吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版)(風の巻)

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版)(風の巻)を読了。全6巻の内の第3巻です。この巻でも戦後吉川英治がGHQの検閲を恐れてせっせと削除したくなるような箇所は出てきていません。もしかすると、削除ないし書き換えたのは、非常に細かい表現の部分なのかも、と思い始めました。この巻では吉岡一門との戦いが出てきて、吉岡清十郎、吉岡伝七郎の兄弟と続けて倒し、そのため吉岡一門全部とも戦うことになります。この吉岡一門との戦いは実在の武蔵が晩年良く語っていたということで、ある程度事実なんでしょうが、伝七郎との戦いは引き分けだったとか、この戦いの後も吉岡一門が存在していたという説があります。
またこの巻では武蔵のライバルである佐々木小次郎が登場します。実は朝日新聞に連載していた時は、この巻くらいまではまるで人気がなかったそうです。主な理由は話が暗いから。ところが小次郎が出てきてから人気に火が付いたみたいです。その小次郎は武蔵が求道者タイプに描かれているのに対し、とても生意気で成功欲の強い俗物に描かれています。一説に拠れば直木三十五をモデルにしているのだとか。元々吉川英治がこの小説を書き始めたのは、「武蔵が名人かそうでないか」という直木三十五との論争がきっかけです。

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版)(水火の巻)

吉川英治の「宮本武蔵」(水火の巻)(全六巻中の第二巻)を読了。この巻でも特に国粋主義的な武蔵の台詞は登場しません。この小説に違和感を感じるのは、武蔵がどうやって強くなったのかがほとんど書かれていないこと。最初の巻では関ヶ原の敗残兵として登場しますが、全国をさすらいだした頃は既に一廉の腕になっており、例えば柳生の高弟4人と1人で戦っても引けを取らなくなっています。元はと言えば、武蔵は父親に武道の手ほどきを受けたぐらいで、名のある師範に就いた訳でもありません。
後の展開はいかにも大衆小説というか、お通と朱美という二人の女性が武蔵に絡み、お通が朱美に嫉妬するなど、極めて通俗的な展開です。

中学の「技術・家庭」の教科書(2)

中学の技術・家庭の教科書、念のためもう一冊東京書籍のものを購入。内容構成は開隆堂のものとほとんど同じで、文部省が決めている通りということなんでしょう。
ちなみにこちらでのスイッチの説明は「単極単投」と正しい説明がされていました。ただ、開隆堂のもでしたが、私の会社のライバル社のF社製品という所がむかつきますが。

Wiliam Fulkeのカタカナ表記は「ファルク」か「フルク」か-羽入辰郎の(ある意味どうでもいい)指摘への反論

羽入辰郎が、「マックス・ヴェーバーの犯罪」に対する批判に対して回答した書が「学問とは何か -『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後-」です。この本の内容はあまりに低劣極まりないものなので、あまり言及したくないのですが、その中のP.135からP.142が私の文献調査への言及となっています。その中のP.138に「ファルク[sic: 正しくはフルク]」というのが執拗に何度も登場します。Wiliam Fulkeという、カトリックを批判した注釈を付けた新訳聖書を1589年に出したイギリス人のことなのですが、私はウィリアム・ファルクという表記を使っています。これに対して羽入はそれは誤りで「フルク」が正しいと言っているのですが、果たしてこの訂正は正しいでしょうか?(sicというのは、「原文のまま」という意味で、誤りだと思っているけどそのまま引用します、という意味)

ちなみに、外国人名のカタカナ表記というのは、辞書屋にとってはある意味非常に頭の痛い問題であり、色々と考えることがあります。お役所的な基準としては、文科省から内閣告示二号として「外来語の表記」というのが出されています。しかし、この基準はどちらかと言うと、「チェ」とか「ツァ」とか「ディ」のように、外国語の表記でしか登場しないカナ表記の基準を定めているだけで、一番問題になるその表記の「揺れ」については、留意事項の2で「「ハンカチ」と「ハンケチ」,「グローブ」と「グラブ」のように,語形にゆれのあるものについて,その語形をどちらかに決めようとはしていない。」とあっさり逃げてしまいます。

