白井喬二の「小村寿太郎・汪精衛」

白井喬二の「小村寿太郎・汪精衛」を読了。何故か巻数が書いてありませんが、これも「東亜英傑伝」の中の一巻です。小村寿太郎は言わずと知れた名外交官で、日露戦争の時のポーツマス条約の締結者として有名です。この本が書かれたのは昭和18年ですが、それを差し置いても、小村寿太郎は今でも賞賛されるべき外交官であると思います。亡くなったのがわずか57歳の時というのを初めて知りました。アメリカのハリマンが満州鉄道の共同経営を日本に持ちかけますが、小村の反対でこの仮契約は破棄されます。このことは、よく日本の権益をアメリカから守ったというプラスの評価と、後の日米対立の原因になったというマイナスの評価があるようです。
汪精衛は、通常日本で知られている名前では汪兆銘です。でも中華圏でも汪精衛の方が一般的みたいです。日中戦争のさなかに、南京国民政府を作り、日本との和平路線を推進します。そのため、現在の中国ではいわゆる「漢奸」、日本に寝返った最悪の裏切り者とされています。逆に言えば、昭和18年当時では日本から見たらもっとも信頼できる中国人な訳で、それでこの「東亜英傑伝」の中に入っています。

アンソニー・ホープの「ヘンツォ伯爵」

アンソニー・ホープの「ヘンツォ伯爵」を読了。「ゼンダ城の虜」の続篇です。本篇で、王様をゼンダ城に捕囚していた悪党のうち一人のヘンツォ伯ルバートが死なないで逃亡してしまっていましたが、そいつが悪巧みをたくらんで、フラビオ王女のラッセンディルへの手紙を手に入れ、それをネタに自分の地位の回復を図ります。それに対して、ラッセンディルが再びルリタニア王国へやってきて、愛する王女のために手紙を取り戻そうとします。そうする中で本物の王様がルバートに殺されてしまいます。今や本物の入れ替わりではなく、本物そのものとして行動しなければならなくなったラッセンディルですが、彼が最後に下した決断とは…ホープはこれしかないという結末をこの物語に与えます。それはいわゆるハッピーエンドとは少し違いますが、非常にすがすがしい最後です。

白井喬二の「西郷と勝安芳・孫文」

白井喬二の「西郷と勝安芳・孫文」(東亜英傑伝8)を読了。「西郷と勝安芳」は当然江戸無血開城の両立役者の西郷隆盛と勝海舟の伝記ですが、西郷隆盛が薩摩藩によって三度も島流しにされていたとは知りませんでした。それも一度目の島流しの理由がひどくて、禁漁の山で猟をして猪を捕り、そればかりか明かり代わりに立木に火を付けたらそれが山火事になってしまったからというもの。西郷どんとは思えないようなドジな理由です。(今Webで調べて見たらこの時流されたのは台湾で、そこに子孫を残したという伝説もあるみたいです。出典は入江晩風の「西郷南洲翁、基隆、蘇澳を偵察し、『寛永4年南方澳に子孫残せし物語』」みたいです。)しかしそうはいっても、明治維新という大革命が、江戸での戦争という最悪の事態を免れたのは、何といっても両雄のお陰です。
「孫文」は何と言おうか、時局迎合的です。この東亜英傑伝の8巻の中に、孫文、汪兆銘、袁世凱の3人が登場しますが、どれを取ってもたぶん日本から見た都合のよい視点で描かれていると思います。

アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」(白井喬二の「珊瑚重太郎」との比較)

アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」を読了。
この作品を読んだのは、この所日本の大衆小説ばかりを読んでいたので、たまには翻訳ものを、という動機ではありません。
白井喬二の「珊瑚重太郎」がこの作品のパクリではないか、ということを書いている評論家がいるので、その真偽を確かめるためです。
結論として、「容貌がそっくりで身分が違う者が入れ替わる」という点以外に、「珊瑚重太郎」が「ゼンダ城の虜」の設定を借りている所はまったくなく、白井はまったくの「白」でした。大体、この「容貌がそっくりで身分が違う者が入れ替わる」というのは、マーク・トウェインが1881年に「王子と乞食」で最初に使ったもので、Wikipediaによれば「待遇は異なるが容姿が似ている登場人物が入れ替わって周囲から誤認されたままとなるストーリーについては、ストーリー類型のひとつとして成立し、その後も様々な作者の手によって同様の形式を持つ作品がよって作られている。」なのであり、ホープの作品も白井の作品もその一つに過ぎません。この「王子と乞食」は明治時代から翻訳が出ており、1927年に村岡花子によって新しく日本語訳されたものが出ているので、白井が影響を受けたとすれば、「王子と乞食」であると考える方が自然です。ちなみに「ゼンダ城の虜」は1894年で、珊瑚重太郎は1930年です。
「ゼンダ城の虜」は後半の本当の国王をゼンダ城に救いに行く話が面白いですが、全体としては白井の「珊瑚重太郎」の方がはるかに面白いと思います。特に「ゼンダ城の虜」は国王に入れ替わった後、ラッセンディルはうまくその役をこなして、特にはらはらする場面はありませんが、「珊瑚重太郎」では、ある大名屋敷の若殿様に入れ替わった主人公に次から次に難題が降りかかり、それが非常に面白いです。特に大名屋敷とある貧民長屋の争いで、主人公が裁判の両方の当事者になってしまって、一人二役をお奉行所で演じる様は爆笑ものです。
ここに改めて書きますが、「珊瑚重太郎」は「ゼンダ城の虜」のぱくりなどではなく、日本版「王子と乞食」とでもいうべきもので、白井の傑作の一つです!

