塩野七生の「ローマ人の物語 キリストの勝利」

塩野七生の「ローマ人の物語 キリストの勝利」を読了。大帝コンスタンティヌスが死に、その跡をまたも肉親同士の殺し合いの結果、最後に次男のコンスタンティウスが残って継ぎ、ローマのキリスト教化路線を推し進めていきます。しかし粛清をしすぎて補佐役がいなくなったコンスタンティウスは、自分が殺した兄弟の子であるユリアヌスを副帝に指名します。24歳のユリアヌスはそれまである種の隠遁生活を送っており、ギリシア哲学の愛好家でしたが、まったく経験の無かった軍務でガリアの地で蛮族相手の戦いで隠れた才能を発揮し、たちまち兵士達の心を掴み、ついには兵士達から皇帝に推挙されます。それを知ったコンスタンティウスは征伐に向かいますが、途中で病死し、ユリアヌスがただ一人の皇帝になります。ここでユリアヌスは伝統的なローマ人として、またギリシア哲学の徒としてローマのキリスト教化路線を全否定し、元の多神教崇拝に戻そうとします。しかしそれもペルシアとの戦いで戦死し、その治世はわずか1年9ヵ月に終ります。その後テオドシウス1世が皇帝になると、ユリアヌスの政策は全て反古にされ、ついにはキリスト教がローマの国教となり、キリストの勝利となります。ローマ帝国はまだ滅亡はしていませんが、実質的な中世の始まりです。

塩野七生の「ローマ人の物語 最後の努力」

塩野七生の「ローマ人の物語 最後の努力」を読了。「最後の努力」というか「最後のあがき」と言うべきか、ローマの最終的な滅亡までまだ100年ありますが、既にかなりの末期症状を呈して来ていて、蛮族の侵入、ササン朝ペルシアとの戦い、により軍人皇帝の一人ディオクレティアヌスはついに「四頭政」という正帝2人、副帝2人で分割統治し、それぞれが担当の地域を防衛するという仕組みを導入します。これは防衛という目的では機能しましたが、代償として軍人及び官僚組織の肥大を招き、ローマ市民の税負担は増えて行くばかりになります。しかしこの四頭政はわずか2代しか続かず、その後は例によって正帝・副帝間の内乱になり、最終的にコンスタンティヌスが勝ち残ります。彼はコンスタンチノポリスという自分の名前を冠した新しい首都を作り、またキリスト教を公認します。こうなるともはやローマとは言えないので、通常のローマ史はこの辺で終わりですが、塩野七生のは「ローマ人の物語」で「ローマ帝国史」ではないため、まだ続きます。

塩野七生の「ローマ人の物語 迷走する帝国」

塩野七生の「ローマ人の物語 迷走する帝国」[上][中][下]を読了。時代としては211年の皇帝カラカラから284年即位のディオクレティアヌスまでの3世紀の混迷するローマ帝国を描いています。この世紀には73年間に実に皇帝22人ともはや名前も覚えられない軍人出身の皇帝が次々に登場します。最終的にローマを滅ぼすことになるゲルマン民族の侵入が常習化し、東方ではオスティアに代わってササン朝ペルシアが登場し、四方八方で戦いが常習化し、そして皇帝ヴァレリアヌスが何とそのペルシアの奸計に引っ掛かって拿捕され、そのままローマに戻らず死ぬということまで起き、ローマの権威は地に墜ちます。更にはガリアではある軍団長がガリア帝国を宣言して独立、そして東方はパルミラのゼノビアも同じく独立し、ローマ帝国の領土は三分されてしまいます。そこに有能な軍人皇帝のアウレリアヌスが登場し、帝国を再統一し、ゲルマン民族も蹴散らしますが、統治6年で部下に謀殺されてしまいます。そういう危機の時代に、キリスト教がじわじわと勢力を拡大していきます。
という訳で下り坂をひたすらころがっていくという印象ですが、それでも大帝国だけにただでは死なないという感じで、まだまだ色々ありそうです。

