カルタゴに撒かれた塩?

ローマが三度に渡るカルタゴとの戦いで最終的に勝利した後、カルタゴが二度と復活しないように、スキピオがカルタゴ市の土地に塩を撒いて農業が出来ない不毛の地にしたという伝承があります。
しかしこの話はおそらく儀式的に(意味は違いますが日本の相撲で土俵に塩を撒くように)行われたのが誇張されたんではないかと思います。その証拠として、ポエニ戦争終結の後、10年くらいしてグラックス兄弟が貴族と平民の格差を減らすため、平民に土地を分配しようとします。その土地がヴェーバーによれば大半がカルタゴの土地だったようです。塩を撒かれて農業が不可能な土地をもらっても誰も得しないでしょう。
それに、カルタゴ市の耕地がどのくらいの面積なのか分かりませんが、当時の製塩技術でその全体に撒くほどの大量の塩をどうやって製造し運搬したのか、どう考えても無理があります。

ChatGPT4の回答は以下。
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カルタゴに塩を撒いて土地を不毛にしたという話は、広く知られている逸話ですが、歴史的な証拠に基づくと、この話は事実ではないとされています。この話は象徴的な行為として後世に語り継がれていますが、古代の文献にはそのような出来事を記述しているものはありません。

実際に、第三次ポエニ戦争の後、紀元前146年にカルタゴが完全に破壊され、ローマによって征服されましたが、その土地に塩を撒いて農業を不可能にしたという記録は存在しません。むしろ、カルタゴ周辺の土地は、その後も農業に利用されていたことが示されています。

「塩を撒く」という逸話は、敵に対する完全な勝利とその土地の永久的な破壊を象徴するための物語として広まった可能性がありますが、歴史的事実としては根拠がありません。この話は、後世の作家や歴史家によって創作され、伝えられたものと考えられています。

今晩もChatGPT4との対話によるラテン語の日本語訳

今晩もChatGPT4とラテン語の日本語訳についての対話。直訳調を自然な日本語にするのに役立っています。
(マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」)

You
またマックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」からです。これはHyginが述べているローマの植民市が近隣の元からあるゲマインデの土地を奪って自分達のformaに書き入れた、という箇所への注釈です。ラテン語の日本語訳をチェック願います。
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… multis … erepta sunt territoria et divisi sunt complurium municipiorum agri et una limitatione comprehensa sunt: facta est pertica omnis, id est omnium territoriorum, coloniae ejus in qua coloni deducti sunt. Ergo fit ut plura territoria unam faciem limitationis accipiant.
領土が多くの者によって奪われ、多くのゲマインデの土地が分割され、一本の境界線によって接収された:全ての土地に測量棒が設置され、それは領土全域に渡っての土地であり、その土地はそこにおいて植民者に分け与えられた。それ故に(近隣ゲマインデは)結果的には複数箇所の領土について、そういった境界変更を受け入れざるを得なかった。
ChatGPT
あなたの日本語訳は、原文の意味を大まかに正確に捉えていますが、少し修正を加えてより明確に表現することができます。特に、「una limitatione comprehensa sunt」の部分は「一本の境界線によって接収された」よりも、「一つの測量によって包括された」と訳す方が、原文の「limitatio」が土地測量のプロセスを指す用語であることを踏まえると適切です。「facta est pertica omnis」の「pertica」は測量の際に使われる測量棒を指しますが、ここではメタファーとして全領土を指しています。
修正案:
「多くの地域から領土が奪われ、数多くのゲマインデ(市町村)の土地が分割され、一つの測量によって包括された:すなわち、全ての領土が測量棒によって測られ、その土地はそこに定住する植民者たちに割り当てられた植民市のものとなった。その結果、複数の領土が一つの測量の形式を受け入れることになった。」
この修正では、測量プロセスと土地割り当ての概念をより正確に反映し、「一つの測量によって包括された」という表現で、複数の領土が単一の測量プロセスによって一つの植民市の領域に組み込まれたことを明確にしています。また、「全ての領土が測量棒によって測られ」という表現は、この土地測量が領土全域に及んだことを示しています。最後に、結果として近隣のゲマインデが新たに定められた境界を受け入れることを強いられたことを、「複数の領土が一つの測量の形式を受け入れることになった」と表現しています。
User
元のドイツ語にformaの中に書き入れるとあるので、以下のように修正しました。
「多くの地域から領土が奪われ、多くのゲマインデ(市町村)の土地が分割され、一つの測量図の中に包括された:すなわち、全ての領土が測量され、そ(れら)の土地はそこに定住する植民者たちに割り当てられて植民市のものとなった。その結果、複数の領土が一つの測量図に包括されることを(各ゲマインデは)受け入れさせられることになった。」
ChatGPT
この修正は、ドイツ語の原文に言及する「formaの中に書き入れる」という点を考慮に入れた適切な修正です。この修正案では、「forma」を「測量図」と訳し、その中に複数の領土が包括されることを明確にしています。この表現は、土地がどのようにして植民市に割り当てられ、そのプロセスがどのように記録されたかを示しており、原文の意図をより正確に反映しています。
また、「受け入れさせられることになった」という表現は、他のゲマインデがこの新しい状況を受け入れることを余儀なくされたというニュアンスを効果的に伝えています。これにより、ローマの植民地拡張が周辺のゲマインデに及ぼした影響と、そのプロセスがどのように公式の記録に反映されたかについての理解が深まります。
全体的に、この修正案は原文の内容を正確に伝え、読み手が文脈をより深く理解するのを助けるものになっています。非常に良い修正です。
User
いつも有り難うございます。助かりました。
ChatGPT
いつでもお役に立てて嬉しいです。また何かご質問があれば、遠慮なくお知らせくださいね。お手伝いできることがあれば幸いです。

