超三結真空管アンプキット

「音の工房」のPCL86シングル+超三結真空管アンプキット、かなり進展しました。抵抗と半導体類は半田付けが終わり、後はコンデンサーですね。一部のフィルムコンデンサーをアムトランスのものに替えていますが、サイズが大きくて他の部品に接触しないように半田付けするのに苦労します。後、ショットキー・ダイオード、これは定電圧を取り出す時に使うようですが、実に12本もあり、また発熱のためか少しプリント配線板から浮かせて取り付けるとなっており、ちょっと大変でした。このキット、プリント配線板なので簡単かと思っていましたが、半田付けの箇所が予想以上に多く、そんなに簡単なキットではないですね。

NHK杯戦囲碁 山下敬吾9段 対 高尾紳路9段


本日のNHK杯戦の囲碁は準々決勝の第1局で、黒番が山下敬吾9段、白番が高尾紳路9段の平成四天王同士の対戦です。この二人はなぜかNHK杯での優勝がなく、今期はどちらも今度こそ、という気持ちではないかと思います。布石は山下9段がまた見せてくれて、初手が5の5、3手目が右下隅大高目という新鮮な構えです。白は右上隅の5の5の構えに右辺から臨み、黒の右辺の構えが大きくなるのを牽制しました。しかし黒は右辺で上から白を圧迫しました。白は中央に顔を出しましたが、右辺で黒から出切る手が残り、黒はすぐに決行し、白2子を取って右上隅の一団が安定しました。白は黒1子を抜きましたがまだ一眼で黒から攻めを見られてました。その攻めを防ぐ意味で白は右辺の黒の開きに打ち込みました。これに対して黒は白の渡りを遮り最強の手を打って来ました。白は直接戦うのは不利と見て、右下隅に置いて行きました。白が右下隅から出切って行った時、黒は切った石を当てましたが、実は黒は白のシチョウが成立しているのを見落としていました。しかし白はシチョウに抱えるのは黒から左上隅にシチョウアタリを打たれて良くないと考えたようで、隅で延びました。結局右下隅は黒が白の4子を取って20目ぐらいの地を作り、代償で白は右辺を渡って黒地を減らし、また下辺で黒を圧迫しました。この分かれは、元々大高目で地がつきにくかった右下隅で黒が実利を稼ぎ、更に右辺と下辺で白の眼の無い石が残り、黒の有望な局面になりました。この後、黒は当然2つの弱石のカラミ攻めを狙い、白がしのぎながら逆襲を狙うという展開になりました。一時は白が左辺の黒を切り離して攻め、形勢不明になりかけましたが、左上隅の三々に黒が打ち込んだ石を巡って、結局劫になりました。この劫立てで黒が右上隅に打ったのに白は受けずに劫を解消しましたが、右上隅から黒に上辺にケイマにすべられ、また左上隅も黒が一部活きて、これで黒の優勢がはっきりしました。結局黒の中押し勝ちになりました。山下9段は斬新な布石で3連勝であり、自信を深めたのではないかと思います。

PCL86シングル+超三結アンプの組み立て

PCL86シングル+超三結アンプの組み立て開始。といっても多くの配線はプリント配線板なんでそんなに難しくはありませんが、今回初の試みでオーディオ用の銀はんだというのを使っています。そのために今回初めて温度調整が可能な半田ごてを導入しました。
抵抗は取り付ける前に全てテスターで測定して抵抗値を確認し、組み立てマニュアルと回路図を両方チェックし、マニュアルに間違いが無いか確認して慎重にやっています。
ペーストは使わず、液体フラックスを使っています。そして半田付けの後、綿棒に無水アルコールを付けてフラックスを落としています。

JBL 4307

ワーフェデールのDenton 85thを返品してお金を返してもらった後、結局これを買いました。JBL 4307。往年の名機4343に比べるとかなり小さいですが、これが私の部屋では限界です。スピーカーケーブルをつなごうとしていたら、うっかり左のウーファーのセンターコーンをへこましてしまい、心が折れかけましたが、昔何かで読んだガムテープをくっつけて引っぱるという方法で何とか直しました。しかし、サランネットは常用した方が良さそうです。クラシック音楽ファンで何でJBL?という話ですが、私はJBLがジャズ向き、タンノイがクラシック向きという説をあまり信じていません。今時のスピーカーは万能選手と思います。
またこのスピーカーは出力音圧レベルが91dB/mあるので、真空管アンプでもOKかと思いましたが、そちらはKT88プッシュプルでも高音が歪んでイマイチでした。なのでアキュフェーズのE-600で鳴らします。

鳥飼浩二先生のこと

悲しい事実を今日知りました。
ジャストシステムという会社で日本語入力のATOKの変換用辞書について、その日本語として適正さを監修するATOK監修委員という組織体がありました。座長は作家・評論家の紀田順一郎さんでした。そのメンバー(全部で10名程度)の中でもっとも実質的にATOKの辞書作りにおいて貢献され、貴重なアドバイスを色々いただいたのが鳥飼浩二先生
でした。鳥飼先生は元々学研で藤堂国語大辞典などの編集に携わられ、独立してからは特に大修館書店の「明鏡国語辞典」の編集に携わられました。明鏡は北原保雄先生が主幹となっていますが、実質的な編集者の中での中心的な存在が鳥飼先生でした。また「日本には辞書学が無い!」というのが日頃の主張で、自らは「辞書学者」と称されていました。
私はジャストシステムの時代も辞めた後も親しくお付き合いさせていただいていましたが、2011年に私がうつになってから交信が途絶え今日に至りました。そして今日明鏡国語辞典第三版が出版されたお祝いも兼ねて久し振りに電話しました。(メールアドレスをこちらで失念してしまっています。)電話に出られた奥様のお話によると、2019年11月11日にお亡くなりになられたとのことです。
仕事でお世話になったのももちろんですが、プライベートでも色々相談に乗っていただいて、私にとっては老師=メンターのような方でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。(写真は2007年2月に、富士山の天下茶屋にて。)