西島三重子の「オールタイム・ベスト」

西島三重子の「オールタイム・ベスト」を買って聴いています。3枚組で色々入っています。それを聴きながら彼女について思ったこと、気付いたこと。
1.デビューが25歳と非常に遅い。当時中学生とか高校生の芸能人・シンガーソングライターは沢山いた筈でそういうのと比べるといわゆる「トウが立っていた」と言えると思います。
2.それでも若い頃はそれなりに美形なのですが、1.のせいかアイドル的な売り出しはまったくされず、初期はほとんど演歌に近い路線です。これは2曲目の「池上線」がヒットしたため、余計にその路線から抜けにくくなったと思います。大体、有線放送でじわじわ売れてヒットしたというのは、当時のニューミュージックではまず無いパターンです。
3.といって私が学生時代に買った3枚目のLPは、そういう意味ではよりポップな方向への転換を図っていたのかと思います。メインの作詞家も佐藤順英から門谷憲二に変わります。
4.作曲の素晴らしさから、小さい頃からピアノとかやっていたのかと思ったら、ギターを始めたのが高校生の時だそうです。それにしてもどんな歌詞でも的確な曲を付ける能力は傑出していると思います。
5.シンガーソングライターといいつつ作詞はほとんど無く、後年みんなの歌に書いた曲くらい。絵本とかも出しているから作詞が不得意とかでは無かったと思いますが、これも「池上線」路線のイメージが強く今さらポップな作詞も出来なかったのでは。まあ八神純子とかも三浦徳子の作詞(みずいろの雨)とかありましたが、歌と作曲に徹した人は珍しいと思います。
6.歌唱力も高いです。但し時々高音が伸びきっていない場合もありましたが、全体的にはシンガーソングライターの中でもトップクラスと思います。
以上とりとめも無く。

スター・トレック・TNGの”Manhunt”

スター・トレック・TNGの”Manhunt”を観ました。うーん、これまでで最悪のエピソードでした。ある種族のエイリアンが連邦に入るための会議が開かれることになって、その会議に出席するために、トロイのお母さんがやって来ます。しかし彼女はベータゾイドの中年女性に発現する「発情期」の真っ最中で、性欲が通常の5倍以上になります。そして彼女が選んだのがピカードで、ピカードは二人だけの夕食に誘われたりしてのアタックを受け、辟易してホロデッキのDixon Hill(チャンドラー風私立探偵)の世界に逃げ込みます。しかしそこに彼女が追いかけて来て、しかしそこのバーテンダーが気に入り、彼女にとって心が読めない初めての男性でした。ってコンピューターが作ったイメージですから当り前ですが。結局会議があるのでラブロマンスは途中までで、お母さんは連邦に所属しようとしているエイリアンが爆弾を所持しているのを暴いて、目出度し、という話です。しかし中年女性とピカードのロマンスなんて、観る方からは何も魅力がありません。変なエピソードです。

飯田洋介の「ビスマルク」

飯田洋介の「ビスマルク」を読了。この稀代の政治家にして外交家についてもっと知りたいというのが動機でした。しかしこの本は最新の研究に基づいてはいるのでしょうが、単なる事実の羅列の印象が強く、もう少しビスマルクの人物についての突っ込んだ描写が欲しいと思いました。ビスマルクというと鉄血宰相ということで戦争で物事を解決して来た、というイメージが強く実際にデンマーク、オーストリア、フランスと3つの戦争に全て勝ち、オーストリアを除く小ドイツ主義に基づく、プロイセン主導のドイツ統一を成し遂げています。しかしその裏にはある意味天才的な外交努力があり、結局ドイツの悲劇というのはビスマルクの後に彼のような天才的な外交家である政治家を持てなかったことではないかと思います。またオーストリアとの戦争では初戦の勝利に更なる戦線拡大を図る軍部を押さえてわずか7週間で戦争を終わらせており、決して軍国主義一辺倒の人ではありませんでした。またカトリック教徒や社会主義者への弾圧で悪名高い一方で、その当時の欧州としてはもっとも進んだ普通選挙制度を導入し、更には健康保険、労災保険、年金という今日まで続く社会保障を世界で初めて導入したのもビスマルクのドイツでした。そういう意味で一時はドイツの軍神みたいな存在になるのですが、第2次世界大戦でのドイツの敗戦以降は今度は犯人捜しとして全ての責任を押しつけられ、と毀誉褒貶の激しい人物ですが、今の世界には見当たらないタイプの政治家です。

