毎日新聞社学芸部編の「第四十五期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十五期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。趙治勲名誉名人と小林光一名誉名人の本因坊戦での3年連続の激突の最初の年です。47期→46期→45期と読んできて、読む順番が逆みたいですが、実は出版はこの順番です。何でも毎日新聞社では本因坊戦を本にするのを10年間止めていて、この二人の三年連続の激突に、作家の白川正芳氏が本にならないのは問題だと動き、三一書房がまず47期の本を出し、それが好評だったので46期が出て、それも好評だったので45期が出た、というそういう流れだそうです。
この二人の激闘はいつも面白いですが、この期は特に面白く、大斜ガケや村正の妖刀といった大形定石が出て、それも途中から新型になります。第四局では、趙治勲名誉名人が大斜ガケ定石で、思い切って隅の石を全部捨てて、外側から締め付けるという大胆な打ち方をして成功したのですが、その直後に悪手が出て負けてしまいます。また第五局では、小林光一名誉名人がこの一手で決まり!と左下隅の白の石を取りにいったのが読み間違いで、白が正しい手で受けて勝ちになり、そこでおそらくこのシリーズの流れが決まりました。小林光一名誉名人は3勝1敗まで行ったのですが、その後3連敗して負けてしまいますが、3連敗のきっかけがこの第五局の隅に打った手でした。

毎日新聞社学芸部編の「第四十六期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十六期 本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。小林光一名誉名人と趙治勲名誉名人の本因坊戦での3年連続の激突の2年目です。この時は出だし小林光一名誉名人が2連勝し、その後趙治勲名誉名人が4連勝して防衛しました。二人の碁を比較すると、小林光一名誉名人はある意味自分の型を貫く人で、布石もほぼ決まっています。それがはまると無類の強さを全盛期には発揮しました。趙治勲名誉名人はそれに比較すると柔軟で、色んな打ち方を試しているように思います。この本因坊戦でも、石田芳夫二十四世本因坊に、第一局を「趣味の碁」と酷評されています。また、白番の布石で従来やらなかった二連星を多く試みています。小林光一名誉名人は全盛期はとても強かったですが、現在はかなり衰えたという感じです。それに比較すると趙治勲名誉名人は、全盛期の飛び抜けた強さは小林光一名誉名人に劣るように思いますが、その代わり高位の成績が長続きして、60歳になった今でも、まだ一流棋士の中で十分な活躍をしています。こうした趙治勲名誉名人の息の長さは、この本因坊戦で見られるような柔軟な考え方、色々な打ち方の試行が役に立っているのではないかと思います。

白井喬二の「侍匣」

白井喬二の「侍匣」(さむらいばこ)を読了。白井喬二の作品については、現在入手可能なものはほとんど入手しましたが、日本の古本屋サイトで、目録にあって在庫がないものについて、リクエストを出していますが、その中の一つに商品が入ったというメールがあって、入手したものです。1941年に出版された短篇集で、その内容は、「時鳥」、「感化れ」{かぶれ}、「悔武者」、「胡粉妻」、「竹光」、「手裏剣」、「善政」、「殉死祭」、「写真伝来」、「西南役」、「銀髪」、「阿らず」{おもねらず}、「玉の輿」、「平凡小次郎」、「花刀」になります。実はこれらの作品は戦後の短篇集「時鳥」とかなりの部分同じです。この作品集で初めての作品は、「竹光」「手裏剣」「善政」、「銀髪」、「花刀」の5作品です。「殉死祭」は「時鳥」では「残生記」というタイトルに変わっていますが、同じ作品です。
「侍匣」という変わったタイトルは、様々な侍の生き方を集めた蒐集箱とでもいった意味でしょうか。「時鳥」の作品と同じで、今回読んだ作品も、一ひねりしてあってなかなかユニークな作品です。その中では、手裏剣は斬るものか撃つものかを悩む手裏剣師の話である「手裏剣」がちょっと面白いです。「善政」は奥州白河の城主が善政を敷こうと「目安箱」を設けるのですが、本来の目的にはほどんど活用されません。ただ一通それらしいことを書きかけたものに目を付け、そこに書かれた家来をよく事実を確かめもせず、一種の見せしめに閉門にします。そして後にその家来を許そうとしますが、その使者をその家来が斬ってしまい、不幸な結果に終わるという話です。

毎日新聞社学芸部編の「第四十七期本因坊戦七番勝負 決闘譜」

毎日新聞社学芸部編の「第四十七期本因坊戦七番勝負 決闘譜」を読了。趙治勲名誉名人と、小林光一名誉名人が1992年に本因坊戦で激突したものです。小林光一名誉名人は、正確には名誉棋聖 名誉名人 名誉碁聖の名誉三冠を持っています。棋聖は8期、名人も8期も取っています。しかし、三大タイトルのもう一つである本因坊だけは一度も取っていません。挑戦していない訳ではなく、4回挑戦者になっています。その相手がなんと全て趙治勲名誉名人でした。
最初が第37期(1982年)で、この時は4-2で趙治勲名誉名人が防衛しています。
次は8年後の第45期(1990年)で、この時には小林光一名誉名人が全盛期に入り、名人・棋聖・碁聖の三冠王として本因坊一冠だけの趙治勲名誉名人に挑戦しています。この時趙治勲名誉名人は、1勝3敗から3連勝して防衛するという離れ業を演じています。
次が46期で、2年連続で同一カードです。この時は趙治勲名誉名人は最初2連敗し、そこから4連勝するという、またしても逆転劇を演じて防衛しています。
その次が47期で、何と3年連続の同一カードです。この時はなんと、趙治勲名誉名人が3連敗して、誰もが小林光一名誉名人の大三冠(棋聖・名人・本因坊を同時に取ること)達成だと思ったのですが、そこから趙名誉名人が4連勝し、またしても奇跡の逆転劇を演じます。
このため、小林光一名誉名人はついに大三冠もグランドスラム(七大タイトルをすべて1回以上取ること)も達成できませんでした。これに対し、趙治勲名誉名人は大三冠を2回達成していますし、グランドスラムもやっています。ついでながら、二人の対戦成績は小林名誉名人から見て63勝66敗でほぼ互角です。この本因坊戦で戦っている頃は、むしろ小林名誉名人の方がリードしていました。
趙治勲名誉名人はこれまで3連敗4連勝を3回もやっています。その不屈の闘志に感動するしかないです。

