山室恭子の「歴史小説の懐」

山室恭子の「歴史小説の懐」を読了。この人は白井喬二のちくま文庫版の「富士に立つ影」の第6巻「帰来篇」で見事な解説を書いていた人で、他に大衆小説に関する評論は無いかとAmazonで検索してみて見つけたものです。この方、本業は日本の中世専門の歴史学者です。その本業の影響もあって、時代小説をまるで歴史資料みたいに扱っていて、各小説のまず詳細なストーリー内の年表を作って、色んな矛盾を発見しています。その矛盾の最たるものが「大菩薩峠」です。この小説が1867年の秋で時間が進まなくなるのは知っていましたが、それが実は全体の1/4しか進んでいない第5巻でもうその時に達してしまうのだということは、この本で初めて知りました。また大菩薩峠で主人公の机龍之助と関わる女性が「お浜」(白浜)、「お銀」(白銀)、「お雪ちゃん」とすべて「白」を基調にしている、つまり色が欠けている、それだけではなく実は「大菩薩峠」は「何かが欠如している」ことを特徴とする、という指摘は実に鋭いと思います。
それはいいんですが、後半の方になるとかなり脱線気味で、平岩弓枝の「御宿かわせみ」の「かわせみ」の宿が実はパラレルワールドで2軒存在するのだとか、池波正太郎の「鬼平犯科帳」で平蔵に可愛がられた野良犬が突如姿を消した後、「御宿かわせみ」に別の名前の犬として登場する、などという説は、かなり妄想が入っていて、表面的な辻褄を合わせるために、学者が珍説をひねり出すという感じを受けました。
そうはいっても、なかなか面白い指摘をたくさん含む本で、時代小説ファンにはお勧めします。

イリーナ・メジューエワの「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」

イリーナ・メジューエワの「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」を読了。メジューエワと対談した人が聴き取ってまとめたものです。素晴らしい本で、全てのクラシック音楽を愛する人、またピアノを弾く人にお勧めします。メジューエワはその演奏を聴くと、感受性と知性がかなりの高いレベルで融合した人、という印象を受けるのですが、その印象はこの本によって更に強固になりました。こういう本が出ると、大抵の音楽評論家の本は不要になるのではないかと思います。ピアニストが曲を取り上げるにあたってここまで深く色々なことを考えているということが新鮮で感動的です。取り上げられている作曲家は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシー、そしてラヴェルです。バッハの「ゴールドベルク変奏曲」の中に「数」へのこだわりがあるとか、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは弦楽四重奏曲の様式で書かれているとか、シューベルトこそ本当の古典派であるとか、ともかく目から鱗が落ちるような指摘に満ちています。また、メジューエワのお勧めの演奏(本人以外の)が載っているもなかなか楽しく、シュナーベルとかコルトーが多く登場します。個人的には、シューマンのクライスレリアーナとラヴェルの「夜のガスパール」についてはアルゲリッチを外して欲しくないのですが、ライバル意識があるのか(?)一度も登場しません。一方で私が好きなアファナシエフは何度か登場します。しかし、この本を読んで、いわゆる「ロシア・ピアニズム」というものが、ネイガウスやソフロニツキーが亡くなってかなりの時間が経った今でも、このメジューエワの中にしっかり生きているだなと思いました。

