三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」

jpeg000-63本日の落語、三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」。
「札所の霊験」は本来もっと長い噺で、仇討ちの噺みたいですが、圓生が語っているのは途中までで、この途中までを聴くと、笑える所はまるでなく、オチも無く、ほとんど怪談噺です。遊女の小増が、水司(みずし)又市に恋人を斬殺され、又市は出奔し、小増はその後富士屋の旦那に見初められその妻になるが、富士屋は二度の火事で没落。夫婦と子供で越中の高岡に移るが、そこの寺の坊主が又市のなれの果てで、又市は小増にいいよって自分のものにし、富士屋の旦那を斬殺して、結局それがばれて、という陰惨な噺。
「居残り佐平次」は前に志ん朝で聴いていますが、圓生もさすがにうまく、佐平次のどこか憎めないキャラクターを見事に演じています。

三遊亭圓生の「鼠穴、三年目、鹿政談」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「鼠穴、三年目、鹿政談」です。
「鼠穴」はこの間圓生で聴いたばかりなのでパス。
「三年目」は、志ん朝、志ん生、圓楽と聴いてきてこれがもう四回目で、いい加減に飽きました。噺自体も、幽霊の髪の毛が伸びるというのが今一つで好きなれません。
「鹿政談」は奈良のお噺で、間違えて神聖な鹿を殺してしまった豆腐屋の老人を、名奉行が「これは鹿ではなくて犬じゃ」という見事なお裁きで救うものです。

三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」。
圓生の「淀五郎」は二回目です。名優の中村仲蔵が、忠臣蔵の塩谷判官に抜擢されたはいいが、ベテランの役者に演技がまずいため、舞台で相手にしてもらえない若い役者にアドバイスをする噺です。その役者は仲蔵のアドバイスを受けて一晩じっくり演技を考え、見事次の日に塩谷判官の役をこなします。
「品川心中」は以前志ん朝で聴いています。本当は後半まである噺ですが、後半を演じる人はほとんどいないようで、この圓生のCDでも前半までです。聴き所は、遊女と心中しようとしたけど、遊女は心中を取りやめて一人だけ海に落とされた男が、ずぶ濡れのまま親分の所にやってきて、丁度博打の最中だった親分の子分達が、手入れが入ったと勘違いして慌てふためく様です。

三遊亭圓生の「山崎屋、盃の殿様」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「山崎屋、盃の殿様」。
「山崎屋」は吉原遊びが過ぎた若旦那が、番頭が女を囲っているのを知って、それを種に金をせびります。若旦那に痛いところを突かれた番頭は、若旦那となじみの女郎が一緒になれるように策を巡らします。番頭の策で、旦那は吉原の女郎がいい所のお嬢さんだと勘違いし、若旦那と一緒になるのを許します。隠居した旦那が、元女郎の若旦那の奥さんの所にいって、色々会話を交わしますが、その内容が吉原のことに精通していないとおかしさがわかりません。オチもそうで、マクラで説明がないと何のことだかわかりません。
「盃の殿様」は気鬱の病になった殿様の慰みにと、吉原の女郎の浮世絵を見せたら殿様はすっかり気に入って、吉原に通い詰めになります。1年ばかり通いましたが、参勤交代で領地に戻ることになり、涙を飲んで気に入りの女郎とは別れます。領地で宴会をやっていても、思い出すのはその女郎のことで、とうとう家来のうち足が速いのを選んで、盃を託して、わざわざ江戸まで走らせ、返杯を取ってこさせます。女郎は感激してその盃に注がれた酒を飲み干して、その盃をまたその家来が持ち帰ろうとします。ところが、その家来が箱根である大名行列の先を切ってしまい、その大名に捕まります。しかし、訳を話したら、さすがは大名の遊びだと感心され、その殿様がその盃で酒を飲み干します。家来は許されて盃を持って領地に帰りますが、殿様に訳を話したら、もう一杯注いでこい、と言われて、今日までその大名を探し続けている、というオチです。

三遊亭圓生の「三十石」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「三十石」です。
この噺は桂文枝で聴いたばかりの上方噺です。三十石というのは京都の伏見と大阪の八軒家間で淀川を上下する舟のことだそうです。その舟に乗るまでと、乗った後の色々な出来事を描いている噺ですが、どうも私はこの噺にあまり乗れません。強いて言えば、宿屋の番頭が宿帳を付けるところで、泊まる人が幡随院長兵衛とか助六とか、鴻池善右衛門とか小野小町とか好き放題に変名を使うのが面白いです。

