この写真は昭和31年4月の「文藝」臨時増刊号の裏表紙の東映の広告です。注目すべきは「怪力類人猿」!「マタンゴ」みたいなSFと思ったら大間違い、何と「水戸黄門」です!Movie Walkerでストーリーを見たら、結局「ゴリラ」なんですが、格さんが「空手チョップ」でゴリラを倒すとかもう無茶苦茶。明らかに「キングコング」のパクリと思います。キングコングのパクリで一部で有名なのは吉川英治の「恋山彦」で、映画の「キングコング」を観た吉川英治が感激して日本に舞台を置き換えたある意味での翻案です。しかし登場するのは巨大ゴリラではなく、平家の残党の若い武士で2mぐらいの身長があるという設定で、柳沢吉保の六義園の開所式に乱入し、吉保の側室の一人を脇にかかえて六義園の塔を登っていく、という無茶苦茶さではこちらも負けていません。
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白井喬二の「国民文学論」
白井喬二の「国民文学論」を読了。「文藝」の昭和31年4月の臨時増刊の「中里介山 大菩薩峠読本」に収録されたもの。
白井喬二は、中里介山の「大菩薩峠」を大衆文藝の先駆者として高く評価しており、山梨県と長野県にある大菩薩峠の記念碑の設立のどちらにも白井喬二が関わっています。(白骨温泉の記念碑は今年の4月見てきたばかりです。)
白井は日本には国民文学と呼べるものが昔からあり、「南総里見八犬伝」と井原西鶴の作品を挙げています。このどちらについても白井は現代語訳を行っています。先日読んだ座談会で、小林秀雄が日本の純文学の西洋かぶれぶりを挙げていましたが、それに比べると中里介山も白井喬二も、日本における馬琴や西鶴らの伝統をきちんと受け継ぎ、それに負けないものを作っていこうとした気概を感じます。大衆小説家の中でもこの二人は別格だと思います。それに比べると、今は作家の中でそういう気概を持った人は皆無かと思います。ちょっと寂しいですね。また介山にしても白井にしても、そのどちらにも太い漱石の言うモラルバックボーンがあると思います。一度しかない人生でこういう作家二人の作品を読むことが出来たのは幸せだと思います。
宇宙家族ロビンソンの”The War of the Robots”
宇宙家族ロビンソンの”The War of the Robots”を観ました。本題に入る前に、この宇宙家族ロビンソンに登場するロボットをデザインした人って、ロバート・キノシタという日系人なんですね。戦争中はアリゾナの日系人収容所に入れられていたみたいです。それでウィルが釣りの帰りに「ロボトイド」(命令によって動くのではなく、自分の意志で動けるロボット)を見つけます。それは長い間放置されていてあちこちが錆び付いていましたが、ウィルはロボットが強い警告を発したにも関わらずそのロボトイドをジュピター2号に持ち帰って修理します。ロボトイドは動き出すと、自発的に動き回ってロビンソン一家を支援し、全ての点でこれまでのロボットよりも優れた働きをします。ロボットは何故か「嫉妬」の感情を見せますが、結局ロビンソン一家とドクター・スミスが新しいロボットの方をチヤホヤし、ロボットは自ら出ていきます。ロボットはそこで自殺を試みますが、保護回路が働いて出来ません。ロビンソン一家の中でウィルだけがロボトイドについて不審を抱き、警戒します。それは正しくロボトイドはある動物みたいな顔をしたエイリアンの手先でした。ロボトイドはジュピター2号にあるすべての武器を隠してしまい、自分に従うようにロビンソン一家に命令します。そしてボスであるエイリアンをその星へ導こうとします。かろうじて逃げ出したウィルがロボットを見つけ、作戦を立てます。ロボットはロボトイドの味方になるといって接近し、そこで煙幕を張ってロボトイドのレーザービームの的にならないようにし、ロボトイドの後ろに回って電撃でロボトイドを無力化します。このロボトイドも、ロバート・キノシタが「禁断の惑星」という映画のためにデザインしたものです。この回は今まで観た中では一番の傑作の回だと思います。
NHK杯戦囲碁 鶴山淳志8段 対 井山裕太四冠王