ヴェーバーの翻訳にChatGPT4は本当に役立ちます。

ヴェーバーのドイツ語の翻訳に、ChatGPT4は本当に役立ちます。というか木村相良の辞書のVerfassungの項の記述に「組織・体制」の意味が書いていないのがおかしいのですが。下記の回答見ても分るように、ChatGPT4はこの「ローマ土地制度史」の全体の内容をきちんと理解しています。現在日本にヴェーバーの研究者は掃いて捨てるほどいますが、「ローマ土地制度史」をこのレベルで読んでいる人は一人もいないと思います。(かつてはいたと思いますが。)

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User
以下のドイツ語はマックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の一部です。この文章でのFlurverfassungはどういう意味でしょうか?つまり耕地に対する法律の意味なのか、それとも耕地に関する記述でしょうか?
Mag die colonia, die »Bauernschaft« — nach Mommsens Ansicht — die verjüngte Projektion der gentilen Flurverfassung sein, so ist sie ausserdem doch auch eine Organisation zur Abwehr dritter in einem befestigten Ort, also einer Stadt.

ChatGPT
この文脈での「Flurverfassung」は、特定の耕地に関する制度や組織の枠組みを指す用語として使われています。ドイツ語で「Flur」は「耕地」「畑地」などの意味があり、「Verfassung」は「憲法」「制度」「組織の枠組み」などの意味を持ちます。したがって、「Flurverfassung」は直訳すると「耕地の制度」または「耕地の組織の枠組み」となり、耕地に対する法的または組織的な枠組み、つまり耕地に関する制度や管理の仕組みを意味しています。
この文章の中でマックス・ヴェーバーは、ローマの土地制度、特に「colonia」や「Bauernschaft(農民社会)」が、古代の「gentilen Flurverfassung(氏族的な耕地制度)」の影響を受けて形成されたものであると述べています。しかし、それに加えて、「colonia」は外部からの防衛を目的とした固定された場所、すなわち都市としての機能も持っていたと指摘しています。
従って、この文脈では「Flurverfassung」は、耕地に関する記述やその管理・運用に関する法的または組織的な枠組みを指していると解釈できます。この用語は、単に法律の意味ではなく、より広い意味で耕地に関する社会的・組織的な制度を含む概念として使用されているようです。

「中世合名・合資会社成立史」の余波

ようやく、という感じですが、私が日本語訳したヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を読んで、それをベースにして本を書いた人を見つけました。私の訳も誉めていただいていて、それは嬉しいのですが、肝心の「成立史」の読解と解釈にかなり問題があり、批評を書きました。しかし、安藤英治氏と言い、今回の方と言い、ヴェーバーがきちんと述べていることを理解せず、ヴェーバーが言ってもいないことを勝手に解釈する人が多いのは何故なんでしょうか。

