宇宙家族ロビンソンの”The Mechanical Men”

宇宙家族ロビンソンの”The Mechanical Men”を観ました。いやー、なかなか、これはこの作品のこれまでのエピソードの中で一番良かったかも。ドクター・スミスが疲れて荒野で寝ていた所、いつの間にか彼は小さなロボット(ジュピター2号のロボットと同じ形状でサイズは1/50ぐらい)によってまるでガリバー旅行記のリリッパット国で捕まったガリバーのように板に縛り付けられます。彼らはある星から来た機械人間で、1000年の間リーダーを捜し求めていました。それがジュピター2号のロボットでした。ロボットはロビンソン一家に別れを告げて彼らの王になりますが、性格が穏健過ぎて、冷酷さを求められるリーダーにはふさわしくないとされます。そこで小さなロボットはドクター・スミスとロボットの性格を入れ替えてしまいます。ジュピター2号に戻って来たドクター・スミスはまるでロボットのようにしゃべり行動します。一方ドクター・スミスの性格が移されたロボットは、冷酷で、ジュピター2号への総攻撃を命じます。しかし、ドクター・スミスの姿をした中身はロボットがロボットの形をしたドクター・スミスに決闘を呼びかけた隙に、ロビンソン博士とドンがロボットを撃って機能を停止させました。そうするとミニロボットは戦意喪失で引き返して行きました。結局その銃撃のショックでロボットとドクター・スミスは元に戻るという話です。ともかく、ミニチュアのロボットが多数出て来るというビジュアルが面白かったです。

手書きのメリット

ヴェーバーの「中世合名会社史」の翻訳はこうやってノートにまず万年筆で書いて、それを後でキーボードで打ってテキストにしてブログにアップしています。そのノートがもうすぐ一冊終わります。この万年筆で書くという行為、それ自体はキーボードの入力よりははるかに遅いですが、メリットとして書きながら同時に考えるということが可能です。さらにそれをキーボードである程度のスピードで入力することで、スピードを上げて読んだ場合に文章が不自然でないかチェックすることが出来ます。この二重のプロセスって、一見無駄のようですが、実は良い翻訳のためには非常に有効であるように思います。また万年筆って、大学の時以来長らく使うのを止めていたのですが、再度使ってみるとすべりが非常によくて本当にすらすら書けて気持ちがいいですし、中字のペンですがある程度線に太さがあるのも気に入っています。後、実は手で書くという行為は暗記には非常に有効です。高校の時、私は歴史などの暗記物は必ずノートに書いて覚えました。そうしたやり方を原始的だとか効率が悪いと批判したのが一人いましたが、高校の三年を通じてそいつより私の方が成績が上でした。目で追うだけですらすら量をこなしていっても、結局記憶出来た部分が少ないのであれば意味が無いです。

NHK杯戦囲碁 河野臨9段 対 張栩9段


本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が河野臨9段、白番が張栩9段の対戦です。この碁は下辺の左側での折衝がすべてと言って良く、黒がほとんど取られかけていた2子を活用しようと動き出しのはいいのですが、それを捨てて中央を厚くしても、この碁ではあまり厚みが働かない、ということで、丸ごと活きに行ったのですが、果たしてそれが良かったかどうか。結局劫付きの攻め合いになりましたが、白はどさくさに紛れて下辺で出切りを敢行し、黒はあちらこちらが薄くなりました。劫は一度白が勝ち、黒は原型からすると左辺で若干の厚みを築いた以外は何も得ていない形でした。それで黒は再度劫を蒸し返してこの石を復活させに行きましたが、劫材で中央を覗かれたのに受けず、黒2子を取り込まれてしまいました。こうなると右下隅から延びた白にまったく不安がなくなり、黒は劫に勝っても地だけのことであり、何も寄り付きの狙いが無くなったのは辛かったと思います。その後も打ち続けられましたが、結局中央にも黒地は大して付かず、黒の投了となりました。

小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話④ 世界三冠の舞台裏」

小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話④ 世界三冠の舞台裏」を読了しました。全日本女子の、1974年の世界選手権、1976年のモントリオールオリンピック、そして1977年の日本開催でのワールドカップの3つで全て優勝という栄光の日々と、全日本男子のミュンヘンの後の凋落ぶりが描かれます。まあ日本バレーの最後の栄光の日々という感じで、このシリーズは後1巻ありますが、さすがにそれは読む気がしません。女子の三冠を達成した監督は山田重雄で、強引に選手をスカウトしたり自分勝手な振る舞いが多くて、かなり敵が多かった人のようですが、ともかくもモントリオールオリンピックで、決勝のソ連戦を含めて一セットも落とさないパーフェクトな勝利を達成したチームを作り上げたことは、称賛し過ぎるということはないと思います。日本が作り上げたとも言えるコンビネーションバレーが、ミュンヘンの男子でとモントリオールでの女子で花開きます。これ以降は各国が日本のコンビネーションバレーを取り入れた上でさらにパワーで押しまくる強打のバレーも併用し、次第に日本が勝てなくなります。また、従来はソ連と共産圏の国々が主な相手でしたが、キューバやブラジルの中南米勢、そしてアジアでも中国や韓国が成長してきて日本を脅かすようになります。ただ、ミュンヘンへの後、男子はモントリオールではついにメダルに届かない4位と、後は凋落するばかりかと思っていたら、1977年の日本開催のワールドカップでは銀メダルで、最後の意地を見せたみたいです。この銀メダルには久し振りに全日本に復帰した森田選手の活躍が大きかったようです。
私の、日本バレー界を振り返る読書もこれで打ち止めです。後は2020年東京オリンピックで、日本がどこまで見せてくれるのかを期待しています。