例えば、英語で”interface”という単語がありますが、インターネットを検索していただければ分かりますが、これの日本語カタカナ表記は、「インタフェース」「インターフェース」「インタフェイス」「インターフェイス」と実に4種類もあります。また、一部のエレクトロニクスメーカーのエンジニアが”computer”の語尾の”er”は長音ではない、とある時期言い出し、「コンピュータ」という表記がそういうメーカーやJISなどで使われ、マスコミでは「コンピューター」が使われる、という変な状況が長く続きました。これについては、かつてマニュアル執筆者の団体から批判が起き、マイクロソフトなどのIT系は「コンピューター」表記に変更して譲歩し、今は「コンピューター」が優勢になっています。しかし、こちらが本当に正しいのかというと、”slipper”については軒並み「スリッパ」であり、「スリッパ-」と表記する人はまずいません。(私はこれらの語尾の”er”は短音でも長音でもなく、1.5倍音とでも言うべきものだと思っています。)

外国人名のカタカナ表記について、準スタンダート的に扱われたものがあるとすれば、岩波書店の「西洋人名辞典」だと思います。私はこの本は持っていないのですが、この本も色々問題があって、たとえば「ポーランド人の氏名には長音を使用しない」という原則を出しているらしいです。そのせいで「なんとかスキー」とか「なんとかツキー」というスラブ系には共通する名前が、ポーランド人の場合だけ「なんとかスキ」とか「なんとかツキ」と表記される、というおかしな現象を生み出す元凶になっています。(この問題については、詳しくはここを参照ください。)

さらに例を挙げれば、アメリカのアイダホ州の州都はBoiseといいますが、これのカタカナ表記が「世界地名辞典」などに収録されているものが見事にばらばらで、「ボイス」「ボイシ」「ボイシー」「ボイジー」などが乱れ飛んでいます。私が発音機能付きの英和辞典で確認した限りでは一番原音に近い表記は「ボイシー」でした。

さて、Wiliam Fulkeのカタカナ表記に戻りますが、羽入の言うように、「フルク」が正しい表記で「ファルク」は間違っているのでしょうか?

日外アソシエーツという会社が、「外国人名読み方字典」というのを出していて、これで”Fulke”を引いてみると、「ファルク; フルク; フルケ」のように、「ファルク」が先頭に来ています。
(この日外アソシエーツという会社の作るものは個人的にはあまり信用していませんが、それはさておいて)

では、ネイティブである現代のイギリス人がFulkeをどう発音しているかですが、次のようなサイトで実際に音声を聞くことができます。
https://www.babynamespedia.com/meaning/Fulke
https://www.howtopronounce.com/fulke-greville/
http://www.pronouncekiwi.com/Fulke%20Greville
聞いていただくとわかりますが、一番多いのが「ファルク」に相当する発音、次が「フルク」ですが、「フルカ」に聞こえるのもあります。

また
https://www.babynamespedia.com/names/boy/lke-endのサイトでは以下の記載があります。
The baby boy name
Fulke is pronounced as FAHLK- †. Fulke is an English name of Germanic origin. Fulke is a variant spelling of the English name Fulk as well as a variant form of the English and German name Folke

とあります。厳密に言えば、ここの説明は「名前」としてのFulkeであり、「姓」としてのFulkeではありませんが、おそらく発音上での差はないと考えられます。ここでははっきりと発音は「ファルク」(またはファールク)であるとしており、なおかつ元々英語/ドイツ語のFolkeが英語に入って綴りが変わった単語(ヴァリアント)だとしています。ドイツ語式にこれを発音すれば「フォルケ」で、「ファルク」という発音はそれを踏襲していると言えます。

英語全般の発音の感覚から言っても”Fulke”を「フルク」と発音するのはきわめて違和感があります。(念のため、私の英語力はTOEIC 965点です。)上記のサイトでの確認でもわかるように、”Fulke”をイギリス人ネイティブに読ませたら一番多い発音は「ファルク」に近いものです。

