これが本当のアベノマスク?

不織布マスクの密着性を改善するのに、プロレス用の覆面が使えないかと思ってAmazonで検索していて出てきたのがこれ。うーん、これは感染予防に実に効果が高そうです。アベノマスクの布マスクじゃなくて、これを一家に一つ配っていたら支持率上がったかも。(笑)

宇宙家族ロビンソンの”Anti-Matter Man”

宇宙家族ロビンソンの”Anti-Matter Man”を観ました。珍しくSF的なお話で、この宇宙とは別に反宇宙があってそこにロビンソン博士やドンのアンチ版がいて、性格は反対で邪悪で罪人であり、こちらの宇宙に来て本物のロビンソン博士とドンと入れ替わろうとする話です。しかし普通は物質と反物質が接触すれば大爆発の筈ですが、まあそういう科学的考証をこのシリーズに求めても無駄です。良いロビンソン博士と悪いロビンソン博士の争いはスタートレックの「二人のカーク」をちょっと思い出させました。ドクター・スミスも反世界に飛ばされたので、オチはあちらの世界には良いドクター・スミスがいて助けてくれる、となるのかと思いましたが、違いました。悪いロボットは登場します。特撮がチャチだったり、またも原子力潜水艦シービュー号のエイリアンが登場したりしますが、この第3シーズンにしてはまあまあでした。

盲目になるなかれ

キケロの格言で”Non solum fortuna ipsa est caeca sed etiam eos caecos facit quos semper adjuvat.”というのがあります。意味は「運命の女神は自分自身が盲目であるだけでなく、自分がいつも手助けする者も盲目にする。」です。解説するとローマの神話では運命の女神は盲目であるとされ、そのため「何でこんな奴にこんな幸運が」という事態がしばしば起こります。しかもそれだけではなく、しばしば幸運に助けられる人、つまり運命の女神が助ける人は、それが単なる幸運のおかげではなく、自分自身が優れていたから、とか思い始めて正しいことが見えなくなる「盲目」になる訳です。多くの場合手痛いしっぺ返しを後でくらうことになります。この格言、今の日本にぴったり。政府その他の政策が優れていて新型コロナの拡散がほどほどに済んだのではなく、おそらく何らかの免疫などに単に助けられていたから欧米のような大惨事にはならなかった、というだけ。それが分らないで「日本すごい、日本人すごい」とか言っている人は本当に盲目なんだと思います。(別に視覚障害の方を差別する意図はありません、念のため。)

塩田美奈子の「天然の美 大正ロマンの歌」

「七里ヶ浜の哀歌」(真白き富士の嶺{根})をちゃんと聴きたくてAmazonで検索したらこのCDが出てきたので中古で買いました。このジャケットデザインだし、入っている曲も「七里ヶ浜の哀歌」以外は、「パイノパイノパイ」とか「道頓堀行進曲」(赤い灯青い灯道頓堀の…)とかなんで、「こんなお笑い系の歌手いたっけ…」とググってみたら、この塩田美奈子というお方は、日本を代表する超正当派のソプラノ歌手でした…失礼しました。
ところで、この歌は、明治43年に逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖にボートで漕ぎだして転覆し、12人全員が死亡したという痛ましい事故への鎮魂の曲としてトキワ松学園の創始者である三角錫子がアメリカのある賛美歌のメロディーに詞を付けたものです。とても美しく悲しい曲ですが、何故か最近これを知っている人が少ないみたいです。私は親が歌っていたので覚えました。一番と二番の歌詞は以下。六番まであります。

真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
帰らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

ボートは沈みぬ、千尋の海原
風も浪も小さき腕に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳第25回目

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第25回目を公開しました。翻訳のスピードは4月はかなり低下していましたが、連休もあって5月はかなり挽回しました。翻訳が一応完了するのは2020年12月末の予定です。この部分にも中世のイタリアの諸都市の法規における中世のラテン語が登場します。しかし、文学作品でないので修辞法を駆使したりはしておらず、大部慣れては来ました。

