白井喬二の「兵学大講義」

jpeg000-2白井喬二の「兵学大講義」を読了。1924年(大正13年)1月にサンデー毎日に掲載され、12月に玄文社から刊行されたもの。この1924年こそは、白井喬二の「傑作の森」の年で、実におびただしい作品が書かれており、「富士に立つ影」も「新撰組」もこの年に連載が始まっています。
お話しは、藤堂高虎に仕えて勇名をはせた軍学者の諏訪友山が、年を取って信州に引っ込んでいましたが、由井正雪の謀反を軍学の力で察知し、江戸に出てきて、弟子で幕府の兵書館である「勾律館(こうりつかん)」を管理している大村春道と協力し、同じく軍学者である由井正雪と軍学の戦いを交わすものです。この時代、時代小説というとチャンバラが主流でしたが、「新撰組」の独楽勝負、「富士に立つ影」の築城術と同じく、チャンバラではなく軍学の勝負とした所が、白井喬二の面目躍如です。(白井喬二はもちろんチャンバラものもたくさん書いています。米子中学の時剣道部に所属し、中学の時に剣道二段を取っている達人です。)この「軍学の戦い」が実に面白く、お互いに相手を騙したと思ったら、逆手を取って騙し返して、と丁々発止の勝負が続きます。最後は、由井正雪の仲間であった丸橋忠弥が、軽率にも資金調達にあたって謀反のことをしゃべったため、謀反が幕府の知ることになり、いわゆる「由井正雪の乱」となって失敗するのは歴史通りです。

白井喬二の「さらば富士に立つ影」

jpeg000 236白井喬二の晩年になってからの自伝(出版は没後)「さらば富士に立つ影」を読了。一言で言うと、非常に育ちの良い人で、白井喬二の書く主人公に明朗型が多いのは、作者自身の性格を反映していると思います。またお父さんが警察官で全国色んな所を移り住んでいるのも、作者の幅広い視点につながっていると思います。白井喬二は米子中学(今でいえば高校)時代から、既に新聞で小説を連載していて、非常に早熟です。ちょっとまんが道の藤子不二雄の二人がやはり高校時代に新聞に漫画を連載していたのを思い出しました。
この本で知ったことで、驚いたのは、「富士に立つ影」の登場人物の赤針流の熊木伯典と、賛四流の佐藤菊太郎が歴史上実在の人物だということです。ちゃんと子孫もそれぞれいるそうです。
また、学芸書林の白井喬二全集が第一期で終わって、第二期が刊行されていない理由ですが、白井喬二自身が第二期の刊行を断ったということです。学芸書林はその頃の新興出版社で、色々と不手際が多かったようです。今思うと返す返すも残念なことです。

北杜夫の「夜と霧の隅で」

jpeg000 234北杜夫の「夜と霧の隅で」を読了。芥川賞を受賞した表題作以外に四篇の初期の短編を収録したもの。「夜と霧の隅で」は、第2次世界大戦中のドイツの精神病院で、ナチスによる、治らない精神病者を殺害するという命令に抵抗するため、患者にロボトミーやインシュリン、アセチルコリン療法といった、当時効果も定まっていない療法を強行する医師の話。結果的にこれらの新しい療法は、慢性の患者に対してほとんど効果を発揮することなく、逆に一部では患者を死に至らしめてしまいます。というか私には、患者を殺すことと、どうなるかもはっきりしない新しい治療法を強行することは、トランプの裏表のような気がして不気味でした。精神疾患に対する療法は、今は当時より多少進んだのかもしれませんが、何故そうなるかもわからずに薬を使っているなど、大して変わっていないように思います。
他の四篇は、ちょっと奇妙な印象を受けるものばかりですが、台湾で幻の蝶を採集しようとする男の話がちょっと面白かったです。

白井喬二の「国を愛すされど女も」(下)

