白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」を、大量に買ったヤフオクの「大法輪」の出品のおかげで、全83回の連載の内65回分を読了しました。(全体の78%です。)お陰でこの長大な連載のかなりの部分が読め、話が大部分つながりました。惜しむらくは連載第33回から連続9回分が欠けています。連載のこの部分で、天海僧正が家康と知り合い、家康に対し数々の政策の進言をすることにより家康に次第に重用されるようになる筈なのですが、その部分が残念ながら読めていません。ただ、「大法輪」のバックナンバーを全部揃えている図書館は判明していますので、近いうちにまた神奈川県立図書館を通じて貸し出しを申し込むつもりです。
ただ今回読んだ分で天海の少年時代、兵太郎と呼ばれていた時代の話は全部読むことが出来ました。兵太郎は船木兵部少輔景光の息子であり、その母親は会津に近い高田の城主の姉でした。そのため、兵太郎は従兄弟のほぼ同世代の男の子と次の城主の座を争うことになるのですが、家老であった峰淵玄蕃の謀略で父親を毒殺されてしまい、日陰の身になります。このため兵太郎は武芸の腕を磨いて、玄蕃を殺して敵を討とうとしますが、僧舜幸がその計画を見抜いて邪魔をしたために、不首尾に終わります。結局その舜幸に匿われて、その間に僧侶になる決意をします。しかし一方で高田の藩自体は、武田信玄の圧力を受けて城主(兵太郎と争った子が城主になったもの)と峰淵玄蕃は結局武田の捕らわれ人となり、お家は断絶してしまいます。
天海僧正というと、一時期の「風水」ブームのせいで、江戸の地を風水の観点から選んで都市設計した人としてやたらに有名になったような気がしますが、これまで読んだ範囲では白井はまったく風水については触れておらず、むしろそれが清々しい感じです。前にも書きましたが白井は天海僧正を徹底して偉大な人物として描写しています。
中里介山の「大菩薩峠」第13巻
中里介山の「大菩薩峠」第13巻を読了。この巻では前巻と違って多少ストーリーに進展がありました。と言っても、相変わらずダラダラとしたどうでもいい話も多いですが…房州の洲崎で蒸気船を作っていた駒井能登守は、外人のマドロスを匿っていることなどについて、駒井能登守を目の敵にしている勢力から様々な邪魔を受け、蒸気船を動かして洲崎の地を立ち退く事を計画します。それについて、甲州の沢井の机の道場に住んでいるお松と能登守の息子の登を呼び寄せようとします。お松は与作も当然行くものと思っていたら、与作は郁太郎を連れて全国を旅すると言ってお松の誘いを断ります。一方で白骨温泉を出たお雪と龍之助の方は、飛騨高山で思いがけない火事に焼け出されて難儀します。しかし、龍之助は白骨では出なかった辻斬りの癖がまた出てきて、夜な夜な高山の町を彷徨います。などと言った感じなのですが、停滞していた水が少しずつ流れ始めた感じではあります。しかしこれで全体の約2/3を読んだことになり、残りの1/3で色々な伏線が全て片付くとはとても思えません。前巻から、「ピグミー」と称する変なものが登場しています。実在のピグミー族とはまるで関係なく、一種の悪魔のようなものとして描かれていますが、龍之助に一刀両断にされたりして、悪魔にしてはひ弱いです。また盲目でおしゃべりな僧の弁信ですが、一種の超能力(テレパシー)みたいな能力を時々発揮します。このあたり、幻想的とも言え、ちょっと不思議な展開です。
中里介山の「大菩薩峠」第12巻
中里介山の「大菩薩峠」の第12巻を読了。この巻辺りになると、本当にどうでもいいような話がダラダラと続きます。妊娠疑惑のお雪ちゃんは、その妊娠がどうなったのかさっぱり明かされないままで、何故か白骨温泉を去って龍之助と二人で白川郷へ行こうと思い込み、実行に移します。そのお雪は高山までの旅の途中で、白骨で死んだ筈の淫蕩な後家さんが戸板に乗せられて運ばれるのを目撃します。水死して死体が発見されていなかったのが今見つかって、故郷の地に戻される所だったのですが、その後家さんが実家に戻されて葬儀を行おうとしたら、集まった人が毒キノコにあたって狂乱状態になり火事になります。この辺り物語の進行に必要なお話とはとても思えない、不可思議な展開です。一方ではまたも順列組み合わせの総当たり的なストーリー展開が出て、宇治山田の米友とお銀様が何故か旅先で知り合って一緒に名所見物をすることになります。また道庵先生は、名古屋で大モテで江戸から来た偉い先生とチヤホヤされますが、調子に乗って講演会?で尾張の人間の批判をやらかして、あわや袋叩きに遭いそうになります。また米友は旅の途中でたまたま関わった熊の子を買い取ろうとします。ここまでどうでもいいような話が続くとある意味シュールです。後8巻ですが、なかなか大変そうです。
中里介山の「大菩薩峠」第11巻
中里介山の「大菩薩峠」第11巻を読了しました。この巻では宇津木兵馬がついに(というかほとんど偶然ですが)白骨温泉の机龍之助が泊まっている宿にたどり着き、果たして敵討ちは如何に!という期待を読者にもたらすのですが、中里介山はここで見事に読者の期待をスカしてしまいます。宇津木兵馬は同じ宿にいる龍之助をそれと知ることがなく、あっさりとそのまま引き上げてしまいます。普通大衆小説ならここで敵討ちのチャンバラとなってそろそろこの長いお話も収束に向かう所ですが、中里介山は「君の名は」(新海監督のアニメの方じゃ無くて、菊田一夫原作のラジオドラマの方)の手法を使うかのように、龍之助と兵馬をなかなか対決させずに引っ張ります。果たして第20巻までに敵討ちが行われるのでしょうか。(どうも行われないような予感がしています。)
