NASのマウントの再起動時の自動実行

昨日、NASをLinuxサーバーのファイルシステムにマウントすることに成功しましたが、再起動すると設定が解除され再度手動でコマンドを打ってマウントし直さなければなりません。これを自動でやるには、/etc/fstab の最後に以下を追加します。
(以下、192.168.0.173はNASのIPアドレス)

//192.168.0.173/disk1 /mnt/nas cifs credentials=/etc/cifscredentials
//192.168.0.173/usb1 /mnt/nas-usb1 cifs credentials=/etc/cifscredentials

/etc/cifscredentialsというファイルを作成し、以下を記述します。
username=xxxxxxx
password=yyyyyyyy

でこのファイルのオーナーはrootとし、属性を600にします。
fstabに直接userとpasswordを記述してもOKなのですが、fstabは全てのユーザーから見えてしまうため、セキュリティー上問題があり、このように別ファイルにします。

で、fstabの変更が終わったら、
#mount -a
を実行。(私はこれをやらないではまりました。)

このブログのデータの自動バックアップ

ブログのバックアップですが、完全自動に出来ないか考えていました。(今は一回Windows 10 PCでFTPでサーバーにつないでファイルを落としてそれをNASに保存していました。)考えてみたら、サーバーもNASもLinuxなんだから、サーバー側からNASをマウントできる筈だと色々やってみたら、サーバー側にもsamba-clientを入れることで、無事にマウント出来ました。これで後はcronでファイルをコピーするバッチファイルを作れば完全自動バックアップ体制が出来ます。
取り敢えず、アップロードしたファイルとmysqlのデータベースを1日1回自動でNASにつないだUSBメモリーにコピーするシェルスクリプトを書きました。後はNASの機能でUSBメモリーからNAS本体に1日1回コピーされますし、AmazonのS3とも同期します。

NASにバックアップ用のUSB接続HDDを追加

NASのバックアップ用に2TBのUSB接続HDDを1台追加。毎日AM2:30に差分バックアップが自動実行されます。NAS自体がRAID1で2台のHDDですから、これで3台のHDDに同じデータが保存されることになり、まず完璧です。さらにNASの前面のUSB1に挿しているのは64GBのUSBメモリーで、これにブログの毎日の差分をコピーして、AmazonのS3と同期を取ります。まあ会社でも同じことをやろうとしているので、それの実験でもあります。

檜のまな板を購入

台所のまな板は木製が2つあったのですが(2つあるのは昔釣りをやっていた時、魚をさばく{血で汚れる}とそれ以外を分けていたからです)、最近あまり使っていないのでどちらも黒カビが生えて洗っても綺麗になりません。最近部屋の中の片付けを延々と進めていて、その一環でまな板も新しくすることにしました。それで買ったのがちょっと贅沢して檜の一枚板のまな板です。これがなかなか良くて、檜のちょっと刺激のある香りが台所全体に充満します。水に濡らした時の感じもなかなか良いです。で、何を切っているかというと今は写真のようにリンゴを剥いているだけなんですが。(笑)
この目的のための包丁を研ぐためにも、砥石が3種(荒砥、中砥、仕上げ砥)+砥石を研ぐ砥石+ダイヤモンド粉(同じく砥石自体を研いでへこんだのを修正するために使用)まで持っています。完全に手段が目的化するという、典型的な男の料理です。

マーティンD-35復活

最近ずっと荷物部屋の片付けを進めており、そしてついにマーティンD-35が復活しました!(これまで放り込んだ荷物があふれていて、ギターの場所までたどり着けませんでした。)たぶん10年くらいまったく弾いていませんが、専用ケースに入れ、ギターペットも入れておいたせいか、まったく問題無さそうで、弦も錆びてすらいないです。
マーティンというと普通D-28なのですが、私はフォークの人なのでエンケンを見習ってD-35にしています。D-35のアルペジオの音はとても良いです。

