NHK杯戦囲碁 鶴山淳志8段 対 小県直樹9段(2025年6月15日放送分)


本日のNHK杯戦囲碁は黒番が鶴山淳志8段、白番が小県直樹9段の対戦でした。小県9段は今期の出場者の内の最年長の60歳です。この碁の焦点は右上隅で黒が大きな地を確保し、その代わり左辺の弱い黒を開き直った場面でした。当然白はこの左辺の黒を攻め劫になったのですが、黒のシノギとして、左辺白2子の鼻に付けていったのが絶妙手で、この結果左辺の黒は白2子を取りつつ地を持って治まるという最高の結果となり、これで黒がリードとなりました。その後白は右下隅方面の黒を攻めながら追い上げましたが、後一歩及ばず黒の中押し勝ちとなりました。

SP時代のクラシック音楽演奏の時間調整

以前、リパッティのモーツァルトのイ短調ソナタのテンポが速めなのは、当時のSPレコードの収録時間が影響したのでは、という仮説を立てました。
この仮説をChatGPT4oを用いて検証しようとしていたのですが、次の論文にはっきりと書いてありました。

Historical Trends in Expressive Timing Strategies: Chopin’s Etude, Op. 25 no. 1 MICHAEL RECTOR 1 University of Wisconsin-Green Bay

“The time limit of these discs (about three minutes for a 10-inch disc, and five minutes for a 12-inch disc) could have induced some pianists to play faster than they would have in concert.”

要するにディスクの録音時間制限により、一部のピアニストはコンサートで弾く時よりテンポを速くした、と書いてあります。これは単なる憶測ではなく、様々なSP時代の演奏を広範囲に調べた結果として書いてあります。

まあ論争相手のWさんは残念ながら昨年お亡くなりになりましたが。

PCの買い換え

メインのPCを買い換えました。ノートを止めてスリムタワーにしました。今回買ったスリムタワーのスペックは最近自宅勤務で自分のPCでAdobeの各種ソフトを使うことが多いのもあって、
(1)ストレージはSSD 1TB
(2)メモリーは32GB
(3)プロセッサーは別に最速でも何でもないですが、それなりのもの
(4)これが今回の決め手で20年ぶりにグラボを入れました。GeForce RTX 3050という3万円弱のもの。目的はグラフィック系のアプリの高速化です。20年前はRadeonの9800とかをマイクロソフトのフライトシミュレーター用に買いましたが、今回は目的がまるで違います。
これで4年くらいはまあ遊べるかなと。電源が300Wと非力ですが、グラボは追加電源無し、HDDではSSD、光学ドライブも付けていないので十分保つと思います。

「ローマ土地制度史-公法と私法における意味について」の日本語訳の64回目を公開

「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第64回目を公開しました。世界史でローマのラティフンディウムについて教わった方もいるかと思いますが、この制度が段々増殖していってローマの中のいわば「国家の中の国家」みたいになっていく様子が論じられます。ヴェーバーは「古代国家没落の原因」というこの論文の後に書かれた論考の中で、この第4章の内容をほとんどそのまま繰り返しています。
後20ページです!

ウルトラマンタロウの「赤い靴はいてた…」

ウルトラマンタロウの「赤い靴はいてた…」を観ました。「日本の童謡」シリーズだということのようです。それで北島隊員の幼馴染みのマリちゃんが、異人さんに連れて行かれたのではなく異星人に拉致されて怪獣に変えられていた、という北島隊員にとっては切ない話でした。タロウは怪獣を殺さず宇宙に放り投げます。

新しいPCへのジャストシステムアプリの移動

PCを買い換えたのですが(スリムタワー)、例によってShurikenのインストールディスクがどこかに行ってしまい、ChatGPT4oのアドバイスに従い、ファイルをコピーして、Visual C++の古いライブラリーを3種類入れて起動寸前までには行ったのですが、「設定ファイルがありません」エラーでそこまで。それでPC移行ソフトを使ってやり直してみましたが、結果は同じ。
ところが何故か今日になると急に起動するようになっていました。一太郎2020も同じです。ジャストのソフトは不思議ですね。まあでも良かったです。(とはいえShurikenは、一時的にThuderbird使ってみたら、以前よりずっと良くなっていたので、そろそろ乗り換えを検討しています。)

夏タイヤ交換

車の夏タイヤを交換しました。連休に群馬行った時に段差に気が付かなくて結構強い衝撃を受けた時に左後ろのタイヤのカーカスが切れたようで、側面がコブのように膨らんでいました。そのまま乗っているとバーストの危険性があるとのことで、まだ10,000Kmも乗っていないけど、やむを得ず交換。折角のレグノだったのに残念。新しいのはミシュランのPrimacy 5です。

NHK杯戦囲碁 三谷哲也8段 対 高尾紳路9段(2025年6月8日放送分)


本日のNHK杯戦囲碁は、黒番が三谷哲也8段、白番が高尾紳路9段の対戦でした。二人とも手厚い棋風ということで、序盤・中盤は大きな戦いはなく淡々と進んだ感じです。動き始めたのは黒が白の左辺の地模様に打ち込んでからで、ここで黒はそれなりに大きく白地を抉りましたが、白も中央が分厚くなりかつ左下隅もまとまってここでは互角でした。その後の下辺の折衝で、黒がちょっと一歩一歩という感じで遅れたように感じました。結局中央がかなり厚くなった白が、白を攻めに来た黒を逆に切りにいって逆襲しここで急に激しい戦いになりました。しかし白は取られそうだった左上の5子を助けつつ、黒は逆に中央で活きてかつ左下隅方面へも進出出来て、という結果になりましたが、若干白が得をしたようです。最後黒が上辺→右辺と展開する白を切りに行って、ここが最後の勝負になりましたが、白が巧みに得をしながらしのぎ、最終的には攻められていた白が8目の地を持って治まり、白のリードが拡大しました。更には最後の劫争いも白が勝って、最終的には白の3目半勝ちとなりました。

