中山典之の「昭和囲碁風雲録」(下)

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(下)を読了。上巻を読んでの感想で、「読売新聞は今でも一番賞金の高い棋聖戦を主催していますが、そういう歴史的経緯がある訳です。」と書きましたが、これがとんでもない思い違いであることがこの巻を読んでわかりました。昭和36年に読売新聞で第1期名人戦が始まりますが、この時の賞金総額が2,500万円でした。しかし、10年経って昭和46年になっても、賞金総額は2,750万円で10年前とほとんど変わっていませんでした。しかし、この間に日本は高度成長を遂げ、物価はその10年で約2倍になっています。これに対してついに怒って重い腰を上げた日本棋院が昭和49年に読売新聞に対し、名人戦の契約の打ち切りを通告します。これによって日本棋院と読売新聞は一種の戦争状態に入り、結局裁判にまでなります。結果として名人戦は朝日新聞に移り、裁判の和解条件として読売新聞が序列1位の別の棋戦を主催することになり、こうして生まれたのが棋聖戦でした。さらに知らなかったのは、朝日新聞が棚ぼた?で囲碁の名人戦を手に入れた訳ですが、今度は将棋界が将棋の名人戦の賞金が囲碁に比べて低すぎると言い出し、将棋の名人戦は結局毎日新聞に移ります。この辺りの関連は知りませんでした。
登場する棋士は、呉清源は別格として、本因坊戦9連覇の高川秀格、その後に全盛時代を迎えた坂田栄男、その坂田の全盛時代を終わらせた林海峰、そしてその林海峰を「どこが強いんですか」といって、林相手に7割の勝率を誇った石田芳夫、と続き、更には大竹英雄、武宮正樹、加藤正夫の木谷一門全盛期となり、その後趙治勲、小林光一の時代へと移って行きます。
振り返ってみると、昭和は囲碁にとっていい時代だったと思います。いまやコンピューターの囲碁がプロ棋士を抜いてしまっていますが、今後も新聞社が囲碁に高いお金を出し続けるとは正直思えません。

NHK杯戦囲碁 寺山怜4段 対 新垣朱武9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が寺山怜4段、白番が新垣朱武9段の対戦。寺山4段は先期準優勝でした。対戦は新垣9段が左下隅を目外しに打ち、寺山4段はそれに対し普通に小目にかからず、三々に打ちました。白はそれに対し大ゲイマにかけ、黒は手抜きし、白は左下隅にもう一手かけました。黒は右辺を、白は左辺を模様にする展開になりました。こういう単純な囲い合いになるとコミがある分白が有利で、黒はどう局面を動かしていくのかと思ったら、左下隅を動き出しました。黒は封鎖されないように中央に進出しましたが、はっきり活きておらず、白から攻めを見られて、白が打ちやすい碁でした。黒は、守ってばかりだとじり貧になると見て、白が左辺を囲ってあと一歩で完全な地になる所で打ち込みました。これがタイミング良く、黒は包囲する白の切断を見つつ、白2子を取って活きました。この辺りは黒は悪くなかったと思います。その後白は黒を攻めながら右辺になだれ込み、自然に黒の模様を消すことが出来ました。このあたり、黒はじっと我慢の碁でした。勝負は左上隅から左辺にかけて白地がどのくらいまとまるかでした。黒は中央の白の切断を狙いつつ、左辺の白の断点に覗きを打ちました。白は継がずに別の所打ちましたが、続けて黒が左上隅の三々に打ったのが当然とはいえいいコンビネーションで、ここで活きることを匂わせながら、中央の白の切り離しに成功しました。中央右側の白にも二カ所断点があるため、この時点でまず尻尾の6子が取られ、残りの部分も劫になり、両劫で右上隅の所を取られてしまいました。しかし黒は他の大場を打って、白に片方の劫を継がせて、本劫にしました。しかし黒の劫材は下辺と左上隅にたくさんあり、白は劫に勝てないため、白の投了となりました。たぶん盤面で20目くらい黒が良かったと思います。これで寺山4段は、昨年優勝の張栩9段に続けてベスト8に進出しました。

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(上)

