集よりも本番の方がはるかに難しいです。)

個別には、まずはライティング。Task 1の手紙(General)が、失業中の友人に新しい仕事を紹介する、というもので、どんな仕事か、何故その仕事をその人に勧めるのか、興味がある場合はどうするか、といったもの。まあ、簡単でした。
Task 2は、子供を小学校に入れる前に保育園に行かせた方がいいか、それとも家族とより一緒に過ごす方がいいか、どちらに賛成するかという問題でした。この賛成と反対のそれぞれの意見を述べてどちらを支持するかというパターンは一番出題頻度が高いものです。さんざん添削サービス(IELTS Advantage)でやって、黄金のパターンは身に付いているのでこちらもまあ楽でした。
ワード数はTask 1が155 words、Task 2が298 wordsぐらいでほぼ理想的な長さでした。時間も10分以上余らせて書き終わり、推敲もそれなりに出来ました。添削サービスの効果は絶大です。ちなみに添削サービスは$110の5回の添削を3回やりましたので、合計$330、36,000円くらいかかりました。日本語で書いてあるIELTSの参考書でこの添削が教えてくれたようなことをきちんと書いているものはありませんでした。

次にリーディング。今回、トイレ対策でロキソニンを朝2錠飲んで来ましたが、それでもやっぱり駄目で、リーディングが始まるとすぐに手を上げてトイレに行き、3分ロスしました。しかしそれでも最後の問題を解答したら10分余り、一通り解答を見直すことが出来ました。最後の問題は、シベリアのツングースカ大爆発(巨大隕石の落下と言われているもの)の話でした。リーディングに関しては公式問題集とほぼレベルは変らないと思います。

次が問題のリスニング。前回点が低かったのは、ライティングとリーディングで頭を使って集中力が切れているせいかと思いました。しかし今回はライティングにそんなに頭を使う必要がなかったので余力はありましたが、それでも結果としてはほぼ同じようなもので、5問くらいまったく聴き取れないのがあり、推測で解答しました。TOEICのリスニングで、4ヵ国の発音があるといっても、アメリカ以外はほんの数問でそれも短いものばかりです。それに対しIELTSではおかしな発音が4つしかないパートの半分くらいで延々と続きます。また、聞いていて、内容の区切りを聴き取るのが難しく、解答を見つけられないまま次の部分に進んでしまっていて、結果的にそこも聞き逃すというようなことになりました。一応これでもTOEICのリスニングでは495点の満点を取っており、それでこれなんですから、IELTSのリスニングは難しすぎます。更に公式問題集が本番よりかなり易しいので、対策するのも大変です。

スピーキングについては、何と開始時間が18:40からで、実際にその時間に行って見たら、私が最後の受験生でした。3パートの終わりが12:20くらいでしたから、間が6時間以上も空くことになりました。この対策で今回は川崎に安ホテルを予約し、そこに行って一時間ちょっと昼寝し、またスピーキングの最後の練習をしました。スピーキングの対策は、マイチューターというオンライン英会話で、これまで30回ぐらい摸擬試験をやりました。これの効果はあって、前回の失敗が嘘のように、すらすらと各パートをこなし、問題のパート2の時間コントロールも、先生が止めるまでフルに2分間話すことが出来ました。(前回は大幅に時間が余りました。)また前回は午前中の試験の後、昼食を取ってすぐその後で結構疲労していましたが、今回は一時間昼寝をしたのが利いて、元気だったのが幸いしたと思います。

結果は10月11日に出ますが、おそらく3回目は受けないと思います。別に留学とか旧大英帝国圏の国で働く予定もないので、IELTSで結果を出す必要はありません。特にリスニングはこれに本当に対策しようとしたら、やはりIELTS Advantageのようなオンライン講座でやるしかないと思います。つまりお金がかかるということです。全体にIELTSはお金が掛かりすぎます。受験料も25,380円と馬鹿高ですし、公式問題集も一冊5,000円以上です。また、試験当日の説明もほとんど英語で行われることを考えると、初中級者にメリットがあるとは思えません。

宇宙家族ロビンソンの”Ghost in Space”

宇宙家族ロビンソンの”Ghost in Space”を観ました。出ました、アングロサクソンのオカルト好き!何とドクター・スミスは地球からはるかに離れたこの惑星上で、「コックリさん」をやってタデアスおじさんという霊を呼び出そうとします。(「謎の円盤UFO」でも「コックリさん」をやっているシーンがありました。)しかしやって来たのは、ドクター・スミスが燃料採掘用の爆薬を沼の中で爆発させたことにより出現した、目に見えないモンスターでした。ドクター・スミスが「コックリさん」に使ったボードは、Ouija Board(ウィジャ盤)と呼ばれています。これ調べてみたら欧米ではゲーム盤の一種として広く販売されていて、簡単に手に入るようです。(名称はフランス語のOuiとドイツ語のjaを合成したもので、どちらも「はい」の意味です。)でこの目に見えないモンスターが良く分からないのは、エネルギーを好むということと、また朝陽に弱くて、光に当たると消えてしまうということで、その点はほとんど幽霊です。この話の中で、ウィルもまた姿が見えなくなってしまったりしますが、その理由についてはまったく説明されず、最初から最後まできわめてナンセンスな話でした。

「大衆文学はどうなるだろうか」(「新潮」1933年4月号の座談会)

「新潮」の昭和8年(1933年)4月号に載っている「大衆文学はどうなるだろうか」という座談会を読了。多分この前の号で純文学についての座談会があり、その続きのように見えます。このタイトルで白井喬二が呼ばれない筈はなく、座談会の中での発言も多いです。しかし、タイトルからも想像出来るように、この時期は大衆文学にとっても白井喬二自身にとっても曲がり角の時代でした。この座談会の前の年に、白井の平凡社の全集が出ていますが、その全集の目玉であった筈の「祖国は何処へ」は、私としては決して低くは評価していませんが、ある意味多くの読者の期待を裏切った失敗作でした。その一方でこの座談会にも出ていますが、吉川英治が人気を集め、2年後には「宮本武蔵」の連載を開始します。
時局的にはこの年の2月に国際連盟を脱退しており、満州事変から始まって日中戦争へと突入していく時期であり、雑誌などでも大衆小説に変って軍事小説のようなものの比率が増えて来た時期です。
白井の主張していることは「10年評論するなかれ」など、他の評論でも言っていることが多くそれほど目新しさはありません。しかしながら、最初大衆小説に対して付けられた「新講談」という名前は、作家にとってはとても苦痛であったと告白しています。しかし白井の「新撰組」がサンデー毎日に連載されて人気を博して1年も経つと、作家の存在感が上がって自然と「新講談」という名前は消えて行き、そのうち「大衆文藝・大衆小説」という名前に変っていったとしています。
後、この座談会で面白いのは川端康成が純文学代表という感じで、結構大衆文学に批判的であることです。また小林秀雄が純文学というのは要するに西洋かぶれなのだ、と喝破しているのもなかなか慧眼だと思いました。