宇宙家族ロビンソンの”The Phantom Family”

宇宙家族ロビンソンの”The Phantom Family”を観ました。これはなかなか良く出来たお話でした。ただ、出てきたエイリアンがタイム・トンネルの最終回のエイリアンそのままですが。住民が生存への意思を無くして滅亡の道を進んでいる星のエイリアンが、ジュピター2号の面々をコピーしたアンドロイドを作って、それにある意味サバイバルの達人であるジュピター2号の面々の性格を学習させて、星に連れ帰って住民に生きる意思を取り戻させようとします。ウィルだけはアンドロイドの先生役をやらされます。ちなみにロビンソン夫婦はチャリオットで出かけて留守です。こういう話でも結局キーになるのはドクター・スミスで、ドクター・スミスをコピーしたアンドロイドは学習して、ドクター・スミスらしく非協力的に動きます。しかし結局そのアンドロイドがウィルとの友情に目覚め、エイリアンの基地に戻ってドクター・スミスを解放するという話です。最後にエイリアンが「恐怖よりも友情の方が多くのことを成し遂げられると分かった」とつぶやくのがちょっとありきたりですが。

サインはV

 

 

 

 

昔のバレーの話を調べていると、何といっても懐かしくなるのがこれで、「サインはV」です。1969年10月から70年の8月まで放映されており、常に30%以上の視聴率を取っていた人気番組でした。女子のバレーを扱ったTVにはアニメの「アタックNo.1」もありますが、こちらは明確に女の子向けという感じで、一般的な人気では「サインはV」の方が上だったと思います。原作は漫画ですが、主人公の所属するチームが立木武蔵で、誰が考えても日立武蔵がモデルです。TVでは少しぼかして立木大和になっていました。ライバルが漫画ではニチボーでそのまんま、TVではレインボーに変えられていました。主人公の朝丘ユミが岡田可愛、ジュン・サンダースが范文雀で、范文雀は顔の黒塗りで黒人と日本人のハーフという設定で、今なら完全にアウトです。TVで感心するのは、結構立木大和のチーム他がちゃんとバレーをやっていること。その証拠に立木大和のキャプテン役だった岸ユキは、東洋の魔女が引退後に結成したフジクラブに入っていますから、それなりにきちんと練習したんだと思います。NHKの大河ドラマの「いだてん」の学芸会みたいなバレーのシーンとは大違いです。なお、立木大和の朝丘ユミとジュン・サンダースが繰り出す必殺技の「X攻撃」ですが、撮影はトランポリンを用いてやっています。しかし松平康隆監督によれば、当時の全日本の森田や横田に後10cmくらいジャンプ力があれば可能な技だそうです。実際にキューバとか南米のチームにはそれ位のジャンプ力を持った選手はいたと思いますから、決して荒唐無稽な技ではないと思います。実際に現在のバレーでは、シンクロ攻撃とか同時多発攻撃と言われていますが、リベロという守備役が受けたボールをセッターがトスし、残りの4人が全員ジャンプして誰が攻撃するかを分からなくする、という攻撃が存在し、ある意味X攻撃の延長戦上の技のように思います。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第14回目を公開。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、第14回目を公開しました。これで全体の26%です。
腰痛、膝痛、肩こり、目のかすみ、色んな身体的影響に負けずに頑張っています。
ここで初めて「合資会社」の起源が出てきます。ただ、ソキエタス・マリスからどういう風に合資会社に移行していくのか、その辺がまだ不明瞭ですが、おそらくは今後、ピサの例などでもっと深い話が出て来るんだと思います。

TOEIC S&W 2020年1月19日受験分結果


2020年1月19日(日)に三度目のTOEICのS&W(スピーキングとライティング)を受けて来たのですが、本日結果が出ました。三度目の正直で、ようやくそれなりに納得出来る点数が取れました。特にライティングが満点に近くなったのはIELTS対策で英語のエッセイの書き方を徹底して練習した結果だと思います。L&Rテストとの換算表で見ても、L&Rの970点にほぼ見合う点数が取れています。今後はこのテストは受けるとしたらもうスピーキングの方だけになると思います。
なお、IELTSへの再チャレンジは今年の9月以降になると思います。

宇宙家族ロビンソンの”Trip Through the Robot”

