タイムトンネルの”Merlin the magician”

タイムトンネルの”Merlin the magician”を観ました。後4回なのですが、この辺りに来るともうストーリー目茶目茶。今回はアーサー王の魔術師のマーリンが登場し、タイムトンネルのコントロールルームに現れ、スタッフがトニーとダグを転送しようとするのを止めてしまいます。このタイムトンネルというドラマの世界観が不明で、SFよりオカルト、SFより宗教、そして今度はSFより魔術!です。で、マーリンは魔術でほとんど何でも出来るんですが、一回に使える魔術のパワーに限度があるということで、トニーとダグをこき使ってアーサー王がヴァイキングから城を取り戻すのを支援させます。しかし、アーサー王がヴァイキングに矢で射られたのを、「時間を逆転させて」元に戻すなど、明らかにタイムトンネルの科学力以上の魔力を発揮します。タイムトンネルは途中までは「偉大なるワンパターン」展開でそれなりに面白かったのですが、最後の方になるとかなりストーリーが破綻しているように思います。ちなみにこのお話の最初で、トニーとダグは1968年の現在に一度戻されているのですが、フリーズした状態だったので、二人がそれに気付くことはありませんでした。

白井喬二のポートレート(昭和7年)

久し振りに白井喬二の作品を求めて、婦人公論の昭和7年12月号を購入。お目当てだった小説は、ある短篇集に収録されていたもので既読でしたが、その代わりにこのページを見つけたので収穫はありました。昭和7年というと白井喬二は42歳で脂がのっていた頃で、とても若々しく見えます。ちなみに小説のタイトルは「悪華落人」で短篇集の「斬るな剣」に収録されています。
白井喬二とは関係ありませんが、この号の婦人公論には中央公論社の広告が載っていて、その中に「マルクス地代論」「マルクス貨幣論」などの左翼系書物の広告が入っています。昭和7年頃だと、意外と自由だったのですね。ちなみに亡父の生まれた年です。

タイムトンネルの”Attack of the barbarians”

タイムトンネルの”Attack of the barbarians”を観ました。トニーとダグは今度は13世紀のモンゴルに飛ばされ、ジンギスカンの孫達による後継者争い(バトゥとクビライ)に巻き込まれます。そこにイタリアから旅してきていたマルコ・ポーロもからみます。今回、二人が流されて、その時代の人間に見つかって殴り合いになり、そして捕まって、という所まではお約束通りなのですが、何と今回はトニーとクビライ・カンの娘のサリが恋仲になってしまいます。そして面白いのが、いつもは冷静なアンが、トニーが本当に恋したのなら、そのまま13世紀で暮らすようにして上げるのがいいのではないかと言い出します。また、今回モンゴル内部の戦いで、「火薬」が大きな役割を演じます。マルコ・ポーロが火薬を欧州に持ち帰ったというのは事実ではないようですが、この回ではおそらく硫黄の粉を持っていて、それにトニーが硝石を混ぜて自家製の火薬を作ります。しかしこのままでは点火出来ないのですが、歴史に介入することに何のためらいもないカーク司令官の命令で、導火線が転送されます。(最初はもっと大きなバズーカ砲を送ろうとして失敗し、軽い導火線に切り替えたものです。)結局、その自家製の火薬による砲弾でバトゥ軍を蹴散らし、トニーはダグの忠告もあってようやく目を覚ましてサリに別れを告げ、また別の時代へと転送されます。

タイムトンネルの”The death merchant”

タイムトンネルの”The death merchant”を観ました。トニーとダグは今度こそ南北戦争中のゲティスバーグに飛ばされます。トニーは南軍の砲弾に撃たれ、一度半死状態になりますが、例によってタイムトンネル側からの電撃で意識を取り戻します。しかし、そのために記憶を失い、自分を南軍の副官だと思い込みます。ダグは逆に北軍に拾われたため、二人は南北に別れ殺し合うことになります。また、この回初めてのパターンとして、何とあのマキャヴェッリがタイムトンネルによってこの時代に飛ばされてきています。マキャヴェッリとダグの信号が似ていたためだと説明されます。マキャヴェッリは戦争を楽しみますが、それだけではなく、大量の火薬を仕入れてそれを形勢が不利な南軍側に渡そうとします。(現代の日本ではマキャヴェッリの現実的な政治哲学というものはそれなりに高く評価されているように思いますが、この当時のアメリカでは「悪の哲学者」という扱いでかなり評価は低かったように、このドラマでの描写からは判断されます。)ダグはその火薬を爆破しようとしますが、火薬を南軍に役立てようとするトニーと殴り合いになります。このタイムトンネルは毎回のように二人の格闘シーンがありますが、トニーとダグの仲間同士が殴り合うのは今回が初めてです。そういえばマキャヴェッリと一緒にその愛犬のマスティフ犬も一緒に飛ばされていましたが、その理由の説明はありませんでした。その犬だけをまずルネサンスのイタリアに転送した所でタイムトンネルは爆発を起こし、復旧でフーバーダム(アリゾナとネバダの州境にあります)から電気を引っ張ってくるというのが出てきます。