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(上)を読了。ここの所、ずっと白井喬二ばかりを読んできたので、ちょっと目先を変えました。文字通り昭和の囲碁史で、日本棋院が成立する直前から、戦後関西棋院が分離・独立するまでを描きます。筆者は囲碁ライターではなく、執筆当時6段の専門棋士です。(死後7段を贈られています。)大体は知っている話でしたが、知らないエピソードもたくさんありました。特に昭和20年の本因坊戦は「原爆下の対局」として有名で、当然知っていましたが、元々は広島市内で対局する予定で、当局に危険だと言われて五日市に場所を変えたということを知りました。わずか10Km移動しただけですが、それが明暗を分けました。本来の広島市内で対局が行われていたら、岩本薫も橋本宇太郎も原爆の犠牲になっていた訳です。
後は、新聞社にとって囲碁が今では考えられないくらい大事なコンテンツだったということで、読売新聞は、何回か囲碁のお陰で部数を大幅に伸ばしています。囲碁がなかったら、読売新聞は三流新聞のままでした。読売新聞は今でも一番賞金の高い棋聖戦を主催していますが、そういう歴史的経緯がある訳です。
後は何といっても呉清源の活躍で、昭和囲碁史の前半は間違いなく呉清源のためにあります。

白井喬二の小説ベスト10

白井喬二の小説は、現在入手できるものはすべて入手して、読了したので、白井の小説について私なりのベスト10です。
1. 富士に立つ影
白井喬二とくれば、まずこれ。大衆文学の傑作というだけでなく、日本文学史上に輝く金字塔。築城家の赤針流熊木家と賛四流佐藤家の三代68年に及ぶ対立と和解を描いた作品。明朗で正直な、熊木家二代目の公太郎が実に魅力的。日本版の「戦争と平和」。
2. 新撰組
新興の週刊誌だったサンデー毎日の部数を大幅に伸ばし、また平凡社の「現代大衆文学全集」の第1回配本となり、33万部を売り上げこの全集を成功に導いた作品。独楽同士の勝負で、一方の独楽から怪しげな風が出てきて相手の独楽の回転を落とそうとするけど、もう一方の独楽はちゃんとその対策がしてあった、などという極めてマニアックな独楽勝負が中心の作品。「新撰組」というタイトルだけど、その新選組はほんのちょっと背景に出てくるだけ。
3. 盤嶽の一生
義に飢え渇く武士、阿字川盤嶽の理想を追い求めては裏切られる繰り返しを描いた作品。名匠山中貞雄によって昭和8年に映画化された。西瓜畑の中でのラグビーシーンで有名。完結していないのが残念な作品。
4. 珊瑚重太郎
基本設定がマーク・トウェインの「王子と乞食」と同じで、主人公である若侍がある大名屋敷の若殿様に入れ替わる。この主人公に次から次に危機が訪れ、読み出すと止まらない作品。一貫した主人公の正義感が爽やかな印象を与える。アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」の影響を言う評論家もいるが、「王子と乞食」と同じような入れ替わり以外には共通点はない。
5. 神変呉越草子
怪しげな仙人がからんだお宝の争奪戦。首尾良くお宝を手にした主人公のその後の行動もちょっと意表を突く。この作品と「忍術己来也」が芥川龍之介によって激賞された。
6. 翡翠侍
武芸に秀でているけど極めて口下手なお嬢千之助と、町人で腕はからっきしだけど弁舌はきわめて達者な宇治徳五郎の凸凹コンビが、怪しげな新興宗教の串曳教と対決し、その虚偽を暴いていく、極めて痛快な小説。
7. 坊ちゃん羅五郎、続坊ちゃん羅五郎
お代官様の一人息子のお坊ちゃまの羅五郎が、陰謀によって代官の地位を追われた父を助け、父を陥れた者たちの悪を暴いて大活躍するお話。
8. 国を愛すされど女も
戦後の作品。主人公の大鳥逸平が父の敵である大須賀獅子平を越後、佐渡、江戸と追い求め、ついには敵を討つ。その過程で逸平は剣の腕を上げて、獅子平が雇う一流の剣士を次から次に撃破していく。一方で逸平の想い人の小峰は、ある事件のために獄につながれている父親を救い出すため、十万両という保釈金を己の才覚で用意し、父を釈放させる。実は小峰は物語の冒頭で逸平の父に陵辱されていたため、二人の仲はうまくいかないのだが、最後にどんでん返しが。
9. 霧隠繪巻
これも戦後の作品。真田十勇士を主人公にした作品には、猿飛佐助を主人公にした「帰去来峠」もあるが、こちらの方がずっと面白い。徳川方の阿茶の局と河原大隅が霧隠才蔵と対決し、また紀州浅野藩のお姫様であった照花姫は、才蔵に会って城を出奔し、忍術を習って才蔵の妻になる。
10. 地球に花あり
白井喬二としては珍しい「現代」作品で、大正末期から昭和初期を舞台にする。植物学者の島崎博士の息子が国際スパイの嫌疑を受けて糾弾されるのを、博士の娘の家庭教師であった卯月早苗が見事その冤罪を晴らし、また博士の研究も助けるという、昭和初期としては珍しい自立した理性的な女性を描いた作品。