白井喬二の「中江藤樹・孔子」

白井喬二の「中江藤樹・孔子」(東亜英傑伝6)を読了。全体の2/3が中江藤樹編です。中江藤樹は近江聖人と呼ばれた日本の陽明学の祖で、熊沢蕃山の先生です。戦前の修身の教科書には必ず登場していた人物です。喘息を患ってわずか40歳で死んでいます。大変な親孝行として知られた人で、子供の頃絵本でその逸話を読んだような記憶があります。ただ、全体としてはつまらないですね。中江藤樹の何が偉いのかがよくわかりませんでした。

白井喬二の「戦国武将軍談」

白井喬二の「戦国武将軍談」を読了。同じ作者の「国史挿話全集」の中のエピソードを現代語訳したもの。(「国史挿話全集」は原文のまま)戦国武将にまつわる色々な逸話を集めたものですが、正直な所、あまり面白くはないです。まあトリビアルというか…

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(下)

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(下)を読了。上巻を読んでの感想で、「読売新聞は今でも一番賞金の高い棋聖戦を主催していますが、そういう歴史的経緯がある訳です。」と書きましたが、これがとんでもない思い違いであることがこの巻を読んでわかりました。昭和36年に読売新聞で第1期名人戦が始まりますが、この時の賞金総額が2,500万円でした。しかし、10年経って昭和46年になっても、賞金総額は2,750万円で10年前とほとんど変わっていませんでした。しかし、この間に日本は高度成長を遂げ、物価はその10年で約2倍になっています。これに対してついに怒って重い腰を上げた日本棋院が昭和49年に読売新聞に対し、名人戦の契約の打ち切りを通告します。これによって日本棋院と読売新聞は一種の戦争状態に入り、結局裁判にまでなります。結果として名人戦は朝日新聞に移り、裁判の和解条件として読売新聞が序列1位の別の棋戦を主催することになり、こうして生まれたのが棋聖戦でした。さらに知らなかったのは、朝日新聞が棚ぼた?で囲碁の名人戦を手に入れた訳ですが、今度は将棋界が将棋の名人戦の賞金が囲碁に比べて低すぎると言い出し、将棋の名人戦は結局毎日新聞に移ります。この辺りの関連は知りませんでした。
登場する棋士は、呉清源は別格として、本因坊戦9連覇の高川秀格、その後に全盛時代を迎えた坂田栄男、その坂田の全盛時代を終わらせた林海峰、そしてその林海峰を「どこが強いんですか」といって、林相手に7割の勝率を誇った石田芳夫、と続き、更には大竹英雄、武宮正樹、加藤正夫の木谷一門全盛期となり、その後趙治勲、小林光一の時代へと移って行きます。
振り返ってみると、昭和は囲碁にとっていい時代だったと思います。いまやコンピューターの囲碁がプロ棋士を抜いてしまっていますが、今後も新聞社が囲碁に高いお金を出し続けるとは正直思えません。

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(上)

中山典之の「昭和囲碁風雲録」(上)を読了。ここの所、ずっと白井喬二ばかりを読んできたので、ちょっと目先を変えました。文字通り昭和の囲碁史で、日本棋院が成立する直前から、戦後関西棋院が分離・独立するまでを描きます。筆者は囲碁ライターではなく、執筆当時6段の専門棋士です。(死後7段を贈られています。)大体は知っている話でしたが、知らないエピソードもたくさんありました。特に昭和20年の本因坊戦は「原爆下の対局」として有名で、当然知っていましたが、元々は広島市内で対局する予定で、当局に危険だと言われて五日市に場所を変えたということを知りました。わずか10Km移動しただけですが、それが明暗を分けました。本来の広島市内で対局が行われていたら、岩本薫も橋本宇太郎も原爆の犠牲になっていた訳です。
後は、新聞社にとって囲碁が今では考えられないくらい大事なコンテンツだったということで、読売新聞は、何回か囲碁のお陰で部数を大幅に伸ばしています。囲碁がなかったら、読売新聞は三流新聞のままでした。読売新聞は今でも一番賞金の高い棋聖戦を主催していますが、そういう歴史的経緯がある訳です。
後は何といっても呉清源の活躍で、昭和囲碁史の前半は間違いなく呉清源のためにあります。

