北海道大学の橋本努先生から、御著作2冊をいただきました。私の「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳を差し上げたのでそのお礼としていただいたものです。実は左側のプロ倫の本は半年前くらいに買って読了していますので、会社で誰か若い人にでもあげようかと思います。橋本先生は2005年くらいから、羽入辰郎の「マックス・ヴェーバーの犯罪」に関する論争サイトを立ち上げ、そこに私も寄稿したので、それ以来の知り合いです。共に折原浩先生に教えを受けたというある意味同門でもあります。
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ドイツ語の tralaticisch の意味
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳を開始していますが、序論の中に„„Tralaticische” Quellencitate habe ich thunlichst beschränkt verwendet.” という文章が出てきます。この„tralaticisch”という形容詞が、紙の辞書、オンラインの辞書とも出てきません。(グリム辞書、Dudenも全部ダメでした。)しかしググるといくつかの昔のドイツ語文献で使用されているのが確認出来ました。おそらくこの形容詞は英語での相当語は”tralatitious”ではないかと思います。もしそうならOEDによれば、語源はラテン語のtrālātīciusです。その場合の意味は、「伝統的な、代々伝えられてきた、慣習となっている、通常の」と言ったものです。ここでは「伝承的な文献引用については、私は出来る限りそれに準拠しないように努めた。」という訳になるかと思います。ローマ法というのは、十二表法という原本が失われており、その後に出た法学書に引用されている条文から元の法文を再現することが行われています。また、ユスティニアヌス帝によるローマ法の再現である学説彙纂について、ヴェーバーの時代に編纂者が表面的に辻褄が合わない所を恣意的に変えた可能性がある、ということで見直しが行われていました。そういう背景から理解すべき文であると思います。また、ヴェ-バーの特に初期の文献にはこういうラテン語をそのままドイツ語にしたようなのが時々出てきます。
国会図書館からの受領書
先日、国会図書館に「中世合名・合資会社成立史」のペーパーバック版を2冊納本しました。そして今日受領書が届きました。これで私が死んでも最低限この翻訳は残ることになります。(Amazonでの印刷がどの程度保つのかは分かりませんが。)
折原先生他に紹介してもらって、ちゃんとした出版社から出すという選択肢もありましたが、そうするとおそらくこの分量だと価格が5,000円を超すでしょう。私はお金の無い学生さんとかにも読んでもらいたいと思います。昨今は図書館も予算が削られてなかなか新刊本を買えない状況のようです。
また電子版ベースの出版のメリットとして、訂正・修正・追加がいつでも自由に出来ることが挙げられます。実際今回ペーパーバック版を最初に作成してから、細かい改訂を10回ぐらいやっています。Amazonは注文を受けてから印刷・製本しているようなので、変更がすぐ反映されます。
ヴェーバー本の売れ行き
追悼 中根千枝先生
中根千枝先生が亡くなられました。
学生時代1年間、社会人類学、文化人類学の基礎を中根先生から学びました。一般教養ではなく、教養学科での少人数の授業です。定番のジョークは「私がフィールドワークである部族の村とかに行くと、最初の反応は『今度来たのはありゃ男か、女か?』」というものでした。女性で最初の東大名誉教授になられました。最初の半年で文化人類学の基礎として、マリノフスキーの「西太平洋の遠洋航海者」、ラドクリフ・ブラウンの「アンダマン島民」、そしてレヴィ・ストロースなどの古典的名著について教わり、次の半年で婚姻関係やクランなどの社会人類学の基礎を教わりました。
