白井喬二の「葉月の殺陣」を読了。1929年(昭和4年)9月に講談倶楽部に掲載されたもの。これも平凡社の白井喬二全集の第5巻に収録されたもので読みました。お話は由井正雪の反乱の残党である天間昌五之介が主人公です。昌五之介が江戸を逃れて赤穂あたりをうろついている時に、後ろから呼びかける者がいます。最初は自分の事では無いだろうと思っていた昌五之介ですが、「天○先生」と呼びかけるのを聴いて、やっぱり自分だと思います。しかしそれは「天堂先生」で天間ではありませんでした。しかし、昌五之介は結局その「天堂先生」になりすまし、依頼された敵討ちの助太刀に参加することを承諾します。参加したのはいいのですが、どちらが味方でどちらが敵かも判別できず、敵味方構わず斬りまくり、結局双方から恨みを受けることになり、昌五之介は逐電します。宇野から高松に渡ろうとして船に乗り込みますが、その船の中で、昌五之介は自分では無いだれかが自分と間違えられて敵討ちの時のどさくさの恨みで討たれそうになっていると噂話で聴きます。その時船を海賊が襲います。昌五之介はその海賊の船に乗り込んで宇野に戻り、その勘違いされた人間を見ようとします。その人間はあっさりと斬り殺されてしまいますが、その後昌五之介は最初に自分が間違えられた「浮田天堂」の家を見つけます。そこを覗いてやろうと一手御指南を申し込みます。しかし名前を聞かれてうっかり本名を名乗ってしまいます。天堂との立ち会いの後、天堂は昌五之介が由井正雪の残党であると叫び、結局天堂の門人達との斬り合いになり、最後は捕り方もやってきて、昌五之介は斬り殺されるという話です。人の取り違えが二度起きる訳ですが、最後は本名をばらしてしまって殺されるというだけの話で、今一つの出来の作品と思います。
ウィリアム・ストランク・ジュニアの”The Elements of Style”
ウィリアム・ストランク・ジュニアの”The Elements of Style”を読了。英語学習の重点をリスニングとリーディングから、スピーキングとライティングに移していこうとしている過程で、ライティングの基礎テキストとしてまずこれを読んだもの。初めて読んだのではなく、以前日本語訳(「英語文章ルールブック」)を読んでいます。この本を知ったのは、順番としては、「プログラム書法」から。「プログラム書法」は有名なカニーハン・プローガーの美しく分かりやすいプログラムの書き方の本で、プログラマーなら一度は読むべき本です。この原題が、”The Elements of Programming Style”で、これが”The Elements of Style”のもじりなんだよ、ということでこの本にたどり着きました。英語のライティングの本としては古典であって、1918年に初版が出ています。そのエッセンスを一言で言うと、「簡潔で、力強く、誤解の余地の無い英語を書きなさい」ということに尽きるかと思います。逆に言えば、曖昧さや複雑さ、主張の弱さが攻撃されていますので、文学の文章の書き方の本ではないです。昔のWord Perfectなんかのワープロソフトには、英文法チェッカーがついていましたが、それに指摘させると、「受動態を使うべきではない」とか出てきましたが、そういう指摘の元がこの本です。
白井喬二の幽閉記(2)
白井喬二の「幽閉記」を読了。昭和5年の日曜報知に10回くらい連載されたもので、以前1~6回と8回の分だけを読んでいます。幸いなことに、平凡社の白井喬二全集の第5巻に収録されていて、全部読むことができました。お話は、かつて権勢を誇ったけれど、ある時殿様の不興を買って6年間も高楼の中に閉じ込められている氷駿公について、関口と大久保という二人の武士がそんな人生なら死んでしまった方がましか、いやそれでも生きていた方がいいかを論争します。結局決着は付かず、二人は直接氷駿公に聴いてみよう、ということになり、10日の内にそれぞれが高楼に登って氷駿公に問いかけるということになります。それで関口が夜中に高楼に登ってみたら、そこに閉じ込められていたのは氷駿公ではなく、大坪園勝郎というまだ30歳くらいの若い武士でした。その武士はかつて藩内を騒がせた桃林事件の首謀者が自分であったことを告白します。
その後のお話は、桃林事件の後藩内に発生した朱蘭組という謎の集団と、氷駿公の妾であったお多摩、また氷駿公の部下であった早月郷太郎などがからんで進んでいきます。お多摩と郷太郎は高楼の中から氷駿公を救いだそうとしますが、中にいたのは大坪園勝郎で、この園勝郎がかつてお多摩に思いを寄せ、それが受け入れられなかったから桃林事件を起こすことになったと告白します。一方で関口と大久保はお多摩らの氷駿公救い出しの現場に居合わせ犯人と間違えられて捕まってしまいます。
そういった感じで話は進むのですが、最後は何故か登場人物の多くが殺害されて、氷駿公は一体どこに行ったのかの謎も一切明かされないまま終わってしまいます。ちょっとすっきりしない展開で、出だしは良かったですが、成功作とは言い難いと思います。
