伊藤祐靖の「国のために死ねるか 自衛隊『特殊部隊』創設者の思想と行動」

jpeg000 177伊藤祐靖の「国のために死ねるか 自衛隊『特殊部隊』創設者の思想と行動」を読了。たぶん片山杜秀の右翼に関する本を買ったので、そのつながりでAmazonがおすすめで出してきたもの。強烈なタイトルに惹かれて購入。
筆者は、海上自衛隊で、イージス艦「みょうこう」の航海長在任時に、北朝鮮の工作母船と遭遇し、その船を威嚇銃撃しながら追撃し、一度は停船させましたが、結局取り逃がすという能登半島沖不審船事件に遭遇しています。この時、工作母船の船内を調査することが必要でしたが、この時点ではその任務にふさわしい技能を持ったものは自衛隊にはいませんでした。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わります。その後、特殊部隊について自衛隊の幹部と考え方が合わず退官、フィリピンのミンダナオ島に移り、そこでもさらに特殊部隊としての技能を磨いて、現在は各国警察や軍隊への指導を行っている人です。
まず、この人のお父さんがある意味異常な人で、陸軍中野学校の出身で、戦前に蒋介石殺害の命令を受け、終戦時にもその命令が解除されなかったという理由で、戦後も新たな指令に備えて、毎日射撃訓練を続け、それは1975年に蒋介石が死ぬまで続いたというそういう人です。
そういう父親を持つ人が海上自衛隊の特殊部隊の創設に深く関わるのですが、意外だったのが、アメリカの特殊部隊がある意味世界最弱で、まったく参考にならず、日本独自の特殊部隊を考案したということです。
そういう特殊部隊創設時のエピソードよりももっと興味深いのが、ミンダナオ島に移ってからの体験で、ラレインというおそらく反政府ゲリラ出身の20過ぎの女性で、この女性の「殺し」についての根性がすごいです。筆者にとって射撃は的に当てることですが、このラレインにとっては、相手の顔を吹っ飛ばすことです。また筆者とこのラレインが水中で格闘戦をやった時に、筆者はラレインの肩にまたがって、自分は水面から顔を出し、ラレインは水中に押し込められて呼吸ができないという姿勢になったのですが、ラレインはふりほどけないことがわかると、筆者を水の中に引きずり込んで、そちらも呼吸ができないようにし、結局我慢比べに勝って、不利な闘いを打開します。
そのラレインが、戦争中の日本の沈没船から、大正天皇が関東大震災の時に出した詔勅の額を引き上げてきて、筆者に訳してもらいます。それを聞いた感想が、大正天皇はエンペラーではなく、部族長だということです。何故なら命じるのではなく、ただ「こいねがう」ことしかしていないからです。
筆者の「思想」は正直な所、私には受け入れがたい部分が多いのですが、強烈な本ではありました。

NHK杯囲碁 金秀俊8段 対 溝上知親9段

今日のNHK杯戦の囲碁は、金秀俊8段の黒番、溝上知親9段の白番です。金8段は趙治勲門下で、力が強いです。溝上9段は菊池康郎門下で、各種リーグ戦で活躍する強豪です。対局は右上隅で金8段が一手かけて2線の石をかけついだのが珍しく、その代償に上辺をほとんど封鎖されてしまいました。しかしながら封鎖している白石にいきなりつけこし、ここから戦いになりました。この戦いは白の溝上9段が固く受けたため、中央は黒が制して下辺が広大な黒模様になりました。白は下辺に打ち込んでいき、さらに右下隅にも打ち込んで何とかさばこうとします。これに対し黒は白の全部を取りに行きましたが、これがやりすぎで、白にうまく治まられてしまいました。それでも黒地は全体的に多く、まだ黒が優勢でしたが、白は最後の勝負ということで、中央の厚みになっている黒を狙いました。黒はどこかで手厚く打っていれば勝ちだったのですが、いっぱいに打っている内にある意味放心の手が出て、中央を取り込まれてしまいました。さしもの黒の好局もこれで逆転し、終わってみれば白の4目半勝ちでした。