一方で道庵先生と宇治山田の米友は尾張にやってきて、どういうコネなのか二人は名古屋城の天守閣にまで登りますが、米友が道庵先生からあれが伊勢の山だと聞かされて米友が望郷の念からおかしくなります。その後、米友は亡きお君とコンビを組んでいた「お杉」ことよっちゃんと再会し涙に暮れます。
フルトヴェングラーのウラニアのエロイカ再視聴
私はベートーヴェンの交響曲の中では3番の「エロイカ」が一番好きです。ベートーヴェン交響曲全集を評価する時も、「エロイカ」の出来が一番評価に影響します。そんな私が最初にはまった「エロイカ」はフルトヴェングラーの1952年のスタジオ録音のものです。しかし、大学に入って目白のレコード店で買い求めた同じフルトヴェングラーのいわゆる「ウラニアのエロイカ」を聴いてぶっ飛びました。同じ指揮者なのに1952年のスタジオ録音とはまるで違う凄絶である意味荒れ狂った演奏でした。1944年の放送用の録音で、戦後ウラニア社から指揮者本人の許可を取らずに発売されて、フルトヴェングラーが裁判に訴えたという伝説の録音です。
という訳で私はこの録音をLPレコード(フォンタナ盤)で持っていたのですが、最近CDで聴き直したくなって買ったのがこれです。
聴いてびっくり、録音が劇的に良くなっています。というかデジタルでノイズを取ったり色々やったのでしょうが、かなり聴きやすくなっています。そうなると不思議なことに演奏から受ける印象も違ってきて、学生時代に感じたような荒れ狂った演奏とはあまり感じなくなりました。いずれにせよ、この曲の演奏の決定盤だと思います。
NHK杯戦囲碁 依田紀基9段 対 志田達哉7段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が依田紀基9段、白番が志田達哉7段の対戦です。志田7段は私が今一番注目かつ期待している棋士で、近い内にタイトル戦の挑戦者として名乗りを上げてもおかしくない棋士だと思います。対局は依田9段が2連星から左上隅でなだれていき、厚みを築いて模様の碁を志向しました。志田7段はこれに対し右辺をワリウチし、右下隅にも入って地で先行する構えです。その右下隅の折衝で依田9段はラッパに継ぐ前に右辺の白にノゾキを打ちここを先手で決めてから継ぎに戻り、ここで黒がポイントを上げました。これに対し白は包囲している黒に割り込みを打ち、いつでも右辺で活きる手段を残しました。その後白は上辺に打ち込み、ここの攻防が勝負のポイントとなりました。白が一連の折衝の後、黒1子をシチョウに抱えたのに当てを利かされましたが、白は受けずに左上隅の黒に迫ったのが機敏で、その後更に左上隅の黒の急所に打って、黒は苦しくなりました。その後黒は包囲している白を出切ったのですが、これが無理気味で上辺で黒は何とか活きましたが、白の左上隅の取り込みが大きく、ここで白が優勢になりました。黒は右辺の白に対し、先に白が打った保険のような手の効果を打ち消す手を打ち、この白に襲いかかりました。しかし白は抵抗せずあっさりと右辺の石を捨てました。これで右辺の黒地は70目以上の規模にまとまりましたが、白も左辺の確定地と厚みでそれに十分対抗出来ていました。左辺は黒が打ち込んで多少の地をもって活きるスペースはありましたが、黒はそれでは足らないと見て、取られていた黒を引っ張り出しました。双方持ち時間がなく、一手30秒の攻防で最善手はお互い読み切れませんでしたが、結局黒はかなりの部分を助けだして活きました。しかし、それでも白は各所で得をしていて、白リードは変わりませんでした。その後白は上辺の黒に上手いヨセを打ち、勝利を確定しました。終わってみれば、白の10目半勝ちという大差でした。
山寺(立石寺)
山形県の天童市の「天童ホテル」
手持ちのブラームス交響曲全集
中里介山の「大菩薩峠」第10巻
中里介山の「大菩薩峠」第10巻を読了。ついに20代の自分が読み進めた所を追い越しました。といっても20代の時にどこまで読んだかをはっきり記憶している訳ではなく、もうとっくに追い抜いていたかもしれません。またこの長い小説のようやく半分を読み終わりました。この巻でも話は進まず、前巻で妊娠疑惑?のお雪ちゃんも結局どうなったのかはまだわかりません。宇津木兵馬は敵討ちを目指して白骨温泉に近づきながらも、またも偶然出遭った女性にうつつを抜かして道を逸れてしまう、というとことんヒーローになれない人物を演じ続けます。一方で道庵先生と宇治山田の米友は、色々なエピソードを残しつつ、木曽街道を西に向かいます。実家に一度戻ったお銀様は、継母とその子供(弟)への恨みから、屋敷に火を付け、二人をとうとう焼き殺してしまいます。また、水車小屋の与八を赤ん坊の時に青梅街道に捨てたのは、何と裏宿の七兵衛ではないか、という驚くべき展開もあります。この第10巻が書かれた頃は、関東大震災の後から昭和の初めで、白井喬二が大活躍していた頃です。この巻の中に道庵先生が「大岡政談」を「大衆政談」と読み間違えるという話が出てきて、「大衆」という言葉がその頃一般化してきたことがわかります。中里介山は「大菩薩峠」が大衆小説と呼ばれれることを終生嫌い、「大乗小説」と称していました。