ヒッチコックの「救命艇」を観ました。1943年の作品で、私がヒッチコックのベストと思っている「疑惑の影」と同じ年に撮影されたものです。これで1934年の「暗殺者の家」以降のヒッチコック作品は2本の短い国策映画を除いてすべて観たことになります。お話はドイツ軍のUボートの魚雷によって沈没させられた客船の救命艇に生き残った10人くらいの人々のお話です。そこにこれまた沈没させられたUボートの乗組員が乗り込んで来ます。最初は足の怪我が壊疽になったガスの手術を買って出るなど、善人を装っていましたが、実はコンパスを隠し持っていて、船をバミューダの方ではなく、ドイツの補給船がいる方向に導こうとするなど、正体を現します。英語はしゃべれない振りをしていて、実は英語もフランス語も堪能という怪しさ満点の人物として描かれています。まあそのドイツと戦争をしている真っ最中に作られた映画なので、ドイツ人が悪者扱いされるのは仕方が無いかと思います。一部で有名なヒッチコック自身のカメオ出演ですが、さすがに人数が最初から決まっている救命艇に突然自分を出演させる訳にもいかず、何と生き残りの一人が読んでいた新聞の広告に、やせ薬服用の前と後、というシルエット姿で登場します。
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原子力潜水艦シービュー号の”Blow Up”
原子力潜水艦シービュー号の”Blow Up”を観ました。「またも」Welch脚本。そして最低の脚本を更新。ネルソン提督がミサイルの燃料が漏れているのを修理している時に爆発が起き、その時クレーン艦長から渡された非常用呼吸装置を使った後、性格が変わって被害妄想になり、やたらと威張り散らして権威主義になり、シービュー号を危機に陥れ、あげくの果てはランデブー予定だったアメリカの艦隊に対し魚雷を発射するという話です。リチャード・ベースハートは自身の演技力を示すことが出来てご機嫌だったのかもしれませんが、ヒーローであるべきネルソン提督にこんなひどい役柄を演じさせてはいけません。
IELTSの第一回目受験の結果…爆死…
IELTSのGeneral、初受験の結果が出ました。受験から13日目の午後に結果が出るというのは手書きのテストにしてはなかなかスピーディーです。
結果はかなり残念でした。まあ、IELTSは1回で望みの結果が出ることはまずないそうなので、次に9月末に再トライします。
ただ、リーディングが8.0というのは予想外でした。大体、リーディングの冒頭でトイレに行って3分くらいロスしているのに、これが一番いいというのは不思議です。ちなみにネイティブでもレベル9を取る人はほとんどいないということで、英語の教師でやっと8.5くらい。普通のネイティブは8ぐらいみたいらしいので、リーディングに関してはネイティブ並みに達したということになります。まあ、リーディングの問題は英語のテストというより国語のテストという感じで、国語のテストに関しては高校時代から一番得意な分野なので、その能力が出た、ということだと思います。
また、ライティングは結構自信があったのですが、実はIELTSの中ではライティングが一番タフみたいです。(リスニングは集中力が切れて出来が悪かったのは自覚していたのでまあこんなものだと思います。)以下のページに、留学してMBAを卒業した人でも5.5だったという記事があります。多分英語だけの問題ではなく、内容的にも大学のレポートで優を取れるような内容を書かないと高い評価は出ないのだと思います。(そういう意味ではAEONの教師の添削はほぼ無意味です。)
https://ielts.xsightplus.com/2017/01/09/writing70/
スピーキングに関しては、rubbishが分からなかったり、ある単語が思い出せなくて口ごもったり、お題に関するスピーキングであまりに早く終わりすぎたり、と色々と減点ポイントがあったので、まあ次回以降に期待です。
ウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」
ウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」を観ました。ゴールデンウィークに日本ラジオ博物館に行ってから、すっかりラジオ少年の血がよみがえり、その一環で観たものです。まだテレビが無くて、ラジオが日常の娯楽のほとんどすべてだった1938年から1944年ぐらいまでの、ウディ・アレンの少年時代を描いた作品です。冒頭でいきなり、ある家に押し入った強盗二人組の所に、ラジオの曲当てクイズの番組から電話がかかってきて、思わず出てしまい、3曲見事に当てて、その2人は50ドルくらいの物を盗んだだけなのに、次の朝それをはるかに上回る賞品がその家に送られてくる、というのでまず笑わせてくれます。