学問だけではなくて、国際人としてのマナー、例えば「日本人がイギリスで2人で日本語で話している時にイギリス人が来たら、会話の言語は3人の共通で理解出来る英語に切り替えるべき」といったことも教わりました。また、ベストセラーとなった「タテ社会の人間関係」は今日でも価値を失っていない名著だと思います。心よりご冥福をお祈りします。
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」のペーパーバック版の販売開始
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE/デューン 砂の惑星」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE/デューン 砂の惑星」を土曜日に観てきました。映画は「ミッドウェー」と「博士と狂人」以来でほぼ1年ぶり。うーん、絵としてはとても良かった(IMAXレーザーで観ました)ですが、ストーリーのまとめ方は弱いと思いました。後おそらく2回は必要でしょうが、今回の興行成績で次作以降の資金が集まるのかなと思いました。(と思ったら既にPart 2の制作が決まったようです。)こういう大河作品は時間の限定のある劇場版映画ではなく、Netflixあたりで、じっくり回数を使って映像化した方がいいのではないかと思いました。そうでないと、原作を読まないで観た人にはワケワカでしょう。大体その原作にしてからが、本編が終わった後に作者自身による用語辞典があって、それを読んでやっと背景が理解出来るという反則作品ですから。それからポール役の俳優はなんか中二病の若者という感じで私にはイマイチでした。最近のスターウォーズのハン・ソロの息子(カイロ・レン)の俳優とちょっと雰囲気が似ています。まあこのポール・アトレイデスという役を演じるのは大変だとは思いますが。また植物学者(リエト・カインズ)がアフリカ系女性というのもいかにもPCですよというわざとらしさを感じました。この映画は原作読んでいない方は今すぐ観るのはお勧めではなく、残りが全部出そろってから、ブルーレイなどでまとめて観た方がいいんじゃないかと思います。最後にポールがフレメンを使ってハルコネンと皇帝軍を倒すというストーリーはベドウィンを利用してオスマントルコと戦うゲリラ部隊に仕立てた「アラビアのロレンス」をいやでも思い起こさせます。実際にフレメンの言葉はかなりアラビア語に近いイメージだそうです。
上坂冬子の「東京ローズ 戦時謀略放送の花」
上坂冬子の「東京ローズ 戦時謀略放送の花」を読了。
Tokyo Roseとは、太平洋戦争中にNHKが英米豪軍向けの謀略放送として短波で放送していたゼロアワーという番組に参加していた女性DJに対して、米軍兵士が付けたあだ名です。この放送には4~5人の英語がネイティブレベルの女性アナウンサーが参加していました。その中の一人がアイバ・戸栗・ダキノで、彼女は日系2世のアメリカ人で、昭和16年の夏に重病だった叔母を見舞うために日本を訪れ、その父親から日本の暮らしを体験して欲しいということで滞在を続けている内に真珠湾攻撃で日米の戦争が始まり帰国出来なくなります。生活のためタイピストをしていた所、英語に堪能ということでNHKに引き抜かれ、アメリカ国籍ということを隠してゼロアワーのDJとして働き始めます。謀略放送といってもジャズをかけて、「あなたたちのお船は全部日本軍が沈めたから、アメリカに帰る船はないはよ」といった他愛も無いもので、むしろ女性の声に飢えていたアメリカ兵士の間で人気になり「東京ローズ」というあだ名が付けられました。戦後アメリカの多くのジャーナリストが来日して、東京ローズの正体を突き止め、独占インタビューをしようとします。そこに軽薄にも名乗ったのがアイバ・戸栗さんで、そのことが彼女の運命を狂わせます。最初戦犯として東京裁判で裁かれますが、実際的に放送は大した効果は上げていないので無罪になります。しかし、アメリカに帰国した彼女は「国家反逆罪」の容疑で逮捕され、裁判で懲役10年、アメリカの市民権剥奪という重罪を受けます。懲役そのものは模範囚として6年半ぐらいで釈放されますが、その後も市民権は回復されず、特赦の請願が3回目の1976年にようやく認められます。このルポは丁度その前後に書かれています。それで彼女の周りの色んな人の証言が丹念に集められていますが、ほぼ全てにおいて真相は藪の中で、歴史というものを客観的に扱うということの困難さが非常に良く分かります。またちょっと感動したのは、アメリカやオランダの捕虜で謀略放送に無理矢理参加させられた人があの手この手で、放送の効果を無くそうとしていたことで、たとえば日本軍発表のフェイクニュースを読んだ後で、ネイティブだけが分かるスラングで「今のは全部冗談です」といったことを付け加えるようなことをしていました。また中には頭が弱い振りをしてアナウンサーの役を免れる一方で、トイレの中で毎日の記録を残していたオランダ人もいます。