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が鶴山淳志8段(収録時は7段)、白番が井山裕太四冠王の対戦でした。布石は左下隅でちょっと珍しい形にになり、白が4子を捨て外勢を築き黒が実利を取りました。左上隅で黒が上辺からかかって白が上辺からはさみ、黒は三々に入りました。この結果白は左辺に大模様が出来ました。これに対し黒は右辺の模様で対抗しました。それまでは比較的ゆっくりした碁だったのが動いたのは、白が右辺に打ち込み、黒が上から付けてハネに伸びた時、通常は白は伸び込むのですが、そうしないで単に断点を上方に掛け継いだのがある意味戦略的な打ち方でした。黒は白が伸びなかった所を押さえて好形になり、白は押しました。黒が白のカケツギを当てて来た時に、劫にはじいたのが井山裕太四冠王の作戦でした。劫材については、左下隅で取られている白4子を助けるというのでかなりあります。黒はそれでも劫にねばり、結局白が左上隅の黒を取り、黒が劫に勝って右辺一帯を地にするという分かれになりました。この時点では形勢不明でした。この後、白が下辺を攻められた時に右下隅に付けました。それによって白は下辺に地をもって治まった感じになりました。しかしこの後、白が右上隅をはねていって、その後ハサミツケを決行しました。黒はここは下がって頑張りたかったですが、あっさり継いで白を渡らせました。その後、下辺の白の中央の石の下に付けていってこれが黒の狙いでした。その手に受ける前に、白が右下隅から右辺へ伸び込んだのですが、黒は受けずに下辺を動き、結局下辺は黒の地になり、その代償として白は右辺の黒地を減らしました。その後、右下隅からの白が下辺が黒地になった関係で薄くなったので、井山裕太四冠王は一手かけて補強しました。しかし黒はそれでも一団の白の中央に置いていき、眼を奪いに行きました。置いた石は中手ではなく、外の黒に連絡しましたが、その結果中央に外回りに白石が来て、黒の右辺の地を削減し、逆に左辺の白模様が盛り上がり、中央に白地が見込めるようになりました。この一連の黒の打ち方が問題で、普通に寄せていた方が細かい勝負になったと思われます。その後左辺に打ち込んでいった黒が一応活きたようになりましたが、終盤で中央と切り離されてかつ眼を奪われてしまい左上隅の黒とも連絡出来なくなりました。その代償で中央の白地を荒らすことが出来る形になりましたが、この収支は白の得の方が大きく、ここで黒の投了となりました。
IELTS General 2回目受験
IELTSのGeneralの2回目を受けて来ました。会場は横浜のランドマークタワー25Fの会議室でした。
まず最初に自己評価による結果と前回の結果の比較です。
前回
ライティング 5.5
リーディング 8.0
リスニング 5.5
スピーキング 5.0
オーバーオール 6.0
今回の予想
ライティング 6.5~7.0
リーディング 7.5~8.0
リスニング 5.5
スピーキング 6.5~7.0
オーバーオール 6.5~7.0
まあ前回よりはおそらくマシだと思います。
きちんと(お金をかけて)対策したライティングとスピーキングが大きく改善されています。
それに対して、公式問題集しかやっていないリスニングは前回と同じく駄目でした。
(というか公式問題集よりも本番の方がはるかに難しいです。)
個別には、まずはライティング。Task 1の手紙(General)が、失業中の友人に新しい仕事を紹介する、というもので、どんな仕事か、何故その仕事をその人に勧めるのか、興味がある場合はどうするか、といったもの。まあ、簡単でした。
Task 2は、子供を小学校に入れる前に保育園に行かせた方がいいか、それとも家族とより一緒に過ごす方がいいか、どちらに賛成するかという問題でした。この賛成と反対のそれぞれの意見を述べてどちらを支持するかというパターンは一番出題頻度が高いものです。さんざん添削サービス(IELTS Advantage)でやって、黄金のパターンは身に付いているのでこちらもまあ楽でした。
ワード数はTask 1が155 words、Task 2が298 wordsぐらいでほぼ理想的な長さでした。時間も10分以上余らせて書き終わり、推敲もそれなりに出来ました。添削サービスの効果は絶大です。ちなみに添削サービスは$110の5回の添削を3回やりましたので、合計$330、36,000円くらいかかりました。日本語で書いてあるIELTSの参考書でこの添削が教えてくれたようなことをきちんと書いているものはありませんでした。
次にリーディング。今回、トイレ対策でロキソニンを朝2錠飲んで来ましたが、それでもやっぱり駄目で、リーディングが始まるとすぐに手を上げてトイレに行き、3分ロスしました。しかしそれでも最後の問題を解答したら10分余り、一通り解答を見直すことが出来ました。最後の問題は、シベリアのツングースカ大爆発(巨大隕石の落下と言われているもの)の話でした。リーディングに関しては公式問題集とほぼレベルは変らないと思います。
