塩野七生の「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」

塩野七生の「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ」を読了しました。これで読み直しも含めて文庫本で全47巻を完全読了しました。この巻はオクタヴィアヌス→アウグストゥスについてなんですが、前半のアントニウスを倒す所まではまだしも、その後が正直な所退屈でした。なんせアウグストゥスは若い時から老獪で、あのキケロさえ「先生、先生」と奉っていい気にさせてある意味手の平の上で操っていましたし、そういう政治力については文句のつけようがありません。反面、まったくの軍事音痴で、自分が直接指揮した戦いは全敗しています。その面はアグリッパやティベリウスが補って、それはいいんですが、それでも晩年にゲルマン民族を過小評価した結果として、3万人のローマ兵が全滅するという悲劇を引き起こすことになります。また、これも理解出来ないのが、自身が低い身分だったのをカエサルに才能を見出されて抜擢されたのに、自分の後継者には直接の血族にこだわります。アウグストゥスの後のローマ皇帝で多少なりともアウグストゥスの血を引くものは、ティベリウスを除くとカリグラとかネロとかろくでもない人ばかりで、本当の意味でローマ皇帝制が安定しだすのは内戦を経て、ある意味実力主義の皇帝を選ぶようになってからだと思います。
まあ、ともかくローマの歴史全体を一通りおさらい出来たのは、今やっている「ローマ土地制度史」の翻訳に非常に役に立っています。

マックス・ヴェーバーとカール・ランプレヒト

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の参考に、その師であるマイツェンの本を読んでいたら、何とランプレヒト(ドイツの経済史家で、ランプレヒト論争というのがあって批判の対象になった、ヴェーバーも批判する側に回った)が、ヴェーバーと同じくマイツェンの門下だったことが分りました。

マイツェン門下の二人

塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後」

塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後」を読了。元老院最終勧告という、体制側の伝家の宝刀を抜かれて、カエサルはついにルビコン川を越えてローマに攻め入ります。しかし、カエサルが再三批判したように、元老院最終勧告というのは法治国家ローマではあってはならない制度であって、実際にこの制度でグラックス兄弟が殺されてしまっています。そしてローマを制したカエサルは次にポンペイウスとの最終対決に臨みます。カエサルは何度か敗戦を経験していますが、ポンペイウスはいわば常勝将軍で、そこの差が最後に出たのか、ポンペイウスは大敗して結局エジプトで殺され、世はカエサルのものになります。カエサルはスッラと違って寛容の精神で、ポンペイウス派を粛清したりせず、またポンペイウスの元に走ったキケロも許します。しかし結局この寛容の精神が仇になって、17人の共和政派によって刺し殺されます。その後、カエサルの遺書で後継者に指名されたオクタヴィアヌスとカエサルの軍事面での片腕だったアントニウスが権力を争いますが、クレオパトラとの愛に溺れたアントニウスが運命に見放されて破れ、ついにオクタヴィアヌスが帝政を始める一歩手前までです。
先日トランプ前大統領が、2ヵ月間で2度目の銃撃を受けましたが、2000年の時が経っても、未だに暴力で政敵を取り除こうとする短絡した考え方が払拭されていないことには、人類は果たして本当に進歩したのかと思います。

塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」

塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」を読了。いよいよカエサルです。塩野七生も、元の単行本で2巻、文庫本で6冊をカエサルだけに割り振っています。再読ですが、意外だったのがカエサルが晩成というか、若い時の活躍が少ないことです。もっともスッラににらまれ逃げ回っていたりして、民衆派としてはやむを得ない部分もありますが。「ガリア戦記」は別に半年前くらいに読了していますが、やはりカエサルの面目躍如はガリアでの戦いで、「カエサルがヨーロッパを作った」というのも頷けます。また、カエサル自体が戦術の天才といよりも、人たらしの才能、部下に最大限のやる気を出させる、という点で傑出していると思います。今丁度自民党の総裁選をやっていますが、9人の候補者の中に残念ながらこういうタイプは一人もいません。かつてで言えば田中角栄が一番近いでしょうか。また、今訳している「ローマ土地制度史」関連でも、グラックス兄弟の「土地改革法」を改めて成立させたのがカエサルで、その意味でも私にとっては重要です。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史-公法・私法における意味について」の日本語訳、ノート一冊分完了

