仁藤敦史の「加耶/任那 ――古代朝鮮に倭の拠点はあったか」を読了。任那日本府は、昔の歴史の教科書には載っていた、百済と新羅に挟まれた地域(現代の釜山近辺)にあった小国連合の中に大和朝廷の出先機関があって、いわゆる植民地支配を行っていたという説で、出元は日本書記です。この本の著者によれば、そういう恒常的な統治機構を認めることは出来ず、おそらくは加耶の小国連合の中に一定数いた倭人系の人の集団で、百済より新羅と親交を結ぼうとしていた一団を百済側から見てそう呼んだのではないかということです。まあその説の真偽は私には判定しかねますが、ただ戦前の皇国史観が間違いだったということで、戦後はその全てが否定されている感じですが、当時の朝鮮半島に倭の勢力が及んでいなかったというのも完全な間違いであり、神功皇后の三韓征伐の「伝説」にも反映されていて、また広開土王碑にも記されているように倭の進出は否定するのはほぼ不可能です。それから、私達は後の時代の類推から昔を考えるという傾向を持ちがちですが、私は4~5世紀頃の日本で大和朝廷がそこまで中央集権的な力を持っていたとは思えず、せいぜい大和朝廷は諸勢力の中の「同輩中の首席」レベルの群雄割拠状態ではなかったのかと思います。特に九州は熊襲がかなり後の時代になっても登場するように、反大和朝廷勢力が存在し、そういう国々が朝鮮半島の国々と組んで、あるいは敵対して、という状況はごく自然だと思います。いわゆる「筑紫国造磐井の乱」が大和朝廷から見たら「乱」ということになるのですが、九州勢力から見たら半島勢力と組んでの大和朝廷への反攻だったのではないかとも思います。また日本には百済などから多くの渡来人が来ていますが、この反対に当時の倭からも朝鮮半島に多くの人が渡っていたのだと思います。この本では神功皇后の三韓征伐は邪馬台国の卑弥呼や壹與の時代を使って後に起きたことを3世紀にあったことにした、と論じていますが、本当かな、と思います。大体邪馬台国と大和朝廷が同一のものであったという証拠はどこにもありません。
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「ローマ土地制度史 公法と私法における意味付けについて」の日本語訳第40回
「ローマ土地制度史 公法と私法における意味付けについて」の日本語訳第40回を公開しました。ここは大変でした。細かい字でぎっしり書かれた土地改革法の引用文(しかも飛び飛びの抜粋)が出て来たからです。生成AIをかなり使いましたが、しかし生成AIも結構間違えるので修正が大変でした。
志村真幸の「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」
志村真幸の「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」を読了。
私も、2006年頃に行われた通称「マックス・ヴェーバー論争」にアマチュアとして参加し、それがきっかけで大学時代の恩師の折原浩先生とメールをやり取りするようになり、先生の勧めでヴェーバーの未翻訳論文の日本語訳というある意味大それたことにずっと取りくんでいますので、この本の内容は興味深かったです。また著者は「南方熊楠顕彰会理事」なので、この本のある意味狂言回しの役は南方熊楠が勤めており、熊楠のイギリス時代と帰国後が比較され論じられています。ある意味新鮮だったのが、熊楠の時代のイギリスでは、大学の研究者よりもむしろアマチュアの研究者の方が地位が高かったということで、ダーウィンもマルクスもその例ということになります。そのイギリスでNotes and Queriesというアマチュア中心のQ&A雑誌に何百回と投稿して、アマチュア研究者としてそれなりの地位を築いた熊楠が、帰国すると、当時の日本(今も)学問は学者がするもの、という風潮の元で高く評価されず失意の日を送る様子が描かれています。熊楠は自身の履歴書というエッセイの中で、日本の当時の大学の学者を「「日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と、これは強語のごときが実に真実語に候。むかし、かかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の本源とせんとのみ心がけるゆえ、(以下略)」と批判しています。
熊楠以外に、この本ではOEDの編集者であるジェイムズ・マレー博士も登場します。私も日本語変換の辞書に関わった人間として、マレー博士は尊敬しており、またアマチュア研究者としても大先輩になります。それから三田村鳶魚も登場しますが、鳶魚が熊楠とかなり親しく、深い交流をしていたことは初めて知り驚きました。私にとっては鳶魚は白井喬二、直木三十五、吉川英治他の大衆作家の時代物の小説の考証上の誤りを切りまくった、ある意味歴史書とフィクションの区別がつかない困った頑固な老人というイメージだったのですが、それが熊楠と意気投合していたというのはちょっと意外でした。