次が問題のリスニング。前回点が低かったのは、ライティングとリーディングで頭を使って集中力が切れているせいかと思いました。しかし今回はライティングにそんなに頭を使う必要がなかったので余力はありましたが、それでも結果としてはほぼ同じようなもので、5問くらいまったく聴き取れないのがあり、推測で解答しました。TOEICのリスニングで、4ヵ国の発音があるといっても、アメリカ以外はほんの数問でそれも短いものばかりです。それに対しIELTSではおかしな発音が4つしかないパートの半分くらいで延々と続きます。また、聞いていて、内容の区切りを聴き取るのが難しく、解答を見つけられないまま次の部分に進んでしまっていて、結果的にそこも聞き逃すというようなことになりました。一応これでもTOEICのリスニングでは495点の満点を取っており、それでこれなんですから、IELTSのリスニングは難しすぎます。更に公式問題集が本番よりかなり易しいので、対策するのも大変です。
スピーキングについては、何と開始時間が18:40からで、実際にその時間に行って見たら、私が最後の受験生でした。3パートの終わりが12:20くらいでしたから、間が6時間以上も空くことになりました。この対策で今回は川崎に安ホテルを予約し、そこに行って一時間ちょっと昼寝し、またスピーキングの最後の練習をしました。スピーキングの対策は、マイチューターというオンライン英会話で、これまで30回ぐらい摸擬試験をやりました。これの効果はあって、前回の失敗が嘘のように、すらすらと各パートをこなし、問題のパート2の時間コントロールも、先生が止めるまでフルに2分間話すことが出来ました。(前回は大幅に時間が余りました。)また前回は午前中の試験の後、昼食を取ってすぐその後で結構疲労していましたが、今回は一時間昼寝をしたのが利いて、元気だったのが幸いしたと思います。
結果は10月11日に出ますが、おそらく3回目は受けないと思います。別に留学とか旧大英帝国圏の国で働く予定もないので、IELTSで結果を出す必要はありません。特にリスニングはこれに本当に対策しようとしたら、やはりIELTS Advantageのようなオンライン講座でやるしかないと思います。つまりお金がかかるということです。全体にIELTSはお金が掛かりすぎます。受験料も25,380円と馬鹿高ですし、公式問題集も一冊5,000円以上です。また、試験当日の説明もほとんど英語で行われることを考えると、初中級者にメリットがあるとは思えません。
宇宙家族ロビンソンの”Ghost in Space”
宇宙家族ロビンソンの”Ghost in Space”を観ました。出ました、アングロサクソンのオカルト好き!何とドクター・スミスは地球からはるかに離れたこの惑星上で、「コックリさん」をやってタデアスおじさんという霊を呼び出そうとします。(「謎の円盤UFO」でも「コックリさん」をやっているシーンがありました。)しかしやって来たのは、ドクター・スミスが燃料採掘用の爆薬を沼の中で爆発させたことにより出現した、目に見えないモンスターでした。ドクター・スミスが「コックリさん」に使ったボードは、Ouija Board(ウィジャ盤)と呼ばれています。これ調べてみたら欧米ではゲーム盤の一種として広く販売されていて、簡単に手に入るようです。(名称はフランス語のOuiとドイツ語のjaを合成したもので、どちらも「はい」の意味です。)でこの目に見えないモンスターが良く分からないのは、エネルギーを好むということと、また朝陽に弱くて、光に当たると消えてしまうということで、その点はほとんど幽霊です。この話の中で、ウィルもまた姿が見えなくなってしまったりしますが、その理由についてはまったく説明されず、最初から最後まできわめてナンセンスな話でした。
「大衆文学はどうなるだろうか」(「新潮」1933年4月号の座談会)
「新潮」の昭和8年(1933年)4月号に載っている「大衆文学はどうなるだろうか」という座談会を読了。多分この前の号で純文学についての座談会があり、その続きのように見えます。このタイトルで白井喬二が呼ばれない筈はなく、座談会の中での発言も多いです。しかし、タイトルからも想像出来るように、この時期は大衆文学にとっても白井喬二自身にとっても曲がり角の時代でした。この座談会の前の年に、白井の平凡社の全集が出ていますが、その全集の目玉であった筈の「祖国は何処へ」は、私としては決して低くは評価していませんが、ある意味多くの読者の期待を裏切った失敗作でした。その一方でこの座談会にも出ていますが、吉川英治が人気を集め、2年後には「宮本武蔵」の連載を開始します。
