「社歌」というCD


キングレコードより出ている「社歌」というCDを聴きました。弓狩匡純さんというジャーナリストが日本の200社あまりの社歌を調べて、その中からの抜粋でCD化したものです。中には純粋な社歌ではなく「ととべんきのうた」みたいに、歌詞にTOTOが入っていても、TOTOとまったく関係無い外部で作られた曲や、マキタの電動ドリルを使ったドリル奏法というのをやっていたMr. Bigというロックミュージシャンがマキタに感謝して送った英語の曲など、色んなものが含まれています。印象に残ったものでは、鉄道ファンには有名みたいなJR九州の「浪漫鉄道」、土岐善麿と橋本國彦のコンビによるなんとワルツの社歌の「資生堂社歌」、とてもさわかな大同生命保険の「夢直行便」、いかにも古関裕而な「東宝株式会社社歌」、ほとんど戦隊シリーズの主題歌みたいな日本ブレイク工業「社歌」、いかにも正当な社歌である「ユニ・チャームグループ社歌」などです。
弓狩さんがライナーに書かれていますが、社歌がありそれを大切にしている会社は不況に強く好況の時は元気がある、というのは分るような気がします。今「エンゲージメント」ということが叫ばれ、社員の参加意識が低いことが多くの企業で問題になっていますが、社歌というのはこれ以上なく簡単に自分の企業の理念を示し、それを社員に徹底するのに最良の手段の一つだと思います。今私がいる会社にも社歌があって、朝礼の時とかに歌っていました。しかし数年前に社名を変更し、社歌には旧社名が入っているため歌われなくなりました。実は先日発見したのですが、この社歌のサビの部分と古関裕而さんの「高原列車は行く」の「高原列車はララララ行くよ」の所、非常に綺麗につながります。

古関裕而作曲の社歌や企業ソングCD

もう少しで「エール」もおしまいです。古関裕而の作曲した曲は生涯で5000曲以上と言われていますが、その内実際に聴けるのは楽譜だけのものを含めて私の知る限りではせいぜい200ちょっとです。残りの内、校歌や社歌がかなり多くあるのですが、古関裕而作曲の社歌や企業ソングを集めたCDが12月23日に発売されます!私は速攻で予約しました。山崎製パンとか山一証券とか象印マホービンとか鈴木自動車とか、期待しています。山一証券は古関の奥さんの金子さんが、ある種の株の名人のマダムとして有名で、山一証券から株を買っていた関係で古関が社歌を作曲しています。

倉田喜弘の「日本レコード文化史」

倉田喜弘の「日本レコード文化史」を読了。元は1979年に出た本のようです。なので丁度コンパクトディスクが登場する所で終っています。日本にフォノグラムが入って来たのが1879年とのことなので、それから丁度100年目に書かれた本です。その100年の歴史で結構色んな資料をあたっていて、情報源として貴重です。1979年から41年経っている訳ですが、その141年の間に、フォノグラム(蝋管式)→円盤形蓄音機(SPレコード)→電気録音によるSP→LP(Long Play)→LPのステレオ→(LPの4チャンネル)→コンパクトディスク→ダウンロード音源、と目まぐるしく変って来ています。私が生まれた1960年代初期は既にLPの時代で、SPというものを所有したことは一度もありません。(神田の中古屋で見たことはあります。)
円盤形蓄音機とSPレコードの歴史で興味深いのは、音楽だけでなく、結構政治家が自分の演説などを広めるのに使っていたということです。そういえば、大平洋戦争のいわゆる天皇による終戦の詔勅も、直接放送用マイクに喋ったのではなく、レコードにしたと聞きました。
後は戦前のレコード業界の事情が良く分るのが貴重で、最初は5000枚も売れると大ヒットだったのが、古関裕而がコロンビアに専属の作曲家で入った時は5万枚はいかないとヒットとは言えない、というのもこの本で裏付けが取れました。
しかし、日本人ほどこのレコードやCDというものを愛した国民はいないのではないでしょうか。世界の主流は既にダウンロード音源や定額聴き放題サービスに移行している中、日本だけがまだCDがそれなりに売れています。最近さらにブルーレイオーディオとかも出ていますが、個人的にはこれ以上円盤ものの音源を増やしたいとは思わなくなっています。

