Wiliam Fulkeのカタカナ表記は「ファルク」か「フルク」か-羽入辰郎の(ある意味どうでもいい)指摘への反論

羽入辰郎が、「マックス・ヴェーバーの犯罪」に対する批判に対して回答した書が「学問とは何か -『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-」です。この本の内容はあまりに低劣極まりないものなので、あまり言及したくないのですが、その中のP.135からP.142が私の文献調査への言及となっています。その中のP.138に「ファルク[sic: 正しくはフルク]」というのが執拗に何度も登場します。Wiliam Fulkeという、カトリックを批判した注釈を付けた新訳聖書を1589年に出したイギリス人のことなのですが、私はウィリアム・ファルクという表記を使っています。これに対して羽入はそれは誤りで「フルク」が正しいと言っているのですが、果たしてこの訂正は正しいでしょうか?(sicというのは、「原文のまま」という意味で、誤りだと思っているけどそのまま引用します、という意味)

ちなみに、外国人名のカタカナ表記というのは、辞書屋にとってはある意味非常に頭の痛い問題であり、色々と考えることがあります。お役所的な基準としては、文科省から内閣告示二号として「外来語の表記」というのが出されています。しかし、この基準はどちらかと言うと、「チェ」とか「ツァ」とか「ディ」のように、外国語の表記でしか登場しないカナ表記の基準を定めているだけで、一番問題になるその表記の「揺れ」については、留意事項の2で「「ハンカチ」と「ハンケチ」,「グローブ」と「グラブ」のように,語形にゆれのあるものについて,その語形をどちらかに決めようとはしていない。」とあっさり逃げてしまいます。

例えば、英語で”interface”という単語がありますが、インターネットを検索していただければ分かりますが、これの日本語カタカナ表記は、「インタフェース」「インターフェース」「インタフェイス」「インターフェイス」と実に4種類もあります。また、一部のエレクトロニクスメーカーのエンジニアが”computer”の語尾の”er”は長音ではない、とある時期言い出し、「コンピュータ」という表記がそういうメーカーやJISなどで使われ、マスコミでは「コンピューター」が使われる、という変な状況が長く続きました。これについては、かつてマニュアル執筆者の団体から批判が起き、マイクロソフトなどのIT系は「コンピューター」表記に変更して譲歩し、今は「コンピューター」が優勢になっています。しかし、こちらが本当に正しいのかというと、”slipper”については軒並み「スリッパ」であり、「スリッパ-」と表記する人はまずいません。(私はこれらの語尾の”er”は短音でも長音でもなく、1.5倍音とでも言うべきものだと思っています。)

外国人名のカタカナ表記について、準スタンダート的に扱われたものがあるとすれば、岩波書店の「西洋人名辞典」だと思います。私はこの本は持っていないのですが、この本も色々問題があって、たとえば「ポーランド人の氏名には長音を使用しない」という原則を出しているらしいです。そのせいで「なんとかスキー」とか「なんとかツキー」というスラブ系には共通する名前が、ポーランド人の場合だけ「なんとかスキ」とか「なんとかツキ」と表記される、というおかしな現象を生み出す元凶になっています。(この問題については、詳しくはここを参照ください。)

さらに例を挙げれば、アメリカのアイダホ州の州都はBoiseといいますが、これのカタカナ表記が「世界地名辞典」などに収録されているものが見事にばらばらで、「ボイス」「ボイシ」「ボイシー」「ボイジー」などが乱れ飛んでいます。私が発音機能付きの英和辞典で確認した限りでは一番原音に近い表記は「ボイシー」でした。

さて、Wiliam Fulkeのカタカナ表記に戻りますが、羽入の言うように、「フルク」が正しい表記で「ファルク」は間違っているのでしょうか?

日外アソシエーツという会社が、「外国人名読み方字典」というのを出していて、これで”Fulke”を引いてみると、「ファルク; フルク; フルケ」のように、「ファルク」が先頭に来ています。
(この日外アソシエーツという会社の作るものは個人的にはあまり信用していませんが、それはさておいて)

では、ネイティブである現代のイギリス人がFulkeをどう発音しているかですが、次のようなサイトで実際に音声を聞くことができます。
https://www.babynamespedia.com/meaning/Fulke
https://www.howtopronounce.com/fulke-greville/
http://www.pronouncekiwi.com/Fulke%20Greville
聞いていただくとわかりますが、一番多いのが「ファルク」に相当する発音、次が「フルク」ですが、「フルカ」に聞こえるのもあります。

また
https://www.babynamespedia.com/names/boy/lke-endのサイトでは以下の記載があります。
The baby boy name
Fulke is pronounced as FAHLK- †. Fulke is an English name of Germanic origin. Fulke is a variant spelling of the English name Fulk as well as a variant form of the English and German name Folke

とあります。厳密に言えば、ここの説明は「名前」としてのFulkeであり、「姓」としてのFulkeではありませんが、おそらく発音上での差はないと考えられます。ここでははっきりと発音は「ファルク」(またはファールク)であるとしており、なおかつ元々英語/ドイツ語のFolkeが英語に入って綴りが変わった単語(ヴァリアント)だとしています。ドイツ語式にこれを発音すれば「フォルケ」で、「ファルク」という発音はそれを踏襲していると言えます。

英語全般の発音の感覚から言っても”Fulke”を「フルク」と発音するのはきわめて違和感があります。(念のため、私の英語力はTOEIC 965点です。)上記のサイトでの確認でもわかるように、”Fulke”をイギリス人ネイティブに読ませたら一番多い発音は「ファルク」に近いものです。

以上の調査の結果から、羽入が言っている「正しくはフルク」という指摘は何の根拠もないことが判明しました。(この聖書学者だけ「フルク」と発音する、というのもおそらく何の根拠もないと思います。)多少譲歩したとしても現地で「ファルク」と「フルク」と「フルカ」という発音の揺れが存在するのであり、そのうち一つだけが正しいとする根拠は見当たりません。羽入の主張は、おそらくは日本の英語学者(の一部)が「フルク」というカタカナ表記を採用している、というだけのことだと思います。羽入のパターンとして、日本人英語学者の説を鵜呑みにして、それを根拠に他を居丈高に非難するというのがあります。典型的な例としては、永嶋大典の「英訳聖書の歴史」のある意味誤った記述を鵜呑みにして、ヴェーバーのみならずOEDまで間違っているというきわめて滑稽な批判をしたというのがありますが、今回もほぼ同じだと思います。

羽入が執拗に「ファルク[sic: 正しくはフルク]」を繰り返しているのは、要は他の論点に関しては完膚なきまでに反論されてしまい、何も言うことができないので、口惜しくてこんなどうでもいい所を執拗に言っているのだと思います。しかし、ここで論証したように、それすら根拠のない批判に過ぎません。

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