西島三重子の池上線

西島三重子の最初のヒット曲は1976年の「池上線」です。それでこの池上線って、最近の東急何とか線の例でとっくに別の名前に変わったのかと思っていたら、何とまだそのままの名前であるんですね。しかし首都圏に住むようになって45年くらいになりますが、まだ池上線に乗ったことは一度もありません。
ちなみに曲が出た時、東急とタイアップしようとしたら、歌詞の「古い電車」とか「(ドアの)すきま風」とかが東急側に問題にされてキャンセルされたそうです。しかし当時の池上線は運行開始より40年以上経った電車が多く、歌詞通りだったようです。

西島三重子の「かもめより白い心で…」

ヤフオクで、西島三重子の3rdアルバムの「かもめより白い心で…」を落札しました。私はこのアルバムの冒頭の「口笛を吹かないで」がとても好きなんです。でもこのアルバムはCDになっていませんし、またCDのベスト盤にも「口笛を吹かないで」が入っていません。この曲は「♫この歌を知ってるかいとあなたは口笛を吹いて、首を振ると得意そうに遅れてるよって笑ってた…」という歌詞の失恋の曲ですが、曲がボサノバで非常に良いです。ちょっとユーミンの「あの日に帰りたい」にも似ています。
西島三重子はシンガーソングライターって言っても、作詞はせず作曲だけです。でもそれが良くて多数の良い作詞家が名曲を書いています。「池上線」とか「千登勢橋」とか。大学に入って上京して、最初に住んだのが豊島区の雑司が谷で、目白通りを目白駅まで歩いて大学に通っていました。(実はあまり行ってませんが…)西島三重子はその目白にある川村学園女子大の出身。千登世橋(曲とは漢字が違います)も当時上ってみたことがあります。ハンカチは投げませんでしたが。

「ゴールデンカムイ」と「まつろわぬもの」

シクルシイ(和気市夫)の「まつろわぬもの」を古書で再購入。以前紹介していますが、引っ越しの時にどこかに行ってしまって買い直したもの。何故そうしたかというと、最近通勤中の暇つぶしに電子書籍で「ゴールデンカムイ」を4巻ぐらいまで読みました。この漫画、色んなアイヌの風俗を初めて漫画で紹介したという点では評価しますが、しかしある意味きれい事過ぎると感じました。シクルシイこと和気市夫は二つの名前が示すようにアイヌ(母親)と日本人(父親)の混血です。
まずは臭い。シクルシイが自分の生まれたアイヌのコタンの家でまず思い出すのが臭いだそうで、匂いではないのは、アイヌの家では湖の魚の干物、各種獣肉の生肉などが保管してあって、それらが混じり合ってなんとも言えない悪臭を発して、それが体臭にも染みこんで、当時の日本人からは「アイヌは臭い」と言われていたとこの本にあります。なのでゴールデンカムイの不死身の杉本が最初にコタンに行ってアシリパの家に入った時の反応は「く、臭え、何だこの臭い…」であるべきと思います。残念ながら現在のどんなバーチャルなメディアも臭いを的確に伝えることは出来ません。
またゴールデンカムイではアイヌが他民族との混血に寛容であったみたいなことが書いてありますが、これも本当でしょうか。元々和人はいなかった北海道(蝦夷地)に明治になって和人が大量に入って来て、土地の登記が出来ないアイヌを騙してその土地を奪い、ということで、当時のアイヌで日本人と結婚する人が多かったのはある意味自衛のためやむを得ずという要素があったのだと思います。それがゴールデンカムイでのアシリパと杉本の関係は、ある意味ディズニーの「ポカホンタス」だと思いました。ちなみに「まつろわぬもの」ではシクルシイの美人の姉と、和人の良家の男性が恋に落ちますが、男性の親戚一同が「アイヌの血をうちの家系に入れるとは!」と反対した結果、二人は心中します。
この「まつろわぬもの」はこの他にも当時のアイヌがどのように和人から扱われていたか多数のエピソードが出て来ますので、ゴールデンカムイに疑問を感じたら読んでみることをお勧めします。

