吾妻ひでおの漫画で「イドの怪物」が出てきたもの

吾妻ひでおの漫画で、「禁断の惑星」の「イドの怪物」が出てきたもの。パラレル狂室の⑤の「怪物」(吾妻ひでお、奇想天外社「パラレル狂室 SFギャグ傑作集」、1979年)です。これを初めて読んだのは実に40年前ですが、我ながら良く覚えているものです。シオドア・スタージョンの「人間以上」を知ったのも吾妻ひでおの漫画からです。(同じ「パラレル狂室」に「いもむし以上」って言うパロディ作品が収録されています。)

ハンナ・バーベラアニメの日本における受容について

昨日の「トムとジェリー展」で思ったこと。1960年代にハンナ・バーベラのアニメがほとんど毎年のように日本で放送されました。その時日本側のスタッフが単に吹き替えで日本語化して、ということだけではなくて、かなり工夫をしているということです。単純にタイトルだけだって、「チキチキマシン猛レース」は元はWacky racesで「いかれたレース」という意味です。また「スーパースリー」も原題のThe impossiblesよりいいと思います。(原題は、Mission impossible スパイ大作戦 のもじりでしょう。)
また、主題歌も全部日本側で独自に作っています。逆の例で、日本の「マッハGoGoGo」がアメリカに輸出されていてかなりの人気だったのですが、主題歌はアメリカ風にアレンジされてはいますが、元のままです。
さらには「大魔王シャザーン」のシャザーンのセリフの「ハイハイサー」とか「パパラパー」とかはすべて日本側が付け加えた物のようです。さらにはこの「シャザーン」の第1回分については日本語吹き替えを2種類作り、どちらが良いか検討することまでやっていたみたいです。ジャパニメーションに対するハンナ・バーベラアニメの影響は誰も否定出来ないと思いますが、その過程ではこんな日本側スタッフの努力があったのであり、頭が下がります。1960年代は小林信彦が言うように、日本のテレビの黄金時代でした。

「トムとジェリー展」(銀座松屋)

銀座の松屋デパートの8Fで開催されていた「トムとジェリー展」行って来ました。
ともかくハンナとバーベラの2人がどの写真を見ても楽しそうに仕事をしているのが印象的でした。自分で楽しめないものが他人を楽しませることは出来ないですよね。後2人とも、ハンナが工学系、バーベラが金融系でアートとはまったく関係ない経歴なのも驚きました。また、1940年当時最初に2人がトムとジェリーの企画を出した時、MGMのトップが「今時ネコとネズミの追いかけっこ?」と難色を示したというのが面白く、しかし試しに一作作って公開したら、非常に好評を博し、観客から「あれの続篇はないのか」という問い合わせが殺到したそうです。
それから勉強になったのは、60年代のテレビアニメは低予算と本数をこなさなければならないという事情から、トムとジェリーの動き主体から、動きを抑えてセリフを中心にした「リミテッドアニメーション」というスタイルに切り替えたということです。それでも例えば「チキチキマシン大レース」(Wacky race)とか結構動きがあったと思いますが、あれでもセーブしていたんですね。
現在日本のアニメーションはジャパニメーションとして高く評価されていますが、その作り手はほとんど子供の頃ハンナ・バーベラのアニメを観て育ったのであり、それなしには現在の日本のアニメは存在していないと思います。
実は現在、「大魔王シャザーン」のDVDを取り寄せ中。パパラパ~(笑)。

三木鶏郎のこと

三木鶏郎(みき・とりろう)ってご存知ですか?戦後に活躍した作曲家・作詞家・放送作家等々のきわめて多芸多才な天才肌の人で、日本で初めてコマーシャルソング(小西六の「僕はアマチュアカメラマン」、TVではなくラジオ用)を作詞・作曲した人です。CMソングでは「明るいナショナル」「キリンレモン」「ミツワ石鹸」「グロンサン」「マルキン自転車」「ルル」「グリコ・アーモンドチョコレート」等々、私の世代でこれらのCMを知らない人はほとんどいないと思います。初期のアニメのテーマソングも手がけ、「鉄人28号」や「トムとジェリー」「遊星仮面」などが三木によるものです。弟子には永六輔や野坂昭如、いずみたく、中村メイコ、なべおさみなどがおり、色んな人材を育てました。
作詞での特長はいわゆるオノマトペの使い方がとても上手い人でした。日本語はオノマトペが豊かなのが一つの特長ですが、鉄人28号の主題歌での「バババババーンと弾が来る、ダダダダダーンと破裂する」とかミツワ石鹸のCMでの「ワ、ワ、ワー、輪が三つ」とかマルキン自転車のCMでの「マルキン自転車、ホイのホイのホイ」とか、枚挙に暇がありません。またほとんどの曲が長調で短調が少ないのも特長です。作曲については大学時代の同期に柴田南雄がおり、自身は諸井三郎に師事した本格派です。TV番組については、1960年代に隆盛を極めるバラエティー番組の元を(ラジオのバラエティーで)作った人と言えると思います。永六輔や野坂昭如は最初はTVの構成作家として活躍し、その2人を育てたのが三木です。