NHK杯戦囲碁 瀬戸大樹8段 対 結城聡9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が瀬戸大樹8段、白番が結城聡9段の対戦です。二人のこれまでの対戦成績は結城9段から見て何と16勝0敗だそうです。一流のプロ同士でここまで偏るのは珍しいと思います。布石は瀬戸8段の3手目の三々が珍しいです。最近星に打つと、AIの真似でいきなり三々に入る手が流行っており、三々がまた打たれるようになって来ているそうです。この碁の中盤での焦点は黒が右下隅の白に一間に高くかかり、白が一間に受けたのに黒が覗いていったことです。部分的には黒が相当損な手でしたが、黒の狙いは右上隅から延びた白の大石がケイマしている所をツケコシて、白を分断することでした。黒はこの狙いを決行しましたが、白から上手くかわす手を打たれ、中央で白1子を取って若干の地が出来ましたが、それより右下隅の損の方が大きく白が優勢でした。黒はそれでも更に白の一団に食いついていきましたが、ここでも白はアタリの1子を逃げずにポン抜かせて打ち、その代償に下辺で黒1子を先手で取って大石の活きを確保しました。これで白が勝勢になりましたが、黒が上辺で白に付けていったのが勝負手で、白は内側から押さえて受けておけば多少地が損でもそれで勝ちだったと思いますが、結城9段はそこは既に読んでいるという感じでノータイムで外から押さえました。黒は白地の中で二眼作って活きることはできませんでしたが、結局攻め合いで一手寄せ劫になりました。一手寄せ劫といっても劫材は黒の方が多く、また非常に大きな劫で白からはどこにもそれだけの大きさの劫材は無く、ここで白の投了となりました。結城9段はちょっと油断して好局を落としました。瀬戸8段は対結城9段からの初勝利です。瀬戸8段は2回戦でも河野臨9段といううるさ型を破っており、今期のダークホースになりつつあります。

依田紀基9段の「どん底名人」

依田紀基9段の「どん底名人」を読了。本人の一生を振り返って「遺書」の積もりで書いたものだそうです。依田9段というと、若い頃から知っていて、故藤沢秀行名誉棋聖を慕って集まっていた若手の一人で、よくその碁が秀行さんの講座なんかの題材に取り上げられていました。当時から碁の才能は素晴らしく、将来タイトルを取るのは間違いないだろうと思っていましたが、現時点で35のタイトルを取っており、予感は外れませんでした。でもまだ棋聖のタイトルは取っていませんし、いつまでも井山裕太7冠王にタイトルを独占させておかないで、依田さんみたいな今やベテランが奮起して欲しいものです。師匠の秀行さんは60代で王座のタイトルを取り、しかもそれを防衛したのですから。その秀行さんが「俺は50代になってから碁が強くなった」と仰っていたとあり、偉大なる秀行さんと同列に論じるのはおこがましいですが、私も50代になってから棋力がかなり向上したので嬉しかったです。
依田さんのこれまでは、バカラという博打にのめり込んで借金作ったり、最近多い優等生型ではない、昔からの「棋士」という感じがして、私はむしろ好感が持てました。碁打ちは碁さえ強ければそれでいいと思います。

稲葉禄子の「囲碁と悪女」

稲葉禄子(いなば・よしこ)の「囲碁と悪女」を読了。依田紀基9段の自伝である「どん底名人」を買おうとしたら、Amazonが一緒に買いませんかとお勧めで出して来て、表紙と題名に負けて(笑)ついポチってしまったものです。
筆者は私は知らなかったのですが、囲碁界では有名人みたいで、以前NHKの囲碁講座のアシスタントとかNHK杯戦の司会をやっていたようです。また、懐かしい白江治彦8段の義理の娘さんでもあります。筆者は日本棋院の院生になったけれど、プロ棋士には成れず、囲碁のインストラクターをやっていて、その仕事を通じて色々な人と交流した記録です。囲碁関係の本ですが、棋譜とかはまったく出てこないので、囲碁を知らない人でも楽しく読めるというか、囲碁をむしろ知らない人にお勧めかも。故与謝野馨さんと小沢一郎氏の対局の話と、最後の「ソウタとオシカナ」のお話がお勧め。故与謝野さんはカメラマニアでもあってPentaxの645Dを持っていましたし、私と趣味が近いなと思いました。「ソウタとオシカナ」は、筋肉の癌という不治の病で命を落とす天才数学者とその病気を知っていて結婚した女性棋士の話です。