付記:2017年7月29日
ベスト10のどこに入れるか難しいですが、「陽出づる艸紙」(つるぎ無双)もベスト10に入れるべき傑作と思います。このベスト10を作成した時点では未読でした。

このブログで登場する全ての白井作品へのエントリーは、以下です。
白井喬二作品へのエントリー

白井喬二の「ほととぎす」

白井喬二の「ほととぎす」を読了。昭和22年に出版されたもの。短篇集で「時鳥」、「鬼傘」、「感化れ」(かぶれ)、「阿らず」(おもねらず)、「西南役」、「第二の巌窟」、「悔武者」、「玉の輿」、「胡粉妻」、「残生記」、「平凡小次郎」、「写真伝来」を収録。「第二の巌窟」は以前既に出ていたものの再録。いずれの作品もなかなか気が利いていて面白いです。傘職人の意地を描いた「鬼傘」、仕官を志していた浪人が、長屋で隣に住んでいる手妻遣い(手品師)を手伝う内に段々と影響を受けてしまい、折角仕官が決まったのにそれを辞めて手妻遣いの手伝いをする「感化れ」、関白秀次が自害した後を追って殉死しようとしたのに、別れの盃を交わしすぎてふと居眠りをしてしまい、その間に太閤秀吉から殉死禁止の命令が出て死に損なった侍の話の「残生記」などが面白いです。

白井喬二の「洪水図絵」

jpeg000-103白井喬二の「洪水図絵」を読了。昭和16年に出版されたもの。「洪水図絵」、「贋花」、「つばくろ槍」、「蛍扇」、「出世外伝」、「妬心の園」、「子とろ殺陣」、「火紋」を収録。このうち「妬心の園」は「沈鐘と佳人」にも収録されていたものです。ある経済的に行き詰まった武士が、妻があるのに独身と偽ってある裕福な家の養子になって、妻には三ヶ月以内に迎えに来ると言います。しかし、実際は別の女を嫁に取らされそうになります。必死に断っていたのですが、ふとしたすれ違いで妻が浮気をしていると勘違いし、かっとなって別の女と結婚してしまうという話です。
「洪水図絵」には戦前の白井には珍しくちょっとエロチックな描写があります。「そのくせ、死んだ先夫鴫野義介の愛撫の名残らしい性の技巧をも心得た」という表現が出てきます。
いずれの作品も白井らしくちょっとひねってあって楽しめる作品です。

白井喬二の「河上彦齋」

jpeg000-100白井喬二の「河上彦齋」(かわかみ・げんさい)を読了。1943年(昭和18年)の出版。この時期の白井喬二の作品にありがちな、時局迎合的な小説。河上彦斎は、幕末の肥後の藩士で、人斬りで知られ、佐久間象山を斬り殺したのが河上彦斎です。徹底した尊王攘夷の人で、長州藩と一緒になって蛤御門の変で戦ったり、高杉晋作を助けて奇兵隊に参加したりしています。その後肥後藩に戻りますが投獄され、明治になってから恩赦で許されます。しかし、明治政府が開国の方針を採ったのに対し、一貫して攘夷を主張し続けたので疎まれるようになり、ついには無実の罪を着せられ、東京で死刑になります。白井はこの河上彦斎を何か理想の人のように描いていて、そこが時局迎合的です。もっとも国を挙げて「攘夷」を実行中に書かれたものですから、やむを得ないのかもしれませんが。私は読んでいませんが、「るろうに剣心」という漫画の主人公がこの河上彦斎をモデルにしたんだそうです。