古今亭志ん生の「猫の皿、藁人形、権兵衛狸」

jpeg000 167本日の落語、古今亭志ん生の「猫の皿、藁人形、権兵衛狸」。
昭和35~36年の録音で、志ん生の「病前」です。
志ん生の「藁人形」は先日別のCDで聴きましたし、噺自体がとても嫌な噺で聴きたくないのでパス。
「猫の皿」は、ある茶店で柿右衛門のお皿を猫に餌をやる皿に使っているのを見た古美術商が、その茶店の主人を騙して、安くその皿を買いたたいてやろうとして、却ってその主人にはめられるお噺。
「権兵衛狸」は、いたずら好きの狸と権兵衛さんのある意味ほのぼのしたお噺で、志ん生にぴったりあった噺です。

小林信彦の「イーストサイド・ワルツ」

jpeg000 174小林信彦の「イーストサイド・ワルツ」再読完了。
1993年4月27日~10月3日 毎日新聞朝刊に連載されたもの。朝日新聞に連載された「極東セレナーデ」は一応成功作だと思いますが、この作品は毎日新聞の読者に歓迎されたか疑問です。特に終わり方の暗さと来たら…
作者は後書きで、「初めての恋愛小説」だと説明していますが、それはないと思います。1988年の「背中合わせのハート・ブレイク」(原題は「世間知らず」)はどうなるのでしょうか。その「ハート・ブレイク」と結構共通点が多いです。主人公がどちらも「世間知らず」であること、主人公の若い時の恋愛が自分は振られたと思っていて、相手は逆に主人公に振られたと思っていること、そしてどちらもハッピーエンドではないこと、等々。また、1992年の「ドリーム・ハウス」とも、一緒に住んでいる女性が結婚した後自分を殺して家と土地を自分のものにする、という心配をする所がかぶっています。
後、山の手の男性と下町の女性の恋愛ということで、「東京の街」論がたっぷり出てきますが、恋愛小説には不必要な詳細さであるのと、小林信彦をずっと読んできている読者にはある意味うんざりするような感じです。
この作品は、知らなかったのですが、「イーストサイド・ワルツ 悦楽の園」としてVシネマになっているみたいです。ここで予告編が見られますが、意外と忠実な映像化をしているように見えます。

林家正蔵の「鰍沢、あたま山」

jpeg000 163今日の落語、八代目林家正蔵(林家彦六)の続きで、「鰍沢、あたま山」です。どちらも1969年の録音です。昨日、晩年の録音を聴いて、これはちょっといただけなかったですが、この頃のは見事と思います。特に「鰍沢」は先日三遊亭圓生のを聴きましたが、私としては正蔵の方が良かったですね。
「あたま山」は落語の中でもっともシュールな噺ですが、これも良かったですね。元々ケチな男の噺の時のまくらだったそうですが、この正蔵が一席噺にまで膨らませたとのことです。

小林信彦の「ハートブレイク・キッズ」

ハートブレイクキッズ小林信彦の「ハートブレイク・キッズ」を読了。再読かと思いましたが、たぶんまだ読んでなかったようです。1991年に出版されたもので、雑誌JJに1年間連載されたものです。掲載誌が掲載誌だけに、小林信彦作品としては珍しく女性の読者を強く意識したものです。女性に好評だった作品の「極東セレナーデ」の時に身につけた、若い女性のしゃべり言葉がこの作品でも使われています。文庫版の解説の小森収が書いているように、この作品は「小林信彦の小説の様々な定跡のパッチワーク」だと思います。具体的にはその解説にも書いてありますが、前述の「極東セレナーデ」「夢の砦」「紳士同盟」などです。他にも、主人公の恋人になる男の職業が放送作家、また出身が下町で、あることがきっかけで没落している、など、小林信彦によくある設定のオンパレードです。ただ、どれもこれも中途半端にごちゃまぜ、という感じで、決してよく出来た作品ではないと思います。

