三遊亭圓生の「紺屋高尾、後家殺し」

jpeg000 125今日の落語は、三遊亭圓生の「紺屋高尾、後家殺し」です。
「紺屋高尾」は、紺屋の職人の久蔵が位の高い花魁の高尾に惚れて、三年間給金を貯めて、高尾を買いに行きます。最初は金持ちの振りをしていたけれど、次にいつ来てくれるか聞かれたらもうお金が無くてまた三年後になってしまうことを考え、泣き出してしまいます。訳を聞かれて、すべてを正直に話します。高尾の方は、客に身を売るこの身を三年間も思ってくれていたと情にほだされ、年季が明けたら久蔵の妻になると言う…という噺です。いい噺ですが、笑える所があまりないですね。三遊亭圓生は泣ける噺の方がいいと思います。
「後家殺し」は上方噺で珍しい噺みたいで、Amazonで検索してもこの圓生のCDしか出てきません。圓生はこの噺を二代目の桂三木助(レパートリーの広いことで有名だった)から教わったそうです。義太夫のからむ噺で、ある程度義太夫がうなれないといけないので、今は演じる人がいないのかもしれません。お噺は、趣味で義太夫をうなる職人の常さんが、ある時質屋の伊勢屋で開かれた義太夫の会で演じて、それがきっかけで質屋の美人の後家さんといい仲になります。常さんには奥さんも子供もいるのですが、後家さんはそれを承知でつきあって、おまけにお金もくれるので、常さんは好きな時だけ働くという大層結構な暮らしをしていました。それを妬んだ友人が常さんに、後家に新しい男が出来たと吹き込んで、常さんは逆上します。出刃包丁を持って質屋に出かけ、後家さんを刺し殺してしまいます。結局捕まって、打ち首になるのですが、最後に言い残す言葉を、と奉行に言われて、常さんは思わず浄瑠璃を語り始めます。それに対して、お奉行が「よっ、後家殺し」と声をかける落ちです。「後家殺し」というのが、浄瑠璃の演者への褒め言葉だということがわかっていないと、この落ちは何のことだか理解できません。

赤田祐一+ばるぼら共著の「定本 消されたマンガ」

jpeg000 113赤田祐一+ばるぼら共著の「定本 消されたマンガ」を読了。
何らかの理由で、出版史上から消されてしまったマンガとその消された事情を説明した本です。
あの国民的漫画「サザエさん」には、新聞には掲載されたけど単行本には入ってないのが、何と700本もあるそうです。その中には時事ネタ過ぎて今の人には何のことだかわからない、といったようなものもあるみたいですが、「人喰い人種」について触れているようなものもあるみたいです。
60-70年代の作品は、ハレンチ学園、ブラック・ジャック、アシュラなどリアルタイムで読んでいたものが多く懐かしいです。ジョージ秋山は70年代初期の頃は本当に過激でした。ちょっと差別的表現が出てくる、というレベルではなく、例えば「アシュラ」では初回から飢えた母親が自分の赤ん坊を食べてしまおうとします。
また、1980年に赤塚不二夫が「キャスター」という人肉食を笑いにした漫画を発表していたのを初めて知りました。
そういうのに比べると1990年以降のものは、盗作だとか単なる自主規制だとか、パンチ力としては大幅に落ちるものが多いように思います。
また、大学生の頃、泉昌之の「かっこいいスキヤキ」他を愛読していましたが、それにはウルトラマンが四畳半でギターを弾いていたりするパロディー漫画が多数入っていました。当時から「いいのかこれ」と思っていましたが、円谷プロに許可を取らないで勝手にやっていたみたいです。その後正式に抗議が来てお金を要求されて、支払えないので、今の単行本ではウルトラマンネタは削除されているみたいです。