平井通宏の「ビジネスパーソンのための英語超効率勉強法」

平井通宏の「ビジネスパーソンのための英語超効率勉強法」を読了。2002年に出たちょっと古い本です。筆者は日立製作所で汎用コンピューターの輸出に長年携わり、日立の外国語研修所の所長を4年間務めた人です。英語の資格を何と49も取っていて(この本の段階では30)、私が最終目標とする国連英検特A級も当然持っています。
内容としては、スピーキングとライティングの所を中心に読んだのですが、ライティングに関してはレトリック(修辞学)の話と、これまた先日紹介した”The Elements of Style”の抜き書きが多くて、あまり新しく得る所は多くなかったです。ただ、語彙に関して「『タイム』が読める辞典」「『ニューヨーク・タイムズ』を読む辞典」みたいな参考書が紹介されていたのは良かったです。2冊ともAmazonで取り寄せてみます。
ちょっと勇気づけられるのは、この方の多数の英語資格の内で、30代で取っているのは3つだけで、後は49歳以降の、多くは50代で取っているということです。やっぱり50代でも語学力を改善させることは十分出来るんだということがわかりました。また、国連英検特A級について、「語彙が非常に難しい」と何度も言及されていて、改めて認識を新たにしました。後面白いのはこれほどの方でもTOEFLは満点を取れていないということです。TOEFLって受けたことないですが、そんなに難しいんですね。

中里介山の「大菩薩峠」第16巻

中里介山の「大菩薩峠」第16巻を読了。この巻でようやくというか少し話が進展しだします。まず、甲州の有野村でお銀の父親の元で世話になっている与八は、地蔵菩薩を掘り子供たちに教えという生活からやがて木食上人の生まれ変わりとして地元の人に敬われるようになります。
一方で、仏頂寺弥助と丸山勇仙の二人は、旅の途中で自分達の人生に何の意味があるのかを迷い始め、何と二人とも自殺してしまいます。人生の意味というより、この二人の登場人物に何の意味があったのかを読者が迷うことになります。
そして、長い間曖昧にされてきたお雪ちゃんの妊娠疑惑がこの巻ではようやく追及されていきます。まずはお銀様が、お雪ちゃんが自分の子供を堕胎してそれを後家のおばさんの墓の横に埋めてきたのだろうと決めつけお雪ちゃんを問い詰めます。一方で偶然病気になったお雪ちゃんを介抱した道庵が、お雪ちゃんに「性教育」を施す積もりで子供を産む上での注意点のようなものを話ますが、お雪ちゃんは異常な興味を見せ、逆に道庵に堕胎は悪かどうか、また堕胎の具体的なやり方についての質問を浴びせます。そしてお雪ちゃんが道庵に妊娠したことがあるのかどうかを問われ、青ざめる、という所でこの巻は終わっています。
途中、作者の述懐で、この小説がもう執筆開始から30年も経っていることが述べられます。ブラームスは第1交響曲を構想から完成させるまで21年かけましたが、それを上回る恐るべき気の長さです。30年かけて話がここまでしか進んでいないというのも逆の意味ですごいと思います。

白井喬二の「湖上の武人」

白井喬二の「湖上の武人」を読了。昭和2年の3月から5月にかけて「文藝倶楽部」に連載されたものです。
大塚麗八郎はかつて江戸勤めの武士ですが、今は猪苗代湖の畔に家を構え女房の実家からの仕送りで悠々と暮らしています。その子嵯峨之介は、ある時磐梯塾という藩校の友人から、父親の麗八郎がかつて江戸にいた時、「蜥蜴八郎」というあだ名を付けられていた、と聴きます。嵯峨之介はそれを嘘だと思いますが、事実でした。麗八郎はかつて剣の腕で名を上げるために、何度か斬り合いをしましたが、何故かその度に「尻」を斬られ、それがついに五度に及んだため、「蜥蜴八郎」というあだ名を付けられたのでした。その麗八郎の元に、江戸での同僚が所用があって旅行に来たのに出会います。嵯峨之介はこの同僚に問い質して、「蜥蜴八郎」というあだ名が根も葉もないことを証明してもらおうとします。麗八郎は慌ててその同僚に、真実をしゃべらないよう頼みに行きますが、その時にその同僚の仕事を邪魔に思う狼藉者がその同僚を襲います。同僚は斬られて死に、その後その狼藉者と麗八郎の斬り合いになります。麗八郎は善戦むなしく最後は斬られるのですが、その斬られた所が今度は尻ではなく肩先であったので「良かった」と思って終わります。何ともとぼけた、しかし白井喬二らしい話ではあります。