ラジオがいいのは、テレビだと皆画面を見入ってしまって、お互いの会話とかほとんどありませんけど、ラジオだと皆自由に聞いて会話も成立する、という所です。ミア・ファローの演じる歌手志望の女性がチャンスをつかんでいくエピソードで、たまたまある店で殺人の現場を目撃して、目撃者として殺されそうになったのに、その殺し屋が実は同じ町の出身と分かってすっかり仲良くなり、その殺し屋のコネでチェーホフのラジオドラマの役をもらいます。その本番中に、突然ニュースのアナウンサーがスタジオに乱入してきて、「日本軍がパールハーバーを攻撃しました。」というニュースを読む、という演出がいいです。そこから戦争になりますが、灯火管制とかもありますが、日本とは豊かさがまったく比べものにならなかった、というのがこれを観るとよく分かります。その他、例の「火星人が襲撃してきた」というラジオドラマが本当だと受け取られてパニックになるという話と、主人公の叔母さんでオールドミスで常に結婚相手を探しているビーが、相手にほったらかされてしまう、というエピソードとからめていて、上手い演出です。全体に肩が凝らない楽しめる作品でした。
フェザー プロフェッショナル アーティストクラブSS レザー ブラック
これは、「フェザー プロフェッショナル アーティストクラブSS レザー ブラック + プロガード PG-15 15枚入り セット」です。いわゆる現在の理髪店で使われている、通称Shavette(これは元々Dovoの商標みたいです)と呼ばれる替刃式のストレートレザーです。海外のサイトでお勧めのストレートレザーのリストを見ると、必ずこれが上位に入っているので興味が湧いて買ってみました。ちなみに刃にはいわゆる「すべらなーい」の横滑り防止がついています。なので刃を爪に当てても当たりません。
実際に使ってみた感想ですが、基本的には良く剃れて問題はないです。両刃の安全剃刀よりも良く剃れます。ただ、普通のストレートレザーは肌に対して30°くらいの角度で剃りますが、このレザーは刃が固定部から少し顔を出している構造なので、もう少し立てないと刃がうまく肌に当たらない感じです。35~40°ぐらいの感じでしょうか。また、フルハローのストレートレザーでは、剃る時の音が気持ちいいですが、このレザーはしっかり固定されているので音は出ず、その点では楽しくはなく、ベタ刃のストレートレザーの剃り味に似ています。それから、下唇の下の顎部を剃るのは、皮膚をうまく引っ張って剃らないとストレートレザーでは肌を切りやすい箇所ですが、このレザーではあんまり気にしないで剃って肌を切ることもなく綺麗に剃れました。ただ、鼻と上唇の間の部分は、このレザーでも難所であり、一応綺麗には剃れましたが、深剃りしたらちょっと血が滲んでしまいました。この点はストレートレザーと大きな差はありません。後は使い捨てなので、コストの問題さえ無ければ(このプロガードの刃は1枚70~80円ぐらいです。理髪店では衛生管理の理由で使い捨てでしょうが、同じ人が使う分には普通の安全剃刀と同じで最低でも5~6回は使えると思います。)、革砥で磨いたりクリーニングしたりする手間がないのは優れていますが、個人で使っている分にはその辺もまあ楽しみの一つなので、大きなメリットではありません。トータルの感想としては、さすがにプロが使う道具だけあって、出来としては優等生的だと思います。ただ、問題点は刃を挿入するのは比較的簡単ですが、取り出すのがどうやればいいのかちょっと分からず、結局ラジオペンチではさんで引っ張り出しました。
E.M.フォースターの”Aspects of the Novel”(小説の諸相)
E.M.フォースターの”Aspects of the Novel”(小説の諸相)を読了。1927年に発表されたもので、フォースター流の「小説の読み方」「小説ガイド」的なものです。元は何かの教養講座みたいなものではないかと思います。最初邦訳を探したのですが、見つからず、原語で読みました。普段TimeやNewsWeekといった雑誌を読んでいてもほとんど出てこないような単語が沢山出てきて、語彙のいいお勉強になりました。この本を知ったきっかけは、小林信彦が評論家に何かの氏の小説について「登場人物が類型的過ぎる」といった批判を受け、それに対する反論として「それはフラットキャラクターである。知らないのであればフォースターの『小説の諸相』を読め。」と反論していたことです。
全体の構成は、
1.序論 2.ストーリー 3.登場人物 4.登場人物(続き) 5.プロット 6.ファンタジー 7.予言 8.パターンとリズム 9.結論
という風になっています。「フラットキャラクター」「ラウンドキャラクター」は4.の「登場人物(続き)」で出てきて、まあこの本の白眉と言っていいと思います。
