白井喬二の「国史挿話全集」と「日本逸話大事典」の関係

白井喬二の本で、購入して唯一ほとんど読んでいないのが、「国史挿話全集」です。(全10巻)「畸人編」の最初の方をちょっと読んだだけ。一つ一つの話がそれほど面白くない上に、文語ですから、さすがにこればかりは敬遠していました。これ以外に、昭和42年になって出版された「日本逸話大事典」というのが、やはり白井ともう一人の編で出ています。この2つの本の関係がよく分からなかったのですが、今回「日本逸話大事典」全8巻を古書店で購入しました。それで分かったのが、カテゴリー別になっている「国史挿話全集」を登場する人物のあいうえお順で並べ替えたのが「日本逸話大事典」でした。全部を確認した訳ではありませんが、取り敢えず「井伊家」にまつわる話を3話確認した所、2つの本で収録されている話はまったく同じでした。「日本逸話大事典」の方が現代語訳されているなら、それはそれで価値がありますが、文語のままでした。どっちの本も読み通すのはかなり先になりそうです。

中里介山の「大菩薩峠」第20巻

中里介山の「大菩薩峠」第20巻を読了。とうとう全巻読み切りました。2ヵ月と10日くらいかかりました。(途中他の本を色々読んでいたので、これだけを読み続けていた訳ではありません。)
結局、最後の巻まで来ても、色んな伏線はほとんどが決着が付けられないままでした。唯一決着が付いたのが、駒井(元)能登守(駒井甚三郎)がお松に結婚を申し込み、お松がこれにすぐ承諾の返事をして二人が夫婦になったということです。お松はこの物語の冒頭で、龍之助に理不尽にも祖父を斬り殺された不幸な少女でしたが、最後になって理想的な夫を見つけたことになります。これに対して馬鹿を見ているとしか言いようがないのが宇都木兵馬で、元はお松と相思相愛の筈でした。しかし、お松は兵馬のことなどまったく忘れてしまったかのように、駒井のプロポーズを喜んで受けます。また、この小説の最大のテーマであった筈の兵馬の敵討ちは、結局最終巻でも果たされず、それどころか兵馬は琵琶湖の畔で、龍之助の卒塔婆(お銀様が龍之助とお雪が心中したと思って建てたもの)を見て呆然とします。
駒井(元)能登守が率いる無名丸は、南に向かって無事にミッドウェー諸島あたりの無人島にたどり着いて、そこで植民を開始します。植民は順調でしたが、しかし、無人島だと思っていた島にはフランス人の人間嫌いの先住者がおり、その者がユートピア建設を目指したものは古今多数いるが、その全てが失敗していると駒井に話し、駒井のユートピアも先行き破綻するであろうことがそれとなく匂わされます。
それから例のお雪ちゃんの妊娠疑惑は、結局最後まで曖昧なままで終わります。(まったくあれは何だったんだ…)
一方で龍之助ですが、前巻辺りから、それまでのニヒルで無口なキャラクターから一変して、やたらと饒舌になり、大原の寂光院に住む年増の美人の尼さんといい仲になります。作者の述懐によると、机龍之助のキャラを模倣したのがその当時の時代小説や映画にあふれていたのをうんざりしていたみたいで、元祖として龍之助のキャラ設定をいじったんじゃないかと思います。
お銀様の方のユートピア建設は、胆吹山の方は簡単に失敗して今度は山科の光悦屋敷を買い取って、そこで戦火に紛れようとしている古美術の類いを買い占めるということをやり出します。その中で不破の関守が、岩倉具視に取り入って何やら企んでいる様子が描かれますが、その先どうなるのかまったく不明のまま終わります。
ともかく、作者自身もここで終わらせたかった訳ではまるでなく、まだまだ先を考えていたんでしょうが、残念ながら唐突に終わってしまいます。この先の原稿も少しはあったようなのですが、空襲で焼けてしまったということです。
全体を通して言うと、正直な感想は「失敗作」だと思います。人間の有限な生、というのを考えないで書き継がれた小説のように思います。

