辻田真佐憲(ちなみに辻は書籍上は一点しんにょう)の「古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家」を読了。これで自伝とムック本を含めて古関裕而に関する本は4冊目。この本で良いのは、戦前の古関裕而の作曲したレコードの実際の枚数を新しい資料を発見してかなりの所まで突き止めている所です。しかし、その他は既に自伝を読んでいるので、7割方自伝にあった話の焼き直しです。その際にきちんと引用部と自分が書き加えたり修正した所を明示してくれればいいのですが、境界がまったくはっきりしません。「昭和史」と題してる書物としてはそこがマイナス。イヴァン・ジャブロンカが主張しているように、歴史と物語は決して相反するものではないので、そこで手抜きをして欲しくなかったです。後は古関裕而は作曲家なのに、外面的事実ばかりで、その音楽に対する分析がほとんどないことが不満です。例えば「オリンピック・マーチ」の最後の君が代の引用について、刑部芳則氏はそれが既に戦争中の「皇軍の戦果輝く」でも使われていることを指摘しています。それに対し辻田氏のは単に古関裕而自身の「日本的な旋律をという要求に対してこれを思いついた」を引用しているだけ。
この人に限りませんが、古関の音楽が同時代の古賀政男や服部良一とどこが違うのか、具体的に分析してくれるような本が読みたいです。例えば「船頭可愛や」でも民謡調だけど、単なる民謡調に終わっていません。