宇宙家族ロビンソンの”Trip Through the Robot”を観ました。ロボットのバッテリーが切れかかりますが、例によってドクター・スミスがジュピター2号のパワーユニットを吹っ飛ばしてしまったので、ロボットの充電が出来ません。ロボットは別れのメッセージを残し、一人危険地帯の荒野に出かけそこで動けなくなります。しかし何かのロボットのシステムが誤作動して、一夜にしてロボットは家のサイズの巨大ロボットに変身します。ウィルとドクター・スミスはロボットの中に入ってロボットを修理しようとしますが、敢え無くロボットの心臓部が停止してしまいます。しかし予備の電源を動かして何とか復活します。ウィルが巨大化の原因になったプロセスを逆に働かせたため、今度はロボットは縮小を始めます。ウィルとドクター・スミス、そして二人を助けに来たロビンソン博士とドンの4人は無事にロボットの内部から脱出出来るか、という話です。第2シーズンにしてはなかなかまともで面白い話でした。

小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話② ポスト魔女の激闘」

小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話② ポスト魔女の激闘」を読了しました。③を先に読んで順番的には逆になりました。しかし、この日本の男女のバレーボールのオリンピックにまつわる話は本当に面白いです。ほとんど三国志か、日本の戦国時代の戦国大名同士の争いかという感じです。また、バレーによって日本という国の良い所と悪い所が洗い出されている感じです。
ニチボー貝塚の、東洋の魔女の内5人が引退した後、日本の女子バレーは戦国時代に入ります。1969年から70年頃、「サインはV」というTVドラマがあり、非常に人気がありました。朝丘ユミ(演:岡田可愛)という主人公が所属するチームが「立木大和」、ライバルチームが「レインボー」と「ミカサ」でした。これはそれぞれ、「日立武蔵」、「ニチボー貝塚」、「ヤシカ」がモデルで、その設定の通り、東洋の魔女引退後はこの3チームの争いになります。(元々は日紡、倉紡、鐘紡などの繊維会社が強かったのですが、1960年代の後半、次第に繊維産業が衰退し、電機や精密機械などが伸びたということを反映しています。)大松博文監督の後を継いだ小島孝治監督は、魔女5人引退後も、ニチボーの連勝記録を延ばし続けます。そこに立ちはだかったのが、何と元魔女6人(東京オリンピックの時の磯辺選手以外の5人と、世界選手権優勝の時の増尾選手)が中心となって作った「フジクラブ」で2年ぐらいのブランクをものともせず、国体を連覇して一般選抜としてNHK杯に出場し、鐘紡やヤシカなどの企業チームを蹴散らし、決勝でニチボーとの対決になります。この先輩・後輩対決は、フジクラブが最初の一セットを取ったものの、体力と練習量の差が出て、ニチボーが勝ちました。しかし元魔女はニチボーの守備は優れているものの、攻撃が単調であることに気がつきます。この危惧は当たり、1966年8月のアジア選手権大会代表選考会で、ニチボーはフルセットでヤシカに敗れ、さらにそのショックでかその後に日立武蔵戦では0-3で敗れ、ついに栄光の連勝記録は258連勝でストップします。(大松監督は175勝までで、その後83勝が小島監督時代)
そしてその後この3強以外にも鐘紡や東洋紡といったチームも強くなり、日本女子バレーは完全に戦国状態になります。ここで問題になったのがメキシコに派遣するチームを単独チーム主体で行くか、あるいは全日本選抜チームでベストチームを作るかですが、男子が松平康隆監督のイニシアチブで早くから選抜チームという方向を打ち出したのに対し、女子の方は大もめにもめ、結局これが後までたたります。
そしてメキシコオリンピックになりますが、男子がソ連だけでなく、ブルガリア、チェコスロバキア、ポーランドといった強豪の中でよく戦い、見事に銀メダルを取ります。これに対し、女子は最後までAチーム、Bチームというベースになる企業チームが違う2つのチームを作って最後までまとまりませんでした。そんな中、ソ連は日本を徹底的に研究し、日本側がソ連は左からの攻撃が無い、と読んでいたのに、本番ではまったく裏をかいて左からの攻撃を連発し、また日本の速攻に対してはマンツーマンの守備で日本を封じ、日本女子は完敗します。それでも銀メダルでしたが、男子の銀が上り坂のチームの途中の結果としての銀だったのに対し、女子は金が当たり前と期待された中での惨敗の結果の銀で明暗を分けました。
日本の良くないところはまだあって、非常に残念なのが多くの女子選手が結婚と共にバレーを辞めて現役引退をしてしまうことです。これに対し、ソ連チームで最強のアタッカーだったインナ・リスカル(ルィスカリ)選手は、結婚して子供を産んでもバレーを続け、実に東京・メキシコ・ミュンヘン・モントリオールと4つのオリンピックに出場し、金2つと銀2つというこれまで誰も達成していない成績を挙げています。日本の女子選手も同じことが出来たのではないかと思うと残念です。
それから男子については、結局ミュンヘンオリンピックの本番まで、日本男子は世界一になったことは一度も無いということです。1970年のブルガリアの世界選手権では、東ドイツが優勝、ブルガリアが2位、日本は3位(ちなみにこの時ソ連は何と6位転落)でした。やっぱりミュンヘンオリンピックでの男子優勝は松平監督の執念が可能にした奇跡だと思うようになりました。