「古関メロディー カバー・コレクション」

「古関メロディー カバー・コレクション」というのを買って聴きました。文字通り、オリジナルの歌手以外のカバーです。都はるみの「船頭可愛や」とか藍川由美のは既に持っていて聴いています。良かった方でいくと、舟木一夫の「高原列車は行く」と「夢淡き東京」。舟木一夫ってある意味ちょっと神がかったような歌い方をする人ですが、古関メロディーとはマッチしていると思います。石川さゆりの「君の名は」もさすがに上手いですし、伊藤咲子の「黒百合の歌」も私はオリジナルの方が好きですが、こういう解釈もあってもいいかと思います。お千代さんの「愛国の花」もいいと思います。
それに対して最悪なのは新沼謙治の「イヨマンテの夜」。何と、冒頭の「アーホイヨー」以下の部分をまったく歌っていません。ここは歌に自信がある人なら絶対に歌いたくなる所で、それを飛ばすなんて信じられませんし、それ以下の部分もきわめて平凡です。また「若鷲の歌」(松方弘樹)、「暁に祈る」(杉良太郎)、「露営の歌」(村田英雄)の軍事歌謡は、何というか当時の雰囲気を無視した1960年代の大平洋戦争回顧ブームの産物という感じがしてあまり好きになれません。
八代亜紀の「フランチェスカの鐘」は、元々何だか面倒くさいので恋人と別れたという元の歌の意味では間違っていないのでしょうが、軽い歌い方で二葉あき子の格調には遠く及ばないです。
美空ひばりは2曲入っていますが、「とんがり帽子」はまったく歌と歌い方が合っていません。おそらく「東京キッド」などの類推から歌ったのかもしれませんが、美空ひばりの技巧的な歌い方は古関メロディーとは合いません。このCDには入っていませんが、「船頭可愛や」も同じです。

古関裕而の「暁に祈る」の販売枚数

古関裕而が自分が作った軍歌(戦後の言い方では「軍事歌謡」)の内で一番会心の作は、福島三羽烏による「暁に祈る」だと自伝の中で言っています。そしてこの「暁に祈る」の販売枚数が41,000枚で大したヒットじゃないなどと書いているサイトがいくつかあります。この数字の引用元は、倉田喜弘の「日本レコード文化史」の中にあるものです。(元は雑誌「音楽文化」の昭和19年11月号のようです。辻田真佐憲の「古関裕而の昭和史」による。)しかし、この数字はあくまでも昭和18年8月から19年8月までの13ヵ月間のものであり、「暁に祈る」が発売されたのは昭和15年5月です。つまり、発売後から3年3ヵ月の間の売上が全く入っていない数字です。それに発売後から3年3ヵ月も経ってまだ4万枚以上売れているということは、「露営の歌」の50万枚には及ばないのかもしれませんが、おそらく30万枚以上の大ヒットだと思います。古関によると当時のヒットの基準は5万枚くらいだとどこかで書いていましたので、そういう意味でも41,000枚だけというのはあり得ないです。実際に同じ資料に「若鷲の歌」も載っていますが、こちらは発売後10ヵ月で233,000枚です。
ちなみに、「露営の歌」の50万枚は戦前としては驚異的な数字で、当時の蓄音機の普及台数を考えると、蓄音機を所有している人の大半が買わないとそんな数字にはならないと思います。当時の再生機の数と、現在の様々な再生環境の数の差を考えれば、ほとんど10倍して現在だと500万枚くらいの感じなのではないでしょうか。

古関裕而の「ビルマ派遣軍の歌」

今週の「エール」は非常に重い話で、古山裕一がビルマ(現在のミャンマー)で行われていたインパール作戦(大平洋戦争上で最悪の無謀で無策な作戦として悪名が高いもの)に慰問のために派遣される話です。そこで演奏されるのが「ビルマ派遣軍の歌」で、作詞は一緒に慰問に同行していた「麦と兵隊」で有名な火野葦平です。「エール」でも出て来たように、火野葦平はインパール作戦の惨状を実際に現地で見て「青春と泥濘」という手記にまとめています。火野葦平は戦後戦犯として2年間公職追放の処分を受けますが、決して戦争賛美の人ではなかったということだと思います。この曲は現在何故かCDで発売されている「古関裕而 戦時下日本の歌~愛国の花~」には収録されていませんが、ダウンロードで販売されている同名のアルバムには入っていて聞くことが出来ます。変ホ長調というB♭に並んでブラスバンドでは演奏しやすい調で作曲されています。全体に古関らしい「ターンタターンタ」という付点音符のリズムで統一されていますが、「しゅくてき(宿敵)」の所だけが「ターンターンターンターン」というフラットなリズムに変り変化を付けています。最後は上昇音型から下降音型でまとめるという、手堅い構成になっています。
なお「エール」では古山裕一の慰問は一回だけになっていますが、実際の古関裕而はビルマは2回、その他中国なども合わせ全部で4回くらい慰問に行っています。残念ながら中国での慰問での「露営の歌」に関する感動的なエピソードは「エール」では使われないようです。

