白井喬二の「富士に立つ影」[2](江戸篇)

jpeg000 151白井喬二の「富士に立つ影」、第二巻読了。
舞台は一転して富士の裾野の村から江戸に変わります。
佐藤菊太郎を慕うお染は、第一巻の最後で、熊木伯典の出生の秘密にまつわる書き付けを盗み出し、それを別の内容に書き換えたものにすり替え、伯典に戻します。そして伯典の側に住み、伯典が偽の書き付けに翻弄されて不幸に陥っていく様を眺めます。
一方で裾野村の庄屋の娘で、伯典によって危うく人柱にされかかったのをお染に救われたお雪は今は江戸に出て、芸者となって名前を小里と変え、お染に協力します。
それが何故か、まだ経緯はよくわかりませんが、小里は伯典の女房になり、妊娠します。生まれる子は第三巻以降に出てくる熊木公太郎です。二巻までは熊木は悪者ですが、公太郎は純真無垢な自然児で、ここで善役と悪役がひっくり返ります。

裾野篇 江戸篇 主人公篇 新闘篇 神曲篇 帰来篇 運命篇 孫代篇 幕末篇 明治篇 総評

白井喬二の「富士に立つ影」[1](裾野篇)

jpeg000 147白井喬二の「富士に立つ影」を読書開始。第1巻を読了。1924年から1927年にかけて報知新聞に連載された、ちくま文庫版で全10巻に及ぶ大河時代小説です。
築城家で赤針流の熊木家と賛四流の佐藤家の三代68年、江戸から明治にかけての確執を描くものです。
第1巻の「裾野篇」では、富士の裾野の村で、構築される予定の調練城を巡って、赤針流熊木伯典と賛四流佐藤菊太郎の二人の築城家が、築城の詳細を巡って、現代風に言えばコンペをやって論争します。言葉による討論は互角で決着が付かず、決着は四種類の実地検分をもってつけられることになります。この築城家というのはフィクションで、実際の歴史ではこんな築城家の流派といったものは存在せず、ましてやその築城家が実際の築城を巡って論争するなんてことはなかったと思いますが、このフィクションの築城論争がまずとても面白いです。また、熊木伯典(悪役)と佐藤菊太郎(善役)のキャラクターの対比が見事で、特に熊木伯典の憎々しさの描写は見事です。
実地検分では、四種類のうち、三種類で佐藤菊太郎が優勢で、勝利間違いなしと思われていたのですが…

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小林信彦の「小説探検」

jpeg000 145小林信彦の「小説探検」を読了。小林信彦の作品はほとんど読んできたつもりでしたが、この本は未読だったようです。1993年に出版されたもので、元は「本の雑誌」に1989年から1993年までに連載されたものです。
「小説世界のロビンソン」は、小林信彦自身の読書体験を振り返りながら、20世紀における小説の変遷を追いかけたものですが、この「小説探検」は、「ロビンソン」で扱いきれなかった作品(たとえばプルーストの「失われた時を求めて」とか中里介山の「大菩薩峠」とか)を扱うのと、小説を「いかに語るか」の語り口の分析と、それをどう読み取るかについて分析することが目的となっています。
取り上げられている作家は多岐に渡っていて、パトリシア・ハイスミスやスティー ヴン・キングのような小林信彦好みの作家から、フレデリック・フォーサイスや ミッキー・スピレーンみたいなメジャーな作家、それから日本の作家では前述の中里介山、永井荷風、川端康成、三島由紀夫、そして谷崎潤一郎などが論じられます。
小林信彦の本に関するエッセイを読むと、読書欲を強く刺激されます。また同時に、自分がいかに小説を読んでいないかを思い知らされます。これでも小学生の頃は1日2冊ペースで本を読んでいて、小学校ではたぶん一番の読書家だったのです が、まるで敵いません。