時局的にはこの年の2月に国際連盟を脱退しており、満州事変から始まって日中戦争へと突入していく時期であり、雑誌などでも大衆小説に変って軍事小説のようなものの比率が増えて来た時期です。
白井の主張していることは「10年評論するなかれ」など、他の評論でも言っていることが多くそれほど目新しさはありません。しかしながら、最初大衆小説に対して付けられた「新講談」という名前は、作家にとってはとても苦痛であったと告白しています。しかし白井の「新撰組」がサンデー毎日に連載されて人気を博して1年も経つと、作家の存在感が上がって自然と「新講談」という名前は消えて行き、そのうち「大衆文藝・大衆小説」という名前に変っていったとしています。
後、この座談会で面白いのは川端康成が純文学代表という感じで、結構大衆文学に批判的であることです。また小林秀雄が純文学というのは要するに西洋かぶれなのだ、と喝破しているのもなかなか慧眼だと思いました。
白井喬二の「鳳雀日記」「天路歴程」(エッセイ)(雑誌「騒友」掲載)
白井喬二が雑誌「騒友」に寄稿したエッセイと日記(「鳳雀日記」)をいくつか入手。「騒友」は元左翼で後に転向して三上於菟吉の弟子の大衆小説家となった小山寛二の雑誌で、昭和39年(1964年)の8月頃創刊し、数年間続いた雑誌です。でもページ数は16~24ページ程度のとても薄い雑誌です。しかしながら保田与重郎とか安岡正篤のような一流の人が寄稿しており、また掲載されている広告もそれなりに良い会社が多く、どういうコネがあるのかは分かりませんが、それなりに格式があります。載っているのはほとんどが随筆で「随筆雑誌」と称しています。今回古書店で昭和39年から44年まで「騒友」を十数号入手しました。その中に白井喬二が「天路歴程」に関するエッセイを一篇、また「鳳雀日記」という日記を5回くらい載せています。この「鳳雀日記」については学藝書林の全集の第二期で収録される筈のものだったので名前は知っていましたが、掲載誌が分かりませんでした。しかし今回学藝書林の全集第1期の月報をすべて入手し、その中で小山寛二が自分の雑誌「騒友」に白井喬二が日記を載せていると書いていたので、掲載誌が判明しました。
「天路歴程」のエッセイは、白井が一番ちゃんと読んだ宗教に関する本がバニヤンの「天路歴程」だとして、戦後の日本での宗教の必要性を説いています。また学生時代に代用教員をやっていた時にペスタロッチに心酔していたことも書いています。どちらもとても白井らしいと思います。
「鳳雀日記」については、白井の実際の日記から何かの感想について書いたものを順不同で連載したものです。内容は雑多ですが、その中にビートルズの来日の騒ぎに触れたものがあります。白井とビートルズはほとんど結びつかないのですが、確かにその来日の時、白井はまだ元気に活動していました。また、「一人の悪人もなくする運動」をやったらどうかと提案していて、これもまた実に白井らしい話です。本当に阿地川盤嶽は白井喬二の分身だなと思います。
後、白井喬二の年始のいわゆる賀詞広告も載っていて珍しいです。世田谷区奥沢に住んでいたようです。
なお、著作権的に読めるように写真を載せるのは問題かと思いますが、誰でも簡単に入手できるというものではないため、あえてそのまま写真を載せます。
白井喬二の「富士に立つ影」読み直し 江戸篇
白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、江戸篇を読了。この篇は裾野篇における佐藤菊太郎と熊木伯典の手に汗を握る戦いもなく、また第三篇の主人公篇のような主人公=熊木公太郎の登場もまだで、いわばつなぎの地味な篇です。しかしながら、裾野篇でキャラがかぶると書いたお染とお雪こと小里がそれぞれ佐藤菊太郎と熊木伯典の妻になる経緯を書いた重要な篇です。最初に読んだ時は、小里は熊木伯典のことを蛇蝎のように嫌っていた筈なのに、何故それが伯典の妻に収まったのかがよく理解出来ませんでした。なので今回はその辺りを慎重に読もうとしました。伯典の出生の関する秘密を書いたお墨付きの書を、裾野篇の最後でお染が偽の文書にすり替えたのですが、この篇ではその内容に翻弄される伯典が描かれます。しかし、伯典が結局幕府の行事に関する公文書を見る機会を得、偽のお墨付きに書かれているようなことは事実ではないことに気がつき、結局お染の企みが伯典にばれて、伯典がお染に迫り、お染は持っていた匕首で自害しようとします。そのギリギリの瞬間に小里が駆けつけて、お染の身代わりになり、お染を逃がします。そこまではいいのですが、その後小里がどうして伯典の妻になったのかは白井喬二はまったく説明していません。