jpeg000-238白井喬二の「国を愛すされど女も」の下巻(学芸書林の全集で第12巻の分)を読了。最後まで読んで、文庫本にすれば4~5冊分になるようなボリュームの作品でありながら、良く破綻なく構成されていることに感心しました。
江戸に出てきた大鳥逸平は、勘定奉行に出世した仇の大須賀獅子平と対立しながら、その悪を暴いていきます。その過程で、佐渡の時と同じく、様々な達人の剣士と対決していきますが、例によってそのことごとくを打ち破っていきます。その相手の中の一人で、榊原只国というのが傑作で、「女体剣」という変な流派(?)の使い手です。真剣試合の前に女性と交わったりその口を吸わないと気合いが入らないという変な剣士で結局逸平と3回戦い、そのことごとくに負けて、結局は切腹します。
一方、逸平の思い人で、逸平の父が暴力で陵辱した小峰は、元々武士の家の娘でした。しかしながら、父親が鳳凰櫓という外国の情報を保管しておく櫓を、不注意の失火で焼失させた責めを負って、お家は取りつぶしで、父親を始め四人は一生牢に入れられたままになっていました。その父を救い、お家を復興させるには、鳳凰櫓の賠償金として10万両近い金額を用意する必要があります。小峰は、そのことを当時の老中が約束した書き付けをある者に奪われたりして苦労しますが、結局書き付けを取り戻し、また10万両近い金額をその商才で用意して、父親を救い出します。
逸平と小峰は、実は互いに愛し合っているのですが、逸平の父が小峰を暴力で犯したということが溝になって、二人は一緒になることができません。しかし、最後の最後に作者は見事な解決を用意します。
俗悪な内外タイムスという夕刊紙に連載されたということで、作者の自伝によれば、読者の反応はイマイチだったようですが、私としては、作者の戦前の全盛期の作品にも劣らない名作だと思います。
なお、「国を愛すされど女も」というタイトルですが、主人公とは直接的な関係はないようで、どちらかといえば白井喬二自身の心情を告白したものに近いように思います。

「国を愛すされど女も」(上)へ

白井喬二の「国を愛すされど女も」(上)

jpeg000 232白井喬二の「國を愛すされど女も」の上巻を読了。便宜的に「上巻」と書きましたが、学芸書林の白井喬二全集の第11巻と第12巻にこの作品は収録されていて、11巻の分を読んだということです。この作品は白井喬二が69歳である昭和32年から、夕刊紙である「内外タイムス」に連載されたものです。この「内外タイムス」というのが、今はありませんが、風俗情報で売った二流新聞で、白井喬二はこの新聞の格を高めるために利用されたようです。白井の自伝「さらば富士に立つ影」によれば、白井はそうした事情は知っていて、自身大衆文学の原点に戻るような気持ちで、「内外タイムス」の読者を低く見るようなことをせず、連載を承知したみたいです。ちなみに、この「内外タイムス」はプロレスを扱っていたのでも有名で、その「内外タイムス」がつぶれる時の話を、原田久仁信が漫画にしていて、私は読んだことがあります。
掲載誌の話に偏りました。戦後の白井喬二作品はどうなのかと偏見がありましたが、この小説は冒頭からきわめてドラマチックです。主人公である塩谷一木之助はいきなり「父を殺してやる!」と叫びます。恋人である小峰を、父が暴力で犯したからです。ですが、一木之助は父親を斬ろうとして、逆に父親に押さえ込まれてしまいます。そういったある意味情けない主人公で、何をやってもうまくいかないのですが、途中で大鳥逸平と氏名を変えてからは、運勢が好転し、逆に何をやってもうまくいくようになり、特に剣の腕は上達して、達人になります。逸平は、父を果たし合いで殺した来迎寺(大須賀)獅子平を仇としてつけねらいますが、獅子平はそんな逸平を倒すため、次から次に強い剣士を呼び寄せて逸平と対決させます。しかしながら逸平はそのことごとくに勝ってしまいます。最後は柳生まで出てきますが、その柳生にさえ、逸平は勝ってしまいます。白井喬二の作品に出てくる剣豪は、このように、何故強いのかがよくわからない不思議な剣士が多いようです。
また、もう一つの特徴として、この巻では舞台の大部分が佐渡になっています。白井喬二は「金色奉行」でも佐渡を舞台としていましたが、佐渡に対して土地勘を持っていたのではないかと思います。もしかすると住んだことがあるのかもしれません。
後半では舞台が江戸に移ります。

