八球スーパーヘテロダイン組立図解(昭和4年)

Amazonを「スーパーヘテロダイン」で検索したら、国会図書館のオンデマンド出版で、「八球スーパーヘテロダイン組立図解」という本を売っていました。安かったので買ってみたのですが、昭和4年に大阪のラジオ研究会という所が発行しています。先日の日本ラジオ博物館での情報では、1924年のアメリカ製の6球スーパーが展示されていましたが、当時家一軒分の価格だったということで、ほとんど買う人はいなかったようです。そのわずか5年後に自分で八球スーパーを組み立てようとしていた人が日本にいたのは驚きです。ただ、この書籍かなり怪しくて、真空管は別に買え、と書いてあるだけで型番も書いてありません。まあ当時は三極管だけなので、そんなに種類は無かったのかもしれませんが、これ書いた人がちゃんとラジオとして機能するかを確認したかどうかは不明です。八球ですが、すべてがおそらくは増幅用ではなく、まず一つは検波用、残りの一つはスーパーヘテロダインに必要な混合用の周波数を作り出す発振用と思われ実質的には増幅段は6段ではないかと思いますが、私の知識では詳細は分かりません。
(写真はクリックで拡大します。)

白骨温泉(大菩薩峠記念碑)

連休で信州の白骨温泉に行きました。ここはいわゆる山奥の秘湯で、昔は訪れるだけで大変だったと思われ、実際に遭難した人の慰霊碑もありました。ここを有名にしたのは言うまでもなく中里介山の「大菩薩峠」であり、机龍之介とお雪ちゃんが一冬をここで過ごします。写真がその記念碑で、題字は白井喬二によるものであり、それを確認出来ただけでもここまで来た甲斐がありました。一軒の宿で温泉にも入らせてもらいましたが、名前の通りの白濁した湯で(一時期入浴剤を使っていたということで騒がれましたが、今はもうしていないと思います)少し硫黄臭がしました。
白骨温泉全体はこんな↓感じです。(なお、県道白骨温泉線というのが完成したため、年中マイカーでアクセス可能です。駐車場は2箇所にあり、おそらく20台くらいは駐められます。無料でしたし、清潔な公共トイレもありました。)

原田治、平田雅樹、山下裕二ほか、による「意匠の天才 小村雪岱」

原田治、平田雅樹、山下裕二ほか、による「意匠の天才 小村雪岱」(新潮社、とんぼの本)を読了しました。おそらくこの記事を読まれている多くの方はこの人の名前はあまりなじみがないんじゃないかと思います。私も正直な所まったく知らなかったのですが、白井喬二の作品を探して昭和初期の雑誌を多数古書店サイトで買い、その中の白井喬二作品の挿絵画家としてこの人を知りました。(「若衆髷」、「斬るな剣」など)
で「意匠の天才 小村雪岱」という本を買いました。そのタイトル通り、通常の日本画家に留まらず、本の装丁、挿絵、また化粧品の瓶のデザイン、さらには演劇の舞台のデザインまでも手がけた多才な人です。
小村雪岱の才能を見出したのはあの泉鏡花であり、「雪岱」という名前も鏡花が命名したものです。当然のことながら両者が組んだ書籍が何組かあります。雪岱の装丁の特長は、斜めの線をきわめて印象的にうまく使うことと、色、特に青色の使い方のうまさで、特に隅田川を描いたいくつかの装丁にその特長が良く現れています。
一番有名な作品は、邦枝完二が新聞連載した「おせん」の挿絵です。「おせん」のヒロインは、笠森お仙で「江戸の三美人」の一人としてもてはやされて、浮世絵に多く描かれていて有名です。雪岱の描く女性は、ほぼすべてスレンダーで、あまり直接的過ぎない適度な色気が感じられます。

漱石と牡蠣

夏目漱石が「吾輩は猫である」の中で、主人公の猫が飼い主の苦沙弥先生のことを「牡蠣的主人」(寡黙であまり出歩かないという意味で)と呼んでいますね。ご承知の通り漱石は1900年5月から1902年12月までロンドンに留学しています。その当時は「牡蠣=寡黙、非社交的」のイメージは英語の中で確固としてあったのでしょうね。
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彼は性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。

人間もこのくらい偏屈になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。

主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。

そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。

小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。

「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。

トマス・ハーディーの「妻ゆえに」”To please his wife”

高校の時の英語の先生に、Nという人がいて、その人の英語の授業で「妻ゆえに」”To please his wife”というトマス・ハーディーの短篇を読まされたことがあります。筋は要するに強欲な妻が亭主に大金を儲けるように強く言い、そのために亭主が危険な航海に出かけて命を落とす、という話です。
最近、何でこんな話を高校生に読ませたのか気になって、英文と日本語訳の両方を取り寄せて読んでみました。日本語訳では2段組でわずか18ページの短いものでした。お話をもっと正確に紹介すると、ある船乗りが難破した船から奇跡的に助かって故郷の町に帰って来ます。そこで女房となる娘を探すのですが、ある地味で大人しい性格の良い娘を見初めます。しかしその娘の友人である虚栄心の強い娘が、その船乗りのことを大して好きでもないのに、その娘が幸せになりそうなのをやっかんで、自分が船乗りの妻に納まります。二人は小間物屋を始めて男の子2人も授かりましたが、生活はかつかつでした。そうこうしている内に結婚し損ねた娘をある富裕な商人が見初め、妻にします。その屋敷は虚栄心の強い女の店のすぐ近くでした。商人の妻となった大人しい娘は虚栄心の強い女の店を贔屓にしてくれますが、それが虚栄心の強い女には我慢がなりません。それで亭主をたきつけて、昔の商売である船乗りに戻るように言います。亭主はそれで航海に出かけ、ある程度成功してまとまった金を持ち帰ります。しかしそれは金持ちの商人の暮らしをするにははるかに足らないレベルのお金でした。それで虚栄心の強い妻は、更に亭主をたきつけます。亭主はでは息子二人を助手として連れて行ってもいいいかと言い、妻は承諾します。それで亭主と二人の息子は航海に出かけてきますが、おそらくどこかで嵐に遭ったのか、いつまで経っても帰って来ませんでした。虚栄心の強い女は大人しい娘のお情けで屋敷の中に住まわせてもらい生計を立てることが何とか出来ましたが、いつまでも亭主と息子の帰りを待ち続け、失意の中で死んだ、というものです。
問題は、なんでこんな話を高校生に読ませたかです。当然結婚している人も子供がいる人もいない生徒がこんな話を面白がると思ったのでしょうか。英語自体はそんなに難しくないので高校生でも読めると思いますが、どう考えてもその先生の趣味としか言いようがないです。