カムカムエヴリバディの和菓子屋のモデル?

先日、カムカムエヴリバディの総集編を見てて思ったんですが、安子の実家の「たちばな」という和菓子屋は、小林信彦の生家の和菓子屋「立花屋」から取ったのでは?と思いました。もしかしたら脚本の藤本有紀さんが小林信彦ファン?このドラマでの「たちばな」は空襲で焼け落ち、戦後に安子が何とか復活させようと頑張りますが上手くいかず、結局最終話で闇市でおはぎを盗んだ少年が、「たちばな」という名前を記憶していて、自分で和菓子店を作って「たちばな」と名付けます。小林信彦の実家の「立花屋」も小林信彦の父親が亡くなった後、誰も店を継ぐ者がおらず、結局屋号を別の菓子店に売却することになります。
 
 

白井喬二の「私の歴史文学観」(エッセイ)

白井喬二のエッセイ「私の歴史文学観」を読了。「季刊 歴史文学」という雑誌の1974年11月発行の創刊号に寄せたものです。この時白井喬二は85歳ですが、「歴史と文学」という名前の雑誌からまだ意見を求められるぐらいの知名度はあったようです。内容については、これまで白井が色んな所で述べていることと大きなずれはないのですが、ちょっと面白いのは「国史挿話全集」について言及していることです。これは白井が全国のいわゆる歴史上の有名人物に関する逸話(アネクドーツ)を集めたものですが、全国の知事が収集に非常に協力してくれたと書いています。白井の真骨頂の一つは、怪しげな文献(多くは実在しない)に基づいているとする不思議なエピソードをちりばめることですが、単なる想像だけではく白井の場合はどのような文献があるかを小説家としてこれ以上いないくらい知った上でそうした怪しい文献を創作しているのであり、そこに「いかにもありそうな」という疑似リアリティーが生れます。白井の「国史挿話全集」はさすがの私でも、全部読むことは出来ず、パラパラと眺めた程度ですが、実は日本の大衆の歴史観を知るという意味で貴重な文献なのかもしれません。

本日の「カムカムエヴリバディ」と獅子文六の「悦ちゃん」

今日の「カムカムエヴリバディ」(朝ドラはいつも最初の5分くらいだけ観て家を出ますが、カムカムの後半の怒濤の伏線回収が見事で録画して観ています)、怒濤の展開で今日はついにアニー・ヒラオカがラジオ番組のインタビュー中で突然日本語で自分のことを語り出し、るいに対して「普通の暮らしがしたかっただけなのに…」と呼びかける内容でした。浜村淳さんお年を召されたなあ、と思って見ていました。いわゆる放送事故ですが、これはひょっとしたら獅子文六の「悦ちゃん」へのオマージュもあるのかなと思いました。「悦ちゃん」では和製テンプルちゃんとして売り出した悦ちゃんがラジオに出演し、「パパママソング」を歌うのに途中で歌詞を変え、「碌さん(悦ちゃんのお父さん)どこにいるの、帰って来て!」と叫ぶ放送事故を起こし、それで和製テンプルちゃんの地位は失うけど、放送を聴いた行方不明だった碌さんがスタジオに駆けつけ、という話です。ちなみにNHKの朝ドラの最初のは1961年の「娘と私」ですが、この原作が獅子文六で、ここで言っている「娘」が悦ちゃんのモデルです。「カムカム」の中でも雪衣さんがこのドラマを一生懸命観ているという話がありました。

川口マーン惠美の「メルケル仮面の裏側 ドイツは日本の反面教師である」

川口マーン惠美の「メルケル仮面の裏側 ドイツは日本の反面教師である」を読了しました。私はちょっと前まではドイツのメルケル元首相を現在の世界の政治家の中では優れた政治家だと思っていました。しかし最近ちょっと違うのではないかと思うようになり、この本を読んでみました。作者は右よりの人で出版社もPHPなんで、内容には注意して読みましたが、作者はメルケル元首相の才能自体は認めており、また大体において事実を追っていっており、特に偏見丸出しでメルケルを批判している本ではありません。しかし、読み進める内に、今まで知らなかったメルケル元首相の隠れた面が色々見えて来て有用でした。

