獅子文六の「箱根山」

獅子文六の「箱根山」を読了。1961年に朝日新聞に連載されたもの。獅子文六については、もう一通り読んだ気になっていましたが、この「箱根山」は中々の傑作で、とても面白い作品でした。まず、1950年代から60年代にかけて「箱根山戦争」と呼ばれた、西武グループと小田急グループ+東急グループの箱根の観光開発、交通手段への投資を巡る熾烈な争いがあったのを、恥ずかしながらまったく知りませんでした。箱根というと私は小田急のイメージしかなかったのですが、そう言えば以前正月に行った箱根の水族館が入っている芦ノ湖沿岸の施設は西武系でした。この箱根山戦争には、さらに藤田観光もからんで三つ巴の戦いになったようですが、この辺りを獅子文六は仮名にして興味深く描いています。
しかし小説としての主題は、「足刈の湯」(モデルは芦ノ湯)にある二軒の温泉旅館である若松屋と玉屋の争いです。この二軒は元々兄弟がそれぞれ経営していて親戚なのですが、いつからかこの二軒が他の旅館を駆逐した結果、代々激しく争うことになります。お話は、この二軒の宿の、玉屋側の、太平洋戦時中に箱根に滞在したドイツ兵が日本人旅館女中との間に設けた乙夫と、若松屋の経営者の娘である明日子の恋、まるでロミオとジュリエットみたいな恋ですが、中心で進んで行きます。この乙夫君がなかなかさわやかなキャラクターで、頭が非常に良い上に運動も良く出来、旅館での客あしらいもうまい、と魅力的な人物に描かれています。この乙夫と明日子の恋がドロドロした所のない、とても好感の持てるもので、そこがこの小説の魅力です。また、若松屋の主人が旅館の主人にしては学問好きで、箱根には古代「アス族」が住んでいたという仮説を打ち立てていて、というのもフィクションではなくモデルがいるみたいです。9月に新刊の文庫として出ました。(私は講談社の大衆文学館の文庫本を古書で購入しました。)

白井喬二の「巷説怪猫の城 -久留米城-」

白井喬二の「巷説怪猫の城 -久留米城-」を読了。歴史読本の昭和38年の8月号です。「捕物にっぽん志」はどうやら連載24回(2年間)で終わったようで、この号では「捕物にっぽん志」とは関係の無い独立の作品です。というか小説とエッセイの中間みたいなあまり出来がいいとは言えない作品です。
「有馬の猫騒動」というのがあって、ここに書いてありますが、白井もこの話をなぞって説明しています。というか有馬の猫騒動の真相を究明しようとしたのか、太田蜀山人がその話を真実だと思っていないのに、たまたまその有馬屋敷からもらったサルスベリの木に登った自宅の猫が有馬屋敷の猫と同じだと思っておびえる、というのを面白く書いた作品なのか、よくわからない話です。

白井喬二の「大膳獵日記」

白井喬二の「大膳獵日記」(だいぜんりょうにっき)を読了。昭和15年に興亜日本社という出版社から出た「十大作家傑作選 武将とその妻」に収録されているもの。この本はヤフオクで買いましたが、最低価格(500円)で落札でき、しかも白井作品は未読のものと、掘り出し物でした。
栗山大膳は黒田藩で起きた「黒田騒動」の中心人物です。白井は以前「或日の大膳」という短篇を書いています。こちらの作品は、黒田藩の二代目の忠之が自身の小姓であった倉八十太夫を家老に取り立てようとしたのを大膳が妨害しますが、それを十太夫の親類である若い男が憤って大膳を殺そうとするが失敗する話です。
「大膳獵日記」はそのもっと前で、黒田長政がまだ生きていた頃の話です。長政が跡継ぎである忠之の資質を見限って、大膳に川漁の際に秘かに忠之を深みに引きずりこんで溺死させよ、と命じます。しかし大膳はそれを実行できず、逆に忠之から狩猟に誘われます。それを大膳は、忠之が自分の殺意を見破って逆に自分を討ち取ろうとしているのではないかと考え、もしそうなら忠之も明察の力があり見所があると希望を抱きます。そして数日後に実際に忠之と狩猟に出かけた時、数人の者に襲われます。さてこの者達は忠之が命じたものかどうか…という話です。
面白いのは、サブタイトルが「黒田騒動盡忠侍女」となっていて、確かに忠之の侍女は登場するのですがまったくどうでもいい役回りで、とても「盡忠侍女」などとは言えないことです。この辺りのアバウトさがさすが白井喬二という感じです。一応他の作品名と作家名も記録のため書いておきます。
「武将とその妻」菊池寛
「大膳獵日記」白井喬二
「貞婦照姫」海音寺潮五郎
「忠興の妻」笹本寅
「黒田如水軒」長谷川伸
「烈女千惠」湊邦三
「武士の妻」長谷川時雨
「義戦の蔭に」鷲尾雨工
「蓮月尼」土師清二
「めぐる杯」奥村五十嵐
「孝貞碑銘」邦枝完二