帯電処理不織布使用の自家製マスク試作

新しい帯電処理不織布を用いたマスクの試作品が出来ました。付けてみましたが、懸念であった息苦しさはあまりなく、また暑苦しさも直射日光下を長く歩いたりしない限りは大丈夫かなという感じです。
私は今の日本のコロナウイルスの状況で安心すべきではなく、変異したウイルスの第2波、第3波が来ることを想定して今の内に個人で準備出来ることをしておくべきだと思います。マスクはこれ以外にも国産ブランドがあれば買ってますし、また中国製不織布マスクも5種類くらい買って比較してテストしています。
なお、このウレタンフォーム製マスクは、マスクとしてのフィルターの機能には疑問がありますが、全体で弾力性があるという長所もあります。普通の不織布マスクの上からこのウレタンフォーム製マスクをすると、不織布マスクの密着性が向上し、手軽に出来るマスク強化法としてお勧めです。

自家製強化マスクの最終兵器

自家製強化マスクの最終兵器。帯電処理してある不織布です。元々は車のエアコン用のフィルター素材です。実は帯電剤というのを探してそれで今使っている不織布を処理し静電気を帯電させようとしました。丁度静電気でゴミを吸着させるモップの帯電を復活させる薬剤があったのですが、成分を見ると有機溶剤を使用していて、残留した揮発分が出る可能性があるものを呼吸器の側で使うのは危ないので断念しました。それで代わりに見つけたのがこれ。サイズは500x500mmで、100x100mmサイズで使えば25回分になります。それはいいんですが問題点は厚すぎること。これを付けるとかなり呼吸が苦しくなりそうですし、またこれからのシーズンの暑さに対しても良く無さそうです。なので、このフィルターの使用はよっぽど感染の危険性が高い場所に行くときとかになりそうです。

感染の確率を下げる

コロナウイルスの予防に関する議論で、目に付くのは1か0かの議論で、ともかくコロナウイルスは例え1ウィルスでも体に入ったら駄目と考えて極端なことを言っている人が目立ちます。ウィルスの中には確かに数個レベルでも症状を引き起こすものもあるみたいですが、一般的なコロナウイルスでは最低でも1万個レベルぐらいが体の中に存在しない限りは、普通の免疫システムで排除されるようです。もちろん新型コロナウイルスがどのレベルまで入ってきたら症状が出るかという正確な研究結果はまだありませんが、他のコロナから考えてほぼ同等レベルであろうという推測は可能です。なので不完全な手洗いでも体に入るウイルスの数を減らすという意味では有意であり、うがいも同じです。すべての細菌・ウイルスを死滅させるのを滅菌といい、病院で手術に使う道具(メスなど体の組織の中に入る器具)は滅菌しないといけません。そのレベルは細菌・ウィルス存在確率が1ppm(1/100万)以下です。その滅菌をするためには、オートクレーブ(高温高圧の蒸気で2時間くらい処理する)、ホルマリンガス、酸化エチレンガス、ガンマ線等々、家庭で使うには不可能なものばかりです。ちょっと前にナイチンゲールの本当の功績について紹介しましたが、彼女の大きな功績は衛生の考え方に統計学的思考を持ち込んだことで、完全な対策でなくても、効果のある対策を積み重ねることで社会全体では大きな効果が出ることを実証したことにあります。感染防止は1か0かではなく、トータルでどれだけ感染の確率を下げるかです。