以上の調査の結果から、羽入が言っている「正しくはフルク」という指摘は何の根拠もないことが判明しました。(この聖書学者だけ「フルク」と発音する、というのもおそらく何の根拠もないと思います。)多少譲歩したとしても現地で「ファルク」と「フルク」と「フルカ」という発音の揺れが存在するのであり、そのうち一つだけが正しいとする根拠は見当たりません。羽入の主張は、おそらくは日本の英語学者(の一部)が「フルク」というカタカナ表記を採用している、というだけのことだと思います。羽入のパターンとして、日本人英語学者の説を鵜呑みにして、それを根拠に他を居丈高に非難するというのがあります。典型的な例としては、永嶋大典の「英訳聖書の歴史」のある意味誤った記述を鵜呑みにして、ヴェーバーのみならずOEDまで間違っているというきわめて滑稽な批判をしたというのがありますが、今回もほぼ同じだと思います。

羽入が執拗に「ファルク[sic: 正しくはフルク]」を繰り返しているのは、要は他の論点に関しては完膚なきまでに反論されてしまい、何も言うことができないので、口惜しくてこんなどうでもいい所を執拗に言っているのだと思います。しかし、ここで論証したように、それすら根拠のない批判に過ぎません。

ノーマン・G・フィンケルスタインの「ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」

ノーマン・G・フィンケルスタインの「ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」を読了。デボラ・リップシュタットの「肯定と否定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」をより客観的に評価するために読んだもの。フィンケルスタインは自身もユダヤ人で、その両親は両方とも強制収容所の生き残りです。フィンケルスタインは、アメリカのユダヤ人エリートたちが、「ホロコースト」を政治・経済的な道具として、スイスの銀行からなどから金をむしり取ろうとする動きを「ホロコースト産業」と呼んで強烈に批判します。筆者によれば1960年代の終わりまで、アメリカで「ホロコースト」が話題にされることはほとんどなかったと言います。それが変わったのがイスラエルがアラブ諸国に対して完全な勝ちを収めた第三次中東戦争からで、アメリカはイスラエルを中東における自分たちの権益の代弁者と見なすようになります。またイスラエルのプロパガンダとして、この戦争でアラブ諸国に対して圧倒的な軍事力を持っていたのにも関わらず、ユダヤ人に対して「第二のホロコースト」が行われようとしている、という考えを広めていきます。その過程で「ホロコースト」の政治・経済的な価値が見直されていきます。それがもっとも顕在化したのが、1995年から始まるスイスの銀行に眠っているとされたユダヤ人の休眠口座のお金を返還するように求める運動で、その過程で「強制収容所からの生還者」は実数の10倍近く水増しされ、法的に正当な要求というより一種の「ゆすり」であったことが述べられます。しかもスイスから支払われた巨額のお金が本来それを手にすべき強制収容所からの生還者にはほとんど回らず、ユダヤ人の諸団体によって別の目的に流用されたことが強く批判されています。
デボラ・リップシュタットもこの本に登場し、筆者によればリップシュタットの本は、実際にはそれほど力を持っていた訳ではない現在の反ユダヤ論者の存在を誇張し、聞いたこともないような反ユダヤ論者をリストアップしたとしています。また、リップシュタットの裁判の相手であるアーヴィングについては、ヒットラーの賛美者で大きな問題がある学者であることは認めつつも、アーヴィングが第二次世界大戦の事実で新しいものをいくつか発見し、それは歴史家によって支持されていることを述べています。
筆者の批判はきわめて辛辣ですが、ユダヤ人が非常に強い力を持つアメリカでは当然支持されず批判を受け、反ユダヤ論者達に力を与えるようなものだ、とされています。しかし、言語学者・政治学者のノーム・チョムスキーはフィンケルスタインを一貫して支持しているとのことです。(念のため、チョムスキー自身もユダヤ人です。)
いわゆる歴史修正主義については、反ユダヤ論者の側だけでなく、ユダヤ人の方からも逆の意味で事実をねじ曲げようとしている動きがあることは、きちんと知っておくべきと思います。また韓国からの執拗な「慰安婦問題」の追及にうんざりしており、さらに解決済みの補償問題を何度も蒸し返されている日本にとっても、ある意味他人事ではない問題です。