小林信彦の「つむじ曲がりの世界地図」

jpeg000 137小林信彦の「つむじ曲がりの世界地図」を再読了。1976年に出版されたもので、1974年から1975年にかけてミステリマガジンで連載されていたもので、「パパは神様じゃない」の後の連載です。
数十年ぶりの再読ですが、この本の中に出てくる「ド・セルビイ」方式の旅行という言葉は覚えていました。それだけ印象が強かったということで、この頃の小林信彦のエッセイには切れがあると思います。「ド・セルビイ」方式の旅行とは、元々フラン・オブライエンの「第三の警官」に出てくるド・セルビイ氏という物理学者兼哲学者にちなむもので、旅に出る振りをして、実際はその期間近くのホテルなどに立てこもり、行き先に予定した場所の絵はがきやガイドブックを読んで過ごして、行ったつもりになる、そういう旅です。
このエッセイでは、本来的には「ド・セルビイ」方式の愛好者であった筆者が、ニューヨークを始め、色々な所に実際に旅した時の経験が語られます。

石毛直道の「麺の文化史」

jpeg000 133石毛直道の「麺の文化史」を読了。オリジナルは1991年に出版された「文化麺類学ことはじめ」。
世界各地に伝わる「麺」という食品、食品の中でもっともグローバルな広がりをもつものの、その発祥と世界各地への伝播を、フィールドワークを行い、特に実際にその食品を食べて研究したもので、他に類がない画期的な研究と思います。
「麺」は中国の北部の騎馬民族と接触する地帯で生まれ、それから世界各地へ伝わっていった様子が描かれます。日本へは朝鮮半島経由で伝わったものと、素麺のように中国から直接伝わったものとの2種類があるとしています。
誰もが気になるのが、イタリアのパスタと中国の麺の関係ですが、一般的はマルコ・ポーロが伝えたという俗説があります。筆者はこれに対し、中国→中央アジア→中近東→イタリアという仮説を提示します。ただ起源がよそから来たものであっても、イタリアのパスタはトマトソースとの組み合わせが発明されるなど、独自の発展を遂げています。

池井戸潤の「仇敵」

jpeg000 128池井戸潤の「仇敵」を再読。池井戸潤については、出版されている作品はすべて読んでいると思います。Amazonで久し振りに「池井戸潤」で検索したら、新刊としてこれが出てきたので取り寄せてみたのですが、既に読んだことがあるものでした。
池井戸潤の「銀行もの」としては、典型的な作品と思います。また短編を集めながら話が連続しているという構成は、他にも「シャイロックの子供達」があります。
地方銀行の庶務行員として働く恋窪商太郎は、かつて都市銀行でエリート社員として働いていましたが、ある銀行幹部の陰謀を追及していたところ、逆にその幹部にはめられて都市銀行を退職することになります。その恋窪が、あくまで庶務行員の立場で、地方銀行の若い行員の相談に乗りながら、安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)のように、銀行にからむ犯罪を追及していきます。その中にかつて自分を陥れた敵の存在を感知し、復讐のためその悪を追い詰めていく、というストーリーで、池井戸作品らしいカタルシスが結末部にはあります。
なお、この「仇敵」の中の話が、TVの「花咲舞が黙ってない」に使われているとのことです。ちなみに、私は「花咲舞」の直接的な原作になる「不祥事」はあまり評価していません。池井戸潤が描く女性は、男性から見たある種類型的な性格をしていることが多く、あまりうまいとは思えないからです。私が池井戸潤の作品で一番評価しているのは、「空飛ぶタイヤ」と「鉄の骨」です。

