これが、白井喬二の「金色奉行」が連載されていた、「評判 講談の泉」という雑誌です。昭和25年の3月号(第5集)です。白井喬二の他に、山岡荘八の名前も見えますから、決していい加減な雑誌ではなかったのかもしれませんが、別冊大附録が「特ダネ 情痴犯罪秘帖」ですから、内容は推して知るべし。1ページめくると、女性が裸でスポーツに興じているイラスト。どう見てもカストリ雑誌にしか見えません。
と思って調べてみたら、この雑誌を出していた矢貴書店という出版社は、後に桃源社を創業した、矢貴東司が作った書店だということがわかりました。桃源社は国枝史郎の「神州纐纈城」を初めて完全な単行本にして出してその真価を知らしめた出版社ですし、白井喬二の本も出しています。
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昭和26年の「別冊 モダン日本」
白井喬二の「十両物語」という作品が載っている、昭和26年の「別冊 モダン日本」というのを古書店から買いましたが、確かに巻頭が白井喬二なのですが、グラビアに安っぽいヌードが載っていて、これはいわゆるカストリ雑誌なのでは、と思います。もう一冊、昭和24年の「評判 講談の泉」というのも買い、こちらは白井の「金色奉行」が連載されていたのですが、これもカストリ雑誌ぽいです。白井喬二ほどの作家がカストリ雑誌に書いていたとは…ちょっとショックです。
「モダン日本」自体は戦前からあって、決してカストリ雑誌ではなかったようです。しかしそうした雑誌ですら戦後はエロ路線に走っていたという証拠ですね。
Wikipediaの「カストリ雑誌」の項には、カストリ雑誌の例としてこの「別冊モダン日本」が挙げられています。この「別冊モダン日本」を編集していたのは吉行淳之介だということです。びっくり。
白井喬二の「春雷の剣」
白井喬二の「春雷の剣」を読了。「オール小説」の昭和31年7月号に掲載。白井喬二の時代に、講談のネタとして有名だった、南部藩の「相馬大作」を主人公にした短篇。実は、白井喬二の作品では「相馬大作」を扱ったものが後2作あります。一つは、1938年に「日の出」に掲載された「相馬大作」、もう一つは共同通信系の地方紙夕刊 1952年12月-1953年6月掲載された「新説相馬大作」です。後者は長篇作品ですので、今回読んだものとは違いますが、前者が今回読んだものと同じなのではないかと推定しています。白井がタイトルを変えることはよくありますし、戦前の作品を戦後の雑誌で発表し直すのもよくあるからです。但し、現時点では証拠はありません。
お話は、津軽藩と南部氏の盛岡藩が昔から色々と遺恨を持っていたものを、幕府へ檜を献じるという事から、盛岡藩の檜山を津軽藩が自藩のものとしたことから諍いが起こり、盛岡藩の相馬大作が、津軽藩の藩主を二代に渡って暗殺するという話です。これは講談に沿ったストーリーで、実際は相馬大作の津軽藩主暗殺の試みは一度だけで、しかも杜撰な計画のため失敗に終わっています。しかし、この試みは江戸市民によって「赤穂浪士の再来」として騒がれ、講談などで取り上げられると、いつの間にか暗殺は成功したことにされ、白井のこの作品もその線に沿ったものです。白井のこの作品では相馬大作が二代の藩主の暗殺に成功した後、自首しようと考える倫理的な男として描かれており、そこが白井喬二らしいです。
白井喬二の「修羅春告鳥」
白井喬二の「修羅春告鳥」(しゅらうぐいす)を読了。大日本雄弁会講談社の「講談倶楽部」昭和25年4月倍大号に掲載されたもの。
老中堀田正俊の譜代の家臣であった前島勘吾正平は、主人の正俊が将軍綱吉の勘気に触れて殺された後、府内多摩郡に百姓として隠れ住んでいました。その娘のお喜禰(おきね)は百姓の娘には見えない美人で、悪代官の高杉京左衛門に目をつけられてしまいます。勘吾を訪ねて正俊の息子である堀田明敏がやってきますが、折から街道を騒がせていた盗賊の暁袈裟六(あかつきのけさろく)と間違われて代官所のものに審問され、正俊の名誉を回復するために携えてきた書面を代官所の人間に奪われてしまいます。明敏に恋したお喜禰は、それを取り戻そうと代官所に掛け合いに行きますが…といった話です。しかし、お話しのお膳立てが色々ある割りには、ストーリーとしての展開が弱く、あっという間に終わってしまいます。単行本になっていないのも無理ないな、と思わせる作品でした。
白井喬二の「綺羅の源内」
白井喬二の「綺羅の源内」を読了。大日本雄弁会講談社の「キング」の昭和11年8月の臨時増刊号に掲載されたもの。
不入斗(いりやまず)源内とその女房のお麻は、夫婦揃って尾羽打ち枯らし、源内は空腹のため奉納試合で不覚を取ってしまい、追い詰められ夫婦で心中しようとします。その時女房のお麻が、一年前に雨宿りの武士から預かった風呂敷包みを天井裏に隠しておいたことを思い出します。死ぬ前に中身を確かめてみると、立派な男物の着物と、十両のお金、手紙と印籠が出てきました。手紙は自分はてんかんの病があっていつ倒れるか分からないので、この手紙を読んだ人は印籠を然々の所へ届けて欲しい。着物と十両は謝礼に呈す、とありました。死の直前で僥倖に見舞われた二人は、有り難く着物とお金を受け取り、印籠を届けに旅立ちますが…といった話。あまりひねりはありませんでしたが、最後はハッピーエンドで読後感がいいお話しでした。1936年に阪妻プロダクションにより映画化されています。