NHK杯戦囲碁 井山裕太7冠王 対 蘇耀国9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が井山裕太7冠王、白番が蘇耀国9段の対戦です。意外なことに、この両者の対戦は1局だけで、蘇9段の1勝です。黒の布石は最近珍しい高い中国流です。白は右上隅に対し右辺から掛かっていくという珍しい打ち方でした。さらにその後、下辺が広く開いている状況で右下隅に掛かっていき、何か相手の地に嫉妬して先に狭い方に入るアマチュア的な打ち方でした。結果論から言えば、こうした打ち方がマイナスになりました。黒は左上隅に掛かっている石から左上隅に付けて跳ねてという最近流行の打ち方をしましたが、これに対し白は上辺を押して行きました。白が押して黒が伸びさらに白が押した時、黒は手を抜いて左辺を打ち、白が2子をたたいたのにさらに手を抜き、左辺から左下隅に滑りました。この結果は白は上辺で2子を取る手が残り、上辺を割ることが出来ましたが、黒も左辺を2手打てて悪くないと主張していました。白は形勢が容易ではないと見て、左辺の黒に置きを敢行しました。これは厳しい手でのっぴきならない戦いとなりました。この戦いで中央が劫になりましたが、黒は当たりを逃げる手がそのまま劫立てになりました。ここで黒は左下隅を活きる手があり、非常に大きな手でしたが、井山7冠王は下辺を外から押さえて打ち、敢えて左下隅を捨てました。この戦いの結果、白は左辺と左下隅で40目ぐらいの地を確保しましたが、黒は白の3子を取って中央が分厚くなりました。この厚みを生かして、右下隅に掛かった白と右辺で右上隅に掛かった白とをカラミにして攻め、結局白は両方をしのぐことが出来ず、右辺の右上隅に掛かった石は取られてしまいました。これで形勢ははっきり黒が優勢になりました。その後白は右上隅の三々の石を動き出して地をかすりましたが、黒の優勢は変わらず、黒の中押し勝ちになりました。

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版)(地水の巻)

吉川英治の「宮本武蔵」(戦前版:大日本雄弁会講談社による昭和11年の出版)の全6巻の内の第1巻、「地水の巻」を読了。「戦前版」とわざわざ書いたのは、1949年に戦後初めてこの作品が復刊された時に、GHQの検閲を恐れて多くの箇所が削除されているからです。この作品の「戦後版」は既に中学生の時に読んでいるので、今回読み直している理由は「戦前版」の実態を知りたいということです。しかし、この「地水の巻」を読んだ限りでは、検閲で削除されそうな箇所はほとんど発見出来ませんでした。ちなみに「戦後版」は、吉川英治の著作権は既に切れているため青空文庫で簡単にチェック可能です。
最初に読んだ時も、この作品に夢中になった、という記憶はないのですが、今回もやはりそうでした。正直な所、本位田家のお杉婆さんみたいなキャラは私は苦手です。また、武蔵の最初の弟子として城太郎という少年が出てきますが、これが自作の歌を歌ったりして、「大菩薩峠」の清澄の茂太郎とそっくりです。またこの作品で「求道者」としての武蔵、「名人」としての武蔵のイメージが確立しますが、どちらも吉川英治のある意味創作で、歴史的実態からは遠い所にあります。吉川英治の作品では「鳴門秘帖」みたいな作品の方がずっと好きです。

消火器

昨年末に会社で避難訓練があって、消火器の使い方の講習がありました。そういえば、と思って家に置いてある消火器を調べてみたら、2016年で使用期限が切れていました。なので新しいのを買いました。ついでに古いのを試しに使ってみました。古くなっていたせいか、一度レバーを握ったら、離しても噴射は止まらず、結局約14秒粉末が出続けで、あたり一面(当然外ですが)真っ白(ややピンク)になってしまいました。今回のは10年保つみたいです。

調べてみたら、古いのは加圧式というもので、これは途中では止まらないみたいです。それに対し今回買ったのは蓄圧式で(圧力メーターがついています)、これは途中でも止められるみたいです。

