草津温泉(3回目)

一泊二日で草津温泉に行って来ました。3回目です。前回は6年前でその時に黒電話があって驚いたのですが、今回その時の宿とは違う宿なのにまた(まだ)黒電話がありました。内装に金をかけなくてもいくらでも客は来るから、ということなんでしょうね。ちょっと呆れました。ググると「レトロ感を演出している」などと書いているサイトがありましたが、そんなの完全な後付け説明でしょ。

水上温泉郷

連休ということで、水上温泉郷に、一泊二日で行って来ました。これまで温泉には100箇所弱くらい行っていますが、水上温泉郷は何故かこれまでなかなか予約が取れなくて初めてでしたが、あたりが強めのいいお湯でした。新緑が綺麗でした。

伊香保温泉、3度目の正直

一泊二日で三度目の伊香保温泉に来ています。1回目は十数年前でこれはかなり良かった。2回目が3年前で、階段街の途中にある宿ですが、これがこれまで泊まった宿の中で最低でした。ただ、温泉そのものが悪いのではないだろうと3回目のトライです。今回の宿は新しくはないものの、今のところはまあまあ。

日本ラジオ博物館4回目

尖石の後、松本まで足を伸ばして、日本ラジオ博物館4回目。さすがに目新しい展示は少なかったですが、上は私が持っていたソニーのBCLラジオのスカイセンサー。下は日本陸軍の無線機ですが、スイッチの銘板に「閉-開」と書いてあるのを初めて見ました。勘違いしやすいんですが、閉=Closed=ONであり、開=Open=OFFです。本当は開閉器ではなく、閉開器と言うべきです。戦争中の英語使用禁止がこんな所まで及んでいるんですね。
後は館長の岡部さん(アキュフェーズ勤務)と濃いオーディオ談義をしました。レコードプレーヤーは昔のダイレクトドライブが良かったね、で合意しました。

尖石縄文遺跡

一泊二日で信州に行き、茅野市の尖石の縄文遺跡に行って来ました。[尖石」の名は2枚目の写真の自然石より。見つかっている住居跡が大体100で、1軒?当たり5人(実際はもっと多い?)住んでいたとすると、少なくとも500人程度の集落があったということです。見通しの良い小高い開けた土地で、九州で「原(ばる・はる)」とか「丸」と呼ばれている地名も元々こういう所だったんだろうと思います。この茅野市の八ヶ岳の麓から諏訪湖にかけておびただしい数の縄文遺跡があります。おそらくは黒曜石の産地なんで、それを掘り出して加工して日本のあちらこちらと取引きしていたんだと思います。馬鹿でかい縄文式土器も、千葉の加曽利貝塚とかだと製塩用に海水を煮るものだったんですが、こちらは海が無いので、塩は交易で手に入れていたんじゃないかと思います。また今はこの辺り冬は結構寒冷ですが、縄文中期は温暖で丁度良い気候だったんでしょう。それから住居跡は微妙に四畳半サイズですね。日本人には昔からこのサイズがくつろげるサイズだったのでしょうか。

猿橋

山梨県大月市の猿橋に行って来ました。広重の浮世絵で有名です。刎橋(はねばし)と言って、両岸の下から斜め上に支えとなるものを構築し、その上に更に下のものより長い支えを置いて、それを3段くらいにしてその上に橋を架けたもの。橋そのものも面白いですが、周りの景色が新緑で絶景でした。自宅から33Kmの近場ですが、期待よりもずっと良かったです。最後の写真は新猿橋です。今回の連休は何故か橋巡りになりました。

西島三重子聖地巡礼2:池上線

西島三重子聖地巡礼のその2で、千渡世橋と同じ日に池上線の池上駅に行って池上線に乗って雪が谷大塚まで行ってまた池上に戻って来ました。(雪が谷大塚は以前の会社の上司が住んでいた街なので興味があった。)首都圏に住むようになって44年になりますが、これまで池上線に乗ったことがなく、今回が初乗車です。本当に小さな3両編成の最高速度80Kmの電車で、これなら上京してから44年乗ったことが無いのもうなづけます。ちなみに今は最新のステンレス電車で、「古い電車」「(ドアの所の)すきま風」という趣は全くなかったです。(池上)駅を歩いて商店街を抜けて踏み切りを渡って、というのも確かに池上駅周辺の風景であることが納得出来ました。

センチメンタル・ジャーニー

センチメンタルジャーニー:上京して最初に住んだ雑司ヶ谷2丁目の賄い付き下宿の「○○荘」。千登世橋を訪れた後に、その場所を探してみました。当時既に相当年数が経った木造だったので、もう残っていないだろうとは思っていました。しかし大体の場所に記憶のままに行ってみて、そこにいらしたお婆さんに聞いて見事場所を突き止めました!ちなみに当時は斜め向かいが銭湯でしたが、その銭湯はもう廃業になったようです。「○○荘」の跡地はおそらく相続で土地を半分売ったんだと思いますが、現在は前が賃貸、その後ろに元の大家の○○さんがまだお住まいでした。すぐ近くの鬼子母神にもお参りしました。最初の写真は目白通りで記憶よりも狭かったです。