中国製音楽プレーヤーは結局大外れであり、その後どうするか考えたのですが、やはりスマホを音楽プレーヤーにするのが一番普通だろうということで、中国製音楽プレーヤーに使うつもりで一緒に買った128GBのmicroSDをスマホに入れ、700曲ぐらい転送しました。ただプレーヤーアプリは最初から入っているソニーのを使ったのですが、一つ問題が出て、自分でリッピングしたのはOKですが、iTunes Storeで買った曲は再生出来ません。それでAndroid用のiTunesが無いか探したのですが、結局Amazon Musicを使え、ということらしく、月1,000円のサブスクはシャクでしたが、取り敢えず契約し、これで全て再生出来るようになりました。画像はApple MusicのPC版です。
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中国製音楽プレーヤーのインチキAmazonレビュー
手持ちのiPod2台(256GB)が1台は完全に死に、もう1台もほぼ死ぬ直前。何がってお約束のバッテリー膨れです。まだ同じものを売っていますが、6万円くらいするので、この際中国製音楽プレーヤーでもいいかと思って、Amazonで評価が高いの(5000円くらいの)を買いましたが、騙されました。Amazonで☆☆☆☆☆評価をするとアマギフ1000円分ということで、ほとんどその桜評価でしょう。大体車で使おうと思ったのに、車載Bluetoothに対応していません!あああ。VORAGA MP3プレーヤーという製品です。皆さんもAmazonレビューの表面的な高評価には気を付けてください。ちなみ車載Bluetoothに対応していないのは、この価格帯の音楽プレーヤーはほとんどそうみたいです。要するにBluetoothはイヤホン用なだけです。音楽プレーヤーは今回一緒に買った128GBのmicroSDをスマホに入れて、そちらを使おうと思います。
ハイレゾ音源の購入先
グリュミオーのヴィヴァルディ「四季」
グリュミオーのヴィヴァルディ「四季」の輸入盤LP(右)を入手。これは学生時代の1980年頃に別冊FM Fanの長岡鉄男の「外盤ジャーナル」で録音優秀として紹介されたのを、石丸電気の輸入盤LP売り場で入手。結構好きなLPだったのですが、お金が無いときに残念ながら売ってしまいました。その後CDの時代になって、しかしこの演奏はCDにはなかなかなりませんでした。というのも四季なんてのは次から次に新譜が出るからです。ようやくCDになったのは1998年でタワーレコードの企画ものだったかと思います。それで入手して悪くは無いんですが、音の鮮烈さではLPの方が優ったように思いました。それでまたアナログLPを集め出した時にヤフオクで国内盤LPを入手。これも悪くはないけど、少し違うという感じがして、結局今回またヤフオクで高かったけど輸入盤LPを入手。改めて聴いてみると、まあそれほど国内盤と録音で差は無く、ちょっと記憶の中で美化されていた感じでした。しかし演奏自体はとても好きで、グリュミオーというと普通は柔らかい音という感じですが、この演奏は尖った鋭角的な音を出しており、全体を通じて緊張感を維持したとても良い演奏と思います。
またレコード集め
東方之珠
前の会社の上司で香港に10年くらい駐在された方から「東方之珠」という曲を教わりました。天安門事件の頃に作られ、その頃既に中国への返還が迫っていて、そういう思いを込めて作られたようです。歌詞の内容は繁体字の字幕見ていれば大体分ります。
説明は以下。中国語WikipediaのChatGPT4訳。
——アルバム『皇后大道東』の紹介文案
1984年末、中国と英国は《中英聯合声明》を締結しました。多くの香港人は1997年の返還後の香港の将来について不安を感じ、長年にわたる移民の波が始まりました。《東方之珠》はこの背景のもとで作られました。罗大佑は東西の音楽の特質を混ぜ合わせ、香港の中華と洋風が共存する特徴を表現しようと考え、中国の五音階で主旋律を作り、副旋律には西洋音楽理論の和音分解を用いました。
歌詞には広東語版と北京語版があり、創作の順番については2つの説があります。1つは1986年夏に鄭国江がレコード会社の依頼を受け、既存の北京語詞を広東語版に改編し、7月にリリースされたアルバム『啓示』に収録されたというものです。もう1つは罗大佑が1986年に香港に移住して2か月後、1987年初頭に北京語詞が誕生したというものです。
1988年、罗大佑はアジアテレビの6周年記念で、再度作詞した北京語版を歌いました。1991年、このバージョン(歌詞は同じもの)が罗大佑のアルバム『皇后大道東』に収録され、アルバムの最後の曲として収められました。
西島三重子のワーナーパイオニア時代のLP
西島三重子聖地巡礼2:池上線
西島三重子聖地巡礼のその2で、千渡世橋と同じ日に池上線の池上駅に行って池上線に乗って雪が谷大塚まで行ってまた池上に戻って来ました。(雪が谷大塚は以前の会社の上司が住んでいた街なので興味があった。)首都圏に住むようになって44年になりますが、これまで池上線に乗ったことがなく、今回が初乗車です。本当に小さな3両編成の最高速度80Kmの電車で、これなら上京してから44年乗ったことが無いのもうなづけます。ちなみに今は最新のステンレス電車で、「古い電車」「(ドアの所の)すきま風」という趣は全くなかったです。(池上)駅を歩いて商店街を抜けて踏み切りを渡って、というのも確かに池上駅周辺の風景であることが納得出来ました。
西島三重子聖地巡礼:千登勢橋(千登世橋)
西島三重子の「オールタイム・ベスト」
西島三重子の「オールタイム・ベスト」を買って聴いています。3枚組で色々入っています。それを聴きながら彼女について思ったこと、気付いたこと。
1.デビューが25歳と非常に遅い。当時中学生とか高校生の芸能人・シンガーソングライターは沢山いた筈でそういうのと比べるといわゆる「トウが立っていた」と言えると思います。
2.それでも若い頃はそれなりに美形なのですが、1.のせいかアイドル的な売り出しはまったくされず、初期はほとんど演歌に近い路線です。これは2曲目の「池上線」がヒットしたため、余計にその路線から抜けにくくなったと思います。大体、有線放送でじわじわ売れてヒットしたというのは、当時のニューミュージックではまず無いパターンです。
3.といって私が学生時代に買った3枚目のLPは、そういう意味ではよりポップな方向への転換を図っていたのかと思います。メインの作詞家も佐藤順英から門谷憲二に変わります。
4.作曲の素晴らしさから、小さい頃からピアノとかやっていたのかと思ったら、ギターを始めたのが高校生の時だそうです。それにしてもどんな歌詞でも的確な曲を付ける能力は傑出していると思います。
5.シンガーソングライターといいつつ作詞はほとんど無く、後年みんなの歌に書いた曲くらい。絵本とかも出しているから作詞が不得意とかでは無かったと思いますが、これも「池上線」路線のイメージが強く今さらポップな作詞も出来なかったのでは。まあ八神純子とかも三浦徳子の作詞(みずいろの雨)とかありましたが、歌と作曲に徹した人は珍しいと思います。
6.歌唱力も高いです。但し時々高音が伸びきっていない場合もありましたが、全体的にはシンガーソングライターの中でもトップクラスと思います。
以上とりとめも無く。