昭和40年代の小学生のある意味必読本だった、秋田書店の「ゼロ戦と戦艦大和」を古書店で入手。この本で得た知識は多かったですが、今見ると結構間違ったことを書いています。例えば20mm機関砲こそが、ゼロ戦の戦果の最大の原因みたいなことを書いていますが、特に初期の20mm砲は弾数が少なくて一連射するとすぐに弾切れ、また弾丸自体の重力が大きいため、どうしても山なりにしか飛ばず、よっぽど接近しない限りまず当たらないので、ベテランパイロットは皆7.7mmを使って敵機を落としていました。
表紙の絵は小松崎茂大先生だと思います。
この頃(1960年代後半)は本当に戦記物ブームだったのです。TVでもアニメンタリー「決断」(なんとタイムボカンシリーズのタツノコプロの作品です)という戦記物をやっており、第一回が真珠湾攻撃で第二回がミッドウェー海戦でした。主題歌がほとんど軍歌でPTAからの抗議が強く、26回で終了になりました。
投稿者「kanrisha」のアーカイブ
Wikipediaの「革砥」の記事をこちらに移動します。
Wikipediaの「革砥」の記事は、現状(2019年8月23日時点)のものはほぼすべて私が編集したものです。
ところが最近、通称「Wikipedia自警団」みたいな人がやってきて、「個人のWebサイトは出典としては無効」とか、「Webサイトを出典とするなら閲覧日を入れろ」、とか細々とした重箱の隅をつつくようなことを言ってきて、議論しましたが、馬鹿馬鹿しくなったので、Wikipediaの方は更新をストップしてこちらに移し、今後は適宜このブログで紹介していきます。なお、写真も元々最初からあった一枚以外はすべて私が用意したものです。
なおまったくそのままではなくWikipediaでは制約上書けなかったことも追加で記載します。
革砥
革砥(かわと、英: strop)とは、剃刀やナイフなどの刃物の研磨やその仕上げに使われる、表面を滑らかにした細長い帯状の革あるいは革を細長い長方形の板に貼り付けたものです。英語での”strop”は革を使ったものに限定されず、布砥やペーストを塗って刃物の研磨に使うバルサ材なども包括しています。(OEDの”strop”の項目を参照)
歴史
元々イギリスにおいて剃刀を研磨する道具として、ジョージ・パックウッド(George Packwood)が1794年に研磨用のペーストと一緒に発表したものが広く使われるようになったものとしては最初です。(OEDの用例には”strop”のもっと古いものもありますが、パックウッドは新聞広告等を大々的に行って、その革砥+ペーストを大量に売り、ビジネス的に大成功しています。イギリスにおいて日常品の広告を大々的に行った最初の人として知られています。何とコマーシャルソングまで作っていました。)大英博物館に残されているパックウッドの肖像画(写真1)を見ると、それは皮革を板状のものに張り付けたもので、研磨用のぺーストも確認できます。(元々革砥というものはペーストを併用するのから始まっていることに注意。その当時のペーストがどういうものだったかは不明ですが、砥石を砕いて粉にして油と混ぜたりしたのではないかと想像します。現在砥石に使われる人工の研磨剤であるカーボランダムやアルミナはこの時点ではまだ発明されていません。)いわゆるストレートレザー(西洋剃刀)が最初に大量に生産されたのは、18世紀の英国のシェフィールド(Sheffield)社(正確に言えばシェフィールド地方の複数の業者、ドイツのゾーリンゲンや日本の堺や三条に似たイメージ)によってですが、パックウッドはそのシェフィールド社と協力して(今日でもシェフィールドが製造し、パックウッドブランドで販売されたヴィンテージのストレートレザーが、eBay等のオークションで多数入手可能です)ストレートレザーの普及に大きく貢献しました。
種類と用途、材料