白井喬二の「伊賀之介飄々剣」

jpeg000-97白井喬二の「伊賀之介飄々剣」(上・下)を読了。1961年(昭和36年)に桃源社から出版されたもの。例によって、戦後の作品なのか、戦前の作品がこの時初めて単行本化されたものかがわかりませんが、読んだ感じではちょっとした濡れ場が出てくることもあり、戦後の作品のように思います。(確証はありませんが、京都新聞に1958年12月-1959年10月の間掲載された『弱法師』が初出ではないかと思います。何故かというと、作中で主人公のあだ名が「弱法師」だからです。)終わり方が非常に唐突で、余韻がなく、惜しい所で名作になり損ねています。素晴らしいのは設定で、主人公の氏名がなんと「徳川伊賀之介」です。徳川家康の6男である忠輝の息子という設定です。家康の孫です。この伊賀之介が若い時に、商人の娘であるお関を見初め、恋に陥ります。この恋のため、伊賀之介は高貴な身分を捨てて臣籍降下してお関と一緒になることを願いますが、将軍家の血が汚れるという「血統派」がこれを阻み、お関を監禁して無理矢理絶縁状を書かせようとしますが、お関はこれを拒み自害して果てます。「血統派」はこれに留まらず、お関の一家を将軍家を騒がした不届き者として斬殺します。全体の話は伊賀之介のこの「血統派」に対する復讐の物語です。お関の一家には幼い時に他家に養女に出されていた瀬浪がおり、この者だけが生き残って、伊賀之介は秘かに見守っていましたが、ある時瀬浪が腰元として召し抱えられることになり、その家から伊賀之介こそが瀬浪の一家を目茶苦茶にした張本人だと嘘を吹き込まれ、伊賀之介を付け狙うことになります。伊賀之介は、血統派の刺客からも付け狙われますが、名刀は町人になった自分にはふさわしくないと町人差しに換え、それを補うために花札に金属を貼り合わせた飛び道具を自分で考案し、それをもって刺客達と渡り合います。最後は、お関の一家に手を下した張本人の3人を見事討ち取るのですが、誤解が解けて一緒に住むことになった伊賀之介と瀬浪がこれからどうなるのかとか、伊賀之介の親の忠輝が2代将軍秀忠から、伊賀之介をどこかに閉じ込めるか討ち取れと命令されて、それがどうなるのかとか、色んなことが未解決で終わり、それが非常に残念です。おそらく白井喬二晩年の作品で、これ以上書き続ける根気がわかなかったのかと推測します。非常に惜しい作品です。

NHK杯戦囲碁 山城宏9段 対 張栩NHK杯選手権者

jpeg000-105本日のNHK杯戦の囲碁は本日から3回戦で、黒が山城宏9段、白が張栩NHK杯選手権者の対戦。対局は黒の山城9段が2連星から左上隅が二間高ガカリ、左下隅が白の目外しに対して高目ガカリと徹底した外回り指向。これに対して白は各所で地を先行して稼いで余し作戦です。こういう碁では、白の弱石を黒がいかに攻めて得を図るかが焦点になりますが、張NHK杯選手権者者は唯一の白の弱石の左辺から延びた白石を、その上方に展開する黒に効かせて、うまく中央に脱出しました。(写真参照)この白石に心配がなくなったので白は右下隅で三々に入って地を稼ぎ、右辺でも露骨に2線を這って更に地を稼ぎました。この折衝で黒は右上隅で白に覗き一本を打たれたのが大きく、後で黒は中央を囲いきれず、右上隅を守る手を打たされてしました。白は当然中央に進出して黒地を消し、これで白が優勢になりました。黒は厚みを生かして寄り付きを図りたい所でしたが、白に弱石はなく、単なる囲い合いになりました。こうなると白が先行した確定地がものを言い、最後は盤面でも白が良くなり、白の中押し勝ちとなりました。山城9段はこの碁ではあまりいい所がなかったです。

白井喬二の「東亜英傑伝」全8巻の内容

白井喬二が戦争中に出した「東亜英傑伝」全8巻のうち、一部の内容が分からなかったのですが、今日判明しました。前に読んだ「釈迦・日蓮」もこのシリーズの1冊でした。何故分かったかというと、白井による序文がまったく同じなんです。以下、8巻の内容。
豊臣秀吉・成吉思汗
北條時宗・忽必烈(クビライ)
中江藤樹・孔子
山田長政・張騫
西郷と勝安芳・孫文
小村寿太郎・汪精衛
伊藤博文・袁世凱
釈迦・日蓮
汪精衛は汪兆銘のことです。人物の選択に時代が出ています。
小学生用の国語教科書などを出していた田中宋栄堂から出ています。