厚労省の役人による手抜きの統計調査について

今騒がれている厚労省の手抜きの統計調査について。
私はまったく不思議に思いません。15年以上前から厚労省の役人がろくでもない人達だというのは認識していました。
丁度21世紀になったばかりの頃、私はソフトウェア会社にいましたが、そこのワープロソフトが官公庁で広く使われていました。そして官公庁で文書データベースを作ることになり、そのためにワープロでSGML(Standard Generalized Markup Language {標準一般化マークアップ言語}、WebのHTMLはSGMLの一つのアプリケーションです、今はSGMLは複雑すぎて欠点が多いので、XMLに変わりました)文書を作る機能を開発するよう依頼を受け、何度か厚労省(その当時は厚生省)の役人と打合せを行いました。
その官公庁用の文書データベースの目的が何なのかと聞いた時に、「何かやばい事が起きた時にすぐに関連文書を取り出して処分するため」といけしゃあしゃあと言っていた人達ですから。
今回の件も間違いなく証拠隠滅をやっていると思います。

ワーグナーのタンホイザーの話の矛盾点

昨日の新国立劇場でのタンホイザー公演は非常に良かったですが、その感想は別途アップします。
公演中に思っていたのは、ワーグナーが作ったお話の矛盾点です。このオペラの中に「ヴァルトブルク城の歌合戦」というのが出てきて、これは史的事実で、またヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデという、ドイツの吟遊詩人(ミンネゼンガー)でもっとも有名な詩人がこの歌合戦に参加したのも事実です。
問題は、フォーゲルヴァイデの立ち位置で、オペラではハインリヒ(タンホイザー)が肉体的愛(エロス)を精神的愛(アガペー)よりも上にしたのに対し、フォーゲルヴァイデは精神的な愛を最上位とする詩人としてハインリッヒを非難する側として登場します。これは、ワーグナーのフェイク歴史といってしまえばそれまでですが、事実とはまるで逆です。フォーゲルヴァイデこそ、ハインリヒと同じ肉体的愛を訴えた詩人でした。
フォーゲルヴァイデの代表的な詩は、ドイツ人ならおそらく誰でも知っている「ウンダー・デア・リンデン(菩提樹の樹の下で)」です。この詩の内容は、どこにでもいる庶民の若い娘が、彼との性愛の楽しみ(菩提樹の樹の下で彼とエッチした)を歌っているものです。ついでに言うと、この詩の中に「彼と1000回もキスしたの」というのが出てきます。これは、明らかに古代ローマの詩人カトゥルスの有名な詩(「カルミナ」第5)のもじり(本歌取り)です。このカトゥルスの詩は、愛人レスビア(当時の高級娼婦だったと言われています)に対するある種の赤裸々な愛を歌ったもので、これも精神的な愛より肉体的愛の要素が強いものです。当時のミンネザングと呼ばれた吟遊詩人の詩は、「高いミンネ」(hohe Minne)と呼ばれた、高貴な婦人への献身的な愛(ミンネは「愛」の意味です)を歌うものが主流でした。それに対して、フォーゲルヴァイデは「低いミンネ (niedere Minne)」というものを提唱し、貴婦人ではなく庶民の娘を登場させ、精神的な愛ではなく、直接的な性愛の喜びを歌っています。
つまり、タンホイザーにおけるハインリヒの主張はほとんどそのままフォーゲルヴァイデの主張であり、それがハインリヒの反対派に回っているのはきわめて変だということです。

下の写真は、そのヴァルトブルク城の中に飾ってある、歌合戦の絵です。(2004年にヴァルトブルク城に行っています。この城はルターが最初にドイツ語聖書を訳した場所としても有名です。)

原子力潜水艦シービュー号の”The Monster’s Web”

