ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の12回目を公開。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の12回目を公開しました。今回は注釈のラテン語(蝋を塗った板に釘みたいなので書かれたものを解読したもの)の翻訳が大変でした。ラテン語金石碑文大成という18万もの碑文を集めたものの中に入っているソキエタスについての契約の文章ですが、さすがにこれは英訳は出ていないようです。英訳者のLutz Kaelberの英訳がちょっと怪しく思えて調べるのに時間がかかりました。

アスペルガー症候群」の本

ちょっと気になって「アスペルガー症候群」の本を読んでみました。読んだ理由は例のグレタ・トゥーンベリさんがアスペルガー症候群だと聞いたからと、前から自分の性格もこれに近いんじゃないかと思っていたからです。だって社交性に乏しいとか、好きなものには極端にのめりこむとか、相手にとっては悪口になることも率直に言う、とかまさにその通りです。それにグレタ・トゥーンベリさんについても結構親近感を感じるんですね。この本には「アスペルガー症候群は病気ではない」とありますが、「発達障害」という言葉もどうかと思います。何故すべての人がすべての属性で最低限平均レベルにならないといけないのでしょうか?何かが苦手でも別のものが得意であればそれを活かしていけばいいと思うんですけど。日本人だから空気を読まないといけない、とかも私は嫌いですし。最近アスペルガーに限らず、何でも「病気」とか「異常」にしたがる傾向が感じされてちょっと気持ち悪いです。金子みすゞさんの詩じゃないですが、「みんなちがって、みんないい。」だと思います。このことは企業における人の評価にも通じます。能力評価とか見ていると、すべての項目でバランス良く得点しないと高い点にはならないようになっているのがほとんどです。でもそういう評価をやっている方の私より上の人で、そんなバランス良く色んな能力を持っている人って私は今までほとんど見たことないですけど。

保阪正康の「高度成長ー昭和が燃えたもう一つの戦争」

保阪正康の「高度成長ー昭和が燃えたもう一つの戦争」を読了。この本を読んだのはある意味私自身の拠ってきたる所、精神的なルーツ探しの一環です。私の中に、ある種の「ガンバリズム」みたいな部分があって、それは自分で振り返ってみて、明らかに幼少期にいわゆる「スポ根」のドラマやアニメを観て育ったのが大きいと思います。ところがそういったスポ根ものは純粋なフィクションとして自然に登場したのではなく、大松博文監督と東洋の魔女とか、相撲の横綱の初代若乃花(「土俵の鬼」と呼ばれた)とか、現実の方が先行していた訳です。そうなるとその大松監督や東洋の魔女の女子バレー選手達が、あそこまでひたむきに、お金になる訳でもないのに(相撲はお金になりますが)、一つのことに打ち込めたそのエートスはどこから来るのか、という疑問がマックス・ヴェーバーを学んだ者としては当然出てきます。大松監督も東洋の魔女も、その当時として特別に珍しい人間類型という訳ではなく、おそらくは当時の人のかなりの部分はそこまで徹底してはいなくても、結構近いような働き方をしていたのではないかと思います。だからこそ皆が同調して感動したんだと思います。
そこでこの本ですが、ちょっとエートスの部分は置いておいて、いわゆる高度成長という物が、後から振り返ると当たり前の事のように思えるのですが、実際は池田勇人首相とそのブレーンが意図的にそちらに日本全体を引っ張っていったのだなということが発見でした。私には池田首相は、病気ですぐ辞任したという印象が強かったのですが、実際は4年半くらい在職しています。その後の佐藤栄作首相はある意味、池田首相の引いた路線をそのまま継承して進めたという意味が強いと筆者は解釈しています。
エートスというか、高度成長を支えた国民各層の当時「モーレツ」とも形容された頑張りを、筆者は戦争路線の失敗に求めており、満州事変から終戦までの14年と、池田首相の「所得倍増計画」から石油ショックまでの14年とを対比させて分析しています。そして特に海軍の主計将校と言われた戦争での経理を担当した人達が、戦後各界で日本を引っ張っていったとし、その共通する精神は戦争時の日本の無謀さを十分に反省し、経済の分野でその反省を活かして高い成長を実現する、としています。
まあ筆者によると、大松式のモーレツ主義は、1960年代の後半になると早くもほころび始めており、あまりにも早すぎる成長の歪みの実感と、豊かになったことの裏返しで、いわゆるレジャーにいそしむ若者などが登場するようになったとしています。
60年代の日本のエートスを考える上で、戦争の影響は確かに避けて通れないでしょう。大松博文監督もインパール作戦の生き残り兵士ですし。それはそうですが、何かちょっとすっきりしないというか、あまりにも単純化した解釈だと思いますが、さらに突っ込んだ解釈は今後の課題です。

