「古関メロディー カバー・コレクション」

「古関メロディー カバー・コレクション」というのを買って聴きました。文字通り、オリジナルの歌手以外のカバーです。都はるみの「船頭可愛や」とか藍川由美のは既に持っていて聴いています。良かった方でいくと、舟木一夫の「高原列車は行く」と「夢淡き東京」。舟木一夫ってある意味ちょっと神がかったような歌い方をする人ですが、古関メロディーとはマッチしていると思います。石川さゆりの「君の名は」もさすがに上手いですし、伊藤咲子の「黒百合の歌」も私はオリジナルの方が好きですが、こういう解釈もあってもいいかと思います。お千代さんの「愛国の花」もいいと思います。
それに対して最悪なのは新沼謙治の「イヨマンテの夜」。何と、冒頭の「アーホイヨー」以下の部分をまったく歌っていません。ここは歌に自信がある人なら絶対に歌いたくなる所で、それを飛ばすなんて信じられませんし、それ以下の部分もきわめて平凡です。また「若鷲の歌」(松方弘樹)、「暁に祈る」(杉良太郎)、「露営の歌」(村田英雄)の軍事歌謡は、何というか当時の雰囲気を無視した1960年代の大平洋戦争回顧ブームの産物という感じがしてあまり好きになれません。
八代亜紀の「フランチェスカの鐘」は、元々何だか面倒くさいので恋人と別れたという元の歌の意味では間違っていないのでしょうが、軽い歌い方で二葉あき子の格調には遠く及ばないです。
美空ひばりは2曲入っていますが、「とんがり帽子」はまったく歌と歌い方が合っていません。おそらく「東京キッド」などの類推から歌ったのかもしれませんが、美空ひばりの技巧的な歌い方は古関メロディーとは合いません。このCDには入っていませんが、「船頭可愛や」も同じです。

スタートレックのファーストシーズンの”Balance of Terror”

スタートレックのファーストシーズンの”Balance of Terror”を観ました。シリーズで初めての本格的なエイリアンとの戦いで、ロミュラン星人が登場します。ロミュラン星人と地球連邦とは100年ほど前にお互いの顔も知らないままで戦い停戦し、現在は非武装地帯が2つの境界を構成しています。ある日、その非武装地帯沿いにあった地球の基地が攻撃を受けます。それはロミュラン星人で宇宙船の姿を消す技術を持っており、また武器は地球の武器を上回る巨大なプラズマ球でバリアも役立ちません。カークは戦うことを決意し、相手が彗星の尻尾に入った時に姿を捉えられることを利用してフェーザーで攻撃します。(光子魚雷はファーストシーズンではまだ登場していません。)相手も巨大プラズマ球で攻撃して来ますが、一定距離逃げられれば威力が急激に落ちることが分り、何とか持ちこたえます。最後はほとんど潜水艦戦のような、お互いにエンジンを切って無音にして、相手が動くのを待つ、ということになります。(宇宙空間なんだから音が伝わる筈は無いのですが…)結局、スポックが間違えてブザーを鳴らしたのを逆に罠にして相手を誘い出し、フェーザーで撃って相手を動けなくしました。それでロミュラン星人なのですが、司令官がヴァルカン星人そっくり(レオナード・ニモイの一人二役)です。そのために、スポックはロミュラン星人のスパイではないかと皆に疑われますが、最後、フェーザーの発射室で火災が発生し煙りでクルーが倒れたのを、スポックが乗り込んでフェーザーを発射します。このエピソードの最初で、クルー同士が結婚式を挙げようとしていましたが、ロミュラン星人の攻撃で式は中止になり、しかも新郎が戦死してしまうというハードな展開でした。