白井喬二の「盟路」
E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」
E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」を再読了。この作品は、「インドへの道」と並んでフォースターの代表作とされる作品ですが、以前(25年くらい前)に読んだ時は、翻訳のせいなのかピンと来ないお話しでした。今回、別の翻訳で読んで初めてこの小説がわかったような気がします。ハワーズ・エンドは、ロンドンから鉄道で40分ばかりの郊外にある、ウィルコックス家の小さな屋敷で、フォースターが母親と幼少期に暮らした「ルークス・ネスト」がモデルになっています。お話しはこのウィルコックス家と、ドイツ軍人であったけどイギリスに帰化した父親を持つ、シュレーゲル家の姉妹の関わりを中心に進みます。最初に、シュレーゲル家の妹の方であるヘレンが、ハワーズ・エンドに滞在し、そこでウィルコックス家のポールと一夜での恋愛関係に陥り結婚騒ぎになりますが、すぐに熱が冷めて二人は別れます。そうこうしている内に、ロンドンのシュレーゲル家の近くにウィルコックス家が引っ越してきて、姉のマーガレットがウィルコックス夫人と親しくなります。しかし、夫人は病死します。その際に何故かマーガレットにハワーズ・エンドを送るという遺志を残しますが、遺族はそれを無視します。という具合に始まり、最後はシュレーゲル家の姉妹が結局ハワーズ・エンドに住むことになるのですが、このハワーズ・エンドという屋敷自体が何か神秘的な力を秘めているものとして描かれています。また、サブタイトルが”Only connect…”(ただ結び合わせよ…)なのですが、そのサブタイトル通りに、このお話しはイギリスとドイツの出会いと結びつき、またイギリスの上流階級と労働者階級の結びつきを描いています。波瀾万丈といったストーリー展開ではないのですが、何故かしみじみと心に染みる作品です。
白井喬二の「維新の志士を憶ふ」(エッセイ)
白井喬二の作品で、これまでは単行本になったもののみを求めていましたが、古書店サイトで単行本になっていない雑誌掲載の物も探し始めました。
白井喬二の「維新の志士を憶ふ」(エッセイ)を読了。昭和19年の「青年読売」(時局雑誌とある)の8月号に掲載されたもの。「竹槍一億本団結だ」という特集の中の一つ。内容としては、維新の志士の団結がいかに強いものだったかを振り返って国民の団結を訴えたもので、この時期の白井によくある時局迎合的なもので、ほとんど取り上げるべき中身はないです。
この雑誌が出た昭和19年7月は、サイパン島が陥落し、首都圏への空襲がきわめて現実的になった時期です。6月末に「学童疎開促進要項」も発表され、学童疎開の計画が具体化し出します。記事の中に、北九州が空襲された時の話が出てきます。この時期に至っても、連合艦隊が健在であるような記事が出てきます。非常に薄い雑誌で、紙質もかなり悪いです。「青年読売」は「月刊読売」が時局の悪化による雑誌統合の時に名前を変えたものです。
白井喬二の「国民童話 自然のめがね 科学知識篇」
白井喬二の「国民童話 自然のめがね 科学知識篇」を読了。昭和17年に小学館から、全5巻の「国民童話」として出たものの1巻。この頃の白井は、「東亜英傑伝」全8巻もそうですが、子供向けのものをたくさん書いていたようです。この「自然のめがね」は、宇宙の話、海の中の珍しい生物の話、発電の仕組みの話、工場の旋盤などの機械の話、人体の仕組みの話などが、短いお話し形式で語られますが、一方で原子爆弾が開発されつつあった時代に、子供向けとはいえ、これはないんじゃないか、という感じの科学知識としてはレベルの低いもので、特筆すべき点が見当たりません。ちょっと、と思ったのは「光は粒子である」と書いてある点で、この頃は既に光は粒子と波の両方の性質を持っていることは知られていたはずです。白井が最新科学の知識を仕入れていなかったのでしょうか。
全5巻の他の巻は、「よい国よい話(日本古典篇)」「童話の四季(児童生活篇)」「虹の橋(国史物語篇)」「東亜のまもり(国防知識編)」です。「国史物語篇」があるのが、白井らしいです。
白井喬二の「わが憂国の教壇記」(エッセイ)
白井喬二の「わが憂国の教壇記」を読了。文藝春秋の昭和38年9月号に掲載されたエッセイです。白井は学生の時に、故郷の鳥取で小学校の代用教員を経験しますが、その時の体験を綴ったものです。その小学校は現在も鳥取市にある「面影小学校」です。この時、白井は宮部チヨという「肌の綺麗な受口の格好に魅力があった」という独身の女性教師と一緒に仕事をすることになります。特に当時の島根県知事から各小学校に課題が出て、それを白井とこの宮部という女子教師が協力して報告書を書くことになります。驚くべきは白井の記憶力で、このエッセイが書かれた時白井は74歳ですが、おそらく50年以上前のことであるのに、当時担当した尋常小学校2年生のクラスの子供たちの氏名をほぼ8割方記憶していて、このエッセイ中に記載しています。(自身、「異常な記憶神経がある」と書いています。)白井は明らかに宮部に好意を持っていたようですが、時代が時代ですから、ラブロマンスのようなものには発展せず、期間が過ぎると白井は彼女と別れます。教育論としては、特に見る所のないエッセイですが、白井の代用教員時代の様子がわかって貴重なエッセイでした。