ヴェーバーの「ローマ土地制度史-公法・私法における意味について」の日本語訳、A4 80枚のノートがようやく一冊終りました。実に3年半かかっています。途中かなり中断がありました。なんで直接PCに打ち込まないで手書きしているかというと、まずは漢字の手書きの能力をキープするのが一つ、もう一つは一度手書きしてそれを改めてPCに入力するのがいい校正になっていて、手書きしたのがあまりに直訳調なのを、PCに入れる時によりこなれた日本語にする、ということをやっています。インクがにじんでいるのは、いつも会社に持っていって昼休みにもやっており、先日の大雨の中1時間歩いた時に濡れたんです。しかし一冊終ってもまだ45%程度で、最終的には2冊では終りません。「中世合名・合資会社成立史」は一冊半ぐらいでしたが、それの1.7倍くらいあります。翻訳完了予定は2025年12月末です。

塩野七生の「ローマ人の物語 勝者の混迷」

塩野七生の「ローマ人の物語 勝者の混迷」を読了。カルタゴとの三度の戦いで、カルタゴを最終的に滅亡させ、ローマが地中海の覇者となります。そうなるとこれまで共通の敵に対することに必死で表面化しなかった、内部の矛盾が吹き出します。それが貴族と平民の対立で、特に平民の中心であった独立農民層がシチリアなどの新しい領土から入ってきた安い小麦に対抗出来ず没落していわゆる無産階級に落ちぶれます。そうなると市民が支えて来たローマ軍も質量共に低下するという、誰から見てもはっきりした社会的問題が発生します。そこに登場するのが護民官としてそれを改革しようとしたグラックス兄弟で、土地改革法を制定し、カルタゴなどの新しくローマの公有地になった土地をこうした無産階級に無償で供与して彼らを再生させようとします。しかしこうした改革を行うものにはいつの世でも抵抗勢力というものがつきものでですが、兄は元老院の一部に扇動された民衆に殺され、弟も元老院最終勧告を宣言されて暴徒扱いされ、自死します。その後、叩き上げの軍人であるマリウスが軍を志願制に変えることで無産階級を吸収し、ローマ軍の危機は一応解決します。そのマリウスの配下で、マリウスと違って軍事的才能も政治的才能もあったスッラが独裁官に就任し、民衆派の力を抑え、元老院の力を強めて共和政を昔に戻しますが、しかしそれはスッラの死後たちまち元に戻り、その後スッラ以上の軍人的才能があったポンペイウスが登場し、オリエントを制圧し、ローマの地中海の覇者としての地位を完璧にします。そこでいよいよユリウス・カエサルが登場し…ということになります。

別冊FM fanの1982年春号(長岡鉄男のカートリッジテスト)入手

ヤフオクで、別冊FM fanの1982年春号を入手。同誌上での長岡鉄男のカートリッジのフルテストは、これまで1976年春号、1978年春号、1980年春号と持っていましたが、もう1回あったのを見落としていたもの。この4号で全部で122種類のカートリッジがテストされており、それぞれに2ページの解説が付いており、カートリッジに関してこれ以上の資料は無いと思います。またこの1976年~1982年というのが、アナログの最後の全盛時代であり、カートリッジの基本的な技術はほぼこの時期に出尽くしていると思います。今の馬鹿高いMCカートリッジは、技術的にはこの時代のものを真似しているだけで、新しい技術というのはほとんど無いと思います。例えばオーディオテクニカは最上位機種でカンチレバーにコイルを直付けしていますが、これはサテン、ナガオカ、ビクターがこの時期既にやっていたことのバリエーションに過ぎません。また針先で結構上位機種でシバタ針を使っていますが、これは1970年代初頭に開発されたものです。長岡鉄男について、色々悪く言う人もいますが、これだけ徹底してテストした人というのもあまりいなかったと思います。なお、この1982年頃からCDプレーヤーが普及していってレコードを聴く人は激減していたので、おそらくこれ以降にカートリッジのまとまったテストは無いと思います。

開隆堂技術・家庭 技術分野教科書(中学校用)のスイッチの記述誤り(再掲)

ちょっと会社で、「スイッチの基礎」みたいな研修の講師をやったのですが、その際に以前買い求めた中学校の技術の教科書のスイッチに関する記述、改めて見てみたら本当にあきれるほどひどいので、告発の意味も兼ねて詳しく紹介します。

まず、その教科書とは、「技術・家庭 技術分野 文部科学省検定済教科書 (9/開隆堂/技術723) 中学校技術家庭科用 -」2014年2月発行のものです。その執筆者を見ると、全員学校の先生、大学の先生で、技術者的な人は一人も入っていません。要するにエレクトロニクスの素人ばかり、ということです。

 

 

 

 

 