黒田勝弘の「韓国 反日感情の正体」

黒田勝弘の「韓国 反日感情の正体」を読了。筆者の黒田さんは産経新聞のソウル支局長を長く勤められた方で、現在(この本の出版の2013年当時)もソウルに駐在されています。昔から、産経新聞の朝鮮半島情報は正確さで有名で、それを支えていたのが黒田さんです。元々産経新聞は今でこそ韓国内で極右新聞扱いされていますが、1970年代には朝日新聞や岩波書店は北朝鮮を礼賛する一方で韓国については悪口ばかりを書いており、それに対して朴正熙の経済拡大政策をきちんと評価した記事を書いていたのが産経新聞でした。
最近の、文在寅大統領の「反日」ぶりがあまりにひどいので、改めてこの本を読んでみましたが、基本的は既に知っていることが多くて、それを再確認したという感じです。韓国人にとっての反日は、結局植民地支配を受けただけではなく、そこからの解放を自らの独立戦争のような形で行うことができず、連合軍という外部から与えられた、という屈辱(=トラウマ)から来ており、その歴史を何とかして否定して書き直そうとしている所から来ている、という点は同感です。
2000年頃、KPOPSのCDを集めていた時期がありますが、その頃のKPOPSの歌詞で「もう2000年代なんだから、いつまでも過去にこだわって反日ばかり言っていないで、未来を見て進もう」みたいな歌詞があって、いい傾向だなと思っていたのですが、韓国の民主化というか左化によって、また元に戻ってしまったようです。この歌詞にあるように、「反日」のようなネガティブな気持ちからは何も建設的なものは生まれません。「反日」にこだわり続ける限り、韓国が日本より良い国になるということはないと思います。

白井喬二の「登龍橋」

白井喬二の「登龍橋」を読了。こちらもわずか12ページの短篇です。「耳の半蔵」と呼ばれた名与力の瀬尾半蔵が、年齢62になって引退を願い出ようと、自らが「登龍橋」と秘かに呼んでいる大江奉行の屋敷の橋を渡ろうとした時に、たまたまタケノコ売りの声が聞こえ、その話をヒントに、半蔵が手がけた事件の中で唯一失敗した真珠貝盗猟事件の謎を解き明かし、犯人が偽物のタケノコの中に真珠貝を隠していたのを突き止めるという話です。「耳の半蔵」だからヒントを耳から得る、というのが面白いですが、タケノコの中に隠すというのは、まあ白井らしい奇抜な発想です。

白井喬二の「竹林午睡記」

白井喬二の「竹林午睡記」を読了。わずか12ページの短い作品。江戸の捕物制度の基礎を作った蘭学者の倉田九五が、自分が学んだ探偵術を実践しようと隠密に成ることを願い出て許されるが、なかなか適当な事件は起きず昼寝を繰り返す毎日。そこに大和小僧という盗賊が間もなく処刑されるという話を聴き、大和小僧の犯罪とされている西洋時計の紛失の謎を解こうとします。大和小僧の処刑の日に、犯人と目星を付けた人物を糾弾するのですが、その話を聴いていた別の人物が逃亡して、犯人はそっちだったという、探偵術が役には立たなかったお話です。