ジェイン・オースティンの「エマ」

ジェイン・オースティンの「エマ」を読了。家にある「買ったけど読んでない本」撲滅プロジェクト?の一環。多分買ったのは「高慢と偏見」を読んだ後で20年以上前。既に古本化しています。
オースティンの「高慢と偏見」を読んだ後、「良く出来た少女漫画」という感想を持ちました。これは決して馬鹿にしている訳ではなく、私は小説と漫画に上下は付けていません。E.M.フォースターは、オースティンの小説の登場人物は全て「ラウンド・キャラクター」だと言っており、その意味は小説の中で変化したり成長する複雑なキャラクターのことを言います。反対はフラット・キャラクターで、それは例えばディケンズの「クリスマス・キャロル」に出てくる改心前のスクルージ爺さんが吝嗇の象徴のように行動しますが、いつも読者の期待通りの行動しかしない浅いキャラクターを言います。この小説の主人公の「エマ」はまさにラウンドキャラクターです。基本的には年老いた父親の面倒を良く見て、また女友達の前途を考えてやる優しい性格に描かれていますが、一方で好き嫌いが激しくまた思い込みが強くて友のためにとやったことが全て裏目に出るという例が出てきます。また時代から考えて仕方がないのでしょうが、階級主義で、ハリエットという女友達がある男性からプロポーズされた時、相手が農民だからという理由で反対します。また女性の考えは所詮浅はかで、思慮深い男性によってそれが矯正されるべきといったこちらも時代がかった描かれ方です。また未知だった男性の印象が、第一印象から次第に変わって行くという展開は「高慢と偏見」と同じです。と色々悪口めいたことを書きましたが、基本的には読んでいて飽きずに最後まで楽しめる小説であるのは間違いありませんし、女性ならではの細かな心理描写も感心します。さらには18世紀末のイギリスの田園での生活というのもちょっと憧れる所があります。「高慢と偏見」の時は主人公の妹が駆け落ちしたりというドラマがありましたが、この「エマ」にはそういう劇的な展開はありませんが、結局3組の夫婦が生まれれるその過程が波瀾万丈ということは出来ると思います。ちなみに私はエマが最終的に結婚した男性は、2/3くらい読んだ所で多分そうなるだろうと気がついていました。

カルタゴに撒かれた塩?

ローマが三度に渡るカルタゴとの戦いで最終的に勝利した後、カルタゴが二度と復活しないように、スキピオがカルタゴ市の土地に塩を撒いて農業が出来ない不毛の地にしたという伝承があります。
しかしこの話はおそらく儀式的に(意味は違いますが日本の相撲で土俵に塩を撒くように)行われたのが誇張されたんではないかと思います。その証拠として、ポエニ戦争終結の後、10年くらいしてグラックス兄弟が貴族と平民の格差を減らすため、平民に土地を分配しようとします。その土地がヴェーバーによれば大半がカルタゴの土地だったようです。塩を撒かれて農業が不可能な土地をもらっても誰も得しないでしょう。
それに、カルタゴ市の耕地がどのくらいの面積なのか分かりませんが、当時の製塩技術でその全体に撒くほどの大量の塩をどうやって製造し運搬したのか、どう考えても無理があります。

ChatGPT4の回答は以下。
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カルタゴに塩を撒いて土地を不毛にしたという話は、広く知られている逸話ですが、歴史的な証拠に基づくと、この話は事実ではないとされています。この話は象徴的な行為として後世に語り継がれていますが、古代の文献にはそのような出来事を記述しているものはありません。

実際に、第三次ポエニ戦争の後、紀元前146年にカルタゴが完全に破壊され、ローマによって征服されましたが、その土地に塩を撒いて農業を不可能にしたという記録は存在しません。むしろ、カルタゴ周辺の土地は、その後も農業に利用されていたことが示されています。

「塩を撒く」という逸話は、敵に対する完全な勝利とその土地の永久的な破壊を象徴するための物語として広まった可能性がありますが、歴史的事実としては根拠がありません。この話は、後世の作家や歴史家によって創作され、伝えられたものと考えられています。

