E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」

E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」を再読了。この作品は、「インドへの道」と並んでフォースターの代表作とされる作品ですが、以前(25年くらい前)に読んだ時は、翻訳のせいなのかピンと来ないお話しでした。今回、別の翻訳で読んで初めてこの小説がわかったような気がします。ハワーズ・エンドは、ロンドンから鉄道で40分ばかりの郊外にある、ウィルコックス家の小さな屋敷で、フォースターが母親と幼少期に暮らした「ルークス・ネスト」がモデルになっています。お話しはこのウィルコックス家と、ドイツ軍人であったけどイギリスに帰化した父親を持つ、シュレーゲル家の姉妹の関わりを中心に進みます。最初に、シュレーゲル家の妹の方であるヘレンが、ハワーズ・エンドに滞在し、そこでウィルコックス家のポールと一夜での恋愛関係に陥り結婚騒ぎになりますが、すぐに熱が冷めて二人は別れます。そうこうしている内に、ロンドンのシュレーゲル家の近くにウィルコックス家が引っ越してきて、姉のマーガレットがウィルコックス夫人と親しくなります。しかし、夫人は病死します。その際に何故かマーガレットにハワーズ・エンドを送るという遺志を残しますが、遺族はそれを無視します。という具合に始まり、最後はシュレーゲル家の姉妹が結局ハワーズ・エンドに住むことになるのですが、このハワーズ・エンドという屋敷自体が何か神秘的な力を秘めているものとして描かれています。また、サブタイトルが”Only connect…”(ただ結び合わせよ…)なのですが、そのサブタイトル通りに、このお話しはイギリスとドイツの出会いと結びつき、またイギリスの上流階級と労働者階級の結びつきを描いています。波瀾万丈といったストーリー展開ではないのですが、何故かしみじみと心に染みる作品です。

白井喬二の「維新の志士を憶ふ」(エッセイ)

白井喬二の作品で、これまでは単行本になったもののみを求めていましたが、古書店サイトで単行本になっていない雑誌掲載の物も探し始めました。
白井喬二の「維新の志士を憶ふ」(エッセイ)を読了。昭和19年の「青年読売」(時局雑誌とある)の8月号に掲載されたもの。「竹槍一億本団結だ」という特集の中の一つ。内容としては、維新の志士の団結がいかに強いものだったかを振り返って国民の団結を訴えたもので、この時期の白井によくある時局迎合的なもので、ほとんど取り上げるべき中身はないです。
この雑誌が出た昭和19年7月は、サイパン島が陥落し、首都圏への空襲がきわめて現実的になった時期です。6月末に「学童疎開促進要項」も発表され、学童疎開の計画が具体化し出します。記事の中に、北九州が空襲された時の話が出てきます。この時期に至っても、連合艦隊が健在であるような記事が出てきます。非常に薄い雑誌で、紙質もかなり悪いです。「青年読売」は「月刊読売」が時局の悪化による雑誌統合の時に名前を変えたものです。

白井喬二の「国民童話 自然のめがね 科学知識篇」

白井喬二の「国民童話 自然のめがね 科学知識篇」を読了。昭和17年に小学館から、全5巻の「国民童話」として出たものの1巻。この頃の白井は、「東亜英傑伝」全8巻もそうですが、子供向けのものをたくさん書いていたようです。この「自然のめがね」は、宇宙の話、海の中の珍しい生物の話、発電の仕組みの話、工場の旋盤などの機械の話、人体の仕組みの話などが、短いお話し形式で語られますが、一方で原子爆弾が開発されつつあった時代に、子供向けとはいえ、これはないんじゃないか、という感じの科学知識としてはレベルの低いもので、特筆すべき点が見当たりません。ちょっと、と思ったのは「光は粒子である」と書いてある点で、この頃は既に光は粒子と波の両方の性質を持っていることは知られていたはずです。白井が最新科学の知識を仕入れていなかったのでしょうか。
全5巻の他の巻は、「よい国よい話(日本古典篇)」「童話の四季(児童生活篇)」「虹の橋(国史物語篇)」「東亜のまもり(国防知識編)」です。「国史物語篇」があるのが、白井らしいです。

白井喬二の「わが憂国の教壇記」(エッセイ)