現在使用されている革砥は、パックウッドが考案したような木材等に革を張り付けたものと、革だけを使い一方の端に固定用の金具を付けて、どこかに引っ掛けて引っ張ってテンションをかけながら使用するものの2種類のものが主です。この内、固定用の金具が付いているものは、形状としてベルトに良く似ていて、元は革のベルトを革砥として使っていたのが始まりではないかと思います。このタイプは理髪店用であり、どこかに金具を引っかけてぶら下げておくことで、場所を取ることなく手元に置くことが出来ます。なお、このタイプの革砥に多く布砥(帆布、デニム、リネンなど)が付属しているのは、理髪店で剃刀を使った後、まず布砥で石鹸の泡や水分を落とし、それから革砥にかけたのではないかと思います。(なお革砥として良く使われるコードバンは、水分にも石鹸の泡にも弱く、濡れた状態で使用すると革自体を痛めます。)
現在では革砥は剃刀用の使用よりもむしろナイフの研磨に使用する例が多く見受けられます。ブッシュクラフトという北欧発祥の野外でのサバイバル術みたいなものがブームになっており、その中でナイフは基本的な道具として非常に重視されるからです。
日本の理髪店では1970年代まではストレートレザーが使われていました。子供時代に理髪店で革砥を使っているのを目撃された方は、私と同じ1960年代初めの生まれであれば多くいらっしゃると思います。しかし現在では大半の理髪店が研ぎの手間を減らすのと衛生上の問題でストレートレザーを使わなくなり、同時に革砥も使わなくなりました。特にエイズ(AIDS・後天性免疫不全症候群)が血液を通じて感染するということで、剃刀の使い回しが問題視されるようになりました。現行の理容師法の施行規則では、血液が付着する可能性が高いかみそりについては、次の3つの方法のどれかで消毒を行わなければならないよう定められています。 イ 沸騰後二分間以上煮沸する方法 ロ エタノール水溶液(エタノールが七十六・九パーセント以上八十一・四パーセント以下である水溶液をいう。次号ニにおいて同じ。)中に十分間以上浸す方法 ハ 次亜塩素酸ナトリウムが〇・一パーセント以上である水溶液中に十分間以上浸す方法。これら衛生上の理由と研ぎの手間の問題で、現在の理髪店は大半が替刃式で使い捨ての剃刀(shavette、元々DOVOの商標みたいです)に移行しており、革砥の使用はほとんど見られなくなっています。(写真3が替刃式のレザーの例です。)
現在販売されている革砥の革については、高級品としてはコードバン(農耕馬の尻の革)、ブライドルレザー(馬具に使われるロウでなめした牛革)、ラティーゴ(油でなめした牛革)、その他、カンガルー革、普通の牛革、水牛の革、人工皮革(各種あり)などが使われています。未入手ですが、高級革であるロシアンレザーの革砥も存在するようです。また、昔は鮫皮の革砥も存在しました。なお、現在の日本でコードバンの革砥を作っているのは、叶山革砥製作所の一社だけであり、海外でも数社ぐらいしか見かけません。コードバンの元になる農耕馬自体が激減していて良質な材料の確保が難しくなっているのと、理髪店向けの革砥の需要が激減したからです。
写真4は様々な種類の材料による金具固定型革砥の例です。上からコードバン、ブライドルレザー、ラティーゴ、赤カンガルー革、牛革、水牛革、人工皮革(2種)です。
(叶山革砥製作所のコードバン革砥には取っ手が付いていませんが、海外製は大体棒状の握りか金属の輪かどちらかが付いています。)
効果
革砥を使った刃物の研磨には、パックウッドが最初に考案したように、研磨剤を革砥の上に付けて研磨するラッピング(lapping、ラップ仕上げ)と、革砥だけを使用するストロッピング(stropping)の2つの方法があります。前者の場合、様々な研磨力を持つ研磨剤が市販されており(ペースト状のもの、または固形のもの(青棒、白棒、赤棒という名称で、油脂材料に酸化クロム(III)やアルミナ、人造ダイヤモンドなどの研磨成分を練りこんで棒状に加工したもの))、砥石で研ぐ場合と同様の研磨を行うことが可能です。(写真6はペーストを使用した剃刀のラッピング)