ウルトラマンAの「さようなら夕子よ、月の妹よ」

ウルトラマンAの「さようなら夕子よ、月の妹よ」を観ました。タイトル通り、この回で南夕子がいなくなります。伏線も何もなく、唐突に南夕子は実は月星人で、月のマグマを全部吸い取って死の星に変えたルナチクルスを倒す使命を帯びて地球にやって来たということになります。この男女合体の変身、元は大魔王シャザーンで双子の男女のチャックとナンシーが指輪を合わせると大魔王シャザーンが出てくるというのだと思いますが、脚本の市川森一の発案で、ある意味時代に先駆けた設定で良かったと思います。しかし途中で市川が抜けたため、他の2人がこの設定を最後まで守り抜こうという意欲に欠け、途中から参加した石堂淑郎がこの無理矢理な話を書いたようです。そもそも北斗と南は同じ日に生まれており、またTACに入ったのも同時で、二人に上下関係は無い筈なのに、いつも北斗は相手を呼び捨てにし、南は「星児さん」とさん付けするのは以前指摘しました。つまりは昭和の時代の男性が優位の世界観では、女性である夕子を生かした脚本を書くのが困難だったことが南夕子降板の理由ではないかと思います。私としては最後まで男女合体の変身を貫いて欲しかったと思います。

NHK杯戦囲碁 羽根直樹9段 対 張豊猷9段(2024年4月21日放送分)


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が羽根直樹9段、白番が張豊猷9段の対戦でした。布石では白が右辺に大きな模様を築き、黒が深く打ちこんで行きました。結局黒は右辺下方で活きることになりました。白はその戦いで得た厚みをバックに下辺の黒に覗きを打って仕掛けて行きました。この戦いで白の右下隅はまだ活きておらず、結局劫になりました。劫は白が勝って右下隅は活きましたが、黒が下辺の白5子を取り込んで打ちやすくなりました。ただ白も中央の白模様のまとまり具合ではまだ可能性がありましたが、羽根9段が慌てず騒がず白の策動を封じていき、最後は黒の3目半勝ちとなりました。羽根9段の的確な形勢判断とポイントを逃さない戦い方が参考になった碁でした。

西島三重子の池上線

西島三重子の最初のヒット曲は1976年の「池上線」です。それでこの池上線って、最近の東急何とか線の例でとっくに別の名前に変わったのかと思っていたら、何とまだそのままの名前であるんですね。しかし首都圏に住むようになって45年くらいになりますが、まだ池上線に乗ったことは一度もありません。
ちなみに曲が出た時、東急とタイアップしようとしたら、歌詞の「古い電車」とか「(ドアの)すきま風」とかが東急側に問題にされてキャンセルされたそうです。しかし当時の池上線は運行開始より40年以上経った電車が多く、歌詞通りだったようです。

西島三重子の「かもめより白い心で…」

ヤフオクで、西島三重子の3rdアルバムの「かもめより白い心で…」を落札しました。私はこのアルバムの冒頭の「口笛を吹かないで」がとても好きなんです。でもこのアルバムはCDになっていませんし、またCDのベスト盤にも「口笛を吹かないで」が入っていません。この曲は「♫この歌を知ってるかいとあなたは口笛を吹いて、首を振ると得意そうに遅れてるよって笑ってた…」という歌詞の失恋の曲ですが、曲がボサノバで非常に良いです。ちょっとユーミンの「あの日に帰りたい」にも似ています。
西島三重子はシンガーソングライターって言っても、作詞はせず作曲だけです。でもそれが良くて多数の良い作詞家が名曲を書いています。「池上線」とか「千登勢橋」とか。大学に入って上京して、最初に住んだのが豊島区の雑司が谷で、目白通りを目白駅まで歩いて大学に通っていました。(実はあまり行ってませんが…)西島三重子はその目白にある川村学園女子大の出身。千登世橋(曲とは漢字が違います)も当時上ってみたことがあります。ハンカチは投げませんでしたが。

「ゴールデンカムイ」と「まつろわぬもの」

シクルシイ(和気市夫)の「まつろわぬもの」を古書で再購入。以前紹介していますが、引っ越しの時にどこかに行ってしまって買い直したもの。何故そうしたかというと、最近通勤中の暇つぶしに電子書籍で「ゴールデンカムイ」を4巻ぐらいまで読みました。この漫画、色んなアイヌの風俗を初めて漫画で紹介したという点では評価しますが、しかしある意味きれい事過ぎると感じました。シクルシイこと和気市夫は二つの名前が示すようにアイヌ(母親)と日本人(父親)の混血です。
まずは臭い。シクルシイが自分の生まれたアイヌのコタンの家でまず思い出すのが臭いだそうで、匂いではないのは、アイヌの家では湖の魚の干物、各種獣肉の生肉などが保管してあって、それらが混じり合ってなんとも言えない悪臭を発して、それが体臭にも染みこんで、当時の日本人からは「アイヌは臭い」と言われていたとこの本にあります。なのでゴールデンカムイの不死身の杉本が最初にコタンに行ってアシリパの家に入った時の反応は「く、臭え、何だこの臭い…」であるべきと思います。残念ながら現在のどんなバーチャルなメディアも臭いを的確に伝えることは出来ません。
またゴールデンカムイではアイヌが他民族との混血に寛容であったみたいなことが書いてありますが、これも本当でしょうか。元々和人はいなかった北海道(蝦夷地)に明治になって和人が大量に入って来て、土地の登記が出来ないアイヌを騙してその土地を奪い、ということで、当時のアイヌで日本人と結婚する人が多かったのはある意味自衛のためやむを得ずという要素があったのだと思います。それがゴールデンカムイでのアシリパと杉本の関係は、ある意味ディズニーの「ポカホンタス」だと思いました。ちなみに「まつろわぬもの」ではシクルシイの美人の姉と、和人の良家の男性が恋に落ちますが、男性の親戚一同が「アイヌの血をうちの家系に入れるとは!」と反対した結果、二人は心中します。
この「まつろわぬもの」はこの他にも当時のアイヌがどのように和人から扱われていたか多数のエピソードが出て来ますので、ゴールデンカムイに疑問を感じたら読んでみることをお勧めします。