(1)おそらく暗黙の了解としては、小里は伯典に無理矢理肉体を自由にされています。(この篇の最後の方では小里は伯典の子を身籠もっています。)
(2)小里は佐藤菊太郎が好きで江戸に出てきて菊太郎を探すのに便利だからと芸者になったのですが、この篇でお染の菊太郎への思いを知り、菊太郎のことは諦めます。ある意味無意識の菊太郎への当てつけ的な気持ちで伯典の妻になることを承諾したのでは、と思います。
(3)この小説の主人公で無垢で純真な熊木公太郎が、伯典だけの遺伝ではキャラクター設定に無理がありすぎます。しかし小里の子であるならば、ある程度理解出来ます。公太郎というキャラを作るためには小里が必要だったのです。
まあしかし伯典自身も、お墨付きによればある高貴なお方の落とし胤である訳で、その息子に公太郎みたいなのが生まれても、伯典の性格は後天的なものとも考えられ、ある程度説明は出来ます。
(4)モラリストの白井喬二としては、いかに小説のキャラとはいえ、伯典のような悪漢がそのまま生きていくというのは許しがたい部分があり、小里の善によって伯典の悪を浄化することを狙ったのではないかと。実際に小里が庭に観音堂を据え付けて伯典の罪が許されるのを願うという話があります。またその悪の浄化の結果が公太郎といえます。
(5)後の展開で、佐藤菊太郎の息子と熊木伯典の娘が愛し合うようになります。二人とも美男・美女ではないと面白くなく、その意味でも伯典の妻は美人である必要があります。
それにしても、この小里に関する謎は、ある意味省略の美学であり、読者に色々理由を考えさせてくれる上手い筋立てだと思います。筋立てといえば、この篇に面彫り師の甲賀の円蔵という人が登場します。この円蔵は単なる狂言回しで重要なキャラクターではありませんが、この円蔵が美人の満足した面を彫ることを目標にしてそのモデルを小里にします。しかしその内小里の美しさに夢中になり、結果として円蔵の奥さんが自害してしまいます。サブキャラクターにしてこれだけ深い筋を付ける喬二の腕に感嘆します。また面彫り師の説明の中で、烟取下衛門(けむりとりくだりえもん)という名人が出てきますが、これは「忍術己来也」の主人公です。こういう細かいネタも1回目は当然気付いていませんが、2回目になると分かります。円蔵以外にも、小里に入れあげる八幡万次郎とその息子の文吾や太田蜀山人に至るまで、サブキャラの密度の高さは素晴らしいです。
田河水泡の「のらくろ」の連載の終わりは?
現在、川崎で「のらくろ展」が行われています。それに関連して一言。1967年の私の子供時代に「のらくろ漫画全集」全10巻が出て、戦前ののらくろが復刻されました。(ちなみにその後アニメにもなりました。)その最後の巻が「のらくろ探検隊」でのらくろが軍隊を退役して大陸で鉱山を探すという話でした。(この巻だけ家にありました。残りの巻は図書館で借りて読みました。余談ですが、のらくろの協力者数人の内、一人{一匹}は明らかにある民族をモデルにしたものでした。のらくろがその人に何が得意かと聞いたら「私の得意なのは嘘をつくことです。」と答えるという、かなり際どい描写がありました。)
それで「のらくろ探検隊」はのらくろの一行が石炭か何かの鉱山を発見し、のらくろはその権利を惜しげも無く協力者3人{3匹}に与え、自分はまた新しい鉱山を探しに行くというところで終わっていました。私はこれがのらくろの最後だと思っていました。
ところが写真は、先日古書店で入手した大日本雄弁会講談社の「少年倶楽部」昭和16年新年号ですが、タイトルは「のらくろ鉱山」となっており、のらくろが満州で鉱山経営をしているという話でした。「のらくろ探検隊」にはこんな話は入っていませんでした。とすると、のらくろの連載は1967年に全集に入っているものの後、まだ続きがあったということになります。ただのらくろは、(1)日本の軍隊を犬に例えた(2)のらくろが二等兵から最終的には大尉、とありえない出世をする、などで軍部の覚えは目出度くなかったようです。おそらく、この昭和16年のどこかで連載は終わったんだと思います。(少年倶楽部自体、紙不足でページ数を減らさざるを得なかったようです。)全集に入っていない理由は、途中で終わって話が完結していないからではないかと思います。