P・B・シェムランの「博士と狂人」

P・B・シェムランの「博士と狂人」の映画を観てきました。原作を読んだのはもう20年近く前です。
OEDの編集者のジェームズ・マレー博士は、私にとってもっとも尊敬すべき学者の一人であり、以前日本語変換の辞書作りに関わっていて、また色々な外国語に手を出している私にとってある意味アイドルみたいな方です。
博士が大英博物館に採用を希望して送った手紙の一部が映画では博士自身の口で語られていました。そのオリジナルを原作から引用すると、博士が学んで来た言語は「アーリア語族およびシリア・アラビア語族の言語と文学に通じ、(中略)ロマンス諸語のうち、イタリア語、フランス語、カタロニア 語、スペイン語、ラテン語には詳しく、そこまではいかないものの、ポルトガル語やヴォー州方言、プロヴァンス語、その他さまざまな方言の知識もあります。 (中略、以下身につけた言語)オランダ語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、デンマーク語、古英語、モエシアゴート語、ケルト語、ロシア語、ペルシア 語、サンスクリット、ヘブライ語、シリア語、アラビア語、コプト語、フェニキア語…」という恐るべきものでした。これだけの言語を大学にも行かず独力で学んだということについて、敬意以外の感情は湧いて来ません。
お話はマレー博士がOEDの編集を行っていた時、各単語の用例の収集が元のチームだけではまったく手が足りなかったため、外部にボランティアを募集します。その中の一人がアメリカの南北戦争の時の従軍外科医だったマイナー博士であり、博士は統合失調症であって被害妄想から殺人を犯します。裁判では心神喪失ということで無罪になりますが、一生を精神障害者用の収容施設で過ごすことになります。その時に、たまたま差し入れられた本の中に入っていたマレー博士のボランティア募集のチラシを見て、マイナー博士は、17~18世紀の英語文献を読んで膨大な数の単語用例カードを作り、マレー博士に郵送します。原作はマイナー博士の貢献に対して御礼のために、マイナー博士の手紙に書いてあった住所を訪ねてみると…という感じでマレー博士がマイナー博士の境遇を知る所がある意味クライマックスになっています。しかし映画はマイナー博士が誤って殺した男性の未亡人と交流するようになり、ついには恋愛関係に陥るといったストーリーが追加されています。まあ映画だからこういうサブストーリーを入れないと、というのは分りますが、私にはちょっと余計でした。もっと辞書作りの苦労をしっかり描いて欲しかったです。
それから、OED(当時はNED=New English Dictironary)の編集に協力したのが精神を病んでいて犯罪歴を持った男というのが新聞に載ってしまい、騒ぎになります。それを何とかするために、マレー博士達が利用するのが何とウィンストン・チャーチルで、マレー博士とチャーチルの生きた時代がかぶっていたのを改めて認識しました。
アメリカ人好みのすべてハッピーエンドではなく、万人向けとは言い難い渋い映画ですが、私には非常に意義のある映画でした。

NHK杯戦囲碁 孫喆7段 対 河野臨9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が孫喆7段、白番が河野臨9段の対戦でした。この碁では左辺から競い合いが始まりました。その競い合いの中で、白から見て左下隅の地を守るのと、黒の下辺から右下隅の地を削減するのをどちらを選ぶかで、白は下辺の踏み込みを優先しました。単に地を減らすだけではなく、左辺からの黒の大石を狙ってもいました。そしてその折衝の中で一局の優劣を決める折衝が発生しました。白が伸びて黒1子を取り込むのと同時に、次に下辺に出るぞという手を打った時、黒が素直にそこを受けずにその右に膨らんで逆に中央に出るぞという手を打ちました。白がそれを受けてから黒が下辺を受けるとそれだけで黒が数目得をします。そこで白は受けずに下辺へ出ました。結局ここの攻防では白が曲がって当てたのに黒が継ぐと2子が切られて取られるため、(当てられた所ではなく根元の2子を)継ぐしかなく、白は1子を抜いて手が延びました。ここで黒が当てるか下がるかすれば劫になる所でしたが、白にはソバ劫があり、黒は断点を継いで妥協しました。この結果白はハネて余裕をもって活きることが出来、この結果は明らかに白が得し黒の右下隅と下辺で30目は出来そうだった地を10目程度に減らしました。その損を取り戻そうと、黒は右下隅をしっかり継いで活きに行くことはせず、右辺の白に打ち込みました。ここの攻防で、黒は打ち込んだ1子を含む5子を犠牲にして、右下隅の黒を中央に顔を出し、また白2子を取り込んで左右が連絡することが出来ました。しかし白も下辺でハネを先手で利かして黒地をねぎっているため、依然として白のリードが続いていました。その後上辺の攻防で白が黒2子を取り込んでそれなりの地を持って治まり、これで白の勝勢になりました。しかしその後黒も頑張り右辺で取られかけていた黒5子を生還させましたが、それでも盤面でどうかという形勢で、コミを出すことが出来ず、黒の投了となりました。