中里介山の「大菩薩峠」第15巻
中里介山の「大菩薩峠」第15巻を読了。この巻で面白かったのは、質屋に蛇を持ち込んで、本当は名刀だけど自分以外が見ると蛇になる、と言って金をだまし取るという話が出てきたことで、白井喬二の「十両物語」に出てきた話です。どうやら白井喬二の創作ではなく、ある程度知られた話だったようです。
それは置いておいて、この巻も話が進むような進まないような不思議な展開で、宇治山田の米友は道庵先生を見限ってお銀様にくっつきますし、そこにお雪ちゃんもやってきて、何と龍之助も一緒になるというご都合主義的展開です。一方で駒井能登守は蒸気船を操って奥州の月の浦までやってきます。そうしている内に裏宿の七兵衛は、伊達家の秘宝を盗み出しますが、瑞巌寺に隠れている内に捕まります。しかし護送される途中で逃げ出します。また能登守の船に乗っていたマドロスともゆるも駆け落ちで船を逃げ出します。
駒井能登守の目的は、どこか外国の地に行って平和な国を築くことですが、一方でお銀様も不破の関で地元の士族から土地を買って、そこに自分の理想の地を建設しようとします。そういった感じで何か一種のユートピア小説めいて来たのがこの巻です。これで3/4を読んだことになります。後5巻です。
白井喬二の「紫天狗」
白井喬二の「紫天狗」を読了。大日本雄弁会講談社の「講談倶楽部」の昭和25年の秋の大増刊(8月発行)です。ヤフオクで落札したものです。「日本の古本屋」よりも最近はヤフオクの方が白井喬二の新しい作品が見つかる確率が高いです。お話は沙門明智という怪しげで好色な聖者と称する男が、奇跡を行う振りをして人々をだまして金儲けや女漁りをするのを、篠原兵馬という若い武士(紫天狗)が懲らしめるという話です。しかし結末で沙門がやっつけられるのがあまりにもあっさりしすぎで、これは失敗作と思います。とある後家さんと兵馬の師匠である中山陣兵衛の娘の胡夜(こよ)という二人の美女が登場してどちらも沙門に苦しめられますが、さして劇的な展開もなく終わってしまいます。
中里介山の「大菩薩峠」第14巻
中里介山の「大菩薩峠」第14巻を読了。この巻でも前巻に続き動きがあり、お雪が飛騨高山の新任の代官に見初められ、拐かされてその屋敷に連れ込みます。龍之助がその後を追って代官屋敷に忍び込み、出てきた代官の首をはねて、その首を橋の上に放置します。それだけでなく、その代官の淫蕩な妾であったお蘭を連れて出奔します。まったくお雪の妊娠疑惑はどうなったのかまったく語られませんが、お雪はその後尋ね当てて来た弁信と一緒に旅に出てしまいます。一方で駒井能登守はようやく蒸気船を完成させることが出来、お松やお君の忘れ形見の登、清澄の茂太郎やマドロスを乗せて、船を出帆させます。
という具合に話は進展しましたが、さてこの後どのようにまとまるのか、あるいはまとまらないのか、おそらくまとまらないのでしょうが、ともかくそのダラダラした展開を焦らずに楽しむことが読み続けるコツのようです。これで全体の7割を読了したことになります。
TOEIC L&R 試験の参考書
TOEICを今回までで5回受けましたけど、その勉強で参考書を15種類くらい買っています。その中で3つ紹介しておきます。
1.TOEICテスト公式問題集
まあこれは基本中の基本ですね。特に昨年から問題形式が変わったので、新しい問題形式に慣れておかないと本番で大変です。この公式問題集で取れたスコアと本番のスコアはあまり一致しませんが、解くのにかかる時間はほぼ本番と一緒です。結構値段が張りますが、必買でしょう。
2.植田 一三 TOEIC(R)TEST 990点満点英文法・語彙 (アスカカルチャー)
リーディングの部の文法問題を克服するのに一番役に立った参考書です。というかこの問題集の文法問題は、TOEICの本番テストよりはるかに難しいです。TOEICで850点未満の人は手を出さない方が無難です。でも英語学習の最終目標がTOEICではない人にはお勧めです。私はこの問題集を3回繰り返してやりました。その結果、TOEICのリーディング前半の文法問題はほとんど間違わなくなりました。
3.神崎 正哉 990点満点講師はどのようにTOEICテストを解いているか
これは試験本番の時の問題の解き方のノウハウです。リスニングの試験の時は一つの問題を解き終わったら、写真選択でなければ次の問題の文をあらかじめ読んでおくことなど、実戦的ノウハウがいっぱい詰まっています。