塩野七生の「ローマ人の物語」の「終わりの始まり」

塩野七生の「ローマ人の物語」の「終わりの始まり」[上][中][下]を読了。五賢帝によるローマの黄金時代も、最後のマルクス・アウレリウスになると、かなり土台の傾きが感じられるようになります。大体「五」というのが数字合わせ的で、本当の賢帝と言えるのはトラヤヌスとハドリアヌスだけじゃないかと思います。(五賢帝を言い出したのはギボンです。)ネルウァは治世が短くその功績と真に言えるのはトラヤヌスを後継にしたというだけと言っても言い過ぎではないようです。ピウスは人格者ではあったでしょうが、せっかくハドリアヌスが固めた前線の守りをメンテすることをまったくしませんでした。そしてマルクス・アウレリウスは哲人皇帝としてもっとも人気が高いローマ皇帝ですが、ミリタリーおたくの塩野七生にかかると、まあピウスのせいですが、まったく前線勤務の経験が無いまま皇帝になり、しかしゲルマン民族他の侵入が激化して前線に行かざるを得なくなりますが、年取ってから戦争をやっても出来る筈がなく、結局前線で病死します。それからマルクスのもう一つの失政は後継者を自分の息子にしたことで、このコモドゥスがまた出来が悪く失政を重ね暗殺されます。ここでまた内乱の時代になり、3人の軍人が帝位を巡って争い、結局セヴェルスが勝ち残ります。しかしこのセヴェルスによってローマ皇帝は完全な軍人独裁化します。
しかし、本当に皇帝という「職業」は大変です。

塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]

塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]を読了。この巻は、ローマの特定の時代を描いたものではなく、ローマが作り上げたインフラストラクチャーをハードとソフトの両面で概観したもの。感心したのはローマの水道のレベルの高さ。消毒剤というものが無かった時代にどうやって水道の衛生さを保っていたのかと前から不思議に思っていましたが、水源を川から直接取水したりせず、山の中の湧き水などの元がきれいな水を利用していたのと、後は常に流しっぱなしを保ち、それによって水が痛むのを防いでいたようです。この流しっぱなしというのは、料金が基本無料(自分の家まで延長してもらった場合は有料)だからこそのシステムと思います。また先ごろローマのコンクリートが現代のものより寿命が長い理由が解明されていましたが、おそらくローマ人は科学的に解明したのではなく、経験的に知っていたことだと思いますが、そういう「実践知」の素晴らしさがローマの魅力です。
後半の教育の所でいわゆる「弁論術」の話が出て来ますが、この分野について塩野七生が何も知らないのだということが分りました。結局レトリックは世界で共通して「起承転結」だみたいな、トンデモ論を書いています。論文とかプレゼンテーションを準備するのに何でもかんでも「起承転結」で済まそうとする上司達と戦って来た私にはほとんど噴飯ものです。

E.M.フォースターの「モーリス」

E.M.フォースターの「モーリス」を読了しました。この本を買ったのは出たばかりの1988年で、実に36年間積ん読状態でした。私は元々フォースターのファンですが、1988年になってこの本はようやく出版され、その理由は男性の同性愛を扱っているからということのようです。しかしフォースター自身の説明によると、男性の同性愛を扱ったこと自体が出版出来なかった理由ではなく、結末がハッピーエンドだったから、ということだったようです。要は主人公のモーリスがその性的嗜好の「罰」を受けて不幸になる、という話だったらOKだったみたいです。しかしこの話は要するにモーリスがダーラムという大学での友人と同性愛関係になるけど、二人が社会人になってからダーラムが「普通の」女性愛に目覚めて結婚して、モーリスは振られた形になり、その腹いせではないのでしょうが、ダーラムの家の召使いだった若い男と関係を結んで、結末では二人が一緒に暮しはじめる所で終ります。しかし私はちっともハッピーエンドとは思えず、そもそも地位も違う二人で、当時同性愛は犯罪でした。この二人の将来が明るいものとはとても思えませんでした。全体に読んでみたらどうということはなく、大体フォースターもメンバーの一人であるケンブリッジ大学出身者のブルームズベリーグループは「ホモグループ」としても有名で、ケインズもその一人です。まあ36年経っていまやLGBTQは普通のこととされ、時代も変わりました。この小説の映画もあり、Blu-ray持ってますので観てみるつもりです。

塩野七生の「ローマ人の物語」「賢帝の世紀」[上]、[中]、[下]