白井喬二の「捕物源平記」

白井喬二の「捕物源平記」を読了。読了といっても、第26席より第30席まで欠落しており、なおかつ第40席で終わってしまって未完という作品です。ですが、白井喬二の捕物小説の中では一番良く出来ているのではないかと思い、完成していないのが非常に残念です。お話は、徳川綱吉が将軍だった頃の話で、平家の子孫が平家再興を目指して同志を集めていこうとするのに対し、名与力の島桐助太郎がその動きを察知し、その同志を捕らえようとして丁々発止の争いをするというものです。おそらく与力方が源氏と見なされていて「源平記」になっていると思います。最初に平家の子孫の一人大鹿毛舎人がそうだと分かるのが面白く、絵師の狩野雪信がある宿の主人に頼まれてある屏風に平家の公達の絵を描くために、平家の公達の面影があるモデルを探していて、それで舎人を見いだすというものです。舎人は雪信から、もう一人モデル候補がいたことを聴き、それが住月庫人で庫人も平家の子孫でした。舎人が庫人に会いに行くと、庫人は与力の助太郎によって捕らえられており、舎人は庫人の破牢を手伝います。
途中をはしょりますが、舎人はある日平家の時代から伝わる大切な緞子の財布を掏摸に擦られてしまいますが、その掏摸がたまたま助太郎に捕まって、助太郎はその財布が平家の子孫に関係があると睨み、ある商人に鑑定を頼みます。鑑定は見事に行われたのですが、その財布は途中で盗まれてしまいます。しかし、それは助太郎がその商人が唐人西僚というどちらの味方になるか分からない怪しい学者と昵懇なのを知っていたため、財布が盗まれたのは実は助太郎の自作自演で自分が平家の子孫を探っていることを西僚に知られないようにするためでした。という感じでなかなかストーリーは凝っています。
何故未完の作品が平凡社の全集に収録されたかの事情は不明ですが、一部だけでも読む価値は十分にあったと思います。

白井喬二の「随筆感想集」(平凡社の全集の第15巻収録)

平凡社の白井喬二全集の第15巻に収録されている「随筆感想集」を読了。全体に、随筆として非常に面白いという物は少なかったですが、白井喬二に関する色々な事を知る資料としては貴重でした。
一つ後悔したのは、「幸吉君の印象」というエッセイを読んだ時で、このエッセイは夭折した画家の小野幸吉と白井喬二の交わりの話なのですが、調べてみたら、小野幸吉は酒田市の生まれで、その作品は本間美術館に展示されているとのことでした。旅行前にこのエッセイを読んでいたら、8月の旅行で本間美術館に行ったのに!と残念に思いました。(今回、本間屋敷には行ったのですが、そこで入場券を買う時に、本間美術館と共通券にしますかと聞かれて、時間もあまり残っていなかったので断ってしまったのでした。)
また、いくつかのエッセイで小説と歴史の区別が論じられます。以前もこのことについて書いたことがありますが、白井は「歴史」はその時々の為政者によって都合良くでっち上げられたものであるという考えを持っており、小説の役目はむしろそういう「正史」には出てこない本当の真実をあぶり出すことだと考えていたようです。また白井によれば「史」が最後に付く歴史書はそういう為政者によるでっち上げがほとんどですが、「志」が最後につくものは比較的真実が書かれていることが多いといのことです。白井の「捕物にっぽん志」で何故「志」が使われているのか、これで謎が解けました。
後は細かいことですが、白井が夏の暑さを「九十度」と表現しているのが気になりました。これは明らかに華氏での表現ですが、日本で華氏が一般的に使われたことがあったのでしょうか?

