NHK杯戦囲碁 張栩9段 対 許家元9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が張栩9段、白番が許家元9段の対戦です。序盤の打ち方で面白かったのは、右上隅で黒が二間に低く挟んだのに、白が13の5にケイマした手で、初めて見ました。個人的には黒が上辺を受けて黒地がほぼ固まったので打ちにくい手に思いました。局面が動いたのは白が下辺左方に深く打ち込んでからで、結果として白は下辺を捨て石にし、左辺の黒を取りました。この結果は黒が一部左辺を突き抜くことが出来ましたが全体では白の成功で形勢は白に傾きました。その後黒は白の右下隅の構えを固めてもいいと付けたのですが、白は跳ね出して反発しました。しかし結局跳ね出した石からの一団が取られ、白は損をしました。しかし白から当てが利いて厚くなり、右辺の黒が危なくなりました。ここで右辺の黒をまともに逃げ出したのがまずく、読みに抜けがあり結局劫にもならず全部取られてしまいました。最初から尻尾を捨てて本体を逃がすか、あるいは劫に持ち込めれば黒が有望でした。その後ヨセで黒が猛追しましたが、右辺の損が大きく、結局白の2目半勝ちになりました。

トワイライト・ゾーンの”The Prime Mover”

トワイライト・ゾーンの”The Prime Mover”を観ました。小さなバーを経営しているエース・ラーセンはけちなギャンブラー気取りでしたが、ある日仕事仲間のジンボが念動力を持っていることを知ります。ジンボ自身は過去にいじめられたりしたことがあるためその能力を使わないようにしていましたが、エースはその能力をギャンブルに悪用しようとします。二人は早速カジノに出かけ、ルーレットやサイコロころがしで勝ち続け大金を手にします。いつまでもギャンブルを止めないエースに、恋人のキティーはあきれて家に帰ってしまいます。ジンボは念動力を使いすぎるとひどい頭痛がするため、ホテルのベッドで休んでいましたが、エースはそんなジンボにアスピリンを飲ませ、ギャングの親分を呼び出してさらに大きなギャンブルをやろうとします。しかもキティーの代わりに、煙草売りの女性に金をやって恋人に仕立てます。そんな彼に目を覚まさせようと、ジンボは最後のすべての金をかけたゲームでサイコロの目を外します。エースは一文無しに戻ります。ジンボは頭の中でヒューズが飛んでしまったと言い訳をします。エースは気を取り直してキティーにあらためてプロポースしますが、キティーはコインをトスして裏か表かの賭けをします。その結果は不明でしたが キティーはプロポースをOKします。それを見ながらジンボはこっそり床のホウキを動かして彼の能力が健在であることを示します。
何というか話の展開がありきたりで、結末も予想出来るものでイマイチでした。

アウター・リミッツの”The Children of Spider County”

アウター・リミッツの”The Children of Spider County”を観ました。ある時、全米で4人の色々な分野で活躍する天才的な若者が突然同時に失踪します。彼らは全員、スパイダー・カウンティで同じ年月に生れ、かつミドルネームに「エロス」というのを持っていました。このことから政府の調査期間は、エイリアンによる拉致事件ではないかと推測します。実は同様のイーサンという若者がもう一人いて、彼もスパイダー・カウンティの同時期の生れですが、殺人容疑で逮捕されていました。彼の牢に、彼の父親と称する紳士が現われ彼を助けようとします。そして一緒にどこかへ行こう、と言いますが、イーサンには、同じ家で育ったアンナという恋人がおり、別れも言わずに去ることは出来ないと言い、家に戻ります。そこでアンナの父親に撃たれそうになったイーサンは、結局アンナも一緒に連れて行くという条件で、その父親と称する男に同行しようとします。その男の説明では、彼らはオリオン星系のエロスという星から来たのであり、その星では気候変動により男が生れなくなり、絶滅の危機にありました。そこで5人のエロス人が実験的に人間の姿になって人間の女性と結婚し、5人の男の子を産ませたものでした。しかしイーサンは結局アンナと一緒に地球で生きていくことを選び、他の4人も同じ選択をし、5人のエロス人は失敗してエロス星に戻って行った、というストーリーです。例によってクモ型エイリアンがグロいですし、ストーリーももう一ひねり欲しかったです。

トワイライト・ゾーンの”Static”

トワイライト・ゾーンの”Static”を観ました。エド・リンゼーは初老の独身男で、下宿屋に住んでいました。彼にはヴィニーという恋人がいて20年一緒に住んでいますが、結婚するチャンスを失ったままでした。リンゼーはTVの番組が嫌になり、地下室から昔のコンソール型のラジオを取り出し自分の部屋に据付けます。そのラジオは幸いまだ動作し、そこから流れてきたのはトミー・ドーシーのラブソングで、彼が20才の頃流行っていたものでした。しかし他の者にそれを聞かせようとするとラジオは雑音しか流しません。また新しいラジオでは彼が聞いたものは放送していません。彼は放送局に電話しようとしてオペレーターに番号を尋ねますが、その放送局は15年前に廃業したと言われます。ヴィニーはリンゼーに、もう一度若い時をやり直すことは出来ないと説得しますが、リンゼーは彼女を追い出し、昔のラジオを聴き続けます。その内彼は20才の頃の姿に戻り、ラジオから流れるトミー・ドーシーの曲に合わせてヴィニーにプロポーズします。
という話で、1960年代のTV番組のDVDやブルーレイばかり観ている私にはちょっと身につまされる話でした。

