ミック・ジャクソンの「否定と肯定」(映画)

「否定と肯定」の映画を観ました。よくまとめていて、それなりに感動的ではありましたが、肝心の裁判の中身があまりにはしょりすぎ。原作ではアーヴィングの歴史捏造が30箇所くらい逐一反証されていきますが、映画はほとんど1/10くらいに短縮されてしまっています。私はそういう歴史捏造者の手口に興味があったのですが、残念ながら映画はかなりのダイジェストと言わざるを得ません。私は原作の方をお勧めします。

河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」

河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」を読了。アルファ碁に関する本も実に8冊目です。この本ではアルファ碁対人間棋士の対局が6局、アルファ碁同士の対局が3局、そしてZenの対局が2局取り上げられています。小松英樹9段がその11局の中のある局面を取り上げて、問題とし、小松英樹9段、河野臨9段、一力遼8段がそれぞれどう打ってどうその後の局面を構想していくかを解説したものです。実際それぞれの説明を見ると、プロであればほとんど考えることが一致しているというのが分かり、「次の一手」もかなりの確率で一致している場合が多いです。このことは、AI碁の登場で、今まで人間が作り上げてきた棋理が否定された訳ではなく、AI碁の打ち方はむしろ人間が盲点となっている所を教えてくれた、という風に思えます。ただ、一力8段は、アルファ碁が星に対していきなり三々に入る打ち方を「自分は絶対に打たない」と書いていますが、先日のNHK杯戦の対本木克弥8段戦の碁で確か打っていたんじゃあ…
人間より強いAI碁の登場は、個人的な感想では、棋聖道策による手割りなどを使った棋理の確立、そして木谷実9段と呉清源9段による新布石の提唱、に続く第3の囲碁革命であると思います。今後もプロ棋士によるAI碁研究は続き、その中から新しい打ち方が出てくることを大いに期待しています。

デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」

デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」を読了。丁度この本が映画になって日本でも公開されているので、それに合わせて出版されたものと思います。リップシュタットはアメリカ在住のユダヤ人でユダヤ人の迫害史の専門家。リップシュタットがイギリスの歴史家のアーヴィングをその著作の中で「反ユダヤ主義者、ホロコースト否定論者」として厳しく非難したことに対し、アーヴィングがリップシュタットを名誉毀損で訴えます。イギリスでは名誉毀損の裁判は原告側ではなく被告側に立証責任があることになっており、アーヴィングはおそらくそんな面倒なことはせずリップシュタットが和解をもちかけ、その著作の表現を取り下げるだろうと思って告訴したのでしょうが、リップシュタットは全面的に戦うことを決意します。その裁判費用に日本円で2億円近い費用が必要でしたが、色々なアメリカのユダヤ人の団体が彼女に対し全面的な資金援助を申し出ます。この辺りさすがユダヤ人という感じで、他の学者だったらまず諦めてしまうのではないでしょうか。援助を受けたお金で、最高のリーガルチームを結成し、アーヴィングの著作とその主張を徹底的に調べ上げて裁判に臨みます。裁判の内容は対等な闘いというよりも、アーヴィングの主張の杜撰さや意図的な歴史の事実の書き換えや脚色が30以上も明らかにされていきます。そういう訳で途中で既に判決の結果は予想でき、その予想通りの結末となりますが、個人的にはメデタシ、メデタシとはいかないような後味も強くありました。

1.ちょっと調べれば分かるようなアーヴィングの悪質な資料操作にも関わらず、イギリスの歴史家の多くがアーヴィングの研究を高く評価した。

2.日本の裁判所でこの内容が争われたら、「高度な学問的な判断は司法にはなじまない」とか言って逃げてしまうんではないか、という懸念が湧きました。

3.過去に私も深く関わった「羽入辰郎事件」との類似性が嫌でも想起されました。ちょっと調べれば分かるような羽入本の誤謬にも関わらず、かなりの数の学者が羽入本を褒め称えました。