「国を愛すされど女も」(下)へ

谷崎潤一郎の「武州公秘話」

jpeg000 229谷崎潤一郎の「武州公秘話」を読了。この作品は博文館の「新青年」に1931年から32年にかけて連載されたものです。小林信彦の「四重奏」の所で紹介したように、博文館から渡辺温が谷崎の原稿の催促にやってきますが、その渡辺が夙川の踏切で乗っていたタクシーが貨物列車にぶつかるという事故で亡くなります。谷崎はこれに責任を感じ、「新青年」にまず随筆を載せ、その後この「武州公秘話」を連載します。
お話は、ある種の変態的(嗜虐的)な性欲を持った武将の話です。小林信彦が谷崎の真似をして、フェティシズムにふける人物を小説に登場させることがあるのですが、小林が描く人物は単なる「ヘンタイさん」レベルの軽いものでしかありません。それに対し、本家の谷崎の書くものはどっしりと重く、おどろおどろしさが半端ではありません。
またこの作品は、谷崎が大衆小説を高く評価していて、自分でも試みたものですが、ストーリーテリングとしては、必ずしもうまくはなく、途中で筆を擱いたという感じになっています。そのため、武州公の本格的な変態ぶりはほとんど描かれることなく終わってしまっています。これについては、谷崎はずっと続編を書く気持ちを持ち続けていたようですが、結局果たせませんでした。
さらに、この作品では「筑摩軍記」「見し夜の夢」「道阿弥話」といった架空の書物から引用するという形で書かれていて、この辺りが大衆小説から学んだ技法かもしれません。

白井喬二の「神曲 左甚五郎と影の剣士」

jpeg000 230白井喬二の「神曲 左甚五郎と影の剣士」を読了。白井喬二の1972年の書き下ろし作品。白井喬二の作品はほとんどが雑誌や新聞に連載されたもので、書き下ろし作品とされたものを読んだのはこれが初めてです。1972年といえば、白井喬二はもう83歳です。何でも昔の読者から、以前のような作品を書いて欲しいと頼まれて書いたものだそうです。さすがに戦前の作品に比べるとかなり落ちる作品ですが、主人公の「影の剣士」こと、森十太郎は、なかなか不思議な魅力のある人物です。学者であった父親に学問と武芸を仕込まれて、若くして天才児と呼ばれ、文武両道に優れた人間になるのですが、ある時から逆に身についたものをどんどん捨てていこうとします。その過程で妻を7人変えたりしています。(もっともこれは本人がそういうだけで本当かどうかは分からないのですが。)結果的に剣については、十全剣法というものを完成し、名だたる剣の名人と斬り合ってもまったく危なげなく勝ってしまう程の腕になります。この「影の剣士」が、ある幕閣から、ある人物の顔を持った「貘(ばく)」の像を彫って欲しいと頼まれた左甚五郎の用心棒をします。この幕閣は、政敵を追い落とそうという陰謀を込めて、左甚五郎に像を頼んだのでした。しかしながら、甚五郎はそうした背景をある程度知りながらも、芸術家らしい野心でその像を引き受けます。
これがもしかしたら白井喬二の最後の長編なのかもしれません。そう考えるとちょっと寂しいです。

小林信彦の「四重奏 カルテット」

jpeg000 227小林信彦の「四重奏 カルテット」を再読。2012年に出版。
「夙川事件 -谷崎潤一郎余聞-」(2009年)、「半巨人の肖像」(1971年)、「隅の老人」(1977年)、「男たちの輪」(1991年)の四つの中篇を収録したもの。「隅の老人」は「袋小路の休日」に入っていたものと同じですが、固有名詞が他の中篇と合わせるために一部変更されています。
ここのところ、小林信彦の1990年代のはっきりいって出来の良くない小説をずっと読んできて、正直辟易してきていましたが、ここに収められた四篇はいずれも読み応えがあり、小林信彦の作品の中では上位に入るものと思います。
「夙川事件」は、谷崎潤一郎の原稿を依頼に行っていた博文館の渡辺温が西宮の夙川の踏切で事故死する話を中心に、江戸川乱歩や横溝正史と谷崎潤一郎の関わりを描きます。(谷崎潤一郎は、この渡辺温の事故に責任を感じ、「新青年」に「武州公秘話」を連載することになります。)
「半巨人の肖像」は、その江戸川乱歩を氷川鬼道の名前で描く物で、小林信彦が宝石社でヒッチコックマガジンの編集者として乱歩に抜擢され、その下で雑誌を作っていた頃のことが描かれます。
「隅の老人」はその宝石社に嘱託として雇われていた真野律太の話です。真野律太は、博文館で「譚海」という児童雑誌の編集に携わり、出版部数を一桁台から最終的には三十万部を超えるまでにした伝説の編集者でした。しかし人間関係で博文館を退社し、その後小さな新聞社を転々とし、宝石社に拾われる前は浮浪者でアル中になっていました。最初、真野律太は新しく宝石社に入ってきた小林信彦を煙たく思うのですが、ふとしたきっかけで小林信彦が国枝史郎に興味を持ってその本(「神州纐纈城」)を探していることを知り、親しくなります。
「男たちの輪」は、その宝石社での編集長時代に翻訳家の稲葉明雄や、常盤新平と知り合い、稲葉明雄とは友情を育みますが、常盤新平には裏切られたのですが、そのことをある意味執念深く書いています。「夢の砦」の後半部とかなりかぶります。