白井喬二の「葉月の殺陣」

白井喬二の「葉月の殺陣」を読了。1929年(昭和4年)9月に講談倶楽部に掲載されたもの。これも平凡社の白井喬二全集の第5巻に収録されたもので読みました。お話は由井正雪の反乱の残党である天間昌五之介が主人公です。昌五之介が江戸を逃れて赤穂あたりをうろついている時に、後ろから呼びかける者がいます。最初は自分の事では無いだろうと思っていた昌五之介ですが、「天○先生」と呼びかけるのを聴いて、やっぱり自分だと思います。しかしそれは「天堂先生」で天間ではありませんでした。しかし、昌五之介は結局その「天堂先生」になりすまし、依頼された敵討ちの助太刀に参加することを承諾します。参加したのはいいのですが、どちらが味方でどちらが敵かも判別できず、敵味方構わず斬りまくり、結局双方から恨みを受けることになり、昌五之介は逐電します。宇野から高松に渡ろうとして船に乗り込みますが、その船の中で、昌五之介は自分では無いだれかが自分と間違えられて敵討ちの時のどさくさの恨みで討たれそうになっていると噂話で聴きます。その時船を海賊が襲います。昌五之介はその海賊の船に乗り込んで宇野に戻り、その勘違いされた人間を見ようとします。その人間はあっさりと斬り殺されてしまいますが、その後昌五之介は最初に自分が間違えられた「浮田天堂」の家を見つけます。そこを覗いてやろうと一手御指南を申し込みます。しかし名前を聞かれてうっかり本名を名乗ってしまいます。天堂との立ち会いの後、天堂は昌五之介が由井正雪の残党であると叫び、結局天堂の門人達との斬り合いになり、最後は捕り方もやってきて、昌五之介は斬り殺されるという話です。人の取り違えが二度起きる訳ですが、最後は本名をばらしてしまって殺されるというだけの話で、今一つの出来の作品と思います。

ウィリアム・ストランク・ジュニアの”The Elements of Style”

ウィリアム・ストランク・ジュニアの”The Elements of Style”を読了。英語学習の重点をリスニングとリーディングから、スピーキングとライティングに移していこうとしている過程で、ライティングの基礎テキストとしてまずこれを読んだもの。初めて読んだのではなく、以前日本語訳(「英語文章ルールブック」)を読んでいます。この本を知ったのは、順番としては、「プログラム書法」から。「プログラム書法」は有名なカニーハン・プローガーの美しく分かりやすいプログラムの書き方の本で、プログラマーなら一度は読むべき本です。この原題が、”The Elements of Programming Style”で、これが”The Elements of Style”のもじりなんだよ、ということでこの本にたどり着きました。英語のライティングの本としては古典であって、1918年に初版が出ています。そのエッセンスを一言で言うと、「簡潔で、力強く、誤解の余地の無い英語を書きなさい」ということに尽きるかと思います。逆に言えば、曖昧さや複雑さ、主張の弱さが攻撃されていますので、文学の文章の書き方の本ではないです。昔のWord Perfectなんかのワープロソフトには、英文法チェッカーがついていましたが、それに指摘させると、「受動態を使うべきではない」とか出てきましたが、そういう指摘の元がこの本です。