白井喬二の「瑞穂太平記」(続源平篇、中興篇)

jpeg000-58白井喬二の「瑞穂太平記」第四巻、「続源平篇、中興篇」を読了。「続源平篇」は壇ノ浦の戦いから、義経が衣川で攻められて自害し、その後鎌倉幕府で頼朝の直系が三代で亡び、北条氏の政権になり、元寇があって、という所を描きます。「中興篇」はそのタイトル通り、後醍醐天皇の「建武の中興」を描きます。ただ、このお話しは「太平記」にもなるくらいですから、当然この巻の一部というボリュームでは不足気味で、かなり駆け足で話が進みます。あっという間に応仁の乱まで行ってしまいます。この「瑞穂太平記」の新聞連載は昭和15年から始まっていますが、やはり白井の時局迎合小説という面は否定できないです。私としては国民に訓戒を垂れるがごときお話しは白井らしくないと思います。

三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「淀五郎、品川心中」。
圓生の「淀五郎」は二回目です。名優の中村仲蔵が、忠臣蔵の塩谷判官に抜擢されたはいいが、ベテランの役者に演技がまずいため、舞台で相手にしてもらえない若い役者にアドバイスをする噺です。その役者は仲蔵のアドバイスを受けて一晩じっくり演技を考え、見事次の日に塩谷判官の役をこなします。
「品川心中」は以前志ん朝で聴いています。本当は後半まである噺ですが、後半を演じる人はほとんどいないようで、この圓生のCDでも前半までです。聴き所は、遊女と心中しようとしたけど、遊女は心中を取りやめて一人だけ海に落とされた男が、ずぶ濡れのまま親分の所にやってきて、丁度博打の最中だった親分の子分達が、手入れが入ったと勘違いして慌てふためく様です。

NHK杯戦の囲碁 謝依旻6段 対 張栩9段

jpeg000-67本日のNHK杯戦の囲碁は黒が謝依旻6段、白が張栩9段の対局です。序盤で左下隅で白は目外しを打ち、それに対し黒は浅くかかりました。左辺に展開した黒に対し白は右上隅の黒を切り離す覗きを打ちましたが黒はそれをすぐ受けず、中央に打って強大な厚みを築きました。(左上隅は結局黒はつなぎました。)この黒の厚みが働くかがこの碁の焦点でしたが、白は右下隅にかかり、黒は2間に高くはさみました。ここで白は右下隅に付けていきましたが、張9段はこの打ち方はアルファ碁を参考にしたと言っていました。先日の碁で高尾紳路9段もアルファ碁を参考にしたと言っており、コンピューターの打ち方がかなりプロにも影響を与えていることがわかります。白は右下隅で付け引いて、黒は隅をかけついで打ったのですが、その後の黒の打ち方が難しく、黒は左下隅に転じました。しかしここの折衝で黒は後手を引き、白に右下隅を圧迫する手を打たれてしまいました。この結果黒は右下隅で後手で小さく生きることになり、その反面白は中央で伸び伸びして、結果的にこの白への攻めがあまり効かず、黒の厚みが働きませんでした。白は右辺にも展開でき、更に右上隅の黒も小さく閉じ込めて活かすことになり、白の打ちやすい碁になりました。黒はその後中央に黒地を付けに囲いの手を打ちましたが、この囲い方が小さく、ここで白が優勢になりました。その後も戦いらしい戦いはなく寄せに入り、左辺と左上隅で劫になりましたが、勝敗には関係なく、劫自体も白が勝ちました。終わってみれば白の9目半勝ちの大差でした。女流のタイトルは独占している謝6段ですが、男性のタイトル経験者にはまだ分が悪く、このNHK杯戦でも羽根直樹9段に連敗しています。