坪内祐三さんの死

坪内祐三さん死去、61歳、早すぎる…
同氏は雑誌「東京人」で小林信彦に執筆を依頼しており、小林信彦ファン。文庫本での小林信彦の小説に対し、解説を書かれていました。「昭和の子供だ君たちも」は戦後の学生運動史という点で参考になりました。
謹んでお悔やみを申し上げます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00000032-asahi-soci

河西昌枝の「お母さんの金メダル 家庭は気心、バレーも気心」

河西昌枝さんの「お母さんの金メダル 家庭は気心、バレーも気心」を読みました。大松監督+東洋の魔女関係の読書としてはこれで一応打ち止めとしようかと思います。
河西さんは東洋の魔女の主将で最年長、東京オリンピックの時31歳です。その2年前に世界選手権で優勝した時には29歳でした。大松監督自身を含め、その時にはソ連を倒して世界一になるという目標を果たしたので、全員引退するつもりでした。ところがそれを発表すると、近づく東京オリンピックで団体競技の唯一の金メダルが取れる競技として世の中から大きな期待が集まっており、手紙などが殺到します。その時に「一番辞める権利がある」と思っていたのが河西選手でした。しかし結局河西選手が東京オリンピック出場を決意したことにより全員が同意し、大松監督も同じでした。
それで首尾良く金メダルを取ってから、河西さんが結婚にゴールインするまでの話が面白いです。大松監督は河西さんの父親(東京オリンピックの3ヵ月前にツツガムシ病で死亡)に、「河西選手の結婚は私が責任持って面倒見ます。」と約束していました。それで金メダル後は奔走し、4つのお見合いをアレンジしたそうです。ところが河西さんは結構要求が厳しく「私より背の低い人は嫌」(河西さんは174cmで当時としてはかなり高いです。ちなみに亡母も167cmで河西さんほどではないですけど当時としては背が高く、結婚するとき自分より背の低い男性は嫌だったと言っていました。亡父は173cmでした。)「気が弱そうな人は嫌」ということで、大松監督もほとんど匙を投げかけてしまいました。そんな時大松監督の講演をたまたま聴いていた、作家の山岡荘八さんが「佐藤栄作首相の奥さんが、縁談をまとめるのが趣味だから相談してみたら」というアドバイスをし、それで結局佐藤栄作総理夫妻が紹介した自衛官の33歳の男性(ちなみに身長は172cm)と、総理夫妻の媒酌で結婚することになります。当時、「スター千一夜」でTV中継されたそうです。
それから河西改め中村昌枝さんは、男の子2人、女の子1人の子宝に恵まれ、姑さんとの仲もうまくいき、幸せな結婚生活を送ります。そして女優の淡島千景さんの支援で、「フジ・クラブ」という元魔女中心のバレーチームを作り、何と国体で優勝します。そして一般選抜という枠でNHK杯に出て、決勝まで勝ち進み、決勝でなんとニチボーチームと対戦します。結果はニチボーチームの勝ちでしたが、何ともすごい方々です。
河西さんのエピソードで忘れられないのは、チーム最年少の磯辺サタ選手が何かの病気で一週間入院していた時に、お見舞いに行ったのはいいのですが、その時にかけた言葉が「ゆっくり休めていいわね。」でした。磯辺選手は、「見舞いに来たのかイジメに来たのか」と思ったそうです。でも、要するに6人は一人でも欠けてはいけない、早く復帰して欲しい、という気持ちがそういうことを言わせたのだと思います。ただ、強烈な人であることは確かです。