小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」

小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」を読了。この本も「移民」問題への意識から購入したものですが、それ以上に学生の時から「日本人は単一民族」という説に嘘くささを強く感じていたというのがあります。この本を読む前は「単一民族」神話は、戦前の大日本帝国の時代に主流だった考え方だと思っていたのですが(著者も最初そう思って研究を始めたそうです)、実は戦前は「混合民族国家」説が主流で、教科書にすらそう記載してあったそうです。つまり戦前は台湾と朝鮮が日本の一部であり、「混合民族国家」というのはその事実を解釈する上で都合が良かったということです。戦前から「単一民族」思想を持っていたのが、津田左右吉、和辻哲郎、高群逸枝らで、更に人類学の長谷部言人らが加わり、戦後になって多民族状態が解消し、軍事的だった戦前への反動で「平和な単一民族国家」という幻想が強化され、それがピークに達したのが何と1960年代だったということに、大変驚きました。
私が日本が「単一民族ではない」と思っている根拠は、アイヌの存在なんかよりも、弥生時代前期の土井ヶ浜遺跡(現在山口県下関市)で発見された人骨が、それまでの縄文時代の人とは明らかに顔つきや背の高さが異なる、ということです。つまりここで明らかに朝鮮半島か大陸からか分かりませんが、それまでの人とは異なる人種が入ってきて、その後混合が起きている事実です。
通して読んだ感想として、この本に登場するすべての知識人が「非科学的」だということです。はっきり言って日本人の起源も日本語の起源も未だに解明されていませんが、それをいいことに多くの人がきわめて勝手な空想で奇妙としかいいようのないストーリーを作り上げていきます。その中でも罪が重いのが長谷部言人で、部分的には科学的な人類学の知見をある意味悪用し、「明石原人」は旧石器時代の日本人の祖先だ、みたいな嘘を作り出していきました。
後、金沢庄三郎の「日鮮同祖論」が登場します。この論は、日本の朝鮮併合に都合の良い論理として悪用されたので有名です。私は「日鮮同祖論」自体は信じていませんが、弥生時代から古墳時代にかけて、九州と朝鮮半島に活発な人の行き来があったことは否定できない事実だと思っています。以前、九州の「原」を「はる」「ばる」という地名の起源を調べた時にそう強く思いました。その時に金沢庄三郎の本を参照しました。部分的に評価すべき事が多く含まれているにも関わらず、戦後は金沢庄三郎の主張はタブー扱いされて、まったくまともに研究されることはありません。また朝鮮-韓国側ではご承知の通り「反日」史観で凝り固まっていますから、こちらからも客観的な研究が出てくる可能性は薄いです。
通して読んで、個々の先人の主張について、突っ込みが浅くて散漫な印象を受けますが、全体的には極めて刺激的な本でした。学生時代に社会学から始まって、文化人類学、日本民俗学、考古学、朝鮮民族誌みたいな学問をつまみ食いしていた私には坪井正五郎や鳥居龍蔵といった名前はとても懐かしかったです。

茨木竹二の「「倫理」論文の解釈問題 -M.ヴェーバーの方法適用論も顧慮して-」

茨木竹二の「「倫理」論文の解釈問題 -M.ヴェーバーの方法適用論も顧慮して-」を一部読了。この本は2008年12月に出版された、これまた「証文の出し遅れ」の羽入批判本。ちなみに「日本マックス・ウェーバー論争」が出版されたのが2008年8月、羽入の反論本「学問とは何か」が2008年7月の出版。ちなみに、「日本マックス・ウェーバー論争」に収録されている私の論考「羽入式疑似文献学の解剖」の最終版を私のHPで公開したのは2007年7月で、「論争」や「何か」の1年以上前です。

この作者の文章はきわめて読みにくいので、取り敢えず私が「解剖」で取り上げた英訳聖書関係の記述を確認しました。結果ですが、

(1)先行研究である私の論考をまったく無視し何の言及もしていません。「折原が調べたところ」と言及されている英訳聖書関係の研究は多くはまず私が研究し、その結果を折原先生が再確認された、というのが流れです。従って私の研究に言及しないのは不当です。私だけでなく、文献リストに沢崎賢造の「キリスト教経済思想史研究」が挙げられていますが、この本に羽入と同様の主張が出ていることを初めて指摘した上田悟司氏の名前もどこにも出てきません。