白井喬二の「国史挿話全集」と「日本逸話大事典」の関係

白井喬二の本で、購入して唯一ほとんど読んでいないのが、「国史挿話全集」です。(全10巻)「畸人編」の最初の方をちょっと読んだだけ。一つ一つの話がそれほど面白くない上に、文語ですから、さすがにこればかりは敬遠していました。これ以外に、昭和42年になって出版された「日本逸話大事典」というのが、やはり白井ともう一人の編で出ています。この2つの本の関係がよく分からなかったのですが、今回「日本逸話大事典」全8巻を古書店で購入しました。それで分かったのが、カテゴリー別になっている「国史挿話全集」を登場する人物のあいうえお順で並べ替えたのが「日本逸話大事典」でした。全部を確認した訳ではありませんが、取り敢えず「井伊家」にまつわる話を3話確認した所、2つの本で収録されている話はまったく同じでした。「日本逸話大事典」の方が現代語訳されているなら、それはそれで価値がありますが、文語のままでした。どっちの本も読み通すのはかなり先になりそうです。

中里介山の「大菩薩峠」第20巻

中里介山の「大菩薩峠」第20巻を読了。とうとう全巻読み切りました。2ヵ月と10日くらいかかりました。(途中他の本を色々読んでいたので、これだけを読み続けていた訳ではありません。)
結局、最後の巻まで来ても、色んな伏線はほとんどが決着が付けられないままでした。唯一決着が付いたのが、駒井(元)能登守(駒井甚三郎)がお松に結婚を申し込み、お松がこれにすぐ承諾の返事をして二人が夫婦になったということです。お松はこの物語の冒頭で、龍之助に理不尽にも祖父を斬り殺された不幸な少女でしたが、最後になって理想的な夫を見つけたことになります。これに対して馬鹿を見ているとしか言いようがないのが宇都木兵馬で、元はお松と相思相愛の筈でした。しかし、お松は兵馬のことなどまったく忘れてしまったかのように、駒井のプロポーズを喜んで受けます。また、この小説の最大のテーマであった筈の兵馬の敵討ちは、結局最終巻でも果たされず、それどころか兵馬は琵琶湖の畔で、龍之助の卒塔婆(お銀様が龍之助とお雪が心中したと思って建てたもの)を見て呆然とします。
駒井(元)能登守が率いる無名丸は、南に向かって無事にミッドウェー諸島あたりの無人島にたどり着いて、そこで植民を開始します。植民は順調でしたが、しかし、無人島だと思っていた島にはフランス人の人間嫌いの先住者がおり、その者がユートピア建設を目指したものは古今多数いるが、その全てが失敗していると駒井に話し、駒井のユートピアも先行き破綻するであろうことがそれとなく匂わされます。
それから例のお雪ちゃんの妊娠疑惑は、結局最後まで曖昧なままで終わります。(まったくあれは何だったんだ…)
一方で龍之助ですが、前巻辺りから、それまでのニヒルで無口なキャラクターから一変して、やたらと饒舌になり、大原の寂光院に住む年増の美人の尼さんといい仲になります。作者の述懐によると、机龍之助のキャラを模倣したのがその当時の時代小説や映画にあふれていたのをうんざりしていたみたいで、元祖として龍之助のキャラ設定をいじったんじゃないかと思います。
お銀様の方のユートピア建設は、胆吹山の方は簡単に失敗して今度は山科の光悦屋敷を買い取って、そこで戦火に紛れようとしている古美術の類いを買い占めるということをやり出します。その中で不破の関守が、岩倉具視に取り入って何やら企んでいる様子が描かれますが、その先どうなるのかまったく不明のまま終わります。
ともかく、作者自身もここで終わらせたかった訳ではまるでなく、まだまだ先を考えていたんでしょうが、残念ながら唐突に終わってしまいます。この先の原稿も少しはあったようなのですが、空襲で焼けてしまったということです。
全体を通して言うと、正直な感想は「失敗作」だと思います。人間の有限な生、というのを考えないで書き継がれた小説のように思います。