古関裕而の「紺碧の空」とシューベルトの「ザ・グレート」

今週の「エール」は古関裕而ならぬ古山裕一が早稲田の応援歌の「紺碧の空」を作曲する筈でした。早稲田の応援団長のエピソードは、あれは「栄冠は君に輝く」の作詞者の加賀大介さんの逸話のパクリですね。(加賀大介さんは野球大好き少年でしたが、野球の練習中に大怪我をし、右足の膝下から切断になり野球が出来なくなります。「栄冠は君に輝く」の歌詞には、自分が出来なくなった野球を力一杯球児たちにやって欲しいという気持ちが込められていると思います。)
ところで、その「紺碧の空」について、歌い出しがシューベルトのザ・グレート(交響曲第8番ハ長調)に似ているという人がいるとWikipediaに書いてあったので、楽譜を比べてみました。確かに似ているけど、ごくありふれた上昇音型が2回続くだけで、この程度で類似を言われてもと思います。ちなみに紺碧の空はト長調、ザ・グレートはハ長調で、紺碧の空が「ドーレミーソーラシド」、ザグレートは「ドーレミーラーシド」で微妙に違います。後昭和1桁の時代では、SPでこの長い交響曲を聴く人がいたとは思えませんし、コンサートで聴かない限り古関がこの曲を知っていたとも思えません。また前奏を含めて聞いて当然のことながら「紺碧の空」は100%前向きな応援歌であり、ザ・グレートは主題全体である種の郷愁を感じる、どこかに少し寂しさのようなものが含まれている曲想で二つはまるで違います。

ちあきなおみの「矢切の渡し」

「ちあきなおみ」をちゃんと聴いてみたくなって、12曲入りベスト盤みたいなのを買ったのですが、その中に「矢切の渡し」が入っていました。これって当然細川たかしので知っていて、ちあきなおみがカバーしているのかと思ったら、何と最初にレコードにしたのはちあきなおみでした!(しかも最初はB面)何でも梅沢富美男が自分のお芝居の中でこのちあきなおみのを流している内に人気が出て、ちあきがA面で再度出し直し、その後細川たかしを含む数人がカバーした、というのが真相のようです。そして作曲者の船村徹によると、細川たかしのは原曲の難しい部分をごまかして歌っていて、ちあきなおみはきちんと正しく歌っているそうです。しかし細川たかしの方が普通の人にはカラオケで歌いやすいため、細川たかしのが大ヒットしたと言っています。しかも、ちあきなおみのはちゃんと櫓舟ですが、細川たかしはモーターボートだと言っています。これは何のことを言っているのか、楽譜を買って両方を聴き比べてみたのですが、全体に「タタタン、タッタ」のリズムが櫓を漕ぐ舟のイメージを出しており、メロディーもそのリズムに合わせています。ちあきはそれを活かすために正しく歌っていますが、細川たかしのはしばしば自分流に音を伸ばして、いわば「がなって」いて雰囲気をぶち壊しているんだと思います。私は細川たかしのこの曲はレコード大賞を取ったのは知っていますが、正直あまり好きではありませんでした。しかしちあきなおみのを聴いて本当に好きになりました。

他にも楽譜を見ながら聞くと色々面白いです。

(1)「矢切の渡し」は「タタタン、タッタ」のリズムで櫓舟のイメージを出しています。これに対し古関裕而の「船頭可愛や」と比べてみると、そちらは「ドンブラコッコ」のリズムでこれは伝統的なイメージのリズムでしょうね。西洋音楽にもバルカロールという舟歌のジャンルがあります。
(2)全体はト長調(G)ですが、女性の台詞が長調なのに、男性の台詞は短調で書かれて、聴いた人には「もしかするとこの男性は女性をどこかで捨てるのではないか」とちょっと思わせます。
(3)同じく長調と短調の対比は「親の心にそむいて」が短調で、「恋に生きたい二人です」が長調でこれも対照的。
(4)「矢切の渡し」の「のーわたーしー」の所がミソソミレミとちょっとトリルみたいな音型で、渡し船の行ったり来たりを表現しているんじゃないかと思います。

以上のこの曲の特長をよく出しているのは圧倒的にちあきなおみの方です。細川たかしのは、自分風スタイルでニュアンスが飛んでしまっています。
(2)の男性の台詞は、ちあきなおみのはちょっと本当にこいつ大丈夫か、信用していいのか、という感じの酷薄さをうまく出しています。