(2)(1)にも関わらず、私の論考の結論の一つである「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」が「主にChristopher Barkerという「エリザベス女王御用達」印刷業者が出版した、「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)が正しいと思われるのだが。」という結論をある意味そのまま使っています。しかし、後述しますが氏の英訳聖書に関する知見はきわめて不足しており、自力でこの結論に想到するというのはほとんど考えられません。私の結論だけ借用し、自分で考えたような体裁を付けていると判断しました。しかもその論証はまったく論証になっておらず、羽入と同じく一種のプロパガンダのようなものです。

P.262から263辺りの「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」についての議論は、ほとんど論拠不明のデタラメであり、ある意味では羽入以下です。羽入も私も基礎的な研究資料として、”A. S. Herbert, Historical catalogue of printed editions of the english bible 1525 – 1961, revised and expanded from the edition of T. H. Darlow and H. F. Moule, 1903, LONDON The British and Foreign Bible Society, NEW YORK, The American Bible Society,1968 “(以下Herbert本と略記)という歴史的英語聖書のカタログに準拠した上で議論をしています。(付け加えておけば、羽入が当初使用していたのは、この書籍の1903年の最初の版です。私が1968年の改訂版を参照していることで改訂版の存在に気がついてあわてて取り寄せたものです。)

まず、私は結論を「主にChristopher Barkerという「エリザベス女王御用達」印刷業者が出版した、「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)が正しいと思われるのだが。」と書いており、決して断定しておりません。要するに色々な可能性を検討していった中で、一番明証的だと思われるのがこの「仮説」であり、決して最終決定とはしていません。折原先生はこの部分を「エリザベス女王の私家版聖書のようなものがあったのではないか」としており、個人的にはイギリスで見つかっていないそのような特殊な聖書をヴェーバーが何故参照出来たのか、という疑問があるため可能性は低いと思っています。しかし、絶対に無いと現時点で言い切ることは不可能です。現在まで残されているヴェーバーの蔵書の中にそうした英訳聖書があればはっきりした証拠になりますが、それは既に「解剖」の中の注釈で報告済みで、引用すれば「2006年11月に商用でミュンヘンを訪れた際に、バイエルン科学アカデミーに残されているヴェーバーの蔵書を調査した。同アカデミーのEdith Hanke博士からいただいたリストでは、その数はわずか99種に過ぎず、英訳聖書どころか、ドイツ語の聖書も含まれていなかった。Hanke博士によれば、ヴェーバーの蔵書は、ヴェーバーの引っ越しの際や没後に整理・売却されており、ここに残されているのはごく一部に過ぎないということであった。」ということであり、残念ながら証明することは出来ていません。

それから、私は「「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)」と書きましたが、そこに単なる版を重ねただけのものは基本的に含めていません。そういうものを全部入れると、1611年の欽定版の出版までに120以上もの版が存在しています。それは今日「新共同訳」が色んなサイズで出ているのと同じで、テキストが同じものを別の聖書と扱うことは出来ません。私は、基本的に
①1557年の新約聖書
②1560年の新約・旧約聖書
③1576年初版のトムソン改訂の新約聖書
④ ③と②の旧約の組み合わせ聖書
⑤ ④のトムソン改訂の新約の黙示録への注釈をJuniusが改訂したもの
のように、テキストに明らかにかなりの差があるものを複数に数えるべき別の聖書として扱っています。それからさらにジュネーブ聖書でありながら、外箱に「クランマー聖書」と書いてあるようなきわめて変則的なものも確かに存在していましたから、そういうものも「複数」の可能性としてカウントします。

茨木氏は羽入が写真を挙げている1575年のジュネーブ聖書(ロンドンでの初出版)を何故か特別視しますが、これはHerbert本では#141で、1560年のジュネーブ聖書そのもの(但しごくわずかの単語の変更があることがHerbert本では指摘されている)でしかありません。それから、1606年版がその1575年のものと同じであると、標題と副題、そしてコリントⅠ7, 20のテキスト確認だけで何故か断定しています。Herbert本によれば、1606年には4種類の英訳聖書が出ており、内1つが上記の⑤、2番目が②、3番目が②ですがページ欠落、4番目は主教聖書です。ジュネーブ聖書でも欠落本を除いて2種類ありますが、どちらであるかの確認もありません。仮に②だとしても、Herbert本はこの版の底本を1586年の#190としており、1575年版#141から派生したものではありません。