NHK杯戦囲碁 佐田篤史3段 対 金秀俊8段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が佐田篤史3段、白番が金秀俊8段の対戦です。佐田3段は22歳の新鋭でNHK杯戦は初出場です。布石は比較的オーソドックスでしたが、白が上辺から右上隅にかかり、上辺に開いたのに、いきなり黒が打ち込んでいったのが珍しい展開でした。黒は打ち込んだ石を2線に下がればどちらかに渡れましたが、そうせずに捨てて打ち回りを厚くしました。その後左下隅にかかった黒石を挟まれていたのをケイマに進出しその後左辺の白にかけて打ち、黒は中央を厚くしました。白は上辺で包囲している黒の穴を出るぞ、という手を打ったのですが、黒はここを継がず右上隅から利かして中央の黒は軽く見て打ちました。その後右下隅で黒は三々に入り、定石の転回で隅は白が取り、黒は白1子を抜くという別れになりました。その後の黒の手が面白く、中央を囲うような囲わないようなふわっとした手で「耳赤の一手」みたいな手でした。その後あまり戦いらしい戦いはなく、左辺で黒から仕掛ければ大きな劫になる可能性があったのですが、黒は劫を決行せず、白に守らせる手を打ちました。どちらかと言うと白が厚いかなぐらいのペースでヨセに入ったのですが、ここで白の金8段が下辺の受けで頑張った手を打ちました。金8段は形勢に自信が無かったのかもしれません。それに対し黒は強手で逆襲し、結局白が中央の黒4子を取り、黒が白数子を取るというワカレになったのですが、白の下辺の地が大きく減ってしまっており、このワカレは明らかに黒有利でした。これで完全に黒の優勢となり、結局この後数手打って白が投了しました。佐田3段はNHK杯戦初勝利です。

明日一時的にアクセス出来なくなります。

明日4月22日の午後のどこか1時間くらい、NTT東日本の光ファイバー回線を現状の100Mbpsマックスから1Gbpsマックスのものに切り替えます。(速度10倍になります。)この切り換え工事のため、このブログが1時間くらいアクセス出来なくなりますが、ご了解願います。

折原浩先生の「日独ヴェーバー論争 「経済と社会」(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて」

折原浩先生の「日独ヴェーバー論争 「経済と社会」(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて」を読了。「経済と社会」の再構成問題についての最後の読書です。これで一応現在の状況に追いついたことになります。この本は、結局「経済と社会」の旧稿部分を、「頭」である「理解社会学のカテゴリー」を載せず、またテーマ別に5つの部分にばらばらに並べ直すという形で「全集」に収録した編集陣への痛烈な批判の書です。その編集陣とは、ヴォルフガング・J・モムゼンと、ヴォルフガング・シュルフターの2人です。(編集陣は他にもいますが、この問題について態度表明をしているのはこの2人だけです。)この内、モムゼンは、「理解社会学のカテゴリー」が旧稿の「頭」であることを否定し、また、シュルフターは旧稿が2つの時期に分かれて書かれていて、最初の時には確かに「頭」だったが、後半の時期では「頭」の意義が薄れた、としています。折原先生は、この2人の議論に対し、徹底的にヴェーバー自身のテキストに内在し、その論理を追いかけ2人の説に根拠がないことを論証します。実は編集陣の中でも意見が統一されていなくて、それは全集の旧稿の巻のタイトルにも現れていて「経済と社会」と「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」が並記されています。これは前者がモムゼンの説、後者がシュルフターの説です。これを見ても分かるように、編者の中ですら意見統一が行われておらず、全集の編集が見切り発車だったことがよく分かります。
ともかく読んでいて思うのが、折原先生が徹底してヴェーバーの本来の意図をテキストに内在して探り出し、何とか未完の大著を復元しようとしているのに、ドイツ側が「どうせ未完成なのだから、復元などの努力は無駄である」という投げやりな態度が透けて見えることです。「マックス・ウェーバーの日本」という本を書いたシュヴェントカーという人がいますが、この人の言うには、日本のヴェーバー研究者にはヴェーバーの視点や方法論を使って現在の日本を分析しよう、という意欲が強く見られるのに対し、ドイツの側の学者にはそういう点がほとんど見られない、としています。この日独論争にはまさにそういう対立を見ることができます。
これで一応「再構成問題」に関する読書を終了したので、次にこの本に示されている折原先生の再構成案(仮説)に従った順番で、「経済と社会」(旧稿)を日本語訳でもう一度読んで見るつもりです。

外国語遍歴の跡ー本棚

ここの所ゴミの日になると、少しずつ完全に物置でゴミ屋敷化している部屋の片付けを行っています。そのお陰で今まで見ることが難しくなっていた本棚の中味がかなり見通せるようになってきました。この2つの写真は外国語関係の書籍です。良く見るとポーランド語とかフィンランド語、東南アジア諸語とかもあって、この間数えた少しでも手を出したことがる外国語の数は13よりさらに増えます。また、中国語はほとんどやったつもりはないのですが、こうしてみると意外と書籍を買っています。