AIによる白黒写真のカラー化本2冊

同じような、昔の日本(戦前・戦中・戦後)の白黒写真をAIでカラー写真にした新書を2冊読みました。左の「AIとカラー化した写真でよみがえる 戦前・戦争」はまともな本でした。しかし右の「カラーでよみがえる日本軍の戦い」は、写真はともかく、テキストはネトウヨ史観そのもので、きわめて出元が怪しいタイのプラモード元首相の「12月8日」という文章が事実のように引用してあったり、また日本がシンガポールを占領した後、マレー人やインド人を教育して感謝された、などと書いていてほとんど吹き出しそうになりました。山下奉文将軍が何故A級戦犯で死刑になったのかの理由も知らないのでしょうか。(知らない方は「シンガポール華僑粛清」でググってみてください。)
左は、それに比べるとはるかにまともで、「この世界の片隅に」で描かれていたように、戦争の前、戦争中も庶民の暮しは決して暗いだけのものではなく、それぞれの生き方があったということが、カラー化された写真で蘇ってきます。実際にこの本に載っている理髪店の写真が、「この世界の片隅に」の中の作画で参考にされているようです。
白黒写真のAIによるカラー化って、多分白黒の濃淡からだけで色を特定することは困難で、人間の肌とか分っている色を基準にしていくんでしょうが、必ずしも正しいとは限らないようで、実際にその当時の人から聴き取った情報で補正されていたりします。
左の本に、大平洋戦争末期の空襲の写真が多数出て来て、その中に下関、鹿児島、徳島、横浜などのかつて住んだ町が多数出て来て、ちょっと胸が痛みます。それも下関は2回、徳島市に至っては7回も空襲を受けています。広島や長崎だけでなく、全国のほとんどの都市が焼き払われ、その廃虚の中から復興したんだということは忘れるべきではないと思います。

バックロードホーン(長谷弘のキット)のユニット交換

長谷弘のバックロードホーンキットに使っていたスピーカーユニットを9年ぶりに交換。前のがFE166Enで今回のがFE166NVです。ほとんどスペック的には同等だと思いますが、コーン紙の材料は芭蕉系の繊維からケナフに変って色がかなり白っぽくなっています。またマイカ粉などの無機物も混ぜられているようです。旧型はさらにリード線を取り出すハトメ部が目立っていましたが、新型はハトメレスになっています。
試聴は今ピアノ曲を聴いていますが、かなり腰がしっかりした音です。というか旧型が多少やれてきていたせいかもしれませんが。取り替えは思ったより簡単で、接続は半田付けしないといけないのかと思っていましたが、ファストン端子でしたので簡単でした。1箇所だけファストン端子が酸化で折れてしまったので、そこだけ半田付けしました。
箱は長谷弘のMM-171というものですが、正直な所、容量が小さく低音は不足気味です。ですが、フォステスクのサブウーファーを2本使っているので、それでバランスが取れています。

巨人の惑星の”Ghost Town”

巨人の惑星の”Ghost Town”を観ました。ある時巨人に追われていたバリー(少年)達ですが、バリーが何かの電磁波のようなものに触れて気絶してしまいます。同様に追いかけて来た巨人もその電磁波に触れて死んでしまいます。一行は一度宇宙船に戻って助けを請うて、バリーが気絶していた場所に戻って来ましたが、彼はいません。そうこうする内にフィッチューも感電してしまいます。そこで一行があたりを探していると、何と地球の街に出会います。しかし建物は間違いなく地球のものでしたが、誰もいないゴーストタウンでした。フィッチューが電話ボックスで助けを求めていると巨人の少女が現れます。この街は、ある老人が、ある時地球の船がクラッシュして中の者は全員死亡してしまったのを、そこにあった書物を見て、地球の街そっくりに作った模型でした。そしてこの老人の孫の少女が信じられないほど性格が悪く、トンネルを掘って逃げようとしていたバリーを足でトンネルをつぶして生き埋めにします。また老人が差し入れてくれたシチューを皆で食べようとしていたら、天井から砂を撒いて食べられなくします。またガソリンを撒いてマッチで火を付け、地球人達を焼き殺そうとします。しかし、老人は自分が長い時間かけて作った模型に火を付けた孫娘を厳しく叱ります。地球人達はこれを逆用し、自ら建物に火を付け、孫娘が消火しようとしている間に、ゴーストタウンの回りのフォースフィールドを操作するコントローラーをショートさせて、脱出しようとして、孫娘が上から石を落としたり、建物を壊して押しつぶそうとしたりしたのを何とか回避して脱出するという話です。孫娘は祖父に「また火を付けたな!」ということで、お尻を叩かれて…という結末。