東京ローズその人に対しては、アメリカの「国家への裏切り者」への制裁がいかに厳しいか良く分かりましたが、彼女がやったことがそれほどの裏切り行為とは私は思いません。ある意味戦争の犠牲者と言えると思います。
ヴェーバーの「ローマ土地制度史 国法と私法における意味において」の日本語訳ようやく開始、目次部公開
ヴェーバーの「ローマ土地制度史 国法と私法における意味において」の日本語訳をようやく本格的に開始しました。ちなみにこれまで「ローマ農業史」と訳されてきたのは誤訳です。取り敢えず目次までを公開しました。
https://max-weber.jp/archives/1532
和気シクルシイ著「戦場の狗 ある特務諜報員の手記」
和気シクルシイ著の「戦場の狗 ある特務諜報員の手記」を読了。昨日読んだ「まつろわぬもの」との関係は、2つを合わせたものが元々シクルシイ氏の手記であり、最初に出版された「戦場の狗」がかなり氏の諜報員としての活動に焦点を置いて、氏の少年時代の話などをはしょっているのに対し、後者が逆にその切り捨てられた少年時代を中心に構成したものです。そういう意味でこの2つは両方読んで初めて意味があるものになります。
という訳で、この本ではシクルシイ氏の中国や東南アジアでの活動がかなり詳しく書かれています。しかし読んで奇妙なのは、一体何のためにこういう活動をしているのかが不明だということです。松岡洋右が命じたのは、日本軍が非道なことをしていた場合にその証拠集めということですが、もしかすると松岡洋右はその内軍部と完全に対立して相手の力を削ぐ必要が出て来ると考えて、軍の弱味を秘かに握ろうとしたのかもしれません。しかし松岡洋右は太平洋戦争の初期に失脚して酒に溺れやがて病気になり、太平洋戦争の中期以降はもはやシクルシイ氏へ直接命令することをしていないようです。シクルシイ氏への命令は氏と同じようにして教育された相沢中佐からだったようですが、この人が出している命令も謎で、戦略的・戦術的な価値としても不明ですし、また日本軍の非道を暴くにしても、結局後から追いかけているだけです。そのせいなのか、例えば南京大虐殺の話も出てきますが、シクルシイ氏は死者が20万人とか30万人といった、ほとんど中国側が主張しているある意味ナンセンスな数字をそのまま肯定していたりします。そしてシクルシイ氏は東京裁判に最初は松岡洋右の政策遂行についての証人として呼ばれ、松岡が病死した後は、彼自身の所業が審議対象になりますが、結局は戦犯的な行為は見つからず、仮釈放になります。
私の推測ですが、松岡洋右がシクルシイ氏のような人間を育てたのは、一義的には満鉄のために働く人材の養成だったのでしょうが、松岡個人としてはもっと大きく将来の日本のために有用な人間を養成したかったのではないかと思います。松岡は対米戦争には終始反対しており、アメリカと戦争すれば日本が必ず敗北することを、9年間アメリカが暮した者として正確に理解していました。しかし彼がやったこと、つまり三国同盟の推進やソ連との不可侵条約締結は、対米戦争の抑止にはならず、むしろ逆効果でした。そういう意味で晩年の松岡は失意の中にあったようです。なお、松岡が戦争に走った張本人のように思われているのは、東京裁判で病死した松岡を、他の者がすべての責任を押しつけて悪者にした、という要素もあるようです。
ともかくもシクルシイ氏の2冊の本は色々と考えさせられる良書でした。2冊で細部に矛盾がある記述もありますが、75歳のときに50年以上前のことを思い出しながら記述しているのですから、いくら記憶力抜群だったシクルシイ氏とはいえ、それはやむを得ないのかと思います。