三遊亭圓生の「妾馬、木乃伊取り」

jpeg000-53本日の落語は三遊亭圓生の「妾馬、木乃伊取り」。
「妾馬」は以前志ん生で聴いています。妹が大名のお妾に召し出され、さらにお世継ぎとなる男の子を産んで覚えがめでたくなり、その兄がその大名に呼び出され、歓待されて出世するという噺で、その兄と大名家での頓珍漢なやりとりが可笑しい噺です。誰も不幸にならない噺なので聴いた後の気持ちがいいです。
「木乃伊取り」は、吉原に居続けして帰ってこない若旦那を連れ戻しに、番頭がまず行くが番頭もそのまま帰ってこない。続いて近所の鳶の頭が頼まれて行くが、これまた帰ってこない。最後に飯炊きの清蔵が自分で志願して出かけていきます。最初は力ずくでも連れて帰るとすごんでいましたが、相方の女郎に気に入られて似合いだとおだてられると、帰るという若旦那に、今度は清蔵がもう二三日居続けると言い出す、というタイトル通り「木乃伊取りが木乃伊になる」お噺です。

三遊亭圓生の「文違い、掛取万歳、猫忠」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「文違い、掛取万歳、猫忠」。
文違いは前に、金原亭馬生でも聴いています。女郎が客を騙して二十両をせしめて間夫に渡しますが、実はその女郎もその男に騙されていて、と騙し騙されが重層になっているお噺です。
「掛取万歳」は、大晦日に次々やってくる借金取りをやり過ごすため、狂歌好きの大家には狂歌で言い訳をし、芝居好きの酒屋には歌舞伎の台詞で見事に言い訳をする。最後にやってきた三河屋の主人には、三河万歳で言い訳をするというお噺です。
「猫忠」は、三味線にされてしまった親猫を慕って子猫が、吉野家常吉に化けて清元の師匠と一緒に一杯やっていて、それを本物の常吉が偽物を暴いて、というお噺。吉野家の常吉だから「義経」、狐忠信ではなく、猫がただ吞みしたから猫忠、と義経千本桜にたとえて、では静御前は、ということになって、清元の師匠がそれになぞらえられたら、師匠は自分はお多福だから似合わない、というと猫が一言「にゃーう」という落ちです。

桂米朝の「不動坊、天狗裁き」

jpeg000-50本日の落語、桂米朝の「不動坊、天狗裁き」です。
「不動坊」は以前柳家小さんでも聴いています。金貸しの利吉が、講釈師の不動坊火焔が旅先で借金を残し亡くなったのに対し、その後家のお滝さんが、その借金35両を払ってくれる人がいるならその再婚してもいいといい、利吉は手を挙げます。それを聴いた長屋のやもめ仲間が、嫌がらせに不動坊の幽霊に化けて利吉を脅そうとしますが、利吉は脅される筋合いはないと言って、金を幽霊を丸め込んでしまう噺です。
「天狗裁き」は、夢を見ていたと思われた男が、まず女房にその夢の内容をしつこく聞かれ、次は友人、そしてお奉行所、最後は天狗からしつこく聞かれる、エスカレーションしていく噺です。最後はそれ自体が夢だったというオチです。

桂米朝の「帯久、天狗さし」

jpeg000-45本日の落語、三代目桂米朝の「帯久、天狗さし」。上方落語の2枚目です。先日聴いた桂文枝は、私的にはイマイチでしたが、この米朝のは良かったです。「帯久」は、松平大隅守という奉行の名裁きのお噺。帯久という強欲な商人が、和泉屋与兵衛という同じ呉服屋に何度も無利子でお金を借りて、最後に借りた百両を大晦日に返しに行ったはいいが、大晦日の忙しさで取り紛れののどさくさで、一旦返して帳面には返却とつけさせた百両を黙って持って帰ってしまう。そのうちに和泉屋は火事に遭って没落、今度は和泉屋が帯久に金を借りに行くけど、強欲な帯久はまったく貸さない。和泉屋が頭に来て、帯久の店に火を付け、それでお奉行様のお裁きになります。あまり笑える所のない噺ですが、退屈せずに聴けます。
「天狗さし」は、「天狗のすき焼き」の店を出そうとする男の荒唐無稽なお噺です。

桂文枝の「立ち切れ線香、三十石、喧嘩長屋」

jpeg000-42今日の落語、五代目桂文枝の「立ち切れ線香、三十石、喧嘩長屋」。今回初めて上方落語にしてみました。ですが、いまいち好きになれないですね。五代目桂文枝の語り方があまり相性が良くないんでしょうか。特に「喧嘩長屋」はやかましくて下品で、という感じで良さがわかりません。「立ち切れ線香」はちょっとほろっとさせる噺です。三十石はなんだか京都の観光案内みたいな噺。