NHK杯戦囲碁 本木克弥8段 対 呉柏毅 3段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が本木克弥8段、白番が呉柏毅3段の対戦です。本木8段は今年本因坊戦の挑戦者になりました。結果は井山6冠王に歯が立ちませんでしたが、トップ棋士の仲間入りをしました。対する呉柏毅3段は1回戦の戦いを見た感じではとても切れ味の鋭い手を打つ棋士という印象です。布石は穏やかに進行してお互いに自分の領域を確保して、戦いはなかなか始まりませんでした。白は左辺、左上隅、上辺の黒模様を消しに行き、この白への攻めがどの位利くかがポイントになりました。ここが一段落した後、呉3段は下辺の白から右辺の黒に付けて行き、下辺の白模様を盛り上げようとしました。一連の折衝の後、白は右辺の黒に対してツケ一本だけを利かしましたが、結果的にはこれはあまり良くなかったようです。その後黒は白が下辺から付けてはねている石を切りました。この場合、白からのフクラミが右辺に通常は利いていて、切った黒は取られてしまうのですが、黒は白のフクラミに受けずにウッテガエシで白2子を取り込み中央が厚くなりました。しかし白も右下隅を大きく地にしたので、ここではいいワカレでした。その後白は左上隅と上辺の黒にツケを2つ打ち、両方を切り違えて手がかりを求めました。結果的に白は黒2子を取り込んで上辺を破り、かつ弱かった白石をはっきり活きましたので、ここでは白がポイントを上げました。その後黒は下辺の白を消しに行ったのですが、白が反発してその石の右側に付け、黒がはねた時白が切って戦いになりました。ここで黒が左辺から両ノゾキのようなマガリを打ったのが絶妙のタイミングで、白はどちらも受けずに下辺の黒をポン抜きました。黒は覗いた石から下に出て切りを入れ、隅の黒石を動いて攻め取りにさせました。この結果、黒から左辺で1線の石まで締め付けが利き、左辺の黒地が確定し、黒が優勢になりました。下辺から中央で白はポン抜きましたが、黒も右下隅で2子抱えていて厚いため、このポン抜きが働くことはありませんでした。ヨセでは白は下辺の白地を十数目増やしましたが黒もその代わり中央の地をまとめ、盤面で10目以上の黒のリードでした。白は投了し、黒の中押し勝ちとなりました。
白井喬二の「外伝西遊記」(3)(完読)
白井喬二の「外伝西遊記」の全34回の連載を全部読むことが出来ました。オリジナルとは違う始まり方をしますが、最初に登場するのは孫悟空ではなくて石族の吾呂です。この吾呂というキャラクターを登場させたのが、果たしてプラスになっているかと言えばかなり微妙です。はっきり言って語り部としてしか機能していません。三蔵法師の三人の弟子があまりにもキャラが立っているのに比べると、吾呂はまるで目立ちませんし、特技も姿を消すことが出来るくらいです。もっとも悟空と同じく、蟠桃を盗んで食べてしまったので、不死という設定ですが。そういう訳で、始まりはオリジナルと違いますが、途中天竺への旅を始めてからは、ほとんどオリジナルと似た進行になります。しかし、オリジナルでは悟空が最も苦戦した金角・銀角大王との戦いは、こちらでは悟空があっさり瓢箪の秘密を見抜いて、簡単に悟空の勝ちになります。また、三蔵法師と八戒がある国の水を飲んだら妊娠してしまったという話が出てきて、これは白井一流のほら話かと思ったら、これはオリジナルにもある話でした。小さい頃読んだ子供向け西遊記では省かれていただけでした。ただ、以前も書きましたが、各妖怪との戦いで悟空が使う仙術は結構白井のオリジナルが多いように思います。ちょっと忍術己来也を思い出します。また、びっくりするのは、天竺に入る直前で「地竺」の話が出てきたことです。白井は1940年に「東遊記」という西遊記のパロディを出しており、それは天竺ではなく地竺に行く話でした。それをまた持ち出しています。しかしこの作品での地竺は妖怪が作り出した「反天竺」という設定になっています。
この作品を読んでオリジナルの「西遊記」について、子供向けの翻案しか読んでいないことに気がついて、Amazonで、岩波文庫の10巻物はさすがに重いので、平凡社から出ている2巻物をポチりました。これもダイジェストですが、日本で作られたダイジェストではなく、元々明代に出されたダイジェストを元にした日本語訳です。
堀口茉純の「江戸はスゴイ」
「ほーりー」こと堀口茉純の「江戸はスゴイ」を読了。「大菩薩峠」を続けて読んでいると、いい加減うんざりしてくるのでちょっと息抜き。「ほーりー」は江戸文化歴史検定一級を最年少で取ったぐらいの江戸通です。タレント本というと、名前だけで実際はゴーストライターが書いたというのがほとんどでしょうが、この本はたぶん本人の著作でしょう。浮世絵とか色々な図会を使って江戸文化を解説しようという試みで、浮世絵も大好きな私としてはなかなか読んでいて楽しい本です。Twitter調とでもいった感じの口語的な書き方がいい感じです。この本で初めて知った、というような内容はあまりないのですが、江戸時代を通じて男性の比率の方がずっと多かったとか、それ故に外食文化が発達したというのはなるほどでした。女性の江戸好きというと、故杉浦日向子を思い出します。