タイムトンネルの”Chase through time”

タイムトンネルの”Chase through time”を観ました。今回のはなかなかSFしていて、飛ばされる時代もAD100万年とBC100万年という両極端の2つの時代です。ニモンというタイムトンネルのエンジニアが実はスパイで(それにしても最高の軍事機密の筈なのにこのセキュリティーの甘さ…)、タイムトンネルの装置の中に核爆弾を仕掛けてそのままタイムトンネルの中に入り、トニーとダグと同じ時代(16世紀)に飛ばされます。タイムトンネルの制御室からの要請で、そのニモンを追いかけていた二人ですが、今度は紀元100万年という未来に飛ばされます。そこでは人間はハチのような社会を作って暮らしていましたが、タイムトンネルの技術は失われていました。ニモンは二人よりも10年前に飛ばされており、そこでタイムトンネルを構築しようとしていました。ダグとトニーはニモンを見つけ、彼から核爆弾の隠し場所を聞き出そうとしますが、未来人に邪魔されて上手くいきません。そこでまた転送になるのですが、今後は三人に未来人二人を合わせた五人が紀元前100万年に飛ばされます。色々あってようやくニモンから核爆弾の隠し場所を聞き出し、タイムトンネルは間一髪セーフ、二人はまたどこかへ転送され、未来人も多分紀元100万年に戻り、ニモンだけがエネルギー不足で紀元前100万年前に取り残され、巨大原始ハチの餌食になるというお話でした。次回は今度こそ南北戦争です。

坂口安吾の「勝負師 将棋・囲碁作品集」

坂口安吾の「勝負師 将棋・囲碁作品集」を読みました。藤井聡太7段の活躍で将棋がブームになっている関係で復刻されたもののようです。私は坂口安吾については高校時代に「堕落論」を読んだくらいで他の作品はほとんど読んでいませんが、この本については「つまらない」としかいいようがないです。色々と将棋や囲碁に関した本は読みましたが、この本はその中で最低レベルといってもいいかと思います。最近藤井聡太7段が対局の時にどんな昼食を頼んだとか、どうでもいいことが一流ともいえるニュースの会社のサイトでニュースとして出ていますが、そういうのとレベル感は一緒ですね。囲碁に関しては文中の記述を見る限りでは、坂口安吾の棋力は私と同じくらいに思いますが、その割には囲碁の内容に関する文章は0と言ってよく、将棋もまた然りです。私から見れば囲碁の呉清源9段は囲碁の神様みたいな人ですが、そういう神様に関する俗事的なことばかりが書いてあります。また、この時代に覚醒剤が合法だったのは知っていますが、坂口安吾が木村義雄名人に対し、ヒロポンを勧めているのを読むとびっくりします。将棋だったら、山口瞳の「血涙十番勝負」「続血涙十番勝負」、囲碁だったら川端康成の「名人」とか、そういう優れた作品に比べたら月とスッポンです。

理念型とフラット・キャラクター

今、フランスの歴史家のイヴァン・ジャブロンカが書いた「歴史は現代文学である」を読んでいます。この本は歴史を科学的に扱おうとして19世紀以降歴史と文学が切り離された物を、もう一度結びつけようとする試みでなかなか興味深いです。
それでちょっと思いついたのですが、社会学で「理念型」(ドイツ語でIdealtypus)という方法論みたいなのがあります。歴史の現象を解釈する上で、観念的に作り出された一種の純粋型のことです。昔は「理想型」と訳されていましたが、「理想」というと価値判断が伴っているようですし、また「売春宿」のIdealtypusもあり得るということで、ニュートラルな「理念型」という訳に落ち着いています。
で思ったのが、この「理念型」の元は、文学における「フラット・キャラクター」(平面的キャラクター)じゃないのかということです。この「フラット・キャラクター」はE.M.フォースターの造語で、対照にされるのは「ラウンド・キャラクター」(立体的キャラクター)です。フラット・キャラクターは、フォースターはディケンズの小説の登場人物はほとんどそうだとしていますが、ある類型的な性格や社会的地位をもっていて常に読者が期待するような行動をする人のことです。(ラウンド・キャラクターはそれとは違い、性格などが次第に変化して深まっていくようなタイプのキャラクターです。)例えば「クリスマス・キャロル」の(改心する前の)スクルージ爺さん、「ディヴィッド・コパフィールド」の悪役のユライア・ヒープ(ロックバンドのユーライア・ヒープはこの名前を借りたものです)なんかが、まさしくフラット・キャラクターです。
マックス・ヴェーバーは有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、「資本主義の精神」を読者にわかってもらうための「理念型」としてベンジャミン・フランクリンを使います。しかし、それは実在のフランクリンというより、キュルンベルガーという作家の書いた「アメリカにうんざりした男」という詩人レーナウのアメリカ体験を元にした小説に登場する「カリカチュア化したフランクリン」であり、まさしくフラット・キャラクターそのものです。
もちろん、「理念型」は人間だけに使うものではないのですが、少なくとも小説におけるフラット・キャラクターの使用の方が社会科学よりはるかに先なんではないかと。