白井喬二の「瑞穂太平記」(源平篇)

jpeg000-56白井喬二の「瑞穂太平記」の第三巻、「源平篇」を読了。つい先日白井の「源平盛衰記」を読んだばかりですが、内容は「源平盛衰記」と7割方同じです。多少新しい話は入っていて、平清盛が少年の時に馬を買ってその代金を日頃清盛に冷たくあたる叔父に支払わせたり、平家貞が源氏の監物満正と三十三間堂で矢の勝負をすることになり、二人とも事前にこっそり三十三間堂に忍び込んで練習したのが咎められ、ついには本番の前に勝負して片方だけが出場できることになったのに対して、家貞が見事勝利したり、という話が新しいです。ただ、源氏と平氏の戦いの話になると、さすがに新しい話はほとんど出てこず、「源平盛衰記」の繰り返しみたいになります。また、牛若丸と弁慶の戦いは、「源平盛衰記」ではより歴史に沿って清水観音が舞台になっていましたが、「瑞穂太平記」では一般的に語られるように、京の五条の橋の上になっており、ちょっと一貫していません

三遊亭圓生の「山崎屋、盃の殿様」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「山崎屋、盃の殿様」。
「山崎屋」は吉原遊びが過ぎた若旦那が、番頭が女を囲っているのを知って、それを種に金をせびります。若旦那に痛いところを突かれた番頭は、若旦那となじみの女郎が一緒になれるように策を巡らします。番頭の策で、旦那は吉原の女郎がいい所のお嬢さんだと勘違いし、若旦那と一緒になるのを許します。隠居した旦那が、元女郎の若旦那の奥さんの所にいって、色々会話を交わしますが、その内容が吉原のことに精通していないとおかしさがわかりません。オチもそうで、マクラで説明がないと何のことだかわかりません。
「盃の殿様」は気鬱の病になった殿様の慰みにと、吉原の女郎の浮世絵を見せたら殿様はすっかり気に入って、吉原に通い詰めになります。1年ばかり通いましたが、参勤交代で領地に戻ることになり、涙を飲んで気に入りの女郎とは別れます。領地で宴会をやっていても、思い出すのはその女郎のことで、とうとう家来のうち足が速いのを選んで、盃を託して、わざわざ江戸まで走らせ、返杯を取ってこさせます。女郎は感激してその盃に注がれた酒を飲み干して、その盃をまたその家来が持ち帰ろうとします。ところが、その家来が箱根である大名行列の先を切ってしまい、その大名に捕まります。しかし、訳を話したら、さすがは大名の遊びだと感心され、その殿様がその盃で酒を飲み干します。家来は許されて盃を持って領地に帰りますが、殿様に訳を話したら、もう一杯注いでこい、と言われて、今日までその大名を探し続けている、というオチです。

白井喬二の「瑞穂太平記」(奈良篇、平安篇)

jpeg000-55白井喬二の「瑞穂太平記」(奈良篇、平安篇)読了。
白井喬二による、日本史の再構成第二弾です。取り上げられたのは、平城京遷都、大仏建立、道鏡と和気清麻呂の争い、坂上田村麻呂の蝦夷征伐、小野小町、菅原道真などです。その中に「詩と盗賊」という章があり、これが大変白井らしいお話しで、宮中に詩がはやると、それを書き付けるための紙が必要になり、紙屋が栄えます。ところが、その紙を漉く排水のおかげで農作物に害を与えます。それをある盗賊が義賊してそれを懲らしめるため紙屋に盗みに入ります。その盗賊は捕まりますが、自己の信じるところを滔々と延べ、お上を批判します。結局その盗賊は首を斬られますが、その思いは伝わって、紙作りは禁止になる、というちょっと不思議なお話です。また、小野小町の話も面白く、漢学派に対抗する和学派というのが出来たのですが、和歌をよくする小野小町を仲間にしたのが転落の始まりで、美人の小野小町に骨抜きにされる男性が二人も出て、世間の非難をあびて、その集まりが没落するという話です。小野小町自身は男を渡り歩いて、却って名を上げます。第三巻は「源平篇」です。

