獅子文六の「娘と私」

獅子文六の「娘と私」を読了。昭和28年から昭和31年まで「主婦之友」に連載された、自伝的私小説です。ラジオドラマ化され、さらに昭和36年にNHKの朝の連続ドラマになります。この「娘と私」が現在まで続くNHKの朝の連続ドラマの第1回です。獅子文六がフランス人の女性と結婚し、巴絵という一人娘(物語中では麻理)が生まれますが、その妻は日本での暮らしがストレスになって病気になり、フランスに帰国してしばらくして病死してしまいます。麻理ちゃんはまだ6歳でした。獅子文六は、その頃はまだ文名も上がらず、親の遺産もなくなり、しかも家の用事と子供の世話で文章を書く十分な時間も取れず、大変苦労します。私は獅子文六という人は苦労なしでとんとん拍子に文壇に受け入れられたと思っていたので意外でした。麻理ちゃんは白薔薇学園(実際は白百合学園)という小学校に入り、そこの寮に入りますが、ある冬の日、重症の肺炎にかかり、戦前のことで抗生物質もなく、死にかかりますが、学校の寮からは冷たく追い出されてしまいます。幸いなことに麻理ちゃんは命を取り留めますが、その後も度々大きな病気にかかり、その負担は獅子文六にのしかかります。獅子文六は後妻を迎えることを決意し、何度かのお見合いの後、千鶴子(実際の名前は静子)と再婚します。この再婚の後、書かれた作品が「悦ちゃん」で、この小説に出てくる麻理ちゃんのしゃべり方が、悦ちゃんのしゃべり方にそっくりです。「悦ちゃん」の最後のシーンは、父親である碌さんが、鏡子さんと再婚し、九州に引っ越して暮らし始めるのですが、そこで悦ちゃんが、友達から「悦ちゃんのママは継母でしょう?」と聞かれたのに対し、悦ちゃんが「継母は『ママ』と『はは』を合わせたものなんだから、世界で一番いいお母さんなのよ」と答える所です。これこそ獅子文六が「悦ちゃん」で書きたかったことで、再婚した妻と麻理ちゃんが実の親子以上に仲良くなって欲しいという思いを込めたものでした。なお、「悦ちゃん」に出てくる、カオルさんという、芸術家が好きだけど子供は好きではない女性も、獅子文六と見合いした人がモデルみたいです。幸いにも再婚した千鶴子さんは心の優しい人で麻理ちゃんを可愛がり、麻理ちゃんも新しい母親に懐いて、獅子文六をほっとさせます。この新しい奥さんは愛媛の出身で、獅子文六一家は昭和20年の12月に、疎開していた湯河原の混乱を避けて、愛媛に移り住み、そこで2年ぐらい暮らします。この時の体験が元になって「てんやわんや」という作品や、「大番」が生まれます。この奥さんはしかし、麻理ちゃんが成人し、もうすぐお嫁に行くという時期になって、元々心臓肥大があってそこから来た脳血栓で、命を落とします。NHKのサイトで見ることができる「娘と私」の動画は、麻理ちゃんの結婚式のシーンであり、亡くなった奥さんが遺影として参席しています。
その他、戦後獅子文六が戦争協力者としてパージの対象になり、そしてすぐに許された事情などもわかり、獅子文六ファンにとっては、非常に興味の尽きない内容になっており、お勧めできます。