(1)学生時代にロシア語を深く学び、ロシア語コンテストで優勝してご褒美でモスクワ旅行しているほどのソビエト・ロシア好き。(東ドイツはソ連の東欧支配時代、ソ連から見てワルシャワ条約機構加盟国の中の優等生でした。)
(2)ともかく権力の座への執着が非常に強く、選挙で勝つためにはそれまでと180度政策の方向性を変えても平気。政敵を陥れる権謀術数にも長けている。
(3)東ドイツ出身でしかも女性という政治家が、元々これ以上ない右より政党のCDU/CSU内で出世出来たのはヘルムート・コール元首相が取り立ててくれたからですが、そのコールが1999年に違法献金問題でマスコミに攻撃されると、新聞にCDUはコールと手を切るべきだという論文を発表し、平然とコールを斬り捨てます。(ちょっと小池百合子を思い出しました。)
最近、メルケルがまだドイツ首相だったらロシアのウクライナ侵攻は起きなかったといったことを、根拠も示さず言う人がいますが、話はまったく逆であり、プーチン政権をもっとも支えてきたのはある意味メルケル時代のドイツです。だからこそゼレンスキー大統領はドイツ議会での演説でドイツを強く批判しました。ちなみについ最近までドイツのエネルギー面でのロシア依存度は実にほぼ5割でした。(ウクライナ侵攻前で、石油が35%、天然ガスが55%、石炭が50%)参考までにイギリスは10%未満です。そうなった原因は、メルケルが元々は担当大臣として原発を推進していたのを、2011年の福島原発の事故をきっかけに180度転換して原発廃止に走り、元々の社会民主党や緑の党の原発廃止案よりむしろ過激で短期間での廃止案を実施に突っ走りました。その結果ドイツのエネルギー自給率は大幅に低下し、代替発電の開発も短期間には進まず、家庭の電気代は倍になり、ロシア依存が強まりました。

後はこれはメルケル元首相だけの問題ではありませんが、ドイツの議会における「大連立」のおかしさ。ドイツは西ドイツ時代の1960年代後半と、メルケル政権で2度の合計3度この大連立をやっており、保守のCDU/CSUとリベラル、左のSPD、緑の党、中道のFPDなどが連立を組んでいます。最初の大連立がどうなったかというと、議会内において野党がほとんどいなくなり、政府に反対する野党勢力は議会外で活動しました。これをAPO(Außerparlamentarische Opposition, 議会外反対勢力)と言います。その連中が何をやったかというとテロです。1970年代後半のドイツでは財界の要人の誘拐や殺害、ハイジャックなどのテロ事件が頻発しました。これを「ドイツの秋」と言います。(ファスビンダーの1978年の映画「秋のドイツ」にちなんだ用語)日本でも1970年代前半に左翼が内ゲバやテロに走り一般市民からの支持を失いましたが、この時のドイツでも同じでした。そしてその暴力路線の極左が暴力路線の行き詰まりの打開のために加入したのが「緑の党」で、この政党は元々保守派の環境運動団体でしたが、ある意味極左に乗っ取られました。なので私は緑の党は基本的に信用していません。
次にメルケル時代の2度の大連立(2005~2009年、2013年~2021年)で何が起きたかというと、
(1)メルケルが選挙に勝つため、SPDや緑の党のリベラル政策を積極的に取り入れ、この結果SPDの政策の新味が無くなり国民の支持を失って没落します。(日本で1990年代に自民党と組んだ社会党があっという間に没落したのと似ています。)
(2)本来これ以上右は無いという政党だったCDU/CSUをメルケルがリベラル路線に変えたため、元々の保守の支持層は離れCDU/CSUの代りにAfD(Alternative für Deutschland、ドイツのためのもう一つの選択肢、という意味)という極右勢力支持に流れ、AfDが5%条項を超えてそれなりの議席(2021年の連邦議会選挙では83議席)を確保することになります。(ドイツではワイマール時代の小党乱立からナチスが生れた反省から、得票率が5%を超えないと議席は0という仕組みがあります。)ちなみにAfDは一部でネオナチと批判されています。

