
栗田信の「醗酵人間」って戦後SFの最大の奇作と言われていて、しかし長らく古書店でも流通していない幻の本だったのが、約10年前に復刻されました。それで私も買ったのですが、超C級という出来映えで、そのまま忘れていたのですが、ちょっと思う所あって色々調べて、バックグラウンドらしきものを付き止めました。
まず出て来る「醗酵人間」というのは墓場から蘇って、お酒とかの醗酵物を口にすると体が膨張して怪力になり、おまけに空まで飛ぶんですが、その叫び声が「こけっか、きっきっ」なんです。これが読んだ人に強く印象に残るんですが、実は水木しげるが「コケカキイキイ」という似た音のタイトルの漫画を描いています。内容は醗酵人間とは関係ないんですが、実はこのタイトルも水木のオリジナルではなく、戦前から戦後にかけての関西地方で流行った紙芝居の「コケカキイキイ」がオリジナルです。これは墓場から蘇ったコケ太郎というのが、戦うというもので、水木の「ゲゲゲの鬼太郎」の先祖の一つです。(直接の先祖はやはり紙芝居の「墓場奇太郎」です。そもそも水木しげる自身が紙芝居作家でした。)それで栗田信は1925年の大阪生まれなので、ほぼ間違いなく子供の頃、この「コケカキイキイ」の紙芝居を見ていると思います。それでおそらく、栗田少年が文字の「コケカキイキイ」ではなく、紙芝居屋が節を付けて語った「こけっか、きっきっ」の方を記憶していて、それをそのまま使ったんじゃないかと。ちなみに醗酵人間もコケ太郎と同じく、墓場から蘇ってますから、ルーツはやはりそこかと思います。つまり言って見れば、ゲゲゲの鬼太郎と醗酵人間は従兄弟。(笑)
カテゴリー: Book
まだ「謹啓-敬具」を間違いだと言い張るバカがいました。
これはFacebookで勝手に流れてきたものですが、未だに「謹啓-敬具」が間違いだと言い張るバカがいました。
この問題については過去に確認済みです。下記を参照:
https://shochian2.com/archives/41131
https://shochian2.com/archives/41139
サンスクリットに挑戦

とにかくもラテン語と古典ギリシア語はそれなりにやって来たので(ギリシア語はまだ「ソクラテスの弁明」読んでいますが)、次のステップとして、本格的ではなくてもサンスクリットに挑戦してみようと思います。サンスクリットの本は既に上の写真の3冊を持っていて、中身を見たら一番左の荻原雲来のが良さそうだったのですが、さすがに明治時代の本なので少し古いかなと思ったら、改訂新版が2015年に出ていたので、それにしました。これはなかなか良さそうです。辻博士のが悪いということではないのですが、かなり中級以上向けに見えます。右のは完全に仏教研究者向け。辞書も古本ですがOxfordのが8000円くらいで入手出来ました。ちなみに仏教経典に興味がある訳ではないので、デヴァーナガリー、梵字については最小限に留めるつもりです。辞書の見出しはデヴァーナガリーですが、アルファベット表記も付いています。
バッハのマタイ受難曲のトリビア
マタイによる福音書のイエスの十字架上の場面で、通常は「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」がバッハのマタイ受難曲、テキストはルター訳聖書では、「エリ・エリ・ラマ・アザプターニ」になっています。
これが何故なのかずっと疑問に思っていましたが、生成AIによれば、ルターはギリシア語聖書のἨλί Ἠλί λεμὰ σαβαχθανίではなく、イエスのこの言葉の元になっているとされる詩篇22編のEli, Eli, lama azavtani / azabtani(ヘブライ語のラテン表記)を使っているということでした。
なるほど。ちなみにエロイ・エロイとエリ・エリは前者がアラム語寄り、後者がヘブライ語寄りの発音ということみたいです。サバクタニはアラム語寄りです。