スタートレックのファーストシーズンの”The Conscience of The King”

スタートレックのファーストシーズンの”The Conscience of The King”を観ました。シェイクスピア劇にからめたなかなか重厚なストーリーの回。というかこの「罪を犯した父親がいて、父親はその娘を罪から遠ざけて無垢に育てたのに、いつか娘が父親の罪を知って、それを消し去ろうとして罪を犯す」って、確かイタリアオペラの何かの話にあったように思います。あるいはシェイクスピア劇?
10年前にある星で、何かのカビが大量発生して深刻な食糧不足が生じ、そこの長官が救援が来る前に8000人いた住民の内、自分の判断で4000人を殺すという事件がありました。その長官は死んだと思われていましたが、その顔を知っている男(カークの友人)が、ある劇団の俳優がその長官だと言います。その長官の顔を知っている人間はカークも含めて7人いますが、その劇団が近くにいる時に限って一人また一人と殺されていきます。エンタープライズ号にもカーク以外にライリーという者がいて、飲み物の中に毒を入れられて殺されかけます。カークはその俳優を詰問して、その長官だろうと問い詰めますが、実は目撃者を殺していたのはやはり俳優であったその娘でした。最後はレオンカヴァルロの「道化師」のように、舞台の演技と現実が交錯し、娘が間違って父親をフェーザーで撃ってしまって殺してしまうという結末です。

「巨人の惑星」の”On A Clear Night You Can See Earth”

「巨人の惑星」の”On A Clear Night You Can See Earth”を観ました。何というか、程度の低いマッドサイエンティストもので、発明したのは単なる暗視鏡(ノクトビジョン)です。しかしそれは品質が安定しておらず、すぐに動かなくなります。キャプテン達がこのマッドサイエンティストの家に忍び込んだのは、例によって太陽電池に使うレンズを盗むためです。一応電源を切断して暗闇して忍び込んだのですが、マッドサイエンティストの暗視鏡のおかげで見つかってしまいます。色々あって一行は逃げ出せたのですが、キャプテンはその発明が危険だからという理由で、マッドサイエンティストの家を爆破しようとします。しかし途中で捕まって、仲間が助ける時間を稼ぐため、キャプテンはその暗視鏡で地球が見えたと言います。(単なるブラフかと思ったら、最後の所で本当に見えた、と言っています。)それでマッドサイエンティストをおだてて、この暗視鏡は単なるノクトビジョンよりも高機能なものだ、但し安定していないので改良が必要だ、などといって、等々というストーリー。はっきり言ってナンセンスな脚本で、そんな悪人とも思えないマッドサイエンティストを家毎爆破して殺してしまうのも後味が悪いです。失敗したエピドードです。

スタートレックのファーストシーズンの”The Menagerie, Part 2″

スタートレックのファーストシーズンの”The Menagerie, Part 2″を観ました。Part 1と合わせて、今まで観たエピソードの中ではベストではないかと思われる、非常に良く出来たストーリーでした。スポックが反乱の容疑で有罪宣告を受けますが、それを宣告した基地の長官も、タロス星系の第4惑星人が作った…だったというのはなかなかの捻りでした。また今回出て来る女性がなかなか可愛かったです。Vina(まあ本当の姿は置いておいて)とエンタープライズ号の女性クルー2人の内若い方は良かったです。最後に、Vinaとパイク元船長が、タロス星人の幻想の中で二人幸せに暮すというハッピーエンド(?)で良かったです。しかし、カーク船長というのは何代目の船長なんでしょうか。パイク船長もなかなかのキャラクターで良かったです。スタートレックはアーウィン・アレンのTVドラマと比べると、本当に脚本がしっかりしています。