原子力潜水艦シービュー号の”The Monster’s Web”を観ました。タイトル通り巨大海中グモが登場し、科学者のガントが開発した新しい燃料を使った高速潜水艦のテスト中に、テスト艦の艦長が判断を誤り、その巨大海中グモの蜘蛛の巣にテスト艦は突っ込んでしまいます。ガントは奇跡的に助かりましたが、ネルソン提督はその燃料が海水に触れ水圧がかかると大爆発を起こすことを指摘します。テスト艦に残された燃料が爆発すると何百万人も死ぬことになります。
でこのガントが何とか大グモを倒そうとして躍起になる、というのは巨大クジラの時の話と同じパターンです。
この回で面白いのはネルソン提督はフライングサブが大グモに捕まって逃げだそうとした時に、ガントが無理なパワーをかけてフライングサブを一部爆発させてしまい、そのショックでネルソン提督が気絶してしまいます。従って話の半分くらいがネルソン提督無しで進むという珍しいパターンです。
結局活躍したのはガントの方で、勝手な判断ながら自分の開発した燃料で大グモを倒します。
後奇妙なのはシービュー号って本当に原子力エンジンなのかということです。ガントはクレーン艦長に自分の燃料を使えばシービュー号なら90ノット(時速167Km)出せる、と言います。原子力エンジンなら、別の燃料を使えたりしない筈ですが…大体良く考えると、「原子力潜水艦」と言っているのは日本語吹き替え版だけで、もしかすると最初から核エンジンという設定はなかったのかも。

原子力潜水艦シービュー号の”The Death Ship”

原子力潜水艦シービュー号の”The Death Ship”を観ました。出だしは緊迫感があって、シービュー号がいきなり正体不明の潜水艦に追われ、その潜水艦が魚雷を発射します。かろうじてかわしたシービュー号は逆にホーミング魚雷を発射しますが、その潜水艦はホーミング魚雷の回避装置を備えていて難なく攻撃をかわし、また魚雷を発射します。クレーン艦長はネルソン提督の許可が必要な超音波魚雷の発射を独断で命じ、何とかその潜水艦(無人のドローン潜水艦)を撃破します。
そこからちょっと話が変になって、シービュー号に新たに取り付ける自動運転装置を実験するために、いつものクルーは全て退船し、その替わりに科学者10人が乗り込みます。そして深海で自動運転の実験中に、突然シービュー号のパワーがダウンし、計器類が火を吹き、シービュー号はコントロール不能になります。シービュー号の上部にいるある船の上で7ヵ国の集まった平和条約の締結が行われようとしており、それに反対する国がシービュー号を乗っ取ってシービュー号からの魚雷攻撃でその船を沈めようとします。
という設定はかなり無理矢理で、結局何かというと、密室とみなせる潜水艦内で、乗員が一人また一人と殺されていって「犯人は誰か」を引っ張る、「そして誰もいなくなった」のシービュー版です。この話で面白いのは、ネルソン提督自身が10,000Vの高電圧に感電して死んでしまうことです。でも本当に死んでしまうとシービュー号の話はここで終わってしまうのですが、さすがにどんでん返しがあります。どっちにせよかなり無理矢理に「そして誰もいなくなった」状況をシービュー号の中で作り出そうとした、強引な脚本と言わざるを得ません。

神棚が完成


家の中に設置した簡易的な神棚ですが、あれから榊立て、神器(水やお酒を入れる容器やお米・塩を入れる皿など)、三宝、神鏡、小さなお社、しめ縄を追加して、かなり本格的な神棚になりました。家の中に神棚があると何か清浄な感じがしますし、また日々の無事を神様に感謝する習慣は良いものだと思います。

原子力潜水艦シービュー号の”Dead Men’s Doubloons”

原子力潜水艦シービュー号の”Dead Men’s Doubloons”を観ました。何だか半分タイムトンネルが混じっているような変な話でした。またミニサブとフライングサブが両方登場し、しかもミニサブは爆破され、フライングサブも2回撃墜されるという珍しい回です。
お話は、16世紀の海賊が敵の船に襲われ沈みますが、その船と一緒に集めた宝(ダブロン金貨)が沈む時に、海賊の親玉が沈んでいく宝に対し呪いをかけます。シービュー号が1978年にアメリカの海底核ミサイル発射装置を点検していますが、その時にダブロン金貨の一部を発見します。それでシービュー号に乗り込んでいるある同盟国の将官が、顔が16世紀に亡くなった海賊そっくりで、自分をその海賊の生まれ変わりと信じ、アメリカの海底核ミサイル発射装置を逆用し、それに電磁波を流して操作する仕組みを作りますが、最後はネルソン提督がミニサブの電源を操作して、その装置に逆に電流を流し込み、その装置の元を爆破します。その当時のアメリカが、潜水艦から発射するポラリス核ミサイルだけではなく、本当にこのような海底発射装置を作っていたのかどうかは知りませんが、どっちにせよ今から見ると狂気の時代、という感じがします。