小林信彦の「ドリーム・ハウス」

jpeg000 126小林信彦の「ドリーム・ハウス」を再読了。1992年の作品です。ある作家が、死んだ母親が残した土地に新しい家を建てて恋人と住もうとして巻き起こる様々な事件をホラー風に書いた小説です。
小林信彦の作品で、明示的に主人公がちゃんとした作家(放送作家ではなく)というのはこの作品以前では珍しいのではないかと思います。この作家の独白で興味深いのは、モデル無しに人物を造形することが不得意と言っていることで、これは私が小林信彦に対して感じていたことと一致します。小林信彦の小説に出てくる人物は、まったくフィクシャスなものが少なく、どこかにモデルがいるようなものが多いように思います。
この作品については、文芸評論家の福田和也が「52点」という低い点をつけているみたいです。私はそこまでは悪くないんじゃないかと思って読み進めていましたが、唐突な終わり方には疑問を感じました。また、「世界でいちばん熱い島」に続いてまたしてもフェティシズムが取り上げられていますが、「世界でいちばん熱い島」と同じくフェティシズムを素材として使う必然性が感じられません。この「フェティシズム」は主人公の高校の同級生というDDの特性として使われていますが、このDDの性格がいまひとつはっきりしません。にも関わらず、さらにはこのDDの偽物が登場しますが、この偽物の謎については最後まで明らかにされていません。この作品が文芸誌に掲載された後、読者からそれについて質問があったようなのですが、それに対し作者は後書きのようなもので「読者のレベルが低い」のようなことを述べており、傲慢さに鼻白みました。
なお、新築の家で裏庭が大雨で崩れるというのは、小林信彦が葉山の家で実際に経験したことが元になっています。
「東京で家を建てるのにまつわる苦労」を書こうとした着想は評価できても、全体としては求心力に欠けていて、成功した作品とは言い難いと思います。

小林信彦の「私説東京放浪記」

jpeg000 122小林信彦の「私説東京放浪記」を読了。(以前読んでいるかも知れませんが、記憶がはっきりしません。)1992年のバブル崩壊の頃の出版です。小林信彦の「東京もの」はこの前に1984年の「私説東京繁盛記」があって、荒木経惟と組んだものです。
プロローグが、「<バブル>の果て」で、エピローグが「東京ディズニーランド ほか」です。バブルによる地価の高騰と地上げによる東京の破壊のありさまを振り返っています。その他、小林信彦としては珍しく「谷中・根津」を取り上げています。

百田尚樹の「幻庵」、これからの展開

週刊文春に連載中の百田尚樹の「幻庵」がようやくクライマックスに近づいています。幻庵因碩のライバル本因坊丈和は、幻庵と戦わずして名人碁所になります。名人碁所になるとお止め碁と称して、将軍家の許可がないと争い碁は自由に打つことができなくなり、幻庵は実力で丈和を名人碁所から引きずり降ろすことができません。そうこうしている内に、碁好きの老中松平頼母が、自分の家で碁会を開くことにし、お止め碁になっている丈和にもここで対局するよう命じます。幻庵因碩は最初は自分が打つつもりでしたが、事前に弟子の赤星因徹と何局か対局し、四連敗して因徹が非常に力をつけていることを知ります。それで丈和とは自分が打つのではなく、赤星因徹に打たせることにします。因徹は丈和と対局し、序盤「井門の秘手」という、かつて井上家で研究していた大斜定石の新しい手を打って一度は優勢になります。しかしながら、丈和は中盤で「三妙手」と後世呼ばれた三つの手を打ち、形勢を逆転します。それでも因徹は粘って対局を続けますが、結核を患っていた因徹はついに投了した後、血を吐いて倒れます。因徹はこの二ヶ月後に亡くなります。これが有名な「天保吐血の局」です。こうして丈和は因碩のもくろみを退け、名人碁所の地位を保つことに成功します。
と、これからこういう話になります。

小林信彦の「サモアン・サマーの悪夢」

jpeg000 123小林信彦の「サモアン・サマーの悪夢」を再読了。元々は、JTBが出していた雑誌「旅」に1980年1月号から12月号に渡って掲載され、1981年に単行本として出版されたもののようです。
掲載誌の性格もあって、いわゆる「トラベルミステリー」仕立てとなっており、ハワイとシンガポールを舞台にします。ハワイのキラウエア火山で、昔の恋人の女性が自殺したという連絡を受けたTVプロデューサーがハワイを訪れ、元恋人の死の謎を追っていく展開です。
ミステリーファンではないので、ミステリーとしての出来は判断しかねますが、予想より楽しめた作品でした。ただ、後半舞台がシンガポールに移るのが唐突で、必然性をあまり感じませんでした。シンガポール以外でも別に良かった筈ですが、シンガポールの観光紹介をするという意図もあってシンガポールになったのかもしれません。ハワイに行ったことはありませんが、シンガポールは8回くらい行ったことがあり、1980年当時のシンガポールの様子がわかって興味深かったです。