白井喬二の「わが憂国の教壇記」を読了。文藝春秋の昭和38年9月号に掲載されたエッセイです。白井は学生の時に、故郷の鳥取で小学校の代用教員を経験しますが、その時の体験を綴ったものです。その小学校は現在も鳥取市にある「面影小学校」です。この時、白井は宮部チヨという「肌の綺麗な受口の格好に魅力があった」という独身の女性教師と一緒に仕事をすることになります。特に当時の島根県知事から各小学校に課題が出て、それを白井とこの宮部という女子教師が協力して報告書を書くことになります。驚くべきは白井の記憶力で、このエッセイが書かれた時白井は74歳ですが、おそらく50年以上前のことであるのに、当時担当した尋常小学校2年生のクラスの子供たちの氏名をほぼ8割方記憶していて、このエッセイ中に記載しています。(自身、「異常な記憶神経がある」と書いています。)白井は明らかに宮部に好意を持っていたようですが、時代が時代ですから、ラブロマンスのようなものには発展せず、期間が過ぎると白井は彼女と別れます。教育論としては、特に見る所のないエッセイですが、白井の代用教員時代の様子がわかって貴重なエッセイでした。

北杜夫の「楡家の人びと」第三部

北杜夫の「楡家の人びと」第三部を読了。この第三部は最初から最後まで太平洋戦争に翻弄される楡家の人びとを描きます。長男の峻一は軍医として南方に送られ、ウェーク島の守備につきますが、そこはアメリカ軍の総攻撃を受けます。幸いにアメリカ軍は上陸して来ませんでしたが、米軍の勢力圏の中に取り残され、食料が不足し、餓死寸前になります。基一郎の次男であった米国(よねくに)は、常に自分は不治の病を患っていてと言っていましたが、招集されて中国戦線に送られ、自分は病気であるという訴えも相手にされず、結局帰って来ませんでした。徹吉の長女の藍子は、兄峻一の友人である城木達紀を愛しますが、南方に送られた城木は戦死してしまいます。また藍子は昭和20年5月の山の手空襲で、地上に残っていた不発弾が突然爆発し、美貌を誇っていた顔にひどい火傷の跡を負います。その山の手空襲で、楡医院の青山の病院は灰燼に帰します。世田谷区松原の方の医院も、当時はかなりの郊外であったのに焼夷弾の集中爆撃を受け、全てが焼け落ちます。一方山形に疎開していた徹吉は、第二の仕事として取り組んでいた精神医学の日本語の教科書を書くために集めていたカルテ類が、戦火ですべて焼失して意気阻喪し、また散歩中に左半身不随になります。また北杜夫自身である周二は戦争中に勤労動員されて十分勉強できず、高校に入学する試験に落ち続けます。(実際の北杜夫は麻布中学時代の成績は259人中6番であったとWikipediaにあり、かなり優秀だったみたいです。)そんな中、戦争が終わっても希望が見いだせない楡家にあって、基一郎の長女である龍子だけが一人気を吐き続けます。この龍子こと実名は斎藤輝子については、北杜夫の娘である斎藤由香が、「猛女とよばれた淑女―祖母・齋藤輝子の生き方」を書いています。
三部通して読んで、事前に予想した晦渋さ・読みにくさはまるでなく、決して明るいことばかりでない楡家の人びとの運命について、ある種のユーモアを忘れることなく、明治・大正・昭和の三代においてのそれぞれの姿を生き生きと描写した、なかなかの傑作であると思います。

北杜夫の「楡家の人びと」第二部

北杜夫の「楡家の人びと」第二部を読了。第一部が稀代のハッタリ屋だけど行動力とアイデアの固まりの楡基一郎を中心としたいわば叙事詩的な物語だったとすると、第二部に入ると今度は叙情詩的な物語に変じていきます。それは、明らかに北杜夫自身がモデルである、楡徹吉の次男の周二に、北杜夫の思い出が投影されていて、人間関係の観察が直接見聞きしたものになって濃くなったからだと思います。楡家は基一郎が亡くなって、徹吉の時代になりますが、世田谷区松原に新病棟を作る苦労が徹吉の上に追い被さり、借金もできてかなり大変になります。しかし、精神病院自体が圧倒的に不足していた時代の追い風を受けて、徐々に楡脳病院は盛り返していきます。斎藤茂吉がモデルである徹吉は、しかしこの小説では文芸に走ることはせず、学芸の世界にのめり込み、原稿用紙で3000枚にも及ぶ精神医学史をまとめます。これは現実の斎藤茂吉が「柿本人麻呂」論をまとめたのが投影されているようです。このようにある意味叙情詩的に始まった第二部ですが、昭和の初めという時代は暢気に過ごすことはできず、時代は戦争へと突入し、徹吉の長男である峻一の友人である城木達紀が空母瑞鶴に軍医として乗り込んで真珠湾に向かいそのドキュメンタリーのようになり、最後は米英との開戦がラジオで告げられ、それを徹吉が周二に伝える所で第二部は終わります。