中里介山の「大菩薩峠」第19巻

中里介山の「大菩薩峠」第19巻を読了。ついに後1巻までにこぎつけました。前巻で琵琶湖に舟を出して遭難し、死にたいと言ったお雪ちゃんに手をかけた龍之助ですが、この巻で結局二人は水の中に入り、まるで心中であるかのように水中を彷徨いますが、たまたま甲州の馬長者の伊太夫と琵琶湖へ舟を乗り出した女興行師のお角が二人を救います。二人とも命は助かりますが、お雪ちゃんは結局龍之助とは別れて道庵らと一緒に田辺に向かいます。妊娠疑惑の謎は未だに解き明かされないままです。おそらく終わりまでそのままじゃないでしょうか。一方で龍之助は京都に向かい、島原で遊んだ後、新撰組が2つに分裂して争うのに関わったりします。この巻まで来て、再び龍之助が京に戻って新撰組と関わったりして、音楽でいえばフランクの循環形式をちょっと思わせます。一方で駒井(元)能登守は、無名丸で北へ向かうか南へ向かうかに迷っていましたが、清教徒のアメリカへの移住の話を書籍で読み感銘を受け、結局南に向かいます。江戸の神尾主膳はこの所自伝めいたものを書こうとしていましたが、友人から勝麟太郎(勝海舟)の父の勝小吉の放蕩気ままな人生の手記(「夢酔独言」)を読んで感銘を受けます。かなりのページこの小吉の自伝が引用されています。中里介山もこの巻を書いている辺りで昭和15年になっていて、時局も迫ってきて、この長い小説に彼なりの決着をつけようという気に少しなってきたような感じがします。

武宮正樹9段の「武宮の形勢判断 地を囲わない努力」

武宮正樹9段の「武宮の形勢判断 地を囲わない努力」を読了。武宮正樹9段の最近の本をマイナビのサイトで見かけて買ってみようとAmazonでレビューを見たら、「最近の武宮9段の本は同工異曲で、取り上げている棋譜も同じものが多くてまったく新鮮味がない」とされていました。それでその本を買うのは止めましたが、その人が褒めていたのがこの本です。(出版は2003年)武宮9段は若い頃は宇宙流と呼ばれる大模様の碁が有名でしたが、年が進むと単純な大模様は少なくなり、むしろ全体に厚い碁が多くなったように思います。この本はそんな厚い打ち方の解説の本です。「厚い」打ち方をすると、どうしても相手に先に地を与えるので、アマチュアである我々はつい焦ってしまいますが、この本で解説されている武宮9段の棋譜は素晴らしく、まったく地が無いように見えて、後半追い上げていく様が見事だと思います。また厚い碁で勝つには力も相当必要で、相手が無理手を打ってきたら的確に咎めて得をしなければなりません。そういう意味で厚い碁は、力のある人向けの戦法なのかもしれません。とはいえ、この本で解説されている打ち方はとても自然で、アマチュアにも非常に参考になります。

白井喬二の「虞美人草街」

白井喬二の「虞美人草街」を読了。浮世絵師間淵花宣が、ある良家の娘をモデルにして「浄婦請願」という絵を描いています。ところが花宣の弟子の忠泉が、「天女は処女か?」という突然謎かけのような質問を花宣に投げかけます。その真意を問うと、モデルのお浅は、良家の子女などではなく、あばずれ女がすり替わっているのだと言います。花宣は直接お浅に問い質し、お浅が両親に会わせるというので、そちらを信じます。しかし忠泉はその決定的証拠として、そのお浅と称する女性がある神社に奉納した額を持ってきます。といった感じでお浅が本物か偽物かでずっと引っ張ります。そして最後にそれが判明した後の、花宣の態度がちょっと意外で不思議な展開になります。芸術家がそのモデルに恋するというのは、ギリシア神話のピュグマリオン以来珍しくない話ですが(ピュグマリオンは正確に言うとモデルではなく創造した作品に恋するのですが)、このお話は白井喬二らしい、主人公の不思議な葛藤が描かれているなかなか捨てがたい作品です。

大橋拓文の「囲碁AI時代の新布石法」

大橋拓文(プロ棋士6段)の「囲碁AI時代の新布石法」を読了。大橋6段は、アルファ碁の棋譜の分析で最近名前を良く目にする棋士です。アルファ碁やDeepZenの打ち方に触発されて、昭和の初めに囲碁界に革命を起こしたいわゆる「新布石」の打ち方を見直してみようとしている本です。新布石は、昭和8年に呉清源と木谷実という2人の天才棋士が考え出したもので、それまでの隅をまず打ち、次に辺へ展開し、という順序の打ち方を180°転換して中央の重視を打ち出した打ち方です。囲碁ライターでプロ棋士級の棋力もあった安永一が本を書いて、それが囲碁の本としては異例のベストセラーになりました。(私も持っています。)この新しい布石は当時のプロ棋士の間で一時爆発的に流行するのですが、やがて古い布石との融和が起こり、星や三々を多用する現代布石となって落ち着きます。また発展として武宮宇宙流となって花開きます。この最初に爆発的に流行した時に実に意欲的な布石が多く試されたのですが、結局結論は出ずブームは去ってしまいました。最近のプロの碁は、国際棋戦を代表として持ち時間が3時間程度と短くなり、布石であまり時間を使うのは不利であり、プロ棋士の間であまり斬新な布石が打たれることはありません。例外は、張栩9段と蘇耀国8段がNHK杯戦で見せたブラックホールぐらいです。この本では同じブラックホールの名前でも中央で正方形に構える打ち方が推奨されています。アマチュアは自由に打てるのですから、どんどん新しい布石を試せばいいのですが、斬新な布石はその後の構想力が強く求められるため、なかなか最後まで勝ちきるように打つのは大変です。AIの囲碁に関しては、布石については人間の真似でそんなに斬新な布石を打っているという記憶はなかったのですが、GodMovesという謎の打ち手(たぶんAI)が現れ、初手天元や、中央での一間構えを打ったそうです。
戦いの本とか詰碁の本は棋力が要求されますが、そういうのに比べると布石の本は気楽に読め夢もあるので、お勧めです。