塩野七生の「ローマ人の物語」「賢帝の世紀」[上]、[中]、[下]を読了。2世紀のローマの黄金時代、五賢帝といわれる、ネルヴァ、トライアヌス、ハドリアヌス、ピウス、マルクス・アウレリウスの内、トライアヌスからピウスまでをこの巻は扱っています。しかし、残念ながら、これまでの所に比べるとつまらないのですね。理由は塩野七生が言い訳を書いていますが、タキトゥスがもはやトライアヌス以降は歴史を書き残しておらず、また他の人による記録も少なく、情報が非常に少ないからです。また、トライアヌス、ハドリアヌスの二人はあまりに出来過ぎで、読んでいて、何か劣等感を感じてしまいます。ピウスは軍人としてはまったく才能も経験も無かったですが、前の二人があまりに完璧に防衛体制を確立してしまったため、内政に特化してそれできっちり仕事をしています。それでもこの2世紀の重要事項としては、ローマに対して2度も反乱を起したユダヤが、ついにハドリアヌスによってエルサレムから完全追放されるディアスポラに処され、その後20世紀にイスラエルが建国されるまで、世界中に離散して生活することになります。大体この全盛期のローマに対して反乱を起して勝てる訳がないと思うのが普通ですが、神を狂信的に信じると理性が眠る、という日本でもつい80年前にあったのと同じことが起きています。今旧約聖書の本編を読み終わっていま続編(外典)を読んでいますが、ユダヤ教というのは例えばソロモン王の時のような全盛期には単なる昔からある古い宗教(日本で言えば明治以前の神道)みたいなもので、本当にユダヤ教が確立するのはいわゆるバビロン捕囚の苦難の時代になってからと言われます。要は自分達がこんな惨めな境遇に陥ったのは代々のユダヤの王と民がヤーウェを信じずないがしろにしたから、というのが旧約聖書だと思います。

JavaScriptのフレームワーク

まがりなりにも、Laravel/PHPを使ったWebアプリの開発が最低レベルながら出来るようになり、次はインタラクティブ性向上のためJavaScriptのコードを書くという段階で、一応こんな本をポチってみました。今作っているレベルのものにはフレームワークは不要と思いますが、何かの時に役立つかもしれないと思って。
まあ生成AIが全部コード書いてくれる時代に、この手の自学自習は時代遅れなのかもしれませんが、最低限ボケ防止ぐらいにはなると思います。

塩野七生の「ローマ人の物語」の「危機と克服」上・中・下

塩野七生の「ローマ人の物語」の「危機と克服」上・中・下を読了。この3巻で何と言っても驚くのは、わずか50年ちょっとで8人もの皇帝が登場すること。ネロが軍団に叛旗を翻されて自死に追い込まれた後、ガルバ(在位約7ヵ月)、オト-(在位3ヵ月)、ヴィテリウス(在位8ヵ月)の3人は特に異常で、わずか1年半で3人の皇帝、しかもローマの軍団同士が凄惨な内戦をイタリア半島の中で繰り広げます。その後を収拾したのがヴェスパシアヌスでこちらは10年の在位で寿命を全うします。その息子がティトゥスで名皇帝と言われましたが、在任中にヴェスヴィオ火山の噴火(ポンペイ最後の日)、ローマの大火、疫病と次々とトラブルが襲いその心労なのか在位期間2年で41歳の若さで病死します。そしてティトゥスの弟のドミティアヌススが跡を継ぎますが、15年間の在位の後、暗殺され、元老院に厳しかったためその業績が抹殺されます。そして五賢帝の時代になり70歳のネルヴァが1年半治めた後、トライアヌスが新皇帝になります。ということで目まぐるしい変化の時代ですが、アウグストゥスの血を引く皇帝は途絶え、その後軍閥の争いになり、その混乱を属州出身のヴェスパシアヌスが解消するという流れになります。以前「タイムトンネル」でネロの亡霊がガルバが自分の死の原因だということでその子孫に復讐するという話がありましたが、やっとガルバが誰なのかわかりました。また今訳しているヴェーバーの「ローマ土地制度史」に丁度皇帝ヴェスパシアヌスが出て来て、その形容に”divus”(神聖な、神の)が付いていますが、その理由がローマの皇帝は死んで神となる、というのがこの3巻に出て来て容易に理解出来ました。(ヴェスパシアヌスの最期の言葉が「やれやれ、可哀想な俺、神にされてしまいつつある。」だそうです。)
それから塩野七生のこのローマ史は、歴史の専門家からは不正確だという批判が多いみたいですが、私も一つ見つけました。「ソキエタース」(塩野七生はイタリア風にソチエタスと表記)を株式会社みたいなもの、と書いてますが、それは断じて違います。また「ソキエタースの社長」とも書いていますが、通常ソキエタースは対等の仲間が作る組合で「社長」的な人はいません。
その他この期間にはガリアでゲルマン民族が大反乱を起したり、ユダヤ戦争でエルサレムがティトゥスの手によって陥落し、ユダヤ人がついに自分達の神殿と故郷を失います。