白井喬二の小説ベスト10

白井喬二の小説は、現在入手できるものはすべて入手して、読了したので、白井の小説について私なりのベスト10です。
1. 富士に立つ影
白井喬二とくれば、まずこれ。大衆文学の傑作というだけでなく、日本文学史上に輝く金字塔。築城家の赤針流熊木家と賛四流佐藤家の三代68年に及ぶ対立と和解を描いた作品。明朗で正直な、熊木家二代目の公太郎が実に魅力的。日本版の「戦争と平和」。
2. 新撰組
新興の週刊誌だったサンデー毎日の部数を大幅に伸ばし、また平凡社の「現代大衆文学全集」の第1回配本となり、33万部を売り上げこの全集を成功に導いた作品。独楽同士の勝負で、一方の独楽から怪しげな風が出てきて相手の独楽の回転を落とそうとするけど、もう一方の独楽はちゃんとその対策がしてあった、などという極めてマニアックな独楽勝負が中心の作品。「新撰組」というタイトルだけど、その新選組はほんのちょっと背景に出てくるだけ。
3. 盤嶽の一生
義に飢え渇く武士、阿字川盤嶽の理想を追い求めては裏切られる繰り返しを描いた作品。名匠山中貞雄によって昭和8年に映画化された。西瓜畑の中でのラグビーシーンで有名。完結していないのが残念な作品。
4. 珊瑚重太郎
基本設定がマーク・トウェインの「王子と乞食」と同じで、主人公である若侍がある大名屋敷の若殿様に入れ替わる。この主人公に次から次に危機が訪れ、読み出すと止まらない作品。一貫した主人公の正義感が爽やかな印象を与える。アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」の影響を言う評論家もいるが、「王子と乞食」と同じような入れ替わり以外には共通点はない。
5. 神変呉越草子
怪しげな仙人がからんだお宝の争奪戦。首尾良くお宝を手にした主人公のその後の行動もちょっと意表を突く。この作品と「忍術己来也」が芥川龍之介によって激賞された。
6. 翡翠侍
武芸に秀でているけど極めて口下手なお嬢千之助と、町人で腕はからっきしだけど弁舌はきわめて達者な宇治徳五郎の凸凹コンビが、怪しげな新興宗教の串曳教と対決し、その虚偽を暴いていく、極めて痛快な小説。
7. 坊ちゃん羅五郎、続坊ちゃん羅五郎
お代官様の一人息子のお坊ちゃまの羅五郎が、陰謀によって代官の地位を追われた父を助け、父を陥れた者たちの悪を暴いて大活躍するお話。
8. 国を愛すされど女も
戦後の作品。主人公の大鳥逸平が父の敵である大須賀獅子平を越後、佐渡、江戸と追い求め、ついには敵を討つ。その過程で逸平は剣の腕を上げて、獅子平が雇う一流の剣士を次から次に撃破していく。一方で逸平の想い人の小峰は、ある事件のために獄につながれている父親を救い出すため、十万両という保釈金を己の才覚で用意し、父を釈放させる。実は小峰は物語の冒頭で逸平の父に陵辱されていたため、二人の仲はうまくいかないのだが、最後にどんでん返しが。
9. 霧隠繪巻
これも戦後の作品。真田十勇士を主人公にした作品には、猿飛佐助を主人公にした「帰去来峠」もあるが、こちらの方がずっと面白い。徳川方の阿茶の局と河原大隅が霧隠才蔵と対決し、また紀州浅野藩のお姫様であった照花姫は、才蔵に会って城を出奔し、忍術を習って才蔵の妻になる。
10. 地球に花あり
白井喬二としては珍しい「現代」作品で、大正末期から昭和初期を舞台にする。植物学者の島崎博士の息子が国際スパイの嫌疑を受けて糾弾されるのを、博士の娘の家庭教師であった卯月早苗が見事その冤罪を晴らし、また博士の研究も助けるという、昭和初期としては珍しい自立した理性的な女性を描いた作品。

付記:2017年7月29日
ベスト10のどこに入れるか難しいですが、「陽出づる艸紙」(つるぎ無双)もベスト10に入れるべき傑作と思います。このベスト10を作成した時点では未読でした。

このブログで登場する全ての白井作品へのエントリーは、以下です。
白井喬二作品へのエントリー

白井喬二の「ほととぎす」

白井喬二の「ほととぎす」を読了。昭和22年に出版されたもの。短篇集で「時鳥」、「鬼傘」、「感化れ」(かぶれ)、「阿らず」(おもねらず)、「西南役」、「第二の巌窟」、「悔武者」、「玉の輿」、「胡粉妻」、「残生記」、「平凡小次郎」、「写真伝来」を収録。「第二の巌窟」は以前既に出ていたものの再録。いずれの作品もなかなか気が利いていて面白いです。傘職人の意地を描いた「鬼傘」、仕官を志していた浪人が、長屋で隣に住んでいる手妻遣い(手品師)を手伝う内に段々と影響を受けてしまい、折角仕官が決まったのにそれを辞めて手妻遣いの手伝いをする「感化れ」、関白秀次が自害した後を追って殉死しようとしたのに、別れの盃を交わしすぎてふと居眠りをしてしまい、その間に太閤秀吉から殉死禁止の命令が出て死に損なった侍の話の「残生記」などが面白いです。