後者の場合、革の硬度は旧モース硬度で1の滑石よりも低く、旧モース硬度で5から7程度の刃物の本体を削って薄くする効果はまったく期待出来ません。(写真5を参照。モース硬度1の滑石で、コードバンの表面に簡単に傷が付いています。)
その場合の革砥のストロッピングの効果としては、
・剃刀他の刃物を砥石で研磨した際に残留する微細なカエリやバリを除去し髭剃り等の際の安全性を高める。
・剃刀等の側面に出来たささくれ状の剥がれ等を滑らかにする。
・剃刀等の側面に付着した上皮や皮脂、または微細な刃こぼれによる金属粉、その他の微小な異物などを除去する。
・硬い髭を剃った結果として、刃の先端部のごく薄い箇所に微細な曲がりが左右に生じ、刃のアラインメント(真っ直ぐさ)が崩れたのをある程度元に戻す。
などが期待出来る効果になります。
なお、安全剃刀メーカーでも同様の目的でその生産工程で革砥を使用しています。
また、革砥で研ぐ前と後の剃刀の刃の表面の変化を2万倍の電子顕微鏡で観察したサイト(英語)があり、革砥の効果を確認することが出来ます。このサイトの写真を見れば、「剃刀が切れなくなっても革砥で数回処理すればすぐに切れ味が戻る」といった主張がまったく根拠のない嘘であることがはっきり分かります。(なお、前述の「Wikipedia自警団」の人は、この素晴らしい英語サイトも「個人サイトなので信頼性が疑問」としています。ちなみに英語・ドイツ語のWikipediaではこのページがきちんとリンクとして紹介されています。大体、個人が電子顕微鏡を簡単に使えるのかどうか、そういう常識も自警団の人にはないようです。)
使用方法
革砥の使用方法としては、剃刀の例では、刃の側面を革砥に密着させ、刃の峰方向に押していく形で使用し、端まで達したら刃を反転させて反対側を磨きます。(峰側ではなく刃側に押した場合は、剃刀と革砥の双方を痛めるので絶対にやってはいけません。)力を強く入れる必要はなく、また回数も研磨剤を使わない革砥だけの使用の場合は片道20回程度で十分効果が得られます。一部の市販の革砥では横幅が剃刀の刃渡りよりも短いものがありますが、その場合は刃を斜めに動かすことによって刃渡り全体を磨く(X研ぎ)ようにします。なお、ミクロトーム用の剃刀など、精密な研ぎが必要な場合は、ベルト式の革砥では平面性を確保するのが困難ですので、木に革を貼ったタイプを用いるようです。ベルト式革砥はあくまでも理髪店の便宜を優先していると思われます。(写真7は1905年にアメリカで出版された作者不明のシェービングの教科書に出てくるストロッピングの説明の絵です。)
名犬ラッシー 家路(「名犬ラッシー」シリーズの最初の映画)
「名犬ラッシー 家路」を観ました。ラッシーの最初の映画です。ラッシーが本当に可愛くていじらしくて、ホロッとする映画でした。ラッシーが売られた先の公爵家の孫娘を演じているのが、若き日のエリザベス・テイラーで、このプリシラがラッシーをわざと逃がしてあげて、最後に元の家に戻って来たラッシーを「この犬は知らない、私達の犬ではない」とわざと嘘を言って、ラッシーを元の飼い主の少年に返すといういい役を演じています。また、先日観たテレビ版と同じシーンがあって、ラッシーが少年を朝起こしに来て、少年は一度起きたものの、まだ眠りたいので、ラッシーに階段を降りるように命じてまた眠ります。それを今度はラッシーが寝具を引っ張ってはがして無理矢理起こすというシーンです。ラッシーはスコットランドからヨークシャーまではるばる旅をします。おそらく直線距離で600kmぐらいでしょうか。(実際には途中で道を迷ったりしているので、もしかしたら1,000kmを超しているかも。)途中で親切な老夫妻に助けてもらったり、移動しながら食器を売っている犬好きの男と旅したり、最後は悪漢に捕まえられそうになってビルの3階から飛び降りたため前足を折ってしまい、ボロボロになりながらも元の飼い主の家にたどり着くラッシーに泣けます。
「ロンドン爆撃」(シュタッケンベルク原作、白井喬二・池田林儀 監修編訳)
