中里介山の「大菩薩峠」第11巻を読了しました。この巻では宇津木兵馬がついに(というかほとんど偶然ですが)白骨温泉の机龍之助が泊まっている宿にたどり着き、果たして敵討ちは如何に!という期待を読者にもたらすのですが、中里介山はここで見事に読者の期待をスカしてしまいます。宇津木兵馬は同じ宿にいる龍之助をそれと知ることがなく、あっさりとそのまま引き上げてしまいます。普通大衆小説ならここで敵討ちのチャンバラとなってそろそろこの長いお話も収束に向かう所ですが、中里介山は「君の名は」(新海監督のアニメの方じゃ無くて、菊田一夫原作のラジオドラマの方)の手法を使うかのように、龍之助と兵馬をなかなか対決させずに引っ張ります。果たして第20巻までに敵討ちが行われるのでしょうか。(どうも行われないような予感がしています。)
一方で道庵先生と宇治山田の米友は尾張にやってきて、どういうコネなのか二人は名古屋城の天守閣にまで登りますが、米友が道庵先生からあれが伊勢の山だと聞かされて米友が望郷の念からおかしくなります。その後、米友は亡きお君とコンビを組んでいた「お杉」ことよっちゃんと再会し涙に暮れます。
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フルトヴェングラーのウラニアのエロイカ再視聴
私はベートーヴェンの交響曲の中では3番の「エロイカ」が一番好きです。ベートーヴェン交響曲全集を評価する時も、「エロイカ」の出来が一番評価に影響します。そんな私が最初にはまった「エロイカ」はフルトヴェングラーの1952年のスタジオ録音のものです。しかし、大学に入って目白のレコード店で買い求めた同じフルトヴェングラーのいわゆる「ウラニアのエロイカ」を聴いてぶっ飛びました。同じ指揮者なのに1952年のスタジオ録音とはまるで違う凄絶である意味荒れ狂った演奏でした。1944年の放送用の録音で、戦後ウラニア社から指揮者本人の許可を取らずに発売されて、フルトヴェングラーが裁判に訴えたという伝説の録音です。
という訳で私はこの録音をLPレコード(フォンタナ盤)で持っていたのですが、最近CDで聴き直したくなって買ったのがこれです。
聴いてびっくり、録音が劇的に良くなっています。というかデジタルでノイズを取ったり色々やったのでしょうが、かなり聴きやすくなっています。そうなると不思議なことに演奏から受ける印象も違ってきて、学生時代に感じたような荒れ狂った演奏とはあまり感じなくなりました。いずれにせよ、この曲の演奏の決定盤だと思います。
NHK杯戦囲碁 依田紀基9段 対 志田達哉7段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が依田紀基9段、白番が志田達哉7段の対戦です。志田7段は私が今一番注目かつ期待している棋士で、近い内にタイトル戦の挑戦者として名乗りを上げてもおかしくない棋士だと思います。対局は依田9段が2連星から左上隅でなだれていき、厚みを築いて模様の碁を志向しました。志田7段はこれに対し右辺をワリウチし、右下隅にも入って地で先行する構えです。その右下隅の折衝で依田9段はラッパに継ぐ前に右辺の白にノゾキを打ちここを先手で決めてから継ぎに戻り、ここで黒がポイントを上げました。これに対し白は包囲している黒に割り込みを打ち、いつでも右辺で活きる手段を残しました。その後白は上辺に打ち込み、ここの攻防が勝負のポイントとなりました。白が一連の折衝の後、黒1子をシチョウに抱えたのに当てを利かされましたが、白は受けずに左上隅の黒に迫ったのが機敏で、その後更に左上隅の黒の急所に打って、黒は苦しくなりました。その後黒は包囲している白を出切ったのですが、これが無理気味で上辺で黒は何とか活きましたが、白の左上隅の取り込みが大きく、ここで白が優勢になりました。黒は右辺の白に対し、先に白が打った保険のような手の効果を打ち消す手を打ち、この白に襲いかかりました。しかし白は抵抗せずあっさりと右辺の石を捨てました。これで右辺の黒地は70目以上の規模にまとまりましたが、白も左辺の確定地と厚みでそれに十分対抗出来ていました。左辺は黒が打ち込んで多少の地をもって活きるスペースはありましたが、黒はそれでは足らないと見て、取られていた黒を引っ張り出しました。双方持ち時間がなく、一手30秒の攻防で最善手はお互い読み切れませんでしたが、結局黒はかなりの部分を助けだして活きました。しかし、それでも白は各所で得をしていて、白リードは変わりませんでした。その後白は上辺の黒に上手いヨセを打ち、勝利を確定しました。終わってみれば、白の10目半勝ちという大差でした。
