白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第9回)

「人物往来 歴史読本」の昭和37年2月号を入手。白井喬二の「捕物にっぽん志」の第9回が載っています。この9回は一話完結の話です。これがまた不思議で、いかにも白井喬二らしい極めて怪しげな文献(そんな文献が本当にあるのか不明)に基づいたもので、戦国時代に摂津の人である佐振延吉という武士のなれの果ての人が当時の中国(時代的には明)に渡るのですが、その目的が「中国の遊侠の徒を調べて、その遊侠道を日本に持ち帰る」ということなのが、極めて変わっています。お話はその延吉が明で見聞きした珍しい体験を四話記載したものです。どういう積もりで「にっぽん志」の中にこのような不可思議なお話をはさんだのかがよくわかりませんが、実に白井らしいお話ではあります。

白井喬二の「昼夜車」(1)

白井喬二の「昼夜車」の連載全21回の内の、第15回の分を読了。「モダン日本」に1936年1月-1937年9月の間連載されたものです。掲載誌の「モダン日本」は戦後こそカストリ雑誌に落ちぶれますが、元は文藝春秋から出たれっきとしたもので、1931年に文藝春秋から独立したものです。とはいえ、最初から路線は「エログロナンセンス」だったようです。誌名に「モダン」がつくように、モダニズムの趣味が横溢しており、表紙は洋装の女性です。外国女優のグラビアなどもあります。
「昼夜車」は1/21を読んだだけですので全体像はまるでわかりませんが、主人公の大瀬影喜は昼は勘定寺家という呉服屋に用心棒として勤め、夜は山口同心の見張り役として勤める二重生活でそれがタイトルの元になっています。影喜は腕の立つ無骨な男ですが、女性問題で主家を追われた、と登場人物紹介にはあります。
この年のモダン日本はもう一冊取り寄せ中で、それを読めばもう少し話の内容がわかるかもしれません。

中里介山の「大菩薩峠」第5巻

中里介山の「大菩薩峠」の第5巻を読了。ここまで再読してきて、少し中里介山のストーリーの進め方がわかってきたように思います。それは、これだけの長大な小説でありながら、登場人物があまり増えないということで、その代わり限られた登場人物がまるで順列組み合わせの全てのパターンをたどるかのように、それぞれがある意味ご都合主義の偶然で絡み合うようになり話が進みます。例えば、間の山のお君の愛犬であるムクは、東海道を旅している時に龍之助と同行するようになります。その時はそれだけだったのですが、この巻で笛吹川が氾濫して龍之助が家ごと急流に流されて死にかけた時に、それを助けたのはムクです。後で、龍之助は偶然夜中に駒井能登守の子を宿して気がふれてしまったお君を辻斬りの犠牲にしようとしますが、ムクが立ちはだかってそれを阻止します。さらにはこの巻では米友が吉原にて血を吐いた龍之助を助けて一緒に暮らしたりします。こういった登場人物(登場動物も)の間の不思議な縁の展開がこの小説の眼目のように思います。
この巻ではまた、軽業師だったお角が、安房に渡ろうとして船が難破し、洲崎の浜に半死半生で打ち上げられていたのを、駒井能登守が助けると、これまたご都合主義的偶然で話が展開します。しかし、この安房の国の巻では新たに茂太郎や盲目の法師の弁信が登場します。
これでようやく全体の1/4を読了です。

カラヤン/ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集(1961年~62年録音)

カラヤン/ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集(1961年~62年録音)を聴きました。カラヤンのベートーヴェン交響曲全集には、映像とライブを除くと、フィルハーモニア管弦楽団との最初の全集(所持)、そしてこの60年代の全集、70年代の全集(所持)、80年代の全集となります。そのうち、1960年代のがカラヤンがまだ50代で元気が良かった頃のものです。1970年代になるとカラヤンは音楽の外面的な美しさというか、アンサンブルの磨き込みや滑らかさに注力するようになり、その反面強いアクセントが失われた感じになり、私は1970年代のカラヤンのベートーヴェンはあまり好みではありません。また、私が最初に買ったクラシックのLPはカラヤン/ベルリンフィルの「運命・未完成」で、その運命はこの1960年代の全集のものです。当時アンチカラヤンもたくさんいて、この60年代の全集は録音テープ継ぎ接ぎで作ったとか文句言われたものですが(実際ヘッドフォンで注意深く聴くと、テープの継ぎ目でノイズの感じが変わるのが実感できました)、今聴くととても懐かしく感じます。その5番と9番が良い出来だと思います。
カラヤンという指揮者は、作曲家の柴田南雄さんに言わせると、「その時々の時代の要求に応じて演奏スタイルを変え続けてきた」指揮者になります。このことはジャズのマイルス・デイヴィスも同じことが当てはまると思います。(どちらもそれぞれの分野で「帝王」と呼ばれました。)1960年代の時代の要求とは、1950年代までの表現主義的・ロマン的なスタイルとは打って変わった、かっちりして楽譜に忠実な柴田さん式に言えば「新古典主義」的演奏ということになりますが、それだけではなく、1960年代という熱気にあふれていた時代のエネルギー感も反映していると思います。