フラットキャラクター(平面的なキャラクター)とは、フォースターによれば、類型的に描写されていて、しばしばカリカチュア的に描かれ、常にといっていいほど同じように行動し、同じようにしゃべる、というキャラクターです。これに対し、ラウンドキャラクター(立体的なキャラクター)とは、性格がある程度複雑で、ストーリーの進行に従って変化していき(多くは成長していき)、そのストーリーの中心を成すような人物(つまりは主人公)のことを言います。
ディケンズの「デイヴィッド・カッパーフィールド」の例で言うと、主人公のカッパーフィールドは、これはディケンズ自身の投影ですから当然ラウンドキャラクターで、また最後に主人公と結婚するアグニス・ウィックフィールドも多分ラウンドキャラクターと言っていいでしょう。しかしその他の登場人物はほとんどがフラットキャラクターであり、たとえば貧乏で次々に不幸に襲われながら、楽天的な気質を失わないウィルキンズ・ミコーバー(英語ではミコーバーは楽天家の代名詞になっています)や典型的な悪役で汗でぬめった両生類のような手をしていると初登場時に描写されるユライア・ヒープはフラットキャラクターの代表例です。
その他、同じディケンズの作品の「クリスマスキャロル」のスクルージ爺さんも、少なくとも3人のクリスマスの精霊によって改心する前はこれ以上ないフラットキャラクターであり、「強欲」の代名詞です。
これに対して例えばジェーン・オースティンの「プライドと偏見」について言えば、登場人物のほとんどがラウンドキャラクターとして描かれています。
どちらの手法にも一長一短があると思いますが、フラットキャラクターの多用は、
(1)作者の労力の緩和
(2)読者も登場人物の違いを1回覚えれば済む
(3)主人公をより強調して描くことが出来る
といったメリットがあると考えられます。
これは以前書いたことがあるのですが、マックス・ヴェーバーの社会科学での方法論である「理念型」(Idealtypus)も、おそらくは文学におけるこうしたフラットキャラクターの例を社会科学で応用したのではないかと思います。もちろんフォースターのこの本が出た1927年にはヴェーバーはもう死んでいますので、直接的にフォースターの分類を借りた訳ではありません。しかし、フォースターはヴェーバーの15年後に生まれていて、おそらくそれぞれが読むことが出来た小説については、二人とも当時の典型的インテリということを考えれば、結構共通しているのではないかと思います。ヴェーバーはおそらく19世紀の小説における人物の類型的・カタログ的描写から、「理念型」(ある概念の純粋型で、実際には100%ぴたりと当てはまるものが現実には存在していなくとも良い)を考案したのではないか、というのが私の仮説です。ヴェーバーにおいては純粋型である理念型と実際の歴史上の諸事例を照らし合わして、その差を調べその差を説明するために理論を組み立てていく、というのが主要な方法論の一つです。(なお、昔「理想型」という訳がされたことがありますが、例えば「売春宿」の理念型も考えられ、必ずしもポジティブなものだけに限定されないため、「理念型」という訳に落ち着いています。元をたどればプラトンのイデアとも当然関係があります。)ヴェーバーが有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という論文の中で、それまではなかった「資本主義の精神」というものを体現する理念型としてベンジャミン・フランクリンを使います。しかし、そのフランクリンは実際のフランクリンの著作等をそのまま使ったのではなく、キュルンベルガーという作家が「アメリカにうんざりした男」という小説の中で「フラットキャラクター」として「時は金なり」といった功利的なことだけを唱える者として描写したフランクリンです。
この「フラットキャラクター」「ラウンドキャラクター」以外にも色々面白いことが書いてあるのですが、残念ながらフォースターが次々に引用する小説の内、私が読んだことがあるのは2割もないので、フォースターの言わんとすることが今一つ良く理解出来ない場合が多かったのは残念です。また、リズムの所でベートーヴェンの第5交響曲を小説との対比で例に出します。「ハワーズ・エンド」でも、この交響曲のコンサートの話が出てきました。フォースターのお気に入りだったのでしょう。
原子力潜水艦シービュー号の”A Time to Die”
原子力潜水艦シービュー号の”A Time to Die”を観ました。またもWelch脚本。自由自在に時間を操れるMr. Pemという男が登場します。その男のお陰で、シービュー号は100万年前に飛ばされ、そこでまたアーウィン・アレンのお得意のトカゲ恐竜が出てきます。もう何回目か、数える気もしません。ネルソン提督は男が、時を操るためにシービュー号の原子力エンジンのパワーを増幅させて使っていることに気がつき、エンジンをシャットダウンさせます。それで、わざとCircuitry Roomの看板をReactor Roomに変えさせ、そこに通常の1000倍の電圧をかけたスイッチを用意しておいて、その男に触らせて感電死させる、というオチです。Mr. Pemは誰なのか、何故時を操れるようになったのか、それで何をしようとしていたのか、一切説明はありません。またシービュー号もどうやって100万年前から現在に戻れたかの説明もまったくありません。Welchらしい論理性0のストーリーです。