4.アーヴィングがヒトラー擁護、ホロコースト否定の姿勢を強めていくのは、ドイツの中でネオナチ勢力が台頭していくのと同時です。ご承知の通り、2017年の総選挙で極右政党「ドイツのための選択肢」が94議席も獲得しました。

5.アウシュビッツ他のホロコーストを否定する気は毛頭ありませんが、現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることはまったくもって容認できません。また、ホロコーストの生存者であるユダヤ人による「ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」(ノーマン・G. フィンケルスタイン著)という本が出ていることも知っておくべきと思います。

なお、読んだのは山本やよいによる日本語訳ですが、翻訳自体はまったく問題なく読みやすかったです。ただ、ドイツ語のカタカナ表記にいくつか違和感があった(ausをアオス、ichをイヒ、小文字にすべき拗音を大文字にしているなど)のと、Ausrottung(絶滅、根絶やし)という裁判の中でもその解釈が争われた単語のスペルが間違っている(Austrottungになっている)など、翻訳者のドイツ語の知識はほとんどないと思いました。

Public romance in Japan (4) — Kyoji Shirai and Niju-ichi-nichi kai

During an emerging stage of public romance, another outstanding novelist was Kyoji Shirai (“白井喬二”) (1889 – 1980). Not only he created some great works one after another such as “Shimpen Goetsu Zoshi” (“神変呉越草子”) (1922 – 1923), “Shinsen-gumi” (“新撰組”) (1924 – 1925), or “Fuji ni tatsu kage” (“富士に立つ影”, A shadow standing on Mt. Fuji) (1924 – 1927), he also started to use the word “大衆” newly as the translation of an English word “public”, adding it a new reading as “Taishu” instead of the conventional “Daisu” or “Daiju” that meant a group of Buddhist monks, and thus triggered that the word “大衆文学” (Taishu Bungaku, literature for common people) was created by the then media.
The reason I use “public romance” here is that the word “大衆” was originally the translation of “public” and most works appeared in this stage were to be regarded rather romances than novels.
He also initiated a social gathering of public romance novelists in 1925 named “Niju-ichi-nichi kai” (“二十一日会”, a party of twenty first day). The members were, Kyoji Shirai, Shin Hasegawa (“長谷川伸”), Shiro Kunieda (“国枝史郎”), Sanju-san Naoki (“直木三十三”, he changed the name later to Sanju-go Naoki (“直木三十五”)), Rampo Edogawa (“江戸川乱歩”), Fuboku Kosakai (“小酒井不木”), Tekishu Motoyama (“本山荻舟”), Roko Hirayama (“平山蘆江”), Fujokyu Masaki (正木不如丘”), Soun Yada (“矢田挿雲”), and Seiji Haji (“土師清二”). Except Rampo, Fuboku, and Fujokyu, all of them were novelists of period romances. Although Rampo Edogawa was a writer of early-stage detective novels in Japan, that genre was also classified as a type of public romance at that time. From 1926, the party started to publish a magazine named “Taishu Bungei” (“大衆文芸”). (See the pictures.) With the magazine, they presented the emergence of a new genre in the Japanese literature.

ミニお伊勢参り(東京大神宮)

初詣は元旦に2社、2日に1社いって3社詣りを済ませていますが、休日なのでもう1社、東京のお伊勢さんといわれる東京大神宮に詣ってきました。1月8日だというのに、かなりの人出で参拝まで1時間近く待たなければならず、またその間に雨が降ってきて結構大変でした。ご本家と比べると本当にこぢんまりとした神社です。
ちなみに、昔はお詣りの仕方についてあまりうるさいことは言わなかったのに、最近はどこの神社に行っても、いわゆる「二礼二拍一礼」を守るようにという説明書きがあり、かなり多くの人がそれに従っています。でも調べてみたら明治の時代に神道が「国家神道」に変わった時に、国家の宗教なのだから各神社ばらばらの参拝の仕方はよくない、ということで決められたやり方のようで、決して神道本来のものでも何でもありません。神道は本来小うるさいことを言わないで、各人の素朴の信仰に任せるというのがいい所だと思います。