北杜夫の「楡家の人びと 第一部」

北杜夫の「楡家の人びと 第一部」を読了。北杜夫がトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」に影響を受けて、自身の一家のことを小説にしたもの。何せ斎藤茂吉と北杜夫という二人の偉大な文学者を出した家系ですから、さぞかし文学的な葛藤に満ち満ちたものだと想像していたら、まるで違いました。北杜夫のお祖父さんにあたる、ドクトル楡基一郎という人の破天荒な行動力とそのはったり人生にある意味圧倒されます。北杜夫のある意味奇矯な行動は、双極性障害(躁うつ病)という病気のせいだと今まで思っていましたが、北杜夫はかなりこの祖父の性格を受け継いでいるんじゃないかと思いました。関東大震災でも大きな被害を受けなかった楡脳病院が、火事を出してしまい、斎藤茂吉がドイツ留学中苦労して集めた医学書が全部焼けてしまった、というのに胸を打たれます。第一部は楡基一郎が火事による打撃にもめげずに、世田谷区松原に新しい病棟を建てようとして測量に行き、そこで倒れて命を落とす所で終わります。

松本道弘の「難訳・和英口語辞典」

松本道弘の「難訳・和英口語辞典」を読了。「辞典」となっていますが、実際には英語に関するエッセイみたいな感じで読めます。会社で日本語の文書を英訳している時にしばしば「これはどう訳せばいいのか」と悩むことの解決になればと思って買ってみましたが、この本は「口語辞典」であって、書き言葉の英訳にはあまり役に立たないと思います。また、「口語」としても、実際に会話している時にこの辞典を引くわけにもいかず、そうだからといってこの本の内容を一度読んだくらいで全部マスターして、すらすら口から出てくるなんてこともあり得ないので、実用性に関しては疑問です。ただ、ネイティブにとって理解しやすい、本当の意味での英語らしい表現を学ぶ本としては価値があると思います。ただ、「難訳語」の英語化といっても、個人的見解では、いつの場合でもこれで大丈夫といった決まったものはないと思っています。文脈や伝える相手の教養の程度などで、その都度英訳も変わらないといけないと思っています。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)を読了。予想通りブッデンブローク家は次第に没落していき、当主トーマスは年齢を重ねるに連れ、次第に厭世的になり、やがてショーペンハウアーの厭世哲学に救いを見いだします。しかし、歯の治療の失敗が原因で、濡れた路上で転倒して頭を強打し、まだ50歳にもならない年齢で命を落とします。後を継ぐべきハンノはまだ若く、かつ芸術家気質で、結局ブッデンブローク商会は100年の歴史の後で解散となります。愛すべきトーニは、これらすべての一家の没落を最後まで見守るという役を演じます。最後の希望だったハンノも、物語の最後で突然…という終わり方をしていてある意味救いようのない結末ですが、不思議と陰惨な感じはしません。それはブッデンブローク家というある一家だけの滅亡というより、産業革命や宗教改革で生まれた市民層そのものが没落していく話だからかもしれません。トーマス・マンの年譜が最後についていますが、意外だったのがマンがいわゆるインテリではなく、ギムナジウム出身ではないことです。この小説中のハンノと同じく、マンも学校とはきわめて相性が悪かったようです。北杜夫がマンの小説の中で、何故これを最高傑作としているのかが、今回読んでみてももう一つ判然としませんでした。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)を読了。父のコンズル・ブッデンブロークの死後、その長男トーマスはブッデンブローク商会を継ぎ、そこそこの安定成長を実現します。その弟のクリスチアンは遊び人で何の仕事をやっても長続きせず、身を持ち崩して行きます。妹の愛すべきトーニは、最初の夫と別れた後、今度こそ心の美しい(容貌は大したことがない)男性を見つけ再婚しますが、その男性の郷里であるミュンヘンになじめず、また夫がトーニの持参金を得ると仕事をやめてぶらぶらしだし、挙げ句の果ては小間使いに手を出し、その不倫の現場をトーニに見られ、トーニはまたも出戻りになってしまいます。一方でトーマスは仕事で着実な成果を上げる一方で参事官に選ばれ市の政治にも参加します。
こういった感じで、中巻は、ブッデンブローク一家が繁栄しながらも、あちこちに影が忍び寄ってきて、やがてこの一家が没落していくのではないかという予感を抱かせます。特に、トーマスの一粒種のハンノが、その母親のゲルダがヴァイオリニストである血を引き、音楽を熱愛し商売に関心を示さず、ここでブッデンブローク家の跡継ぎに異分子が現れます。この小説は、マン自身の家系をモデルにしているということですが、このハンノの設定は、マン自身の経験が投影されているのでしょうか。それ以外に、この小説は普仏戦争の当時のドイツの社会の雰囲気とか、北ドイツの人が、南部のミュンヘンの人をどうみていたのか、といったことも教えてくれます。