野田俊作氏の訃報

日本におけるアドラー心理学のエヴァンジェリストというか、グルみたいな存在の野田俊作氏、2020年の12月5日に亡くなられていたようですね。数年前に岸見一郎の「嫌われる勇気」というアドラー心理学に基づく本が出ましたが、岸見氏(京大の哲学の先生)にアドラー心理学を教えたのが野田氏です。
この2人とは1990年代初のNifty Serveの外国語フォーラムで知り合いました。岸見一郎氏はシスオペでした。ただその時に起きた「実名論争」(外国語フォーラムはハンドル不可で実名公開を要求していましたがそれに反対する人が出てきて大論争になったもの)でフォーラムは大混乱し、常連が多く去りましたが(私も)、岸見一郎氏は混乱の終息の努力をほとんどしなかった人で私は大嫌いです。また当時はアドラー心理学を嫌っていた筈で、いつの間に転向したのかと訝っていました。
また野田俊作氏もかなり怪しい人で、チベット仏教の信者でもありました。まあエスペランチストで頭は非常に良い人でしたが。

ウルトラQの「育てよカメ」

ウルトラQの「育てよカメ」を観ました。うーむ、つまらない。単なる円谷版浦島太郎です。大体主人公の少年の名前が浦島太郎で、そのまんま。ただやっと来た竜宮城が何も無くて、変な少女が乙姫様、という所に多少の独自色が。但し、太郎が竜宮城で、からかわれて頭に来て、持っていたカメのエサの瓶を「原爆だぞ、竜宮城なんか吹っ飛ぶぞ」と言って投げつけたら本当に爆発して、写真のように太郎の服がボロボロになり火傷までしたようになるのは、かなりやばそうな描写で、ウルトラセブンのスペル星人の回に先だっています。しかも乙姫様が乗っているのも核ミサイルみたいだし。

アウター・リミッツの”Bellero Shield”

アウター・リミッツの”Bellero Shield”を観ました。Wikipediaによると「マクベス」をベースにした話とありましたが、私はそれよりも、アダムとイブでイブが禁断の木の実を食べるという原罪を犯す、というのとの類似を感じていました。いずれにせよ、女性の方が邪悪であるという偏見を感じた話でした。
リチャード・ベレロは科学者で、強力なレーザー光線発射装置を完成させ、それを空に向けて照射する実験をしていました。彼の父のシニア・リチャードは大会社の社長ですが、自分の息子を失敗作とみなし、会社は別の人間に継がせるようとしていました。リチャードの妻のジュディスはそれを残念に思い、何とか父親の会社の財産を自分の夫のものにしようとしていました。
ある日、レーザーの軌跡を伝わって白色のエイリアンがリチャードの研究室にやって来ました。彼は通常の宇宙の上に広がっている世界から来た(つまり天使みたいな存在)と言い、彼らの世界自体がレーザー光線で満たされていると言い、どうやって地球人がそれを作ることが出来たのかに興味を持っていました。そのエイリアンはシールド装置を持っており、最初に驚いたジュディスが彼をレーザーガンで撃った時にそれを使って自分を守りました。ジュディスはこのシールドの技術があれば自分の夫が世界的な科学者になり名声と権力を得ることが出来ると考え、帰ろうとしたエイリアンを騙してシールドを解除させ、銃で撃ってエイリアンを殺し、シールドのコントロール装置を奪い取ります。そしてこの装置をシニア・リチャードの会社で作れば大きな成功になり、リチャードが会社を継ぐことが出来ると考え、父親を呼んでデモを行います。デモは成功して銃でもレーザーでもそのシールドを破壊することが出来ませんでした。しかしデモの後、コントロール装置は動かなくなり、ジュディスはシールドの中に閉じ込められてしまいます。そのままにすれば酸欠でジュディスは死んでしまいます。召使いが地下室に置いたエイリアンの死体を確認すると彼はまだ生きていて、自分ならジュディスを救えると言います。エイリアンはジュディスの側に行き、シールドに彼の血でスリットを開け、そこからコントロール装置を取り、それを自分の血管につないでコントロール装置を復活させ、シールドを解除します。しかしそこで力尽きてエイリアンは消滅します。シールドは解除されましたが、ジュディスは罪の意識でおかしくなり、まだシールドは解除されていないと言い張ります。そして彼女の手の平には聖痕のような傷が残り、そこからエイリアンの白い血が流れ続けていました…
ちなみに、リチャードを演じていたのはマーティン・ランドーで、TV版の「スパイ大作戦」のローラン・ハンド役で有名な人です。独特の風貌をしていて、スター・トレックのミスター・スポックは最初彼にどうかと打診があったんだそうです。