「中世合名・合資会社成立史」を改訂しました。

「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳、第1回正式公開版(2020年9月23日より公開開始)はその後細かな校正で30回以上改訂して来ましたが、この度第4章の一部でちょっとした誤訳があったのを発見しこれを改めたのと、特に前半部で原注の番号が抜けている箇所が多く見つかったため、これを修正してこの機会に版を新たにしました。この際に同時にヘッダーにこれまで版番号を入れていたのを読者の便宜を考え章名に変更しました。

「中世合名・合資会社成立史」日本語訳正式公開

「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳売れ行き

Amazonで売っている書籍版のヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳、これまで月に1~2冊程度でしたが、何故かこの1月は10冊近く売れています。なんかあったのでしょうか?
(私のに限らず、Amazonでのマックス・ヴェーバー関連本は、一番売れているのでも月に数冊程度です。検索した時のランキングから推測して。)

立林和夫編著の「入門 MTシステム」

立林和夫編著の「入門 MTシステム」を読了。これを読み始めてから、1/3で中断し、一度タグチメソッドに戻って学習しなおし、改めて読んでいます。もちろん数式については細かい所は理解しないで、感覚的な理解に留めています。Mはマハラノビスで、Tはタグチメソッドです。要するにマハラノビスの汎距離を使った解析に、タグチメソッドを組み合わせたもので、マハラノビスの汎距離を使う単位空間を構成する要素について候補の中から直交表を用いて実験を行い、そこでS/N比や感度というタグチメソッド的手法で選定を行っていきます。マハラノビスの汎距離と通常のユークリッド距離がどう違うかと言うと、マハラノビスの汎距離の場合は要素間の相関を考慮し、各サンプルの重心からの距離に相関係数の逆数をかけて補正します。現実のパラメーターについて、お互いに相関が0というものはほとんどないので、単純なユークリッド距離を使った重回帰分析よりも、少ない要素数でより的確な解析や予想を行うことが出来ます。なおMTシステムといっても、実際はバリエーションがあり、最初のMTS法から始って、MTA法、TS法、T法などがあり、T法はさらに3種類あります。それぞれ特徴があります。なお、この本でのMTシステムの事例として挙げられているのは、製品歩留まりの予想、手書き文字認識、機械のノイズによる不良検知、天気予報、賃貸不動産の賃料予測、医療診断などきわめて多岐に渡っています。このようにMT法の有用性は昔から分っていたのですが、実際に相関係数の逆行列をかけていってマハラノビス距離を計算するのが大変でした。しかし今はパソコンで簡単に出来てしまいます。私はスイッチメーカーでの経験が長いですが、例えば押ボタンスイッチの荷重曲線を使ってMT法でスイッチの寿命を予測したり不具合を検知する、ということは当然出来そうです。なお波形データとかをどう数値化するかですが、微分である変化量と、積分である単位時間の面積を使ってパラメーターとする手法が紹介されています。生成AIのエンベディングにマハラノビス距離が使われているのも、少ないパラメーターで出来るだけ精度の高い解析を行うのが目的のようです。

ヴェーバー関係の書籍の整理

新居にてようやく段ボール箱開梱もほぼ終って、これまで本はかなり適当に空いている本棚に詰めていただけなのを、本棚を更に1台追加して、まずマックス・ヴェーバー関係を集めてみました。残念ながら1台では足らず、翻訳の時の資料とかは溢れてしまいました。これだけ集めたのは、今集めておかないともう簡単には買えなくなるという予感があったからです。例えば「経済と社会」の日本語訳を出していた創文社は解散してしまいました。なのでヴェーバー本人の書いたものは大体読みましたが、研究書や入門書の類いはきちんと読んでないのが沢山あります。

ヴェーバーポータルでの新着書き込み2件

日本マックス・ヴェーバー研究ポータルに、2つほど新しい書き込みをしました。

(1)フッサールの「厳密な科学としての哲学」(2)
(2)ヴェーバーの科学論文で言及されている「心理学」とは

どちらもヴェーバーの「理解社会学」とは何か、というのをきちんと調べようとしている動機からのものです。

David GraeberとDavid Wengrowの”The Dawn of Everything”(2)

David GraeberとDavid Wengrowの”The Dawn of Everything”をようやく読了しました。この本、ベストセラーになっていますが、このペーパーバック版で注を除いて525ページあります。そのせいか、ダイジェスト版が2種類も出版されています。中身の感想は「日本マックス・ヴェーバー研究ポータル」の方に書きましたので、そちらを参照してください。