白井喬二の「瑞穂太平記」(上古篇、大化篇)

jpeg000-54白井喬二の「瑞穂太平記」(上古篇、大化篇)を読了。全五巻のうちの第一巻です。昭和15年から四社連盟の新聞四誌(「福岡日日」、「新愛知」、「北海タイムス」、「河北新報」)に連載されたものです。白井喬二版の日本史ですが、戦前の小説ですからベースとなっている史観は当然戦前のもので、いわゆる皇国史観です。上古篇は、宇部家と物集(もずめ)家が代々対立するのを描くという、「富士に立つ影」にちょっと似た構成です。出てくる時代は、大国主命の国譲り、神武東征、神功皇后の三韓征伐などです。「大化篇」は聖徳太子の話と、タイトル通り「大化の改新」の話です。しかし正直な所、白井喬二の本骨頂は白井流の虚構の歴史であって、実際の歴史に即したお話しは想像力の飛躍が感じられなくて今一つのように思います。戦後復刻されていませんが(学芸書林の全集の第二期には入る筈でした)、無理もないと思います。

白井喬二の「桔梗大名」

jpeg000-52白井喬二の「桔梗大名」を読了。白井喬二の自伝でも、この作品についての言及はなく、いつ書かれたか不明です。桃源社の「昭和大衆文学全集」の第2巻に入っています。「桔梗大名」とは、桔梗を家紋とする大名、明智光秀のことです。明智光秀を主人公とする時代小説は比較的珍しいのではないかと思います。この作品では、明智光秀は非常に有能で情にも厚い武将として描かれています。明智光秀自身だけではなく、その家臣の視点から視た光秀が描かれています。ただ、小説としては未完で、明智光秀の話だというのに、本能寺の変まで行き着きません。ただ、波多野秀治の城攻めで、和睦して、波多野秀治らの命を保証する代わりに、光秀の母を人質にしていたのに、信長が波多野秀治の命をあっさり奪って、そのために光秀の母が殺されてしまったり、お馬揃えで、光秀が指揮を取って見事に演習を成功させたのに、それを信長が一言も褒めなかったなど、後の光秀の謀反の原因が蓄積していく段階で、唐突に話は終わってしまいます。また、もう一つの特徴として、光秀を築城の名人として描いており、二条城、安土城は光秀の手で建てられたとしています。「富士に立つ影」の作者らしい関心です。

三遊亭圓生の「三十石」

jpeg000-53本日の落語、三遊亭圓生の「三十石」です。
この噺は桂文枝で聴いたばかりの上方噺です。三十石というのは京都の伏見と大阪の八軒家間で淀川を上下する舟のことだそうです。その舟に乗るまでと、乗った後の色々な出来事を描いている噺ですが、どうも私はこの噺にあまり乗れません。強いて言えば、宿屋の番頭が宿帳を付けるところで、泊まる人が幡随院長兵衛とか助六とか、鴻池善右衛門とか小野小町とか好き放題に変名を使うのが面白いです。

白井喬二の「露を厭う女」

jpeg000-51白井喬二の「露を厭う女」読了。昭和10年に婦人公論に連載されたもの。タイトルは、横浜の岩亀楼の女郎の喜遊(亀遊)が、アメリカ人相手をするように申し含められた時に、「露をだにいとふ大和の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」という歌を残して自害しましたが、その歌の上の句によっています。箕作周庵の娘として何一つ不自由なく育ったお喜佐が、そのうち父親が借財を抱え、その上病気になり、勤王の志士久原釆女之正と恋仲になりながらも、次第に没落し、ついには岩亀楼に女郎として出ることになります。それも最初は日本人相手だけでしたが、幕府がアメリカ商人から銃を調達するため、そのアメリカ商人の相手をするように言い含められて結局自害する、というある意味転落の人生を同情込めて描いた作品です。
これで、学芸書林の白井喬二全集(第一期)に収められた作品は全部読了しました。