白井喬二の「帰去来峠」

jpeg000 225白井喬二の「帰去来峠」(ききょらいとうげ)を読了。1933年(昭和8年)の作品で「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載されたもの。
いわゆる「猿飛佐助」物ですが(この作品では「佐介」の表記)、主人公的な人物が少なくとも三人出てきます。つまり野武士の生駒八剣と、その八剣に父親を殺された鯉坂力之助、そして猿飛佐介です。
物語は、真田幸村の真田家と、平賀源信の平賀家は、一触即発の状態で対立していましたが、両家に「銅鈴」と呼ばれる宝器がそれぞれ伝わっています。しかし、両家ともその鈴には「舌」と呼ばれる音を出す部分が欠けています。この「舌」を手に入れて音を出すと、この鈴の上には、真田家、平賀家のそれぞれの城にまつわる秘密が浮かび上がってくるとされるため、この「舌」をどちらが手に入れるかが、両家の戦いの行方を左右することになります。鯉坂力之助の父親はその「舌」を首尾良く見つけて持ち帰ろうとしていたのですが、帰りの山中で追い剥ぎとなった生駒八剣に殺され、「舌」を奪われてしまいます。このため、鯉坂家は、論敵であった砂田胡十郎からあらぬ非難をあびせられ、力之助は胡十郎と「舌」の行方を巡って争うことになります。そういう訳で、最初は力之助と胡十郎の争いで、それに生駒八剣がからむのですが、途中から中々見つからない「舌」の行方を巡って、猿飛佐介が山の中から召し抱えられて、「舌」の争奪戦に加わります。「舌」はしかしながら、平賀家の帆足丹吾という一騎打ちの得意な武将の手に落ち、佐介と丹吾が対決します。この対決は引き分けに終わりますが、丹吾は何とか「舌」を平賀家の城に持ち帰ります。佐介はそれを取り返すため、単身平賀家の城に忍び込みます。ここがこの小説のクライマックスですが、平賀源信の娘でお呱子(おここ)というのが出てきて、男勝りで才気煥発で勇気もあり、忍術書を研究して佐介対策を立て、佐介をあわやという所まで追い詰めます。
佐介のキャラクターが、山育ちで、真っ正直で思ったことを何でもずばずば言ってしまい、また世の中の不正を許せないと思うという感じで、「富士に立つ影」の熊木公太郎と、「盤嶽の一生」の阿地川盤嶽を併せたようなキャラクターとなっています。
後面白いのが、作中に歴史上の有名な築城家に言及する所があります。赤針流熊木伯典、賛四流佐藤菊太郎、と自身が「富士に立つ影」で創作した人物をちゃっかり歴史上の人物みたいに紹介しています。

小林信彦の「和菓子屋の息子 -ある自伝的試み-」

jpeg000 223小林信彦の「和菓子屋の息子 -ある自伝的試み-」を再読了。「小説新潮」に1994年3月号から1996年3月号まで連載され、1996年8月に出版されたもの。
「自伝的試み」であって、ノンフィクションであり、「東京少年」や「流される」などの「自伝的小説」とは違います。しかしながらその辺りの境界線は流動的です。作者は集団疎開を描いた「冬の神話」を「東京少年」で書き直し、また父方の祖父を描いた小説「兩國橋」を「日本橋バビロン」で書き直しといったことを延々とやっていて、そういう「しつこさ」が小林信彦の特徴の一つです。
作品は、小林信彦の母親の玉が青山という山の手から、両国という下町へ嫁に行く所から始まり、1988年にその玉が亡くなる所で終わります。ですが、中心となっているのは小林信彦が生まれた昭和7年から太平洋戦争の終わる頃までです。その頃の「中流の上」の下町の商家の暮らしや町の様子が描かれています。小林信彦は生まれ育った両国という町を戦争で無くし、それにも関連して生家であった九代続いた名門の和菓子屋「立花屋」の終焉という二重の喪失を体験しており、基調としては詠嘆的にならざるを得ません。小林信彦の弟の小林泰彦がイラストを描いており、当時の様子を理解する助けになっています。