山寺(立石寺)
山形県の天童市の「天童ホテル」
手持ちのブラームス交響曲全集
中里介山の「大菩薩峠」第10巻
中里介山の「大菩薩峠」第10巻を読了。ついに20代の自分が読み進めた所を追い越しました。といっても20代の時にどこまで読んだかをはっきり記憶している訳ではなく、もうとっくに追い抜いていたかもしれません。またこの長い小説のようやく半分を読み終わりました。この巻でも話は進まず、前巻で妊娠疑惑?のお雪ちゃんも結局どうなったのかはまだわかりません。宇津木兵馬は敵討ちを目指して白骨温泉に近づきながらも、またも偶然出遭った女性にうつつを抜かして道を逸れてしまう、というとことんヒーローになれない人物を演じ続けます。一方で道庵先生と宇治山田の米友は、色々なエピソードを残しつつ、木曽街道を西に向かいます。実家に一度戻ったお銀様は、継母とその子供(弟)への恨みから、屋敷に火を付け、二人をとうとう焼き殺してしまいます。また、水車小屋の与八を赤ん坊の時に青梅街道に捨てたのは、何と裏宿の七兵衛ではないか、という驚くべき展開もあります。この第10巻が書かれた頃は、関東大震災の後から昭和の初めで、白井喬二が大活躍していた頃です。この巻の中に道庵先生が「大岡政談」を「大衆政談」と読み間違えるという話が出てきて、「大衆」という言葉がその頃一般化してきたことがわかります。中里介山は「大菩薩峠」が大衆小説と呼ばれれることを終生嫌い、「大乗小説」と称していました。
クラウディオ・アバド/ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集
クラウディオ・アバド/ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集を聴きました。アバドは好きな指揮者ですが、ベルリンフィルとの組み合わせは何か水と油という感じがして違和感があり、これまでマーラーくらいしか聴いていませんでした。(何かの本で、ベルリンフィルの古参の団員が、カラヤンの時もフルトヴェングラーの時に比べベルリンフィルの音には変わりがなかった。しかしそれをアバドが目茶目茶にした、と言っていました。)しかし、先入観を排して聴いてみれば颯爽としたテンポの中々悪くないベートーヴェンでした。余談ですが珍しいと思ったのは、この全集はCD1が1番と2番、CD2が3番、4番という風に、完全にベートーヴェンの作曲順になっていることです。当たり前じゃないかと思われるでしょうが、手持ちの30数種類のベートーヴェン交響曲全集でこの順番になっているのはこのアバド/ベルリンフィルのだけです。何故ならば普通は3番と4番の演奏時間は合計で80分を超すので、一枚のCDには入らないからです。この全集では両方を合わせて79分29秒というCD収録時間の極限みたいな入れ方をしています。これはアバドのテンポがかなり速いからこそ可能になったのだと思います。
EF English Liveのウソ広告
TOEICのL&Rは今年965点取れたので、もう良しとし、来年からはS&Wを受けることにしています。ライティングは以前いた会社の研修で半年間の講義を受けたことがあります。しかしスピーキングについては、元々貿易の仕事をこれまで通算で15年ほどやっていましたのでそれなりに経験はありますが、残念ながら今やっている仕事ではあまり英語をしゃべる機会がありません。(書く機会はそれなりにありますが。)
そういう訳で、スピーキングを強化する手段を考え、結論としては英会話学校(AEON)に週1回行き、それでは足らないのでオンライン英会話もやることにしました。オンライン英会話は調べてみると多数のサービスがありますが、ほとんどがフィリピン人を講師とするものです。別にフィリピンに偏見を持っている訳ではありませんが、初級者や中級者ならともかく、この段階にまで達したならやはりネイティブから習いたいと考えます。それで色々探したら、EF English Liveというサービスがネイティブ講師を売り物にしていました。この写真にあるように、講師はほとんどアメリカ人かイギリス人であるように見せています。
しかし、実際に契約して6回ほどプライベートレッスンをやってみた講師の実態は以下の通りです。