シュタッケンベルク原作、白井喬二と池田林儀の監修編訳の「ロンドン爆撃」(田中宋栄堂、1942年6月10日発行)を読了。白井喬二の名前が入っていますが、おそらく訳したのは池田林儀(東京外語大学出身のジャーナリストで、大日本雄弁会講談社、報知新聞などに勤務。優生学の紹介者。ドイツ関係の著作や翻訳が多数有り)で、白井はせいぜい日本語のチェックをしたか序文を書いたぐらいではないかと思います。元の本はドイツの参謀本部が資料を提供したというものです。「ロンドン爆撃」「ワルソー爆撃」(ワルソーはワルシャワのこと)「エッシェ伍長」の3篇を収録。「ロンドン爆撃」は1940年9月から約9ヵ月間行われたドイツによるロンドン爆撃のおそらく初期の頃の夜間爆撃の話です。爆撃機の乗組員の中に、第一次世界大戦時のロンドン爆撃経験者が混じっているというのがちょっと面白いです。実際に第一次世界大戦の時、最初はツェッペリン飛行船によって、その後ツェッペリン・シュターケン Rという複葉の大型機でのロンドン爆撃が行われています。
「ワルソー爆撃」は子供の時模型飛行機づくりで腕を競った二人の少年が共にパイロットになって、ワルシャワ爆撃に参加し、一人が敵弾を受けて不時着したのを、もう一人が自分の飛行機で助けに行く話です。中に、「1939年9月、ドイツはポーランドへ進撃しなければならないハメとなった。」とあって、良く言うよ、と思いました。
「エッシェ伍長」は、陸軍でポーランドに侵攻した兵士の話で、戦意高揚ものというより、実際の戦場の厳しさがかなりリアルに書いてあり、実際に主人公のエッシェ伍長も至近距離で手榴弾の炸裂を受けて、右目を失明するという結構暗い話になっています。
白井喬二はこの時期田中宋栄堂と結構仕事をしていて、東亜英傑伝全8巻とか、このドイツ戦記シリーズ全5巻(判明しているもので)とかに関わっています。日本文学報国会の常任理事を務めていたり、また中国大陸に戦線視察にいってその手記を他の作家に先駆けて発表したりしていますので、かなりの部分戦争に協力的でした。しかし幸い戦後に戦犯として告発されることはありませんでした。
白井喬二の「若衆髷(わかしゅわげ)」(完読)
白井喬二の「若衆髷(わかしゅわげ)」(サイレン社、1936年5月20日発行)を読了。昭和8年から9年にかけて、新潮社の雑誌「日の出」に連載されたものです。主人公は、平井権八で、歌舞伎では白井権八として知られています。一般的には平井権八(白井権八)は郷里因幡から江戸へ出てきてからが知られています。フィクションですが、幡随院長兵衛と知り合いになり、そこで居候になり、「権八」といえば居候の隠語になるくらい有名です。江戸に出てからの権八は辻斬りで130人もの人を殺した大悪人ですが、遊女小紫と深い関係になり、権八が処刑された後小紫は自害し、後に比翼塚という二人を偲ぶ石碑が作られ、現在は目黒不動瀧泉寺にあります。白井喬二は、この悪人の鳥取時代を描きます。白井も生まれは横浜ですが、両親共に因幡藩の士族であり、自身も13歳の時に鳥取に戻ります。そういう意味で同郷の有名人であり、また「白井」権八と呼ばれることもあって、親近感を抱いていたのかもしれません。この物語での平井権八は色の白い、明晰な、正義感の強い若者として描かれています。しかし、たまたま「喧嘩買い」と呼ばれる武士からはみ出た不平不満の者の集まりの一人である辻堂寺覚之助を裁くことになったことから、因幡藩の中にはびこっていた腐敗を知ることになり、正義感からの行動が結局自身の転落を招くことになります。白井喬二の眼はこの若者に同情的であり、決して本来の大悪人ではなく、やむを得ない運命の変転により転落していく人生を克明に描いていきます。この物語は権八が江戸に出る直前で終わっており、言って見れば権八の前半生の話で終わっています。なかなか読み応えのある作品でした。
立川文庫復刻版