昭和37年のトヨペットの広告

また「歴史読本」の裏表紙の広告で、昭和37年8月号のものです。トヨペットクラウン1900デラックスの広告です。何と、オートマです!この時代にもうオートマがあったとはびっくりです。また面白いのが、「右足でアクセル・ペダル、左足でブレーキ・ペダルを踏むだけで…」と左足ブレーキをはっきりと打ち出していることです!
ちなみに馬力は1900ccで90馬力と、さすがにこれは今の車に比べると控えめです。
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昭和37年の日立のステレオの広告

「歴史読本」の昭和37年2月号の裏表紙に、日立のステレオの広告があったので、ちょっと紹介。
(1)価格が53,500円。調べてみたら、この当時の大卒初任給が1万7千円くらいです。その3倍くらいということは、今の大卒初任給が20万円として、60万円くらいの感じでしょうか。一般向け(マニア向けではなく)と考えるとちょっと高いかなという気がします。
(2)日立マークの下に青で「日立」の文字が入っているのがちょっと珍しいような。日立マークの右に「HITACHI」とあるのはよく見ましたが。
(3)ラジオ・プレーヤー2点組み合わせ。となっているのが面白いです。すなわち初期のステレオチューナーは、単にモノラルチューナーを2台組み合わせただけだったということです。
(写真はクリックで拡大します。)

白井喬二の「捕物にっぽん志」(連載第8回)

白井喬二の「捕物にっぽん志」の連載第8回を読了。「人物往来 歴史読本」の昭和37年1月号です。この回は1回の読み切りで、一休禅師のお話です。京都の寺社奉行の蜷川新左衛門が、一休禅師のことを民衆の心を惑わす売僧(まいす)ではないかと疑って部下を偵察のために貼り付けます。そんな中、一休禅師は贔屓筋となんと遊郭に出かけます。そこである絶世の美女の傾城を巡って二人の遊侠の徒が喧嘩をします。それを一休禅師が仲裁しますが、その後何と一休禅師はその傾城と床を共にし…というお話です。もちろんオチがついていますが、白井が一休禅師を取り上げたのはこれが初めてのように思います。

NHK杯戦囲碁 瀬戸大樹8段 対 河野臨9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番瀬戸大樹8段、白番が河野臨9段の対戦。これまでの2人の対戦成績は河野9段から見て4勝3敗とほぼ互角で、トップ棋士の一人である河野9段にほぼ互角というのはすごいと思います。対局は4隅すべて小目でしかもその全てでかかってという、ありそうであまりない布石でした。右上隅の攻防が焦点になりましたが、攻められている白が黒1子を取ってはっきり活きにいったのに対し、黒がその1子を逃げ出した打ち方が疑問で、白はうまく立ち回って中央と上辺を見合いにしたのが上手く、結局黒は中央に一手入れる間に上辺を突き抜かれ、眼二つで活きなければならなかったのは非常に辛く、形勢は大きく白に傾きました。黒は中央を押して行って厚みを築き、左辺の白に打ち込んでいきました。しかし白の1子のしのぎは容易で、簡単に地をもって治まりました。しかし、白が逆に打ち込んでいった黒1子を攻めにいったのがある意味打ち過ぎで、狭間をつかれて逆襲され、黒は左辺を分断し、左下隅にも利かすことが出来て、先手で切り上げ下辺の黒模様を盛り上げる手に回っては、黒がかなり挽回しました。しかしまだそれでも白が優勢だったと思いますが、寄せで河野9段は形勢を楽観していたのか、手堅い手を打ち過ぎました。中央の黒には薄みがあり、白はそこを追及してうまく得を図ることが出来た筈ですが、実際には黒がうまくまとめて8目程のいい地をもって治まりました。結果として黒の半目勝ちという大逆転劇でした。勝ち碁をきちんと勝ちきることがいかに難しいかを如実に示した一局になりました。

カール・シューリヒトのベートーヴェン交響曲全集

カール・シューリヒトのベートーヴェン交響曲全集を聴きました。最初から全集として企画されたものではなく、1941年から1956年までの色んなオケとの録音を集めたもの。(モノラル録音)Amazonでわずか1,892円で買いました。(5枚組)1番から8番まではトスカニーニの名盤を聴いたすぐ後ということもあって、特に印象に残ったものはなかったのですが、9番を聴いてぶっ飛びました。第4楽章の出だしで、猛烈なスピード+金管の最強奏。トランペットがついていけていなくて音を外しています。こんなぶち切れたような演奏を聴いたのは初めてです。シューリヒトというと、「玄人好みの指揮者」「枯淡の境地」という感じで、特に最初聴いたブルックナーの7番(ハーグフィル)とかモーツァルトのハフナー交響曲(ウィーンフィル)はそんな印象でした。しかし、シューリヒトは一説によると、2回と同じ演奏はしなかった人ということで、今回の第9は今までのシューリヒトのイメージを粉々に打ち砕くようなインパクトがありました。この9番を聴くためだけで、1,892円は本当に安いです。この9番は1954年の録音で、オケはフランス国立放送管弦楽団です。