ちなみに、ITの世界では、ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも皆大学でコンピューターを学んで起業したのではありません。また僭越ながらこの私もプログラミング他のITの知識は、ジャストシステムに勤務していた時に仕事で覚えたもの以外は全て独学であり、大学で学んだものはまったくありません。そういう意味ではITの世界は大学の教官ではなくアマチュアが支えて来たのだと思い、学問の世界よりある意味進んでいたような気がします。
心理的安全性と今回の選挙
本日、ちょっと理由があって会社で心理的安全性の話をし、この本を紹介したので、念のため再度読みました。中に面白いことが書いてあって、リーダーで積極的に勝ちに行く戦略を取る人と、負けない戦略を取る人のどちらが良い結果を収めるか、という論議で、結論は当然前者で、後者は守りに入る結果、積極的にリスクを取ることが出来なくなります。その典型が今回の石破さんじゃないかと。石破さんの一般からの支持が比較的高かったのは、長らく非主流にいた石破さんなら今までの自民党政治を根底から変えてくれるんじゃないか、という期待があったからだと思います。要するに小泉純一郎元首相の「自民党をぶっ壊す」のリバイバルです。しかるに石破さんが採った戦略は党内のあちらこちらに配慮して厳しい態度が取れず、そしてそれが世論で強く批判されるとすぐ撤回、という感じで右往左往しました。まさしく「守り」であり、また目標も「自公で過半数を割らない」なのでこれまた完全に守りの目標です。更には公約は「5つの守る」で、まさしく精神状態が守りに入っていた明白な証拠だと思います。いっそこれまでの主張であるアジア版NATOを作るとかアメリカとの地位協定の改定のため「憲法改正が必要なので自公の議席を2/3にする」ぐらいぶち上げた方が結果は良かったのでは。
安西徹雄の「英文翻訳術」
安西徹雄さんの「英文翻訳術」を読了。元々雑誌の「翻訳の世界」に連載されたもので、著者はシェークスピアの戯曲の翻訳の専門家です。私は、ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の翻訳の方針として、
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1. 文中の指示代名詞についても、自明である場合を除いて可能な限りそれが指している語そのもので翻訳し、「それ」「この」といった指示詞だけといった訳を可能な限り避けています。また、適宜意味上の補足を[]の中に入れています。
2. 長い複文が続く文の場合、例えば”Es ist wahrscheinlich, daß….”を「○○○○○○○○○○○○○○は、真実らしく思われる。」のような元のドイツ語の順番を入れ替えた日本語にせず、「次のことは真実らしく思われる。つまり、○○○…」のような形でのネイティブが原文を読む際の理解の順番に合わせるような訳を多用しました。(全部ではありません。)これの欠点としては「つまり」のような語が増えてくどくなるというのがありますが、長所としては、ヴェーバーの長い補足の複文を読む前に結論としてはどうなのかを先に知ることが出来、読みやすくなっていると思います。
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というのを自分でルールとしていたのですが、この本の最初の方に上記の2が、また同じく最初の方に1が指摘してあって、英語とドイツ語という違いはありますが、我が意を強くしました。
その他関係代名詞は、いわゆる限定用法的に見えても実際は非限定用法的に使われていることが多いというのも、今訳している「ローマ土地制度史」で最近感ずるようになっていたものです。
その他、無生物主語、比較、受動態、仮定法など日本語には必ずしも対応するものが無いのをどう訳すかという点で参考になる点は多かったです。ただ安西氏が口語が多い戯曲の翻訳の専門家であり、私がやっているのが口語はほぼ0の学術論文という違いはあり、何でも適用出来るかというとそれは違います。ただ、日本語訳だけ読んで意味が理解出来ない翻訳には意味が無い、ということは共通のことだと思います。
塩野七生の「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」
塩野七生の「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」を読了しました。これで読み直しも含めて文庫本で全47巻を完全読了しました。この巻はオクタヴィアヌス→アウグストゥスについてなんですが、前半のアントニウスを倒す所まではまだしも、その後が正直な所退屈でした。なんせアウグストゥスは若い時から老獪で、あのキケロさえ「先生、先生」と奉っていい気にさせてある意味手の平の上で操っていましたし、そういう政治力については文句のつけようがありません。反面、まったくの軍事音痴で、自分が直接指揮した戦いは全敗しています。その面はアグリッパやティベリウスが補って、それはいいんですが、それでも晩年にゲルマン民族を過小評価した結果として、3万人のローマ兵が全滅するという悲劇を引き起こすことになります。また、これも理解出来ないのが、自身が低い身分だったのをカエサルに才能を見出されて抜擢されたのに、自分の後継者には直接の血族にこだわります。アウグストゥスの後のローマ皇帝で多少なりともアウグストゥスの血を引くものは、ティベリウスを除くとカリグラとかネロとかろくでもない人ばかりで、本当の意味でローマ皇帝制が安定しだすのは内戦を経て、ある意味実力主義の皇帝を選ぶようになってからだと思います。