立川文庫の復刻版20巻セットを古書店で購入。なお「たちかわぶんこ」と読む人が多いですが、正しくは「たつかわぶんこ」です。大衆文学の研究者(?)としてはやはり立川文庫を押さえておかないとと思って購入しました。日本において「忍者」というものが一般に知られるようになったのは、この立川文庫とマキノ雅弘の一連のサイレント時代劇映画のお陰だと思います。なお立川文庫は全部で180巻以上出ているので、ここにあるのはほんの一部です。なお、「真田十勇士」とかの反徳川のお話が多いのは、制作されたのが大阪で、太閤贔屓の土地柄だったからです。徳川家康=狸親父というイメージはほとんどこの立川文庫が作ったといっても言い過ぎではありません。この文庫、装丁は結構豪華ですが、サイズが如何せん小さすぎて読みにくいです。総ルビなのはいいとしても、挿絵とかはまるでなく、当時の子供がよく読めたなと感心します。
名犬ラッシーの大冒険
「名犬ラッド」に続いて「名犬ラッシーの大冒険」を観ました。これは映画ではなく、TV版の中のお話をDVDにしたんだと思います。お目当てはラッシーもありますが、ジューン・ロックハートがお母さん役をやっているのを見たかったからです。ロックハートって、本当にお母さん役がはまり役です。お話は、ティミー(少年)とラッシーが不時着した気球を風に飛ばされないよう何とか固定しようとしていた時に、はずみでティミーとラッシーが乗ったまま気球のロープが外れて二人(一人と一匹)は大空に流されます。強風で二人の乗った気球は北へと流され、カナダの森林地帯にまで飛ばされます。ティミーはロープで気球のガスをうまく抜き降下しますが、杉の木の天辺に気球が引っ掛かって宙ぶらりんになります。ここでティミーはロープを使ってまずラッシーを降ろそうとしますが、ティミーが「ラッシー飛べ!」っていっても、ラッシーがびびって動かなくなるのが可愛いです。ラッシーはメスで(ティミーはラッシーを時々girlと呼んでいます。LassieとGirlは同義語です。)、全体にちょっと弱々しいです。無事に地上に降りた後、ティミーはボーイスカウトにでもいたのか、中々のサバイバル巧者で、火を起こし、ナイフで木を削って弓矢を作ったりします。そこに野性の巨大なイノシシが現れますが、ティミーが止めたのにラッシーは突っかかっていって、怪我をします。イノシシはティミーが弓矢で何とか仕留めました。全体にラッシーはティミーの足を引っ張っている方が多く、あまり「名犬」という感じはしません。ただこのお話、サバイバルのお話としてはまったく参考にならないのは、ティミーとラッシーが沢に下りたことです。これは山の中で迷った時、絶対にやってはいけないことです。ティミーは持っていたロープで筏を組んで川を下りますが、案の定途中で急流+滝みたいな所にぶつかります。一人と一匹は筏を捨てて水中に飛び込みますが、それぞれ川の別の岸にたどり着いてそこで力尽きます。ティミーは先住民(インディアン)の男に助けられます。ラッドは気がついてから、折良くやってきた救助隊と合流し、臭いをたどって救助隊をティミーの所に案内します。以下は省略しますが、サバイバル的に言えば、ティミーとラッシーは気球が不時着した木の下にじっとしているべきだったと思います。
とまあ突っ込みは色々ありますが、ジューン・ロックハートのお母さん役も見られたし、良しとしましょう。
NHK杯戦囲碁 林漢傑8段 対 一力遼NHK選手権者
本日のNHK杯戦の囲碁は、高校野球のためまたも13:30からの放送。黒番が林漢傑8段、白番が一力遼NHK選手権者の対戦です。序盤は黒が厚み、白が実利という進行でした。右下隅が一段落して、黒が左下隅の白にかかっていった時、白は手を抜いて、左下隅から中央に頭を出しました。右下隅の黒を狙っている手でした。黒は左下隅で両ガカリし、定石が進行しましたが、途中で白はまた手抜きし、右下隅の黒に置き兼ノゾキを決行しました。黒のカケツギに延びて継がせ、下辺を二間に開き右下隅の黒への封鎖を見ました。しかし黒は中央に頭を出さず下辺に展開しました。白はすかさず封鎖を決行し、隅の黒は放り込まれると一眼しかありません。しかし黒は隅に手を入れるのは辛いと見て外から利かしに行きました。それに対し更に白が逆襲し、下辺で戦いになりました。