P.S.
「ビルマ派遣軍の歌」の歌詞は、「古関裕而作品集」では2番までしか載っていないし、またWeb上で見つかるものも、コロンビア音源で歌われているのと異なっているため、以下にコロンビア音源で歌われている歌詞を載せておきます。

1.
詔勅(しょうちょく)のもと勇躍(ゆうやく)し
神兵(しんぺい)ビルマの地を衝(つ)けば
首都ラングーンは忽(たちま)ちに
我が手に陥(お)ちて敵軍は
算を乱して潰(つい)えたり
宿敵老獪(ろうかい)英国の
策謀(さくぼう)ここに終焉(しゅうえん)す
勲(いさお)燦(さん)たりビルマ派遣軍

2.
イラワジ河の水ゆるく
御国(みくに)の楯と進みゆく
我が兵(つわもの)の背に高く
黄金(こがね)のパコダそびえ立ち
セクバン(*1)の花萌え出でて
再生ビルマの民衆に
兵の笑顔の莞爾(かんじ)たり
光り遍(あまね)しビルマ派遣軍

3.
援蒋(えんしょう)ルート(*2)の完封(かんぷう)に
喘(あえ)ぐ雲南(うんなん)重慶軍(じゅうけいぐん)
波立ち騒ぐ印度洋
また北緬(ほくめん)(*3)にアラカン(*4)に
残敵(ざんてき)しきりに蠢動(しゅんどう)す
我に揺るがぬ鉄壁の
守りのあるを知らざるや
力厳(げん)たりビルマ派遣軍

*1 セクバン 正しくはセクパン。ホウオウボク(鳳凰木、Delonix regia)のこと。蝶のような形の真っ赤な五弁花をつけ、火焔樹とも呼ばれる。
*2 援蒋ルート アメリカ、イギリス、ソ連が中国国民党の蒋介石を軍事的に援助するために物資を送るのに使ったルート。ビルマのラングーン(ヤンゴン)→ラシオ→雲南省昆明のビルマルートがその代表的なもので、日本軍がビルマを占領してからはハンプというヒマラヤ山脈を飛行機で越えるルートに切り替わった。
*3 北緬 北ビルマ。ビルマの漢字表記は緬甸。
*4 アラカン 現在のミャンマーのラカイン州で、ミャンマーの北西部にある南北に細長い州。

以下、4番がWeb上のいくつかのソースで確認出来るが、コロンビア音源では3番までしか収録されていない。

4.
独立ビルマの朝明けて
孔雀の旗のたなびけば
東亜の屋根の主柱(はしら)たる
防人(さきもり)日本の任重し
神算鬼謀(しんさんきぼう)我にあり
如何(いか)なる試練来たるとも
恐るる所あるや無し
勲赫(いさおかく)たりビルマ派遣軍

古関裕而の「若鷲の歌」

今週の「エール」は「若鷲の歌」でしたけど、珍しくあまり脚色せず、ほぼ事実のままです。ただ短調の方を作曲したのは予科練の中ではなく、予科練に向かう列車の中ですが。
キーボードで弾いてみると、この曲はト短調で、古関にしては珍しく和音が単純で三和音、それもほとんどGmとD7で、後はCmが一カ所だけで、覚えやすさ、歌いやすさを重視している感じです。しかしその代わりにメロディーが凝ってて、ミ→ミの1オクターブのジャンプが三回出て来て、これが曲を盛り上げるのに貢献しています。

ピアノに再チャレンジ

最近、カシオトーンで古関メロディーを片手弾きして楽しんでいますが、この際、本格的な両手弾きでなくても、左手はコードくらいは出来るんじゃないかと思って、Amazonで一番易しそうな教本を買いました。高校生の時、モーツァルトのピアノソナタ15番ハ長調
https://www.youtube.com/watch?v=TbiGQCpC9W8
を何とか弾けないかやってみたことがありますが、右と左それぞれ単体では何とか弾けるのですが、両方合わせるとダメで挫折していました。年取って昔より根気が出来たのでまたチャレンジしてみます。