1回目:ボストンに在住のアメリカ人女性。しかし、名字が「チャン」で明らかに中国系。週末はいつも中華料理を食べに行くといっていたので間違いないでしょう。
2回目:南アフリカの男性。
3回目:ドミニカ共和国に在住のアメリカ人。
4回目:南アフリカの黒人女性。
5回目:南アフリカの黒人女性。(4回目とは違う人)
6回目:南アフリカの黒人女性。(4回目と同じ人)
という具合で、実に6人中4人が南アフリカの講師でした。気になってWikipediaで調べたのですが、南アフリカの第1の公用語は確かに英語でしたが、2011年の国勢調査によれば、国民の内、英語を母語(第一の言語)とする人の割合はわずかに8.6%で、ほとんど都市部に住むオランダ系の白人やインド系の人に限られるとのことでした。ということは、ほとんどの人はまず最初に英語以外の言語を覚え(南アフリカには実に11もの公用語があります)、それから学校で英語を習うということになります。このことは、フィリピン人講師とまったく違いがありません。
このことについて、EF English Live側にクレームしましたが、返ってきた回答は、「(予約)時間が偏っているので別の時間を試して欲しい」ということでした。つまりは時差の問題で、当たりやすい国とそうでない国があると言いたいようです。しかし、時差の問題なら、南アフリカと1時間の時差しかないイギリス人講師が一度も出てこないのはきわめて不自然です。(ちなみに予約していたのは夜の8時か9時で、南アフリカ、イギリスとも昼間です。)しかも、「ではどの時間にすればアメリカ人やイギリス人講師に多く当たるのか」と質問しましたが、「そういう事は教えられない」という木で鼻をくくった回答でした。なお、EF English Liveの講師はあらかじめ一覧などでこちらが見ることが出来る訳でなく、プライベートレッスンを予約すると自動的に割り振られます。一度レッスンを受けた講師については、名前が判明するので次回からその講師を再度指名することは可能ですが、6回やってちゃんとしたネイティブのアメリカ人としては1回だけです。(ちゃんとしたと言っても何故かドミニカ共和国在住の人ですが。)
あまりにひどい対応なので、EF English Liveとの契約はキャンセルしました。現在はEigoxという別のサービスを試しています。こちらはちゃんと講師の一覧が表示され、国籍、性別、経験年数などを指定して検索し講師をこちらから選ぶことが出来ます。EF English Liveよりはるかにマシと思います。
ともかく、EF English Liveの写真の広告は詐欺に近いと思いますので、ここで晒しておきます。
中里介山の「大菩薩峠」第9巻
中里介山の「大菩薩峠」第9巻を読了。この小説の本筋というものがあるならば、それは宇津木兵馬の敵討ちということになるのかと思います。この巻では一応兵馬が龍之助が滞在している白骨温泉に一歩一歩近づいては行きますが、ある意味どうでもいい話がいっぱいはさまって話がなかなか進みません。たとえば、松本で江戸から来たという「市川海老蔵」ならぬ「市川海土蔵」を懲らしめる話とかの話が出てきます。また、裏宿の七兵衛が江戸幕府の「竹流し分銅の黄金」を何とか一目見ようと思うのも物語全体の展開にとっては重要性は薄いです。(この「竹流し分銅の黄金」は、野村胡堂の「三万両五十三次」にも出てきましたが。)第6巻の感想で、この小説には心から共感できるような登場人物が一人も居ないと書きましたが、まあお松と与八とムク犬は多少共感できるかもしれません。しかしたとえば与八ですが、白井喬二の主人公的な活躍をする訳ではなく、段々新興宗教の教祖みたいになってくるところが、中里介山的です。また前巻から登場している善良な人好きのするキャラとして描かれるお雪はこの巻では、何と男性とまだ関係していないのに身籠もったと思い込んで、鬱々とする、という不思議な展開になってきています。20代の私はこの次の第10巻で読むのを止めたのですが、あの当時は英語とかコンピューターとか身につけようとしたものがたくさんあって、さすがにこんなだらだらした展開を読み続けて時間をある意味浪費するのに耐えられなかったのだと思います。中里介山のこの小説は、音楽で言えばシューベルトのピアノ・ソナタに似ています。ストーリーをひたすら追っかけるという読み方を止めれば、それなりに楽しめる小説です。