白井喬二の「桃太郎病」

白井喬二の「桃太郎病」を読了。平凡社の白井喬二全集の第6巻に収録されていた短篇の内、ただ一つだけ未読だったものです。お話は白井喬二が桃太郎の実在説を色々調べていた所に、京都の古本屋で手に入れたあるお寺の文献で、どうも実在の桃太郎と名乗って、島征伐の話や動物を家来にしていたという人がいたのを突き止める話です。それ以外にも、白井喬二の頃、桃太郎が歴史上実在した人であることを唱える人が3人はいたとのことです。

中里介山の「大菩薩峠」第18巻

中里介山の「大菩薩峠」第18巻を読了。後3巻で劇的な展開はあるのか、と前巻のレビューで書きましたが、意外や、この巻では結構劇的な展開が色々ありました。まずはお雪ちゃんと龍之助ですが、お銀様に龍之助の世話をするように言いつかったお雪ちゃんは、ある晩、龍之助の無聊を慰めるために、琵琶湖上に舟を出して月見としゃれこみますが、二人を乗せた舟はいつの間にか竿の立たない深みまで流され、そこでお雪ちゃんは女性特有のヒストリーみたいなものを起こし、「死にたい」と言い出します。それをあろうことか龍之助が止めもせず、自らお雪ちゃんの首に手をかけます。結局お雪ちゃんの妊娠疑惑の真相はなんだったのか謎のままです。
一方、米友は龍之助が長浜の町を夜辻斬りに出かけるのを探している内に、一揆の農民と間違えられ、捕まえられて晒し者にされますが、危うい所を救い出されます。
さらにまた、伊達藩の中を逃げ回っていた裏宿の七兵衛は、追い詰められてある温泉にたどり着きます。そこで待ち構えていた捕り方に捕まりそうになり、女湯に飛び込んでそこの女性を人質に取って逃げようとします。しかし、伊達藩は七兵衛が駒井能登守の身内であることを知って、盗みの咎を許すと言っていることを聞きます。そうして能登守が釜石の港で待っていることを聞かされそこに向かいます。しかしその後を女湯で人質にされた女性が追っかけてきて、裸を七兵衛に見られたので、この辺りの風習で七兵衛に嫁にもらってもらわないと生きてはいられないと言います。
という具合に急に話が動き出した感じです。もしかするとここまで書いてきた中里介山が自身の生命の先をおぼろげに予測して先を急ぎだしたのでしょうか。

白井喬二原作、平田弘史の漫画による「名工自刃」

白井喬二原作、平田弘史の漫画による「名工自刃」を読了。「コミックマガジン」の1968年2月27日号に掲載されたもの。マガジン・ファイブ社から出た「平田弘史作品第四集 御用金」に収録されています。まず、白井喬二が漫画の原作を担当したという事実に驚きます。しかも漫画家が平田弘史というのはうれしい驚きです。お話は医者でありながら自ら手術刀を鍛え、それが昂じて日本刀を鍛えることになる加卜のお話。自分の信念に従って真っ直ぐ生きる主人公が非常に白井らしいです。加えて平田弘史の絵がまさにぴったりはまっています。故郷を出奔し、江戸で荒んだ生活を送っている加卜を長屋の人が助けて、それがきっかけで高田藩の御典医として取り立てられます。高田藩で若君の大怪我を見事な手術で救い、次第に名を上げていきますが、憎むものも多く…といった内容です。こういう作品が漫画とはいえ読めて良かったです。

白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」(5)(完読)

白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」の未読分18回を読了しました。これでようやく全83回の全てを読み終えることが出来ました。今回の分で、天海が家康の信頼を得るようになった過程がよく分かりました。天海が家康をもっとも感心させたのは、江戸を治めるにあたって、まず度量衡の制をきちんとしろ、ということを進言したことでした。
また全83回を読んで感じることは、晩年の白井喬二が、これで読者をうならせてやろう、といった邪な心無しで、丹念に天海僧正の一生を追って、丁寧な作品を残しているということです。非常に読み応えのある作品です。これが「大法輪」のバックナンバーを当たることでしか読めないのは、返す返すも残念なことで、どこかの出版社が単行本として出版する、あるいは2030年に著作権が切れた後に、青空文庫に収録されて万人が読めるようになることを切望します。