結局黒が選んだのは、右下隅の黒を丸ごと捨ててしまうという大胆な作戦で、その代りに中央が厚くなったのと、左下隅からの白への攻めが利いた関係で上辺から中央にかけて黒の大模様が出来ました。しかし左下隅の白は50目あり、右上隅で8目くらいあるため、黒も70目ぐらいの地をまとめないといけませんでした。黒は左上隅にかかって模様を目一杯拡げました。それに対し白は中央から確実につながりながら黒地を減らしていってそれで収支が取れているという判断でした。途中白の一間飛びに黒が割り込んで1子を切り離し、上辺から中央にかけて大きな黒地がまとまりました。しかし白も切り離された1子を捨て石にして中央を押していって、中央が厚くなりました。相対的に左辺の黒が薄くなりました。その後下辺で劫になり、この劫は白が負けると右下隅の黒が復活するため、手を入れることになり、黒が少し挽回しました。しかし全体には白が優勢で、黒は最後の勝負手で左辺で頑張った手を打ちました。しかし白に切り離された攻め合いになりましたが、白の手数が長く、黒が取られてしまい、ここで黒の投了となりました。
白井喬二の「梁川無敵伝 他七篇」
白井喬二の「梁川無敵伝 他七篇」(非凡閣、昭和16年2月16日発行)を読了。題名の「梁川無敵伝」は自選集の「梁川庄八」と同じ。白井の場合、同じ作品でタイトルが微妙に違うのが多くあります。その他、「鬼傘」、「鉄扇の歌」、「大膳猟日記」、「柳腰千石」、「後藤又兵衛」、「心学牡丹調」、「殖民島剣法」を収録。この中で初読は「鉄扇の歌」、「柳腰千石」と「後藤又兵衛」の3作。「鉄扇の歌」は白井らしい奇妙な味全開のお話で、藤堂高虎の家臣が、戦いの時に主君の鉄扇と自分の鉄扇を取り違えて戦場に持ち込み、それだけではなくて主君の鉄扇も無くしてしまい、髑髏に蟋蟀(キリギリス)の彫り込みの入った奇妙な鉄扇を手にいれ、結局藤堂高虎の怒りに触れて追放され…といたった話。「柳腰千石」はタイトルも面白いですが、兄が仕官の時の験し試合で大怪我を負わされた傲岸不遜な相手に対し、その妹が武芸の腕を磨いて見事仇を取るという話で、白井はこの女性こそ女性剣士で有名な○○と書いていますが、調べてもそういう女性の剣豪は見つからず、白井一流のほら話だと思います。「後藤又兵衛」は黒田長政と兄弟同様に育てられた後藤又兵衛が長政を立てつつ活躍する話です。
いずれの作品も読んでいてそれなりに楽しめる作品ではありますが、「奇妙な味」に留まっていないで、もう一ひねり欲しいという感じがします。
「名犬ラッド」の映画
「名犬ラッド」の映画版を観ました。1962年公開のものです。98分と短く、原作の色んなエピソードを散りばめていますが、大きな違いは「ウォール街の農夫」というあだ名のラッドの主人とは対照的な金で高い犬を買って名声を得ようとするグルーアという男に一人娘がいて(母親は離婚)、足が不自由で歩けないという設定にしていることです。その娘を演じているのがアンジェラ・カートライトで、宇宙家族ロビンソンのペニー役の時より4、5年前なので幼く、とても可愛らしいです。それはいいんですが、結局この娘とラッドとの心の触れ合いがストーリーの中心になってしまって、原作のラッドというコリー犬の素晴らしさが1/10ぐらいしか伝わって来ません。例えば原作では女主人が病気になって生死の境を彷徨い、病床にあること数ヶ月で、ラッドがその間部屋の前に座り込んで、その数ヵ月間ほとんど食事も取らないで、というのが、映画では女主人が意識を失っていた(犬小屋が放火され、その中のレディと子犬を助けようとして倒れてきた柱で頭を強く打ったため)のはたった6日間になっています。これでは女主人が回復した時のラッドの喜びもちょっと中途半端になってしまいます。この映画評判が良ければ続篇も作られる予定だったようですが、当時も私と同じく感じた人が多かったらしく、結局これ一本だけに終わりました。映画の中で、「アルプスの少女ハイジ」の有名な「クララが立った!」と同じことが起きます。それにしてもうらやましいと思うのは、ラッドの主人の家で、こんな素晴らしい環境の所に家があって、ラッドみたいな犬を飼えたら本当に幸せだろうなと思います。