ジェイン・オースティンの「エマ」

ジェイン・オースティンの「エマ」を読了。家にある「買ったけど読んでない本」撲滅プロジェクト?の一環。多分買ったのは「高慢と偏見」を読んだ後で20年以上前。既に古本化しています。
オースティンの「高慢と偏見」を読んだ後、「良く出来た少女漫画」という感想を持ちました。これは決して馬鹿にしている訳ではなく、私は小説と漫画に上下は付けていません。E.M.フォースターは、オースティンの小説の登場人物は全て「ラウンド・キャラクター」だと言っており、その意味は小説の中で変化したり成長する複雑なキャラクターのことを言います。反対はフラット・キャラクターで、それは例えばディケンズの「クリスマス・キャロル」に出てくる改心前のスクルージ爺さんが吝嗇の象徴のように行動しますが、いつも読者の期待通りの行動しかしない浅いキャラクターを言います。この小説の主人公の「エマ」はまさにラウンドキャラクターです。基本的には年老いた父親の面倒を良く見て、また女友達の前途を考えてやる優しい性格に描かれていますが、一方で好き嫌いが激しくまた思い込みが強くて友のためにとやったことが全て裏目に出るという例が出てきます。また時代から考えて仕方がないのでしょうが、階級主義で、ハリエットという女友達がある男性からプロポーズされた時、相手が農民だからという理由で反対します。また女性の考えは所詮浅はかで、思慮深い男性によってそれが矯正されるべきといったこちらも時代がかった描かれ方です。また未知だった男性の印象が、第一印象から次第に変わって行くという展開は「高慢と偏見」と同じです。と色々悪口めいたことを書きましたが、基本的には読んでいて飽きずに最後まで楽しめる小説であるのは間違いありませんし、女性ならではの細かな心理描写も感心します。さらには18世紀末のイギリスの田園での生活というのもちょっと憧れる所があります。「高慢と偏見」の時は主人公の妹が駆け落ちしたりというドラマがありましたが、この「エマ」にはそういう劇的な展開はありませんが、結局3組の夫婦が生まれれるその過程が波瀾万丈ということは出来ると思います。ちなみに私はエマが最終的に結婚した男性は、2/3くらい読んだ所で多分そうなるだろうと気がついていました。

カルタゴに撒かれた塩?

ローマが三度に渡るカルタゴとの戦いで最終的に勝利した後、カルタゴが二度と復活しないように、スキピオがカルタゴ市の土地に塩を撒いて農業が出来ない不毛の地にしたという伝承があります。
しかしこの話はおそらく儀式的に(意味は違いますが日本の相撲で土俵に塩を撒くように)行われたのが誇張されたんではないかと思います。その証拠として、ポエニ戦争終結の後、10年くらいしてグラックス兄弟が貴族と平民の格差を減らすため、平民に土地を分配しようとします。その土地がヴェーバーによれば大半がカルタゴの土地だったようです。塩を撒かれて農業が不可能な土地をもらっても誰も得しないでしょう。
それに、カルタゴ市の耕地がどのくらいの面積なのか分かりませんが、当時の製塩技術でその全体に撒くほどの大量の塩をどうやって製造し運搬したのか、どう考えても無理があります。

ChatGPT4の回答は以下。
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カルタゴに塩を撒いて土地を不毛にしたという話は、広く知られている逸話ですが、歴史的な証拠に基づくと、この話は事実ではないとされています。この話は象徴的な行為として後世に語り継がれていますが、古代の文献にはそのような出来事を記述しているものはありません。

実際に、第三次ポエニ戦争の後、紀元前146年にカルタゴが完全に破壊され、ローマによって征服されましたが、その土地に塩を撒いて農業を不可能にしたという記録は存在しません。むしろ、カルタゴ周辺の土地は、その後も農業に利用されていたことが示されています。

「塩を撒く」という逸話は、敵に対する完全な勝利とその土地の永久的な破壊を象徴するための物語として広まった可能性がありますが、歴史的事実としては根拠がありません。この話は、後世の作家や歴史家によって創作され、伝えられたものと考えられています。