三位一体→「さんみいったい」は誤読
ジャストシステム時代にかなり調べたのですが、キリスト教の「三位一体」の本来の読みは「さんいいったい」であり、「さんみいったい」ではありません。しかし嘆かわしいことに今のATOKは「さんいいったい」で変換しようとすると「さんみいったい」の間違いなどという情けないメッセージを出します。
「さんみ」は日本での位階であり、「三位の中将」(さんみのちゅうじょう)が有名ですが、元々Samwiと発音したのが一種の音便で「さんみ」になったものです。これは言うまでもなく、一位、二位、三位の三位です。一方でキリスト教の三位一体は、父と子と聖霊という三つの「位格」(ペルソナ)が一つであるということであり、ここに「さんみ」という日本的位階の読みを使うのは間違いです。手元の「新教出版社」の「聖書辞典」も「さんいいったい」です。なおTrinityを「三位一体」と訳すのは明治時代の井上哲次郎の「哲学字彙」が私の知る限りのもっとも早い出典です。そこには「Trinity 三位一体[按、基督教徒中、有以天父神子聖霊、為三位一体者、天道溯原、固一而三、三而一者也]」となっていて、読みまでは書いていません。
それから仏教には「三身」(法身・報身・応身)という概念があり、それと間違えられるという意味でも「さんみ」は適当ではないと考えます。
P.S.
ジャストシステム時代の資料を探して、下記を見つけました。やはり「さんいいったい」が元々の読みでした。
中村正直訳「英華和訳字典」(1879)
Trinity ,a. 三位一有、三位一体、三位一有之上帝 san-i ittai.
ヘボンの和英語林集成の3版(1886)
San-i-ittai サンヰイツタイ Three persons in one substance, the Trinity:
– no kami the triuune God
外国語の本の整理


外国語関係の本棚を整理しました。全部で25ヶ国語ぐらいあります。(英語、ドイツ語、古典ラテン語、中世ラテン語、古典ギリシア語、サンスクリット語、ヘブライ語、フランス語、イタリア語、スウェーデン語、フィンランド語、スペイン語、ポーランド語、ロシア語、韓国語、広東語、中国語、ベトナム語、タイ語、インドネシア語、マレー語、アラビア語、アイヌ語、古代スラブ語、東南アジア諸語)もちろん本を持っている=勉強した、ということにはなりませんが、取り敢えず何かあったら調べるぐらいは出来ます。但し、英語、ドイツ語、韓国語、ラテン語、ギリシア語、イタリア語ぐらいはかなり勉強しています。またここには写っていませんが、辞書もそれなりに揃えています。現在梵英辞典(サンスクリット語→英語)を取り寄せ中。ギリシア語の英語のテキストで同じのが3冊あるのは、ペーパーバックで結構すぐボロボロになるので買い足したもの。ギリシア語はこの英語の教科書と、CDエクスプレス、そして岩波書店の「ギリシア語入門」の3冊をやりました。反対に多数本は買っているのにほとんどやっていないのは中国語です。
折原浩のヴェーバー「宗教社会学」日本語訳のあまりのひどさ
折原訳の「宗教社会学」(宗教ゲマインシャフテン)の誤訳・不適切訳の箇所、これまでで私が約半分精査した結果から、全体で約300ページ(Word)で少なくとも1000箇所を軽く超えます。なおかつ恐ろしいのは本人がそこまでレベルの低い翻訳だということを全く自覚しておらず、はるかにマシな先行訳(創文社訳)は「翻訳の体を成していない」などと声高に批判し、自分の訳こそヴェーバーの主張していることを体系的に理解するのに役立つと主張していることです。夜郎自大とはこういう人のことを言うのでしょう。
本棚の追加
旧約聖書の内容はどのくらい正しい歴史か?
「古代イスラエル史: 「ミニマリズム論争」の後で:最新の時代史 」という本を買って読み始めています。どうも最近旧約聖書に書いてあることは実際の歴史とかなり違うんじゃないか、例えば古代イスラエルで純粋にヤハウェだけを信仰していた人なんて、おそらくほんの1割もいなかったのではないか、実態は現在の日本に似て、バアル信仰、アシェラ信仰、エジプトの神の信仰、等々にヤハウェ信仰が古くからの部族神として信仰されていた多宗教社会じゃないのかと思い始めました。そう考えないと列王記に出てくる代々の王で、ヤハウェだけを信じていた人が少なすぎます。
このミニマリズムというのは、旧約聖書に書いてある歴史で実際の歴史と一致する部分はミニマルであると主張することです。反対がマキシマリズムです。
ちなみにミニマリズムが正しいとすると、原則的にはほぼ旧約聖書の記述を分析して書かれたヴェーバーの「古代ユダヤ教」もほぼ虚構ということになります。日本の学者は古代ユダヤというとヴェーバーの「古代ユダヤ教」に書いてあることを語る人が多いのですが、それが根底から崩壊するということです。