古関裕而の曲における印象的な下降音型

先日、NHKのヒストリアという番組で古関裕而が取上げられていました。その中で「露営の歌」が大ヒットした理由について、片山杜秀氏が「下降音型の部分が大衆に好まれた」みたいなことを行っていました。それは多分「勝って来るぞと」の「来るぞと」の部分だと思いますが、私はこの曲の特長としてはまずは前奏がいわゆる進軍ラッパのパロディー(長調→短調)とかの方が特長としては目立つと思います。それに何より、下降音型というなら、もっと他の古関の曲でより効果的に使われている例が沢山あります。
最初に挙げるべきは早稲田の応援歌の「紺碧の空」で「すーぐーりーしせーいえーいとーしはもーえーて」の所で2回強調音の後下降音型が続き、これが非常に印象的です。実際に、応援を受けた野球部の選手がこの部分で一番背中を押された感じがしたと言っています。この下降音型、音程を外さないように歌うのは結構大変で、実際に朝ドラのエールの早稲田の応援団はかなり音を外していました。(最初作曲した時に、現実の早稲田の応援団から「難しい」と言われたようですが、古関はこだわってそのままにしています。)
もう一つは、「高原列車は行くよ」で、サビの「高原列車はラララララ行くよ」のラララララの所が非常に印象的な下降音型です。バロックの音楽理論で音画(Tonmalerei)というのがあり、音で風景を活写する技法ですが、その一つで下降音型をカタバシスと言います。(ギリシア語で下降の意味)バッハの受難曲などで多用されていますが、古関のこの曲のここもまさしく列車が下りに入った感じを描写する見事なカタバシスの例だと思います。
他にも、「ラバウル航空隊の歌」、「黒百合の歌」、「君いとしき人よ」、「雨のオランダ坂」、「フランチェスカの鐘」など、下降音型が上手く使われている古関の曲は沢山あります。「フランチェスカの鐘」の半音下降は「バーイバイ」の所ですが、歌詞の中に出て来る「面倒くさくて」というダルな感じを良く描写しています。そういった多くの例の中で「露営の歌」だけ特に下降音型が印象的に使われているとは私は思いません。
(以下、楽譜は「ラバウル航空隊の歌」、「黒百合の歌」、「君いとしき人よ」、「雨のオランダ坂」、「フランチェスカの鐘」の順です。)

「エール」の事実との違い(2)

NHKの朝ドラ「エール」、今週は「露営の歌」と「暁に祈る」が登場しました。「露営の歌」がたった1回で終わりという扱いにびっくり。まあフィクションでドラマですから、事実と違うというのを言っても野暮ですが、曲だけは本物を使っているんで、誤解してもらいたくないです。・「露営の歌」は、古関夫妻が奥さんの金子さんのお兄さんが満州で会社をやっていた関係で満州を旅行し、日露戦争の戦地の跡を回って実際の戦争の陰惨さを身をもって理解したことが背景にあります。
・そして「露営の歌」の作曲は自宅ではなく、その満州からの帰国の時にコロンビアから電報が入り急いで作曲して欲しいものがあるので、船で神戸まで行かず、門司で下りて汽車で戻って欲しいという要請がありました。そして汽車の中ですることもなく退屈していたら新聞に「露営の歌」が載っていて、それで汽車の中で短時間で作曲したもの。
・それでコロンビアに出社したら、作曲して欲しいというのが「露営の歌」で、「それならもう出来ています」と差し出し、コロンビアのディレクターがびっくりして「どうして分ったんですか」と聞いたら、「そこは作曲家の第六感ですよ」と古関はとぼけて答えています。
・エールだと短調に難色を示されていますが、実際はコロンビアのディレクターも短調がいいと思っていました。
・「露営の歌」の歌手は、佐藤久志のモデルである伊藤久男も入っていますが、実際は5人での斉唱で、当時のコロンビアの男性歌手陣の総動員(中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章)でした。コロンビアもこの曲がおそらく出征兵士の見送りの時に皆で斉唱されるんだろうということを想定していたんだと思います。この5人の中では後にジャズ系の軽快な歌をボーイズグループで歌った中野忠晴が軍歌を歌っているのがちょっと面白いです。
・「暁に祈る」を依頼した軍人は、硫黄島の戦いで守備隊長として戦死した栗林忠道陸軍大将で、当時は陸軍省兵務局馬政課長でした。
・「暁に祈る」の作詞で、野村俊夫が何度もダメ出しされたのは事実で、7回書き直しています。そして最後のダメ出しの時に「あー、もう嫌だ」と叫んだ結果で、その「ああ」という冒頭の歌詞につながっています。
・そしてその冒頭の「ああ」の歌詞に、今度は作曲の古関裕而がどんな旋律を付けるか悩むことになりますが、たまたま家で奥さんの金子さんが詩吟をうなっていて「あーあー」とうなったのを「これだ!」と思って採用したという嘘みたいな話があります。
・エールでも出て来ましたが、軍馬の飼育を奨励するのが目的の映画の主題歌なのに、「馬」は3番で「あーあー傷ついたこの馬と飲まず食わずの日も3日」と出て来るだけです。
・後、「露営の歌」については、古関が中国に慰問に行った時の感動的なエピソードがあるんですが、これは多分これから出てくるんだと期待しましょう。このエピソードを使わないのであれば、その脚本家は失格です。