まあ、ともかくローマの歴史全体を一通りおさらい出来たのは、今やっている「ローマ土地制度史」の翻訳に非常に役に立っています。
マックス・ヴェーバーとカール・ランプレヒト
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の参考に、その師であるマイツェンの本を読んでいたら、何とランプレヒト(ドイツの経済史家で、ランプレヒト論争というのがあって批判の対象になった、ヴェーバーも批判する側に回った)が、ヴェーバーと同じくマイツェンの門下だったことが分りました。
塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後」
塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後」を読了。元老院最終勧告という、体制側の伝家の宝刀を抜かれて、カエサルはついにルビコン川を越えてローマに攻め入ります。しかし、カエサルが再三批判したように、元老院最終勧告というのは法治国家ローマではあってはならない制度であって、実際にこの制度でグラックス兄弟が殺されてしまっています。そしてローマを制したカエサルは次にポンペイウスとの最終対決に臨みます。カエサルは何度か敗戦を経験していますが、ポンペイウスはいわば常勝将軍で、そこの差が最後に出たのか、ポンペイウスは大敗して結局エジプトで殺され、世はカエサルのものになります。カエサルはスッラと違って寛容の精神で、ポンペイウス派を粛清したりせず、またポンペイウスの元に走ったキケロも許します。しかし結局この寛容の精神が仇になって、17人の共和政派によって刺し殺されます。その後、カエサルの遺書で後継者に指名されたオクタヴィアヌスとカエサルの軍事面での片腕だったアントニウスが権力を争いますが、クレオパトラとの愛に溺れたアントニウスが運命に見放されて破れ、ついにオクタヴィアヌスが帝政を始める一歩手前までです。
先日トランプ前大統領が、2ヵ月間で2度目の銃撃を受けましたが、2000年の時が経っても、未だに暴力で政敵を取り除こうとする短絡した考え方が払拭されていないことには、人類は果たして本当に進歩したのかと思います。
塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」
塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」を読了。いよいよカエサルです。塩野七生も、元の単行本で2巻、文庫本で6冊をカエサルだけに割り振っています。再読ですが、意外だったのがカエサルが晩成というか、若い時の活躍が少ないことです。もっともスッラににらまれ逃げ回っていたりして、民衆派としてはやむを得ない部分もありますが。「ガリア戦記」は別に半年前くらいに読了していますが、やはりカエサルの面目躍如はガリアでの戦いで、「カエサルがヨーロッパを作った」というのも頷けます。また、カエサル自体が戦術の天才といよりも、人たらしの才能、部下に最大限のやる気を出させる、という点で傑出していると思います。今丁度自民党の総裁選をやっていますが、9人の候補者の中に残念ながらこういうタイプは一人もいません。かつてで言えば田中角栄が一番近いでしょうか。また、今訳している「ローマ土地制度史」関連でも、グラックス兄弟の「土地改革法」を改めて成立させたのがカエサルで、その意味でも私にとっては重要です。
ヴェーバーの「ローマ土地制度史-公法・私法における意味について」の日本語訳、ノート一冊分完了
ヴェーバーの「ローマ土地制度史-公法・私法における意味について」の日本語訳、A4 80枚のノートがようやく一冊終りました。実に3年半かかっています。途中かなり中断がありました。なんで直接PCに打ち込まないで手書きしているかというと、まずは漢字の手書きの能力をキープするのが一つ、もう一つは一度手書きしてそれを改めてPCに入力するのがいい校正になっていて、手書きしたのがあまりに直訳調なのを、PCに入れる時によりこなれた日本語にする、ということをやっています。インクがにじんでいるのは、いつも会社に持っていって昼休みにもやっており、先日の大雨の中1時間歩いた時に濡れたんです。しかし一冊終ってもまだ45%程度で、最終的には2冊では終りません。「中世合名・合資会社成立史」は一冊半ぐらいでしたが、それの1.7倍くらいあります。翻訳完了予定は2025年12月末です。