「原子力潜水艦シービュー号」の”The Shape of Doom”

「原子力潜水艦シービュー号」の”The Shape of Doom”を観ました。またも巨大クジラもので、それも第一シーズンであった話と基本線はほとんど一緒。あるマッドなサイエンティストが、クジラから取るある物質で何かの化学物質を作ろうとして、巨大クジラを追いかけており、その水域で行われる水爆実験についての待避命令もまったく情報を入手していません。結局クジラにモリを打ち込んだけれでも船はクジラに破壊されて、一人生き残ったサイエンティストがシービュー号に救助されて、と第一シーズンとまったく同じ。違うのはクジラがシービュー号が海底にセットしようとしていた新型の水爆を飲み込んでしまって、という所。結局マッドサイエンティストがネルソン提督が金庫に隠していた水爆の起爆装置を手に入れて、ミニサブ(今回は何故かフライングサブはオーバーホール中ということで登場しません)でクジラに向かいますが、麻酔剤で眠らせていたクジラが目覚めて深海へ潜っていき、水爆が爆発することになっている深度を超えて潜って、水爆が爆発し、という身も蓋もない話。かなりの近距離で水爆が爆発しているのに、シービュー号が平気というのも良く分からないです。しかもミニサブは防水性が0なので、乗り込んで海に入った瞬間中に海水が入り込み、起爆装置はすぐに使えなくなる筈ですが、なっていません。

原子力潜水艦シービュー号の”Graveyard of Fear”

原子力潜水艦シービュー号の”Graveyard of Fear”を観ました。今回の巨大海洋生物は、またもクラゲ。しかし、今回のは電気クラゲという所が違います。その電気クラゲとの戦いの話に怪しげな科学者とその恋人の話がからみます。その科学者は”Vita Synthesis”という特殊な薬物を海の資源から開発します。それは人間を不老不死に保つ薬でした。その科学者の恋人は見た眼は20歳代ですが、実は200歳を超えています。しかしその薬は永遠に飲み続けない限り、急速に老化して死んでしまいます。その科学者の調査船が巨大電気クラゲに襲われて沈没し、その科学者はネルソン提督に頼んでシービュー号に乗せてもらい、沈んだ船にある”Vita Synthesis”を何とか回収しようとします。しかしその船の側には巨大電気クラゲが待ち構えていて、シービュー号はダメージを受けます。修理のためにサンタバーバラに引き返すことを決めたクレーン艦長でしたが、その科学者は無断でスキューバギアを装着して海の中に出て、巨大電気クラゲに襲われて動きがとれなくなります。クレーン艦長がフライングサブで電気クラゲの気をそらせようとしますが、フライングサブも電撃を受けて動けなくなります。男はその間にシービュー号に戻り、銃を持って魚雷発射室に押し入り、すぐに電気クラゲに向けて魚雷を発射しなければ、別の魚雷を細工して10分で艦内で爆発するようにした、と言います。クレーン艦長は何とかフライングサブを脱出しシービュー号に戻って来ましたが、その科学者が立てこもっている魚雷発射室に入ってしまいます。科学者はクレーン艦長にもう一度海中に出て船の貨物を取ってくるように命じますが、その時巨大電気クラゲがシービュー号を再び襲い、その衝撃の際にクレーン艦長は男の銃を取り上げ、魚雷の爆発も止めます。その科学者はついに貨物の回収を諦めますが、部屋に戻って目撃したのはすっかり老婆になってしまった恋人の姿でした。
という話ですが、不老不死の薬だけで十分ストーリーを作れるように思い、別に電気クラゲと無理矢理からめる必要は無かったように思います。