NHK杯戦囲碁 小池芳弘7段 対 鶴山淳志8段(2024年4月14日放送分)


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小池芳弘7段、白番が鶴山淳志8段の対戦でした。序盤で白が左辺に40目レベルの大きな地を取りましたが、代償で黒の中央が厚くなり、下辺からが大きな黒の地模様になりました。それに対して白が突入した手がAIの推奨の手より一路深く、黒はこの手に対し右辺でカケを利かした後、肩を付いていってこの白を強く攻めました。この攻防で中央は劫になりました。白は何とか下辺で活きることが出来ましたが、黒は劫の部分をぶち抜いて全ての石がつながり強大な厚みが出来ました。後はこの厚みを生かして入って来た白を攻めながら右辺と上辺の地をまとめ、中央に付きそうだった白地もうまく侵入して削減し、地合で大きく黒がリードし結局黒の中押し勝ちとなりました。小池7段としては会心の一局だったのではないでしょうか。実はこの二人、2019年7月にもNHK杯戦でぶつかりその時は鶴山8段が勝っています。小池7段はリベンジを果たしました。

相模湖公園の桜

桜を撮りにこちらに来てから初めて相模湖公園に来てみました。桜の名所というほどの本数ではなく、またもう盛りを過ぎていました。先週来るべきでオッペンハイマーを今週にすべきでした。まあいいか。後、PLフィルターが見つからなくてPLフィルター無しで撮らざるを得なかったのが残念です。

階段上下のスイッチ

電気工事士2種の試験ってどんなのか見てみましたが、学科も実技もほとんど勉強しなくて受かりそうです。家のスイッチで気を付けるのは
(1)水回りのスイッチ→両切りスイッチを使う(2極のスイッチでホット(ライブ)側とコールド(ニュートラル)側を同時にON-OFFする)→何故かというとコンセントの片側は接地されており、床が濡れていると機器のアース側とコンセントの接地側が床経由でつながって(地絡)、機器を使用する人が感電する危険性があるからです。医療機器のスイッチも全て両切りです。
(2)階段の上下のスイッチ→図のように両方にON-ONのスイッチ(単極双投のスイッチ、住宅用スイッチでは3路スイッチと呼ばれるようです)を使って配線します。
くらいかと。
アースの設置も昔の子供は銅板を地中に埋めて自分でアースを設置していました。(子供用の電気の工作の本に出ていました。)もっとも集合住宅は別ですが。
キャブタイヤコードの加工も、昔スピーカーケーブルで使っていたから出来ます。(長岡鉄男式)

トワイライト・ゾーンの”A Kind of a Stopwatch”

トワイライト・ゾーンの”A Kind of a Stopwatch”を観ました。30分に戻ってからまたドラマの構成がシンプルになり、それはまあそちらの方がトワイライト・ゾーンらしいです。
パトリック・マクナルティーはいつもどうでもいいおしゃべりをして人をうんざりさせるような男でした。会社では新しいビジネスの提案を300件以上も提出しますが、それは女性服会社である彼の会社にはまったく関係なく、ついに社長からクビを言い渡されます。バーでそれにもめげず飲んでおしゃべりしていると、他の客はみなうんざりして家に帰ってしまいます。しかし不思議な男が一人残り、マクナルティーはその男にビールをおごりますが、その男は御礼だと言ってストップウォッチをマクナルティーにくれました。それを試していて、マクナルティーはそれが自分以外の世界を停止させることが出来るストップウォッチだということを発見しました。最初は面白がって色々なものを止めて遊んでいたマクナルティーですが、結局銀行に行って時間を止めている隙に大金を盗み出すことを思い付き、実行します。それはほとんど成功していましたが、しかし現金を運び出す時にストップウォッチを地面に落して壊してしまいます。彼がボタンを何回押してももはや世界は元に戻らず、マクナルティー一人の世界になってしまう、というオチです。
まあバーの男が悪魔だったということが少し匂わされている感じですが、もう少し捻りがほしかったと思います。