小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」

jpeg000 110小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」を再読。1989年に出版された作品です。ある高校生が1959年の東京にタイムスリップする話です。この1959年は小林信彦にとっては特別な年で、江戸川乱歩に見いだされ、宝石社のヒッチコックマガジンの編集長になった年です。「夢の砦」がその時の経験を描いていますが、「夢の砦」では1961年に舞台が移されています。その理由は、1959年を舞台にすると、59年から60年での安保闘争を描かざるを得ないからと作者が説明しています。「イエスタデイ・ワンス・モア」ではその安保闘争に主人公が参加するシーンがあります。
1959年時点では、東京にはまだ高速道路もなく、高層ビルもありませんでしたが、そうした東京の風景と当時の風俗が生き生きと描写されています。主人公が1959年に来て放送作家で生計を立てる、というのはちょっとまたか、という感じもしますけど。

古今亭志ん朝の「お化け長屋、子別れ/下」

jpeg000 120今日の落語、志ん朝の「お化け長屋、子別れ/下」。
お化け長屋は大家に意地悪された店子が、偽の幽霊話をでっち上げて部屋を借りに来た客を追い返すが、一番目の客はうまくいったけれど、二番目の客は脅かしても平気で勝手が違って…というお噺。
「子別れ/下」は、圓生と志ん朝、甲乙付け難いですね。このお噺は笑いながら涙が出る、人情噺の傑作と思います。特に子供の亀が遊び相手の男の子によって、顔にコマをぶつけられて怪我をしたのを母親が知って、怪我させた相手を問い詰めますが、それがいつも縫い物の仕事をもらっている家の子供とわかって我慢するように言うところはわかっていても泣けます。

片山杜秀の「近代日本の右翼思想」

jpeg000 108片山杜秀の本、今度は「近代日本の右翼思想」を取り寄せて読んでみました。この本は片山杜秀の卒論や修論がベースになっているみたいです。
片山は左翼を、過去にも現在にも存在していない理想を未来で実現させようとしてそれに走る者、と定義します。左翼の反対側が右翼ですが、それには保守と反動があって、保守は現在を重視し、反動は過去に戻ろうとします。日本の場合は、戻るべき過去は天皇制ですが、戦前は現在を見ても天皇が現前と存在しています。そこで右翼は現状を変革しようとしても、ある種の腰砕けに終わってしまい、現状を変革する試みはすべて失敗に終わります。どうせうまく世の中を変えられないのなら、やがてあきらめて自分の手で変えるのではなく、天皇がいつか変えてくれるのだという錦の御旗の革命論になります。(これが安岡正篤。片山は安岡正篤研究の専門家です。)さらに一歩進めて変えることを諦めると、現在をありのまま肯定するという気持ちになり、「中今」という考え方が生まれます。現状を肯定するようになると、頭で何か考えることは不要になり、身体論が叫ばれるようになります。という風に1945年8月までの戦前の右翼思想の流れを総括します。結局何も考えないでアメリカとの戦争に突入した背景が右翼思想の点から明らかになります。そうした過程で、西田幾太郎や阿部次郎や長谷川如是閑のような、一般には右翼とは思われていない人の思想が、こうした右翼思想の変遷に与えた影響を考察しているのが目新しいです。
一方、欠けている視点は「大アジア主義」的な見方でしょう。頭山満が孫文を支援したり、戦前の右翼には日本を超えてアジア全体のレベルで考えることが行われていましたが、この本ではそのあたりはまったく取り上げられていないですね。

宗像教授の間違い

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この漫画は、星野之宣の「宗像教授異考録」の「虫めづる姫君」の中の一場面です。(単行本に収録されたものではなく、雑誌ビッグコミック連載時の場面。)どこがおかしいかおわかりになりますか?
ここで描かれているのは説明と違ってアゲハチョウの幼虫ではありません。キアゲハの幼虫です。キアゲハの幼虫は、パセリ、ニンジンの葉、セリなどを食べ、ミカンの葉の上にはいません。昭和三十・四十年代の小学生にはほとんど常識だったことで、初歩的な誤りです。(キアゲハの幼虫の写真は、ここをどうぞ。)

三遊亭圓生の「子別れ 上/中/下」

jpeg000 114今日の落語、三遊亭圓生の「子別れ 上/中/下」です。
志ん朝の「お化け長屋、子別れ 下」を先に買ったのですが、「子別れ」の下だけを聴くのもなにかと思って、この圓生の全部揃ったのを別に買い、先に聴きました。(「子別れ」は普通は下だけが演じられ、上/中/下を通して演じられることはほとんどありません。)この「子別れ」の上/中だけを聴くと、主人公の大工の熊さんはとても嫌な奴で、笑える所がほとんどありません。特に酔っ払って悪態をつく所は、圓生のとてもうまい語りを通して嫌な男ぶりが目立ちます。この嫌な熊さんが、下になると、心を入れ替えて、酒を止めて仕事に励み、豹変します。上/中から続けて聴くと、その対照が鮮やかです。それで自分の子供の亀にある日ばったり出くわして、子供を鎹(かすがい)にして、別れた夫婦が元の鞘に収まるという人情噺の傑作です。笑うというより泣ける噺です。