英語でのシェービングの本

西洋剃刀を使ったシェービングについて、日本語で書かれたものはほとんど見つけられなかったので、Amazon.comで2冊ほど英語の本を取り寄せてみました。中を開いてびっくり。タイトルも著者も違いますが、中味は8割方一緒です。何より使われている写真風イラストがまったく一緒。おそらく、この2冊ともオリジナルではなく、元はアメリカの理髪師の学校で使われていた教科書ではないかと思われます。007のSkyfall(2012年)の中に、ストレートレザーで髭を剃るシーンがあって、それ以来ストレートレザーがブームになっているそうで、この2冊はそういうブームに乗って、昔の本に少し手を加えて復刻したんでしょうね。出版年は2018年と2019年でごく最近です。

岩崎航介氏の「刃物の見方」に、「アメリカの理髪師用の教科書に、剃刀の拡大図が出ていて、それには刃がノコギリ状になっているのがあって、その影響で日本人は剃刀の刃がノコギリ状になっていると思っている。(けどそれは間違いである。)」というのがありましたが、多分最後の写真がそれでしょう。いくらなんでもこんなギザギザにはなっていないです。

ちなみに、砥石による研ぎ方は、いわゆる「8の字研ぎ」になっています。日本の理髪師が剃刀を8の字研ぎで研ぐ人が多くいたのはおそらくこの教科書の影響かと。私は8の字研ぎなんかせずに、普通に研いでいます。

石川忠久の「漢詩人 大正天皇 -その風雅の心ー」

石川忠久の「漢詩人 大正天皇 -その風雅の心ー」を読みました。先日大正天皇の評伝を読んで、また大正天皇が詠まれた漢詩を見てみたくなって買ったものです。
日本で漢詩の創作が一番盛んだったのは江戸時代後半から明治にかけてで、明治時代の新聞には、今では考えられないことですが、漢詩の投稿欄がありました。大正天皇もそんな環境の中で、三島中洲のてほどきを受け、その長いとはいえない生涯で1367首もの漢詩を創られました。これは歴代の天皇の中で圧倒的な一位であり、またその質ももし天皇という激務につかなくて研鑽を積む時間があったら、十二分に漢詩人の大家として名を残したであろうというレベルです。

2つほど紹介すると、まず三島長洲と大正天皇が布引の滝を見に行った時のもので、「観布引滝」です。

登阪宜且学山樵  登阪 宜しく(よろしく)且く(しばらく)山樵を学ぶべし
吾時戯推老臣腰  吾時に戯れに老臣の腰を推す
老臣噉柿纔医渇  老臣柿を噉いて(くらいて)纔かに(わずかに)渇きを医し
更上危磴如上霄  更に危磴(きとう)に上るは 霄(そら)に上るが如し
忽見長瀑曳白布  忽ち見る長瀑の白布を曳くを
反映紅葉爛如焼  紅葉に反映して 爛として焼くが如し

70歳の長洲が山道に苦労するのを、21歳の大正天皇(当時皇太子)が茶目っ気に腰を押してやる、とうのが何とも微笑ましく、長洲の方にもこの時のことを感激して詠んだ漢詩が残されていますので、事実です。

もう一つは、大正3年の「西瓜」です。

濯得清泉翠有光  清泉(せいせん)に濯(あら)い得て翠(みどり)光有り
剖来紅雪正吹香  剖(さ)き来れば 紅雪(こうせつ) 正に香(こう)を吹く
甘漿滴滴如繁露  甘漿滴滴(かんしょうてきてき)繁露(はんろ)の如し
一嚼使人神骨涼  一嚼(いっしゃく)人をして神骨(しんこつ)涼しからしむ

これは詠題詩といって、お題を与えられて詠んだ詩ですが、西瓜の果肉を「紅い雪」と表現するのは非凡な才能と言えると思います。見事な詩です。

私自身も短歌や俳句はまったくダメですが、以前漢詩は何句か作ったことがあります。漢詩は韻や平仄など制約が多いんですが、そんな中で自分の言いたいことを詠むというパズル的な面白さと、自分の知っている古典類を本歌取りのように引用する、という楽しみがあり、結構好きでした。大正天皇以外にも三島長洲に一緒に教わった人はいたのですが、大正天皇以外は皆脱落して、大正天皇だけが残った、ということで、やはり大正天皇の才能は非凡だったと思います。