まあこんな感じでドイツの政治の状況を整理出来たのは有用でした。メルケル元首相とトランプ元大統領は、ある意味ポピュリズムという同じコインの裏表ですね。しかし民主主義において何かをやろうとしたら選挙に勝つしかなく、政治家がポピュリズムに走ってしまうのはある意味仕方がないのかもしれませんが。

白井喬二の「麒麟老人再生記――久米城クーデター余聞」

白井喬二の「麒麟老人再生記 ――久米城クーデター余聞――」を読了。白井喬二が死の前年の1979年に書いた絶筆です。ぎょうせい、から出ていた「ふるさと文学館」の鳥取編に収録されたものです。読む前は89歳という年齢から軽いエッセイだとばかり思っていましたが、どうしてどうして立派な小説でしかも非常に面白い名作でした。米子藩の付属の小藩の隠し家老で荒尾勝宏という67歳の武士が、本家のお家騒動のとばっちりで浪人となり、自身が20年前の島原の乱の時捕虜にしたものを解放し、送って旅をします。その途中でその者を引き取りに来た姉の役者をしていた十朱太夫と知り合い、その芸を見て一目惚れし、…という話です。89歳の人間が67歳の人間の「老いらくの恋」の話を書くというのもすごくて、白井喬二先生、ちっとも枯れていないのが分かって嬉しくなりました。この老人は自分の藩の隠し砦を自ら設計して建築し、それを30年以上守ってきた人ですが、実ははっきりとは書いていませんが、剣の達人で色んな因縁で命を狙ってくる者を簡単にではありませんが、傷つきながらも次々に倒して行きます。その結果、本藩より武芸指南のスカウトの声がかかり御前試合が行われますが、十朱太夫との恋に命をかけていた老人は主君の前で…という話です。何というか主人公の老人の飄々としながらも筋を通し、若さを取り戻していく様が何とも言えずいいです。やはり白井喬二はいいな、と改めて見直しました。

河口俊彦の「大山康晴の晩節」

河口俊彦の「大山康晴の晩節」を読みました。最初にこの本が出たのは2003年だったと思いますが、その時読んでいるのでおよそ20年弱ぶりの再読です。この本のことが思い出されたのは、最近羽生善治9段がついにA級から陥落したという報道があり、改めて69歳で亡くなるまで実に44期もA級在籍を続けた大山康晴名人のことが思い出されたのと、その大山名人に風貌が似ているとされる渡辺明名人が王将戦で藤井聡太竜王に敗れたなどで、大山名人のことについて改めて知識を新たにしたいという気持ちがあったからです。
タイトルの「晩節」ですが、この言葉の本来の意味は人の人生の最後の時節ということでニュートラルな表現ですが、「晩節を全うする」という言い方はほぼ死語になりつつあり、一方で「晩節を汚す」は政治家などのスキャンダルなど今でも良く使われる表現です。なのでこの本の記憶は、大山名人がいわゆる番外戦術を駆使したやり方や盤上の露骨なNo.2つぶしなどが先に立ち、どちらかというと「晩節を汚す」的な印象を持っていました。ところが改めて読み直してみて、むしろ死を翌年に控えて順位戦で好成績を残し挑戦者決定戦にまで進んだことや、三度目の癌による入院の直前まで対局を続けた姿に素直に頭が下がりました。確かに加藤一二三と最初に名人戦で戦った時の最終局の最後の場面など、あまりにも露骨で嫌になりますが、おそらく大山名人自身もそのような仕打ちを先輩棋士に受けながら、それを跳ね返して名人になったのだと思います。
今は将棋界は藤井聡太五冠の大ブームの最中ですが、藤井5冠が50歳を過ぎても大山名人のように勝ち続けられるだろうかという点については疑問に思います。AIに人間が勝てなくなった時代だからこそ、大山名人や升田幸三名人の将棋の価値が改めて見直されるのだと思います。