スタートレック・TNGの”Family”

スタートレック・TNGの”Family”を観ました。前回のBORGとの激しい戦いの後、エンタープライズ号は修理のためドック入りをしている回で、その間に3つの家族の話、つまりピカードとウォーフとウェスレーの家族との話が描写されます。例えばピカードは故郷であるフランスに帰り、兄のロバートの家に泊まります。この兄は二人の父が死んだ後、ピカードを躾けようとして時にはいじめたりしていた、という設定で、結局二人はワイン畑の中で殴り合いをして泥だらけになります。ウォーフは地球人である養父母との再会します。ウェスレーは彼の死んだ父が彼が生まれた時に残した動画を初めて観ます。といった話で、こうしたファミリードラマみたいな内容を評価する向きもあるようですが、視聴率的には最低を記録したようです。私にも今一つでした。

生成AI-未だシンギュラリティは遠いです。

生成AIには驚かされるのとがっかりするのを周期的に繰り返しています。最近はがっかりのフェーズに入っています。ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳がいよいよ終盤に近付いたので、そろそろ校正を検討し始めました。それでChatGPT4oでどこまで出来るか、冒頭のWordで14ページを渡して、「日本語としてこなれていないところを直す、また誤訳があれば直す」という課題を与えてやらせてみましたが、全く駄目で途中で無限ループに入ってしまいました。要するに「表記揺れやスペルミスを指摘して」といった具体的な指示があればその通りにやりますが、先ほどの指示はまだまだ生成AIには敷居が高いということでしょう。
ちなみに下記のような文章ですので、人間が読むのも確かに大変ですが。(笑)
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最初の章では次のことを試みている。つまり、ローマでの耕地に対する様々な測量方法とそれらの耕地自体との相互関係を明らかにすることと、そしてその耕地の国法および私法においての価値評価方法と、更にはその価値評価方法が持っていた実際的な意義を解明することである。そこではまた、次のことも試みている。つまり、後代の諸事象からの帰納的推論によって、ローマにおける土地制度の発展の出発点についての見解をまとめることである。その際に私は次のことについては自覚しているつもりである。つまり、この最初の章の記述において、[事実を淡々と追いかけていくのではなく]本質的にはひたすら何らかの仮説や理論を[強引に]作り出そうとしているだけではないかという非難を受ける可能性が高いということである。だからといって、この領域においての仮説・理論構築的なアプローチが無駄であるなどとは、この時代の文献史料の状態[不足している、断片しか残っていない] ≪ローマ法はオリジナルの十二表法等はほぼ失われており、同時代の法学書に引用されたものなどから一部が復元されている。そのもっとも大がかりなものがユスティニアヌス帝の学説彙纂であるが、その編纂において当時の編集者が元の条文を恣意的にいじったのではないかという疑いがあり、特にヴェーバーの時代にその見直しが行われていた。≫ を知っている者は誰もそうは言わないであろう。そしてまさに土地制度史の領域においては、次のような場合が存在するのである。つまり、「事物の本性」≪ドイツ語で Natur der Sache、ラテン語で De rerum natura、ルクレティウスの同名の詩参照。ここでは法律が存在しない場合に判断基準となる社会通念や公序良俗概念のこと≫ からいくつかの結論を得て先へ進み、他の領域におけるよりも相対的に見てより確からしさを高めることが出来た、そういう場合である。土地所有ゲマインシャフトの諸組織は、いくつかの条件が満たされている場合には、まさに限定された種類のものが存在していた可能性を確認出来る。ここでは純粋に実験的な研究を、次のテーマについて行うということが課題であった。そのテーマとは、ローマの土地制度の本質のある一面として、何千年紀の間の時間の中瓦礫に埋もれながらなお何とか我々に把握出来る状態にある史料類[文献史料、碑文類]を、すべての土地制度史家におなじみの概念に沿う形で評価しようとする場合と、その本質として他のインドゲルマンの土地制度に関しての法形成を促進する根本原理となっている場合において、その根本原理が[他の社会制度との]調和をもたらしているのか、それとも何も影響を与えていないのか、あるいはまったく逆に不協和をもたらしているのか、そういうことを研究するということが課題であった。――そして私としては、調和をもたらしたというのが正解であるという印象を得たのである。まず始めに、次の証明が試みられる。つまりローマの土地の土地測量上の取り扱いが、一般的に言ってある一面では当該の領土の公法における取り扱いと、また別の面では地所の私法における取り扱いとが、それぞれ密接に関連しているということについての証明である。その際にどの程度まで個々の事例においてそういった取り扱いの仕方の証明に成功したかということについては、私はあまり自信が無い。しかしながら次のような場合には成果を上げたと言えるであろう。つまりある何かと別の何かの関連性が一般論として存在している場合に、それを発見出来たという証明を――私はそう信じたいが――、きちんと行うことが出来た場合である。そうした証明について同意していただける方は、私はそう願いたいのであるが、さらにまた色とりどりの花をまとめた花束のような様々な仮説と、その花束というのはこの公法・私法と土地制度の関係性という点でこの論文の叙述の中にちりばめられているのであるが、そして更には数多い、場合によっては必ずしも目に見えるようなはっきりとした形では把握出来ない観察事項をも、一般的な形で余録として受け取ることも出来るであろう。あるいは逆に寛大な心で次のように判定してもらえるであろう:二つの歴史現象 [公法・私法と土地制度] が単純な抽象的な記述ではなく、それ自身として閉じているまとまった見解として、どのようにしてこういう関係が具体的に形作られたのか、そういう見解として述べられると。