小沢さとるの「サブマリン707」と「青の6号」


小沢さとるの「サブマリン707」と「青の6号」を読了。「青の6号」は確か大学時代にも一度読み直していますが、「サブマリン707」を全部読み直すのは、実に53年ぶりくらいになります。私が幼稚園児の頃、亡父は何故か毎週私と兄に駅の売店で買った少年キング(兄用)と少年サンデー(私用)を持って帰ってくれていました。それで私が夢中になって読んでいたのが、この小沢さとるの2つの潜水艦漫画です。もっともサブマリン707の連載が1963~66年、青の6号が67年なんで、おそらく私が主に読んでいたのは青の6号の方ではないかと思います。ちなみに原子力潜水艦シービュー号が1964年から、スティングレイ(サンダーバードのジェリー・アンダーソンのスーパーマリオネーション作品)がやはり1964年からであり、小沢さとるの潜水艦漫画はその2つにむしろ先駆けています。1960年代にこうして潜水艦が主人公のフィクション作品が多く現れた理由ですが、いくつか考えられます。

(1)1955年に最初の原子力潜水艦ノーチラス号が就航し、それまでの定期的に酸素を取り込むため海面に浮上する必要があるディーゼルエンジン形の潜水艦に比べ潜行時間がほぼ制限無しになり、軍事的な重要性と作戦能力が飛躍的にアップした。
(2)同じくその原子力潜水艦にポラリス形のICBMが備えられたもの(弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN))が1960年より実戦配備され、敵国から核攻撃を受けた場合の反撃手段として戦略的価値もそれまでとは比べられないほど増大した。
(3)1960年にバチスカーフ(深海用潜水艇)であるトリエステ号が、マリワナ海溝の最深部約11,000メートルに初めて達成した。
(4)フランスの海洋学者クストーによる深海を扱ったドキュメンタリー映画「沈黙の世界」が1956年に封切られ、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞。
(5)1950年代からの米ソの宇宙開発競争と平行し、海の中も人類に残された最後の秘境のもう一つのものとして関心が高まった。
以上は世界共通ですが、日本では更に、
(1)戦争終結から15年以上が経過し、ようやく第2次世界大戦、太平洋戦争を振り返ろうという動きが強くなり、戦記物ブームが起きた。漫画にも多数の戦記物が登場。(「紫電改のタカ」「0戦はやと」「ゼロ戦レッド」など)
(2)忍者物のブームがやはり1960年代に起きた。小説では山田風太郎の忍法帖シリーズ。漫画では白土三平や横山光輝など。潜水艦は海の忍者みたいなものなので、共通性がある。
といったことが原因として挙げられると思います。
それで小沢さとるの2つの作品ですが、この2つは続けて連載されたのであり、2つの間にかなりの共通性があります。つまり、艦長の顔や性格がほとんど同じ、707の後半で国際組織に707号が所属するようになるが、それが発展して青の6号の「青の機関」(海洋航行の安全を守る国際機関)になったと考えられます。また707号のシュノーケルに付けられた「顔」マークが、青の6号での新生6号にもまったく同じ物が付けられています。
小沢さとるは、高校時代に手塚治虫のアシスタントをやっていたということですが、絵的にはむしろ横山光輝と非常に似ていて、実際に後に「ジャイアントロボ」で小沢と横山の共作が実現しています。また、小沢は専業の漫画家ではなく、新日鉄や日野自動車で働いていたメンテナンス系のエンジニアでした。そういう経歴が、当時としてはかなりしっかりした潜水艦の考証に役だっていたと思われ、今読んでも当時の潜水艦の最新の技術をよく採り入れていて、なおかつオリジナルの設定も追加しており、その辺りのバランスが見事と思います。
また、1963年というと第2次世界大戦が終わってまだ18年であり、それが設定に反映して707号の艦長はドイツに派遣されUボートの艦長として活躍していたという設定であり、また敵側にも元ドイツのUボート艦長というのが登場します。また青の6号の方では、沈没した戦艦大和を改造して潜水艦として用いるという話が出てきます。
原子力潜水艦シービュー号をずっと観ていますが、フラストが貯まるのが、潜水艦同士の戦いというのがほとんど登場しないことで、登場しても息のつまる潜水艦同士の戦いという感じではなく、あっさりケリがついてしまうケースが多いです。それに対し小沢さとるの2つの漫画は、そのほとんどが潜水艦 対 潜水艦の緊迫した戦いを描いています。
子供の頃夢中だったものも、大きくなってから再度見てみると意外と詰まらなかった、ということはありがちですが、この小沢さとるの2つの漫画は、ものすごい傑作という程ではないですが、それなりに今でも楽しめる作品でした。