それよりもっと不可解なのは、その1606年版(詳細不明)をヴェーバーによって「宮廷用達の諸聖書」と見られたのかもしれない、と述べていることです。いうまでもなくエリザベス女王の治世は1603年で終わっていますから、1606年版が「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」であることはありえません。また氏はこの聖書が「宮廷聖書」と呼ばれる根拠をPrinters to the Kings以下の出版社の記載を「おそれ多くも畏こき国王陛下の御用達の印刷所」(「女王」ではなく「国王」なのだから、これがエリザベス朝のものでないことは明白なのですが)と、意味不明の意訳を行います。(国王から聖書印刷の独占権を与えられた出版社というだけの意味に過ぎません。)Christopher Barkerがジェームズ1世に「ジュネーブ聖書の御用達出版社」として尊重された、というのであれば大笑いとしか言いようがありません。ジェームズ1世は1604年のハンプトンコート宗教会議でいわゆる欽定聖書の作成を決定しています。それを急いだ理由は彼がジュネーブ聖書が嫌いだったのが一番大きな理由(ジュネーブ聖書の注釈に王権をないがしろにするようなものがあったためと言われています)です。またBarkerに聖書の出版権を与えたのはエリザベス女王であり、既に以前私が論考で述べたように、Barkerがピューリタン同士のつながりでウォルシンガムと強いコネを持っていたからです。

また、1557年のジュネーブ新訳聖書で、コリントⅠ7, 20が”state”と訳されているのを、「「身分」としてかなり「世俗的意味」で、且つ「職業」に近い語義に訳されてきた」とまったく意味不明の記述を行います。言うまでもなく”state”という単語に「職業」に近い意味などなく、「状態」という意味以外ではあり得ません。(「奴隷」の状態、「結婚している」状態、など)仮に「職業」的意味が含まれているとしても、それをどうやって1557年版のテキストだけで判断できるのでしょうか。現在の学術的監修のしっかりした聖書訳でも、私が「解剖」の注釈で「たとえば、”The New Jerusalem Bible”(英語版)では、”Everyone should stay in whatever state he was in when he was called.” (以下略)」と記載したように”state”が使われているものがあります。作者はこれら現代の聖書においても「職業的意味が含まれている」と主張するのでしょうか。

P.264の冒頭に書いてあるエリザベス女王がカルヴァン派とカトリックの両方に対して働きかけて訳語”vocation”が使われるようにした、と述べているのもまったく意味不明です。しかもカトリックのランス新約聖書は名前が示す通り、フランスのランスで翻訳されており、それに対してエリザベス女王がどうやって影響力を行使できるのでしょうか。ヴェーバーが指摘しているのは、一直線に”calling”に収束したのではなく、揺り戻しがあった、と言っているようにしか私は読めません。

私は、羽入の研究に対して、「(たまたま入手した)1次資料に捕らわれたり、単一の文献の記述に影響されて広く文献を漁っていない」と批判しましたが、残念ながら茨木氏の研究にも同様の傾向が見られます。(たまたま手に入れた1606年版聖書に過剰に捕らわれている。)また、この部分の結論については、珍しくも羽入が私の結論(仮説)が寺澤芳雄先生(羽入が英訳聖書の関して教えを請うている先生)が私と同じ推論をしている、ということで正しいと認めています。つまり既に論争としては決着済みなのであり、それを私の論考よりもはるかに劣るレベルで蒸し返して読者を混乱に導かないで欲しいと思います。正直な所、残りの部分を読む気を無くしました。また茨木氏が私の論考を含め、これまでの論争の経過を熟知しておらずあまつさえそれを無視するのであれば、氏に論争を総括する資格などまるでありません。また先行研究を尊重しない態度を見る限り、引用ルールの厳格な適用の呼びかけなども、いわば「説教強盗」のような議論と考えます。