まずは、この電子部品一覧の赤枠の所。この写真のスイッチは、フジソク(現在ニデックコンポーネント)の製品で、右の回路図が正しければ、ON-OFF-ON、スイッチ用語でセンターOFFの「単極」双投スイッチです。スイッチで「極」という場合は、同時に入り切り出来る回路の数のことですが、三極のスイッチは最低でも足が6本、ON-OFF-ONなら9本必要であり、このスイッチが「三極スイッチ」であることは100%ありません。家庭用の照明スイッチで「三路スイッチ」という言い方はしますが、何故教科書にこのような超初歩的な誤りが載るのでしょうか。(ちなみに製品写真提供者に、フジソクも日本電産コパル電子の名前もありません。)

それから更に輪を掛けてひどいのが、実際にスイッチを使った工作例。この教科書では3つのモーター(ちなみにこの教科書、まだ「モータ」という昔の表記を使っています)を使った模型の車輌が紹介されています。
それで3つのモーターについて、それぞれ正回転、逆回転、停止のために3つのトグルスイッチを使っています。その配線図が載っています。これがまた変です。

まずは、ON-OFF-ONタイプのトグルを使っていますが、これは問題ありません。(ON-ONタイプを使っていきなり正転から逆転に切り替えたりすると、モーターに負担がかかります。)何がおかしいかというと、

普通のスイッチの配線ではなく、わざわざ2つの極の配線を交差させて配線しています。これが意味不明です。2極の間で、アークが飛んで極間が短絡する危険性がある場合にこういう配線をすることがありますが、この場合普通の配線でまったく問題ありません。

これは私の推定ですが、この配線はほぼ間違いなくNKKスイッチズのスイッチに関する取説を見て、勝手に誤解してこのような変なことをやったんだと思います。NKKのその取説は以下のものです。
ここで良く見ていただきたいのは、この説明のモーターには配線が3本あります。つまりこれは三相電流で動く誘導モーター用の配線です。しかもON-OFF時に接点間にアークが飛ぶような、比較的出力の大きなモーター用です。3Vの電池で動くモーターにこの配線をする意味はまったくありません。
ちなみに、こういうオモチャみたいなのに良く使われるマブチのDCブラシ付きモーターのスペックが左にあります。この場合電圧はDC3V、電流は0.12Aで、この場合にアークが飛ぶことはありません。アークは最低でDC8V、0.4Aぐらい無いと飛びません。

要するにこの教科書のスイッチの配線は、まったく分っていない素人が、NKKのスイッチの取説を見て「モーターの正逆転をスイッチでやる時はこう配線するんだ」と思い込み、また誘導モーターとDCブラシ付きモーターの違いも分らずにそのまま転用したんだということです。何でこんなのが教科書でしかも文科省検定済みなのかまったく理解出来ません。電子立国日本はどこへ行ってしまったのでしょうか。

「プログラミング言語AKW」第2版

なんと「プログラミング言語AWK」の第2版が出ていました!初版は1989年です。私が買ったのは1991年。他のUnixツールと連携を取りながら動くスクリプト言語の元祖で、その後、perlやrubyやpythonなど多くのスクリプト言語が出て来ましたが、仕様面ではそれらに劣るとはいえ、awkがまだまだ現役で多くの人に使われているという証拠ですね。早速ポチりました。最後の方に書いてありましたが、現行のgawk(GNU版AWK)は何とPerl、Java、Python、Ruby、PHPなどより処理速度が高速なんだそうです!これはちょっとびっくりしました。言語仕様が簡素なのが処理速度の向上につながっているのでしょう。何と言ってもAWKのコスパ(書く手間と得られる利便の比)は今でも他の言語の追随を許しません。

塩野七生の「ローマ人の物語 ローマ世界の終焉」

塩野七生の「ローマ人の物語 ローマ世界の終焉」を読了。ついに、というか1000年以上も続いたローマは476年、蛮族にローマを占拠され、皇帝が廃位となり国として滅びます。その前にスティリコという父親が蛮族、母親がローマ人で「半蛮族」と呼ばれた軍総司令官が、孤軍奮闘という感じで蛮族相手に奮戦し、また人格も高潔で賄賂を取ったりせずまた部下の評価も公明正大という人だったのですが、やむを得ず蛮族と同盟を結ぼうとしたのが皇帝ホノリウスと元老院の反発を買って殺されてしまいます。守る人がいなくなったローマは国が滅びる前後で二度に渡って蛮族に徹底した強奪を受け、最終的には東ローマ帝国が派遣した軍とゴート族の17年にも及ぶ戦いで、イタリア半島の全ての都市は徹底的に荒らされ、またその戦いに勝った東ローマ帝国の軍が過酷な税を課して、ローマという国は名実共に滅びます。平家物語の「猛き者もついには滅びぬ」を思わせます。平家物語の平家の場合はせいぜい25年くらいの繁栄でしかなく、ローマとはスケールがまるで違いますが。