林家正蔵の「中村仲蔵、普段の袴、ぞろぞろ」

jpeg000 163本日の落語、八代目林家正蔵(林家彦六)の「中村仲蔵、普段の袴、ぞろぞろ」。
八代目林家正蔵は初めて聴きますが、「中村仲蔵」は1965年の録音でなかなか良かったです。ところが、「普段の袴」が1978年、「ぞろぞろ」が1980年の両方とも晩年の録音で、これがある種「老残」といった感じで、語りがスローすぎて、噺の中身がさっぱり頭に入ってきません。いつも志ん朝の快速なテンポを聴き慣れているから余計です。聴きようによっては味があるのかもしれませんが…

池井戸潤の「陸王」

jpeg000 171池井戸潤の最新作「陸王」を読了。埼玉県行田市にある創業100年の足袋メーカーこはぜ屋が、新規事業として足袋を応用したスポーツシューズの開発に着手し…とくれば、最近の池井戸潤得意の「下町ロケット」パターンです。ですが、新作としてそれなりにはワンパターンを逃れる工夫はしてあって、一つは茂木という怪我をしてどん底に落ちた長距離ランナーが復活する話をからめたことです。二つ目は、この手の池井戸作品のパターンとして、こはぜ屋には次から次に危機が訪れますが、最後に訪れた最大の危機を脱するためにこはぜ屋が採った手段がちょっと今までのパターンにはなく新しいと思います。三つ目は社長の息子の大地が、就職面接にことごとく失敗して、仕方なくいやいやこはぜ屋で仕事をしていたのが、新製品の開発に関わる内に成長していく、ビルドゥングスロマンとしての一面です。全体的に傑作とは思いませんが、まあまあ楽しめる作品でした。少なくとも今読売新聞に連載している「花咲舞が黙ってない」よりはずっとまし。

古今亭志ん朝の「水屋の富、五人廻し」

jpeg000 161今日の落語、古今亭志ん朝の「水屋の富、五人廻し」です。
「水屋の富」は、富くじを当てて800両を手にした水屋が、それを床下に隠しておくが、いつ盗られるかと夜も眠れず、心底疲れ果てる。結局、隣に住んでいるヤクザにお金を持って行かれてしまったが、これで苦労の種がなくなったと安心するというサゲです。
「五人廻し」は、吉原の女郎がいっぺんに五人の客を相手にするが、なかなか女郎の相手をしてもらえない待たされた客が、廓の若い者にあれこれと文句を言う。その文句の言い方がそれぞれ特色があって、その演じ分けが肝心な噺です。志ん朝はこういう演じ分けが本当に上手いです。

白井喬二の「富士に立つ影」(総評)

白井喬二の「富士に立つ影」を読了しましたが、以前10巻まで読んだ「大菩薩峠」と比べると、小説としてのまとまりは「富士に立つ影」の方がずっと上だと思います。「大菩薩峠」は最初の方こそ話がとんとんと進みますが、途中で停滞して、時間の進み方も極度に遅くなります。それに比べると「富士に立つ影」は三代七十年の時間的経過がはっきりしていて、話の進行では時が十年くらい飛んだりします。
ですが「富士に立つ影」が完璧な作品かというとそうは思いません。解決されていない謎とかつじつまの合わない箇所がいくつもあります。例えば、第一巻で、怪我をして行方不明になった佐藤菊太郎の行方を追い求めて、喜連川門下の侍二人が登場しますが、この二人は熊木伯典が赤針流の跡継ぎになるにあたって何か不正を行ったのを突き止めて、その証拠を持って伯典を問い詰めるのですが、結局二人とも伯典に殺されて、その不正がなんだったのかは明らかにされないままです。また、小里が蛇蝎のように嫌っていた伯典の妻になるのも、お染の身代わりになったとしてもかなり不自然です。また、熊木伯典と佐藤菊太郎の年齢も、第一巻では伯典が中年から初老の男として描かれるのに対し、佐藤菊太郎は二十代前半として描かれていて、明らかに年齢差がありますが、第二巻以降はこの年齢差が曖昧になります。
まあそうは言っても、「富士に立つ影」はやはり大衆文芸の傑作と思います。

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