柳宗悦の「朝鮮の友に贈る書」


日本と韓国と、両方の国の低レベルの政治家達により、日韓関係がかつてない程悪化していることに憂慮します。
今こそ皆に柳宗悦の「朝鮮の友に与える書」を読んで欲しいです。この書は三一運動に対する弾圧で多くの朝鮮人が殺されたことに憤った柳宗悦が新聞に発表した文書です。
(注:柳宗悦の著作権は2011年に失効しています。なおTPPへの参加により、著作権保護期間が作者の死後70年に延長されましたが、一度失効した保護が再度復活することはありません。)

「名犬ラッシー」の元は「名犬ラッド」?

アルバート・ペイスン・ターヒューンの紹介をしましたが、良く考えると「名犬ラッシー」の元は「名犬ラッド」なんじゃないでしょうか?ladは少年、lassieは少女の意味で、ラッドが雄のコリー犬、ラッシーが雌のコリー犬です。

「名犬ラッシー」の最初の話は映画の「家路」で事情があって別の飼い主に売られたラッシーが遠く離れた長い旅をして元の飼い主の所にたどり着くという話ですが、「名犬ラッド」に同じような話があるみたいです。

犬に襲われたら…

この記事は、大日本雄弁会講談社の「少年倶楽部」(昭和一桁生まれの人には涙が出るほど懐かしい子供向け雑誌)の昭和8年1月号にあった「犬に襲われたら」の記事。昔、J社で仕事をしていた時、監修の仕事でお付き合いのあった作家・評論家の紀田順一郎さんが、HP(今は無い)でこの記事を紹介していて、昔の子供雑誌の記事は役に立ったと書いていました。何かと言うと、紀田さんが終戦後に野犬に襲われたことがあり、この記事を思い出してこの両肘を外に突っ張るポーズをやったら、効果覿面で野犬が逃げていった、と書かれていました。そこまでは紀田さんの思い出で、その時のHPで紀田さんは末尾にある「アルバート・テルーン」って誰なんだろう、と疑問を呈されていました。そこで私が登場するのですが、インターネット検索を駆使して、結局この「アルバート・テルーン」というのは、アルバート・ターヒューンであることを突き止めました。アルバート・ターヒューンは、大の犬好きの作家で、「名犬ラッド」という、名犬ものの走りのような作品を書いています。「名犬ラッド」は岩波少年文庫で出ていました。現在でも古書で入手可能です。アルバート・ペイスン ターヒューン(Albert Payson Terhune)であり、Terhuneをテルーンと読んだのは分からなくもないです。(今考えて見ると、「名犬ラッシー」はこの「名犬ラッド」がベースになっているんじゃないでしょうか。ladは少年、lassieは少女の意味です。ラッドが雄のコリー犬、ラッシーが雌のコリー犬の話です。)
ところで、このポーズが犬に効果あるのは、おそらくゴリラか何かを思い出させるのかな、と思います。犬猿の仲、という言葉があるように、犬と猿はお互いに中が悪く敬遠しているんじゃないかと思います。

折原浩著「東大闘争総括」書評会に参加

13日に、東洋大学の白山キャンパスで行われた「折原浩著『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(未來社) 書評会」に参加しました。13:30から1時間が東大闘争について、そしてその後が先生の学問について、そして最後に質疑応答がありました。
マックス・ヴェーバーは、30歳でフライブルク大学の正教授に就任した時に、有名な「国民国家と経済政策」という演説を行います。その中でヴェーバーは「上にも下にも嫌がられること(でも正しいこと)を言うのが学問の使命」と言い切りました。そして折原先生こそそのヴェーバーの精神をもっとも受け継いだ人の一人で、まさしく大学の中でも敢えて嫌がられることを言い続けました。そういう人に影響を受けた人が集まった書評会ですから、普通の書評会のように歯の浮くようなお世辞の連続、ということはまるでなく、折原先生自体が「まな板の鯉」と形容したように、かなり厳しい意見が飛び交いました。しかし、日本でのこのように真の意味で忌憚のない意見が飛び交う場ってほとんどないので、そういう意味では逆に清々しさがありました。全体の印象としてはとても良かったです。特に東大闘争の当時者の方々からのお話が聞けたのは本当に貴重な機会であり、その中でもあの伝説の東大全共闘代表の山本義隆氏が参加されていてお話を伺えたのも素晴らしい体験でした。
二部の折原先生のヴェーバーの学問についても、特に中野敏男さんからかなり厳しい意見が出ました。私としてはそれには多少異論がありますが、それはまたおいおい公開して行きたいと思います。
一部と二部で参加されている方にはっきりした世代差がありました。しかしそれが悪いということではなく、むしろ世代間交流の良い場だったと思います。
最後にパーティーにも参加し、そこで発言する機会をいただき、例のヴェーバーポータルサイトについて説明し協力を要請出来たので良かったです。
(写真は先生と奥様の慶子さんです。)