フリードリッヒ・H・テンブルックの「マックス・ヴェーバーの業績」

フリードリッヒ・H・テンブルックの「マックス・ヴェーバーの業績」を読了。私の大学時代の恩師である折原浩先生の業績である「ヴェーバーの「経済と社会」再構成問題」について、改めて現在までの流れを私なりに出来る範囲で追いかけてみようとして読んだものです。その「再構成問題」はこの本に含まれているテンブルックの「『経済と社会』からの訣別」がスタート地点になっています。ヴェーバーの「経済と社会」は妻であるマリアンネ・ヴェーバーが夫の死後、夫の「主著」としてまとめ上げようと、本来ヴェーバーが一冊の本としてまとめようとしていたかも不明なのですが、遺産として残された膨大な原稿を彼女なりの考えで整理して1922年に出したものが最初です。このマリアンネの版に対して、いわゆる「校訂」作業を施して、膨大な注釈を付けた版を1956年と1976年にヨハネス・ヴィンケルマンが出します。この「訣別」論文はそれに対する徹底した批判です。ヴィンケルマンは、ヴェーバーが当初計画していた「構成表」に従って全体を再構成するということを行っていますが、実はその「構成表」はヴェーバーによって破棄されたものでした。また、マリアンネが残した誤った二部構成をそのままにしました。
以上のようなヴィンケルマンの編集に対して、その内容がヴェーバーの元々の意図とはまるで無関係であり、それを読むものが正しくヴェーバーの本来の意図を理解できるような構成ではないとテンブルックは批判します。
さらには、この本に入っている別の論文である「マックス・ヴェーバーの業績 I」で、テンブルックは「経済と社会」の価値自体も、それが単なる「委託仕事」であって、ヴェーバーの主著とすべきは「宗教社会学論選」の方であるとし、「経済と社会」の評価を貶めます。1962年にアメリカでラインハルト・ベンディクスという人が「マックス・ウェーバー その学問の包括的一肖像」という本を書いて、それまで断片的な著作だけを個別に評価されていたヴェーバーの、初めてといえる包括的な評価を行います。ベンディクスは、「宗教社会学論選」と「経済と社会」を同時に評価しているのですが、テンブルックはそれを批判している訳です。そのベンディクスの本は1966年に折原浩先生の翻訳で日本語版が出ています。(改訂版が1978-79年です。)次はそれを読んでみます。