NHK杯戦囲碁 鶴山淳志8段 対 村川大介9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が鶴山淳志8段、白番が村川大介9段の対戦です。この碁の戦いは、白が右辺に打ち込んで黒模様を制限しようとした後、それを3手打っただけ放置し、左辺から下辺へ展開する黒の急所に一撃した所から始りました。この一撃は黒が左辺からケイマに飛んでいる所のツケコシと、下辺の黒への横付けを見合いにしていました。黒はケイマの所を守ったので、城は下辺の黒に付けました。ここでの戦いは白が上手くやり、左下隅の白の薄味を黒への利かしで先手で補って活き、また下辺の黒を低位にしたことにより、優勢を気付きました。更に何より、左辺から延びる黒に眼がなく、白からずっと狙われたのはマイナスでした。(写真の局面)追い立てられたこの黒は結局上辺の白と左辺の白にもたれることで活きを図ろうとし、左辺は破ることが出来ました。しかしまだ二眼はありません。この後白がじっくり攻めていれば優勢を保てたと思いますが、黒の大石の途中の一間飛びに割り込んでいったのが、厳しいように見えて疑問の打ち方でした。実際この後、鶴山8段の厳しい打ち回しの結果、下辺から延びる白がほとんど取られかけたりしましたが、最終的には中央上半分の白が切り離され、二眼が出来ませんでした。そうなると黒の一団との攻め合いになりますが、黒のダメは結構空いており、結局白の一段が御用になってしまいました。先週に続き黒の大逆転で、鶴山8段の最近の好調ぶりが良く現れた碁でした。

趙治勲名誉名人の「囲碁と生きる」

趙治勲名誉名人の「囲碁と生きる」を読了。読売新聞で28回ほど連載されたもの。それに小林光一名誉棋聖との4回の対談がついています。この二人の戦いで誰もが思い出すのが、四度にわたった本因坊戦での死闘で、小林光一名誉棋聖は実にこの碁に勝てば本因坊奪取というのが7回もあり、そのことごとくに敗れます。対談を読むと、当時棋聖と名人を持っていて、そのタイトル戦でかなり消耗し、本因坊戦まで頑張りきれなかったということのようです。趙治勲名誉名人というと、私が大学生の時本格的に囲碁を覚えたばかりの頃が全盛期の始まりという時期で、趙名誉名人の碁は本当によく並べた記憶があります。あの頃の趙名誉名人の勝負にかける執念は本当にすごいものがありました。また小林名誉棋聖の棋風がある意味固まっていてそれほど色々な打ち方を試すということがないのに、趙名誉名人はそれに比べて柔軟で色んな打ち方を試していたと思います。現在趙名誉名人はNHK杯に出ていたり十分現役ですが、小林名誉棋聖がそれに比べるとやや冴えないのは、その辺りの柔軟性の差が今になって出てきたのかな、と思います。そういえば先日囲碁フォーカスで趙名誉名人の抱腹絶倒のエピソードが紹介されていました。それはNHK杯戦で自分のお茶を全部飲んでしまうと、何と何の断りもなく読み上げ係や記録係のお茶に手を伸ばしてそれを飲んでしまう、というものでした。実に趙名誉名人らしいです。全てが天衣無縫という感じです。

ハンス・ホッターとコンラート・リヒターの「冬の旅」(1982年ライブ)

最近、ずっとシューベルトの「冬の旅」を聴いています。「冬の旅」のコレクションは現時点で70数枚になっています。ブラームスの交響曲1番の収集の時みたいなカタログ征服、的な気持ちはありませんが、今でも新譜が出ているとつい買ってしまいます。
このハンス・ホッターとコンラート・リヒターの冬の旅は、1982年のホーエネムスでのシューベルティアーデでのライブです。実にホッターはこの時73歳でした。このライブはリアルタイムではないですが、NHKのFMで放送されました。丁度その時実家に帰省中でやむを得ずモノーラルのラジカセでエアチェック(今の若い人、この言葉通じないですね。要するに放送をカセットテープで録音することをこう言いました)したものを何度も聴きました。このCDは20年前くらいに出た海賊版のCD-Rです。
この時のホッターは、最初の曲の「おやすみ」の第3節でメロディーを間違える(1節、2節と違うのに同じに歌った)など、非常にハラハラさせる立ち上がりでした。しかし曲が進むに連れ、落ち着きを取り戻し、これ以上無いくらい迫力と悲壮感の漂う冬の旅を聴かせてくれました。ホッターはその生涯で冬の旅を120回以上歌ったそうですが、この時のライブは長く歴史に残すべきものと思います。