NHK杯戦囲碁 三村智保9段 対 呉柏毅4段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が三村智保9段、白番が呉柏毅4段の対戦です。呉4段はNHK杯戦2回目です。布石は比較的オーソドックスですが、白が右下隅でコスミツケられてかけた後、手を抜いたのがちょっと珍しいかと思います。しかしその後はどちらかと言うと白が手厚く打ち、黒が走って、という状況になりました。ポイントとなったのは、白が左辺の黒を攻め、黒への出切りを狙ったシチョウアタリを兼ねて上辺から右上隅の黒にからんでいった所で、白はうまく利かせて中央を厚くしました。それから白は左辺の黒に襲いかかり、眼を取る手を打ちましたが、黒がタケフでつながるのではなく、空き三角の愚形ですが、白のダメを詰めて受けたのが好手で、白は中央の黒を切り離して左辺の黒を封鎖しましたが、黒はまず左下隅に飛び込んで一眼を確保し、さらに先ほどダメを詰めた効果で、白に当たりをしてもう一眼持つ手が出来たので、先手で生きることが出来ました。こうなると白の攻めは空振りで、実利で先行した黒がリードしました。白は厚みを生かして中央にどれだけ地をまとめるかが勝負でしたが、黒は巧みに上辺の白の薄みを突いて中央に進出し、大きな地を作らせませんでした。それでも白は厚みを生かして寄りつき、また右上隅で劫に勝って黒地を削りましたが、右下隅の黒地への侵入がやや中途半端に終わり、黒のリードは変わりませんでした。最後、右上隅で黒が白2子を取り込み、ここで黒の中押し勝ちとなりました。

タイムトンネルの”Pirates of Deadman’s Island”

タイムトンネルの”Pirates of deadman’s island”を見ました。この回ではダグとトニーは1805年の地中海上の海賊船の上に飛ばされます。二人は、スペイン国王の甥である10歳の少年と一緒に海賊に捕まります。二人が殺されそうになったのを、この少年が機転を利かせて自分の召使いがいる、として二人を救います。実はこの当時アメリカは第一次トリポリ戦争の真っ最中で、北アフリカのオスマントルコ支配下の国と交戦中でした。その関係で海賊船もアメリカ海軍の船により攻撃を受け、ダグは砲撃により意識を失い、心停止状態になります。スペイン国王の甥も肩に重傷を負い、二人とも危険な状態になります。これをタイムトンネルの制御室から見ていたのが軍医のバークレイ(ベン)でした。彼はこの日が60歳の定年で軍を去ることになっていましたが、二人の状態を見て、「自分が行く」と志願します。戻れないであろうことは承知の上です。ベンの固い決意にカーク司令官も折れ、ベンが1805年に転送されます。このベンの行為はとても英雄的で感動します。(ここで観られます。)ダグとトニーはやがてまた別の時代に転送されましたが、ダグとスペイン国王の甥を救ったベンは、1805年のアメリカ海軍の船に残り、そこで軍医をしていくことになります。ちなみに、今回もお約束の誤転送でよりによって海賊の親玉を転送して現在に連れてきてしまい、その海賊がアンを人質に取って大暴れします。

タイムトンネルの”Billy the kid”

タイムトンネルの”Billy the kid”を観ました。ダグとトニーは今度は1886年のニューメキシコに飛ばされ、そこでビリー・ザ・キッドの一団と遭遇します。(ビリー・ザ・キッドは21年の生涯で21人を殺したならず者でかつ銃の名手です。)ビリーに殺されそうになったトニーを助けるため、ダグは一味の銃を奪ってビリーを撃ちます。ビリーが倒れた隙に二人は馬を奪って逃げます。しかし、ビリーを撃った弾はベルトのバックルに当たって、ビリーは生きていました。一人で追ってきたビリーを二人は一度捕らえます。トニーが町の保安官にそれを知らせに行きますが、その時ビリーのテンガロンハットをかぶって行ったのと、ビリーの銃を持っていったため、町でビリー・ザ・キッドと間違われ、町の人に殺されそうになります。そこにビリーを良く知っている保安官のパットが現れ、トニーを救い出します。二人でビリーを捕らえているダグの所に向かいますが、ダグはビリーの仲間に襲われて馬で逃げ出していました。そこでダグはビリーと1対1の決闘をする羽目になります…

今回、何かスラングめいたのが多くて、よく聴き取れない英語がいくつかありました。ビリーが二人のことを”Dude”と呼びますが、それは西部にのこのこ観光にやってきた東部の都会人を嘲って言う表現みたいです。