ハロウィーン考:社会の二重構造と「ケ」と「ハレ」

今読んでいる”The Dawn of Everything: A New History of Humanity”に面白いことが書いてあります。17-8世紀の北米カナダのネイティブアメリカンの多くの部族は面白い社会を持っていました。それは食物が容易に手に入る春~夏~秋の間は家族中心の小集団がそれぞれ別れて狩猟採集で暮らし、ある意味「平等社会」で暮すのを、冬になるとある場所に集まって暮して保存した食べ物を消費して暮しますが、そこは「階層社会」だったそうです。有名なポトラッチ(贈与合戦)もその階層を決めるための手段でした。(より多く他者に贈与をして気前の良さを示した者が上位の階層となる。)筆者の二人によると実はこのように季節によって社会構造を変えるというのは北米のネイティブ・アメリカンだけでなく、歴史的にも世界的にもかなり多くの社会で見られるのだそうです。なので狩猟採集の原始共産制社会が農耕が始ると貧富の差が出来て階層社会が出来たなどという発展段階説は、こういった歴史的事実をまったく説明出来ていません。
それでは現代の社会が何故季節性を失って単一の社会構造になったかですが、実は現代社会にもかつての名残があって、それが欧米での「ホリデーシーズン」だと筆者達は言います。(欧州については夏のバカンスも。)アメリカ人がお互いに贈り物をしあうのはこの時期にほぼ限定されます。そう考えると日本の「ハレとケ」も本来はそういう同一社会の時間によって変わる二重構造の現われではなかったのかと。またハロウィーンという欧米の習慣(キリスト教の習慣ですらない)が何故日本や韓国で近年これだけ享受されたのかという説明もこれで出来そうです。即ち昔「ハレ」として社会のガス抜きの意味を果たして来た伝統的な祭などが形骸化し、そこで満たされない「馬鹿騒ぎ・社会秩序の否定」が日本や韓国でのハロウィーン騒ぎではないかと。そう考えると、日本で47都道府県の内、1つだけそういう伝統的「ハレ」を今でも強く維持しているのが、徳島の阿波踊りではないかと。「踊る阿呆に見る阿呆」というのは、ヨーロッパでの「驢馬のミサ」(カーニバルの起源で、〈愚者の饗宴〉では,少年や下級僧の間から〈阿呆の司教〉が選ばれ,祭りの期間は通常の秩序や価値観が逆転した世界が支配した)とまったく同じ役割を果たしています。今年の3年ぶりの阿波踊りでコロナ感染者が多数出たり、ソウルでハロウィーンで多数の死傷者が出たというのも、そういう「無礼講・狂乱状態」だと考えると理解が出来そうです。(亡くなられた方には謹んで哀悼の意を表します。)

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