アストリッド・リンドグレーンの「ペレ、家を出る」(ハインツ・リューマンのクリスマス朗読集)

アストリッド・リンドグレーンの「ペレ、家を出る」を買って、表題の話だけ読みました。(ドイツ語)これは元々、ハインツ・リューマンというドイツの名優(「狂乱のモンテカルロ」「ガソリン・ボーイ三人組」といったドイツの表現主義映画の全盛期の俳優)がクリスマスにちなむお話を朗読していたレコード(学生時代に買ったもの)に入っていたお話です。このレコード、非常に売れたみたいで、CDでも出ていますし、YouTubeにもその中身が上がっています。このお話のは、下記にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=-1vw45E92sA
このお話自体は、5歳くらいのペレという男の子が、ある朝お父さんからまた私の万年筆を勝手に持っていっただろう、と冤罪を着せられてすねて家を出ようとする、という他愛ないお話です。その中で、ペレが家出の際に持ち出そうとするのが、ハーモニカと「マックスとモーリッツ」(漫画の元祖と言われる悪戯好きな男の子2人の絵本。私は、マックス・ヴェーバーに関連したサイトの管理人としてのハンドル名をモーリッツにしていますが、このお話から取ったものです。)というのが面白くて、ちょっと原作を確認してみたものです。作者のアストリッド・リンドグレーンって誰だろう、と思ったら何と「長くつ下のピッピ」を書いた超有名な児童文学者でした。それで何と原作には「マックスとモーリッツ」は出て来なくて、別の絵本でした。おそらくハインツ・リューマンが「マックスとモーリッツ」の方が知っている人が多いと思って変えたのではないかと思います。
話の内容は単純ですが、でもちょっと心暖まるお話で、クリスマスの時に聞くのに適した話だと思います。リューマンのレコードにはこの他、ルカ福音書のキリスト誕生の場面とか、リルケの「若き詩人への手紙」とか、ヘルマン・ヘッセの「段階(Stufe)」とか、そんな話が入っていました。少し内容は変わっていますが、今でもCDが販売されており、Amazonで買えます

「ローマ土地制度史」の日本語訳の6回目を公開

ローマ土地制度史」の日本語訳の6回目を公開しました。いよいよ本論に入り、ローマの測量と区画割りの具体的な手法の説明があります。しかし公共建築で有名なローマの割りには、測量と区画割りの技術は原始的という印象です。特に基準線に東西の線を使うのですが、その基準とする日の出の方向が年間で移動するのを考慮していなかったというのは驚きです。

ジェイ・ハインリックスの「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」

ちょっと前に読んだ本。ジェイ・ハインリックス著、多賀谷正子訳の「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」。会社で部下に表現の技術としてレトリックの概略説明をしたことがありますが、その時に参考文献に挙げたものの一つ。ただ、Amazonで評価が高かったから選んだだけで自分では読んでいなかったので、読んだもの。私の学生時代はレトリックがある種のリバイバル・ブームで、正確に言えば1960年代くらいにフランスのロラン・バルトあたりぐらいから再度ブームになったのですが、教わっていた先生がレトリックの研究をしていて、そのため多分レトリックに関する本は20冊以上読んでいると思います。なので今さらなのですが、なかなか本当の意味での実践的なアドバイスを書いている本は少ないのが、この本はその点が良く出来ていると思いました。本当はレトリックについて知りたかったら、アリストテレスの「弁論術」から始めるのが本道ですが、手っ取り早く効果を出したい、という人にはお勧めかも。ただ出て来る例がアメリカに偏っているので(例えばアニメのシンプソンとか)、そういうの知らないと理解しづらいかもしれません。