原子力潜水艦シービュー号の”Terror”
原子力潜水艦シービュー号の”Terror”を観ました。久し振りにWelch以外の脚本。遠い銀河系からやってきたエイリアンが、蘭の花の形をしていて、そこから発せられた光線で人間に乗り移り、シービュー号の原子力エンジンの放射線を使って増殖し、地球を乗っ取ろうという話です。ネルソン提督は一度エイリアンに乗り移られ、その後一回解放されましたが、再度乗り移らることを予期しており、その際は自分を殺せ、とクレーン艦長に命じます。しかし再度エイリアンが乗り移ったネルソン提督はフライングサブに乗り込み、シービュー号をレーザーで攻撃します。クレーン艦長は魚雷攻撃を命じ、フライングサブは吹っ飛び同時にネルソン提督も死んだかと思われました。しかしネルソン提督は生きておりエスケープハッチからシービュー号に再度侵入し、原子力エンジンの放射線を使って仲間を増やします。クレーン艦長は理屈はよく分かりませんが、エイリアンに過剰なエネルギーを与えてオーバーヒートさせて殺す装置を作り、何とかエイリアンを倒す、という話です。シービュー号とフライングサブの対決がなかなかの見物でした。
NHK杯戦囲碁 山田規三生9段 対 西健伸3段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が山田規三生9段、白番が西健伸3段の対戦です。西3段は初出場です。黒が比較的腰を落としたじっくりした布石でした。局面が動いたのは、黒が上辺の白の模様を消すのと、右辺の自分の模様の拡大を兼ねて、右辺の石から中央に三間に飛んだ時でした。これに対し白は上辺を受けるのは利かされと見て、黒の三間飛びの間を割って行きました。それに対し黒が中央から下方に一間トビした後、白は右下隅の黒の大ゲイマジマリに付けて行きました。その後の折衝で黒は右辺を通して地にし、白は中央が全部つながって厚くなり、最初に黒が白模様を消しに行った中央の2子が取り残された形になりました。この黒への攻めがどの程度利くかが勝敗の分かれ目になりました。黒は上辺へケイマし白に付けられた時、勢いでハネましたが、すかさず白に切られ、この戦いの成算が無く、やむなく左上隅の三々に転戦しましたが、元々単なる三々打ち込みはあった所なのでちょっとチグハグな打ち方でした。その後も白は中央の黒への攻めを継続し、正しく打てば黒の一部をもぎ取ることが出来たようですが、黒は結局頑張ってすべてをしのぎました。ただ下辺にはそれなりの大きさの白地が出来ました。この収支は黒が地合でリードしており、大ヨセで最大の左辺の二間ビラキに回ることが出来ました。白は劣勢を意識し、その開いた石に付けて行きましたが、黒はその1子を捨てて中央の白を取りに行き、これが決まって黒の中押し勝ちとなりました。
アルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」
アルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」を観ました。ヒッチコックの映画は初期の作品を除いてほとんど30代前半くらいに観ているのですが、その中で2つ見逃していたのが、この「海外特派員」と「救命艇」でした。「海外特派員」はその頃土曜日の深夜にTVで放映があったんですが、丁度海外出張中で、VTRの予約録画がうまく行かず見逃しました。それでやっと今観たのですが、実に傑作でした!いつものヒッチコック流の「巻き込まれ型犯罪」が1938年の欧州での戦争前夜の雰囲気と合わさって傑作になったと思います。特に、誰がスパイか明らかになって話が終わりに向かっていた時に、主人公とそのスパイとその娘(主人公の恋人)が乗った民間機をドイツの軍艦が砲撃するというサスペンスがあり、民間機は海に落ちてしまいます。生き残った者は結局アメリカの軍艦に救助されますが、アメリカは中立を守ろうとして、船内からの連絡を禁じます。そこで主人公が使った手がありがちですが、なかなか面白いアイデアでした。
最後はその新聞記者がドイツ軍からまさに爆撃されているロンドンの現場から生中継でアメリカ国民に対し戦争へ参加することを呼びかける、というドラマチックなシーンで終わっています。この映画が最初に公開されたのは1940年のアメリカでであり、その時点ではまだアメリカは参戦していません。それを考えると最後のシーンはイギリス人ヒッチコックんの本音かもしれません。
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