NHK杯戦囲碁 山下敬吾9段 対 一力遼7段

本日のNHK杯戦の囲碁は準々決勝第3局で、黒番は山下敬吾9段、白番は一力遼7段の対戦です。山下9段は早碁棋戦で1回優勝していますが、NHK杯戦では今ひとつという感じで決勝まで行ったことはないように思います。対して一力7段は初出場で準優勝しています。対局は黒の山下9段が上辺の狭い方にかかりましたが、白がケイマの間を割きに来た時、白を遮らず、中央を厚く打ちました。そういった厚い打ち方の延長で左辺をケイマにかけて打ちましたが、白もここは黙って這うところではなく、出切って中央での戦いになりました。この戦いは互角でしたが、黒は2目のところを白に沿って3目に伸びました。ここで白が伸びていれば普通でしたが、白は跳ねを決行しました。これが思いの外厳しく、黒は外して受けました。しかし白は黒の石を攻めたて、黒に眼はなく、ほとんど取られになりました。黒の唯一の狙いは中央の白の出切りでしたが、白はこの狙いを無くすため上辺の黒に覗きを打ちました。黒はこの覗きを継いでいると左辺が死んでしまうため、継がずに下辺を打ちました。白は上辺の黒を切断しましたが、切断された時点でこの黒に活きはなく、攻め合いも白の2手勝ちでした。その後しばらく黒はあがきましたが、結局黒の投了となりました。一力7段は準決勝進出で、結城聡9段と張栩9段の勝者との対戦になります。

読売新聞社の「第九期 棋聖決定七番勝負」(趙治勲棋聖 対 武宮正樹9段)

読売新聞社の「第九期 棋聖決定七番勝負」を読了。1985年に、武宮正樹9段が趙治勲棋聖に挑戦した時のものです。武宮正樹9段と趙治勲名誉名人の7大タイトルの戦いは、本因坊戦が2回、そしてこの棋聖戦が1回の合計3回です。その全てで趙治勲名誉名人が勝っています。では、武宮宇宙流は趙治勲名誉名人にまったく敵わなかったのかというと、それが違うことを証明するのが、この時の戦いです。結果こそ4勝3敗で趙治勲名誉名人が勝利しましたが、途中2勝1敗、3勝2敗と武宮9段の方が勝ち星が先行していました。内容を見ると、武宮の宇宙流対趙の地に辛い打ち方の両極端が現れた局が多く、特にこの棋譜の第4局が典型です。いくら武宮が宇宙流でも、相手が警戒するためこんな極端な展開にはならないことが多いのですが、この時は違いました。7局を通して、武宮の方がうまく打っており、趙名誉名人が勝ったのは、まさに執念のなせる技というべきだと思います。

野村胡堂の「南海の復讐王」

野村胡堂の「南海の復讐王」を読了。これはもう、野村版の「巌窟王」(モンテ・クリスト伯)です。悪者のため、実の父は食を自ら断って餓死、育ての養父は追い詰められ自害、母親は捕らわれの身になって自害、実の兄は拷問を受け死亡、許嫁は育ての養父の命を救うため、敵の息子の妻になってしまい、という中々すさまじい設定。それで主人公は捕まって孤島の岩牢に入れられ、とこれまた巌窟王と同じ。その岩牢から脱牢し、顔を長崎のオランダ人に変えさせ、琉球に渡り、その後琉球の王かつ琉球の商人に化けて江戸にやってきて、復讐をする話です。米相場で儲けようとする敵に、米を安く江戸に持ち込んで損をさせる、というのは「雪之丞変化」でも出てきました。なかなか読ませる話で、野村胡堂は「銭形平次」だけではないということです。

野村胡堂の「三万両五十三次」(下)

野村胡堂の「三万両五十三次」(下)を読了。東海道を京へと上っていく三万両を運ぶ旅は、その三万両がどこにあるのか、和泉屋のお蝶の花嫁行列の長持ちの中か、それとも馬場蔵人が運ぶ仏像の中か、この謎が解き明かされないまま、話はついに京を目前にした琵琶湖の瀬田まで引っ張られます。このお話に登場する美女4人の内、上巻では影が薄かった小百合は、この巻では比較的多く語られています。そして4人の中で作者が一番思い入れがありそうだった真琴は何と意外な展開が…(1952年にこの作品が映画化されていますが、その配役にこの「真琴」が出てこないのをいぶかしく思っていましたが、下巻を読んである程度納得しました。)
三万両を運ぶ馬場蔵人と、勤王の志士の矢柄城之介、最後はこの二人の知恵比べになりますが、最後に笑ったのは果たしてどちらか…
読み終わってみると、なかなかの快作だったように思います。作者は東海道を自動車で旅して取材するなど、かなりこの作品に対して準備して臨んでいます。
なお、大泥棒の牛若の金五が出てくるのは、なんとクルト・ワイルの「三文オペラ」の影響だそうです。この作者らしいです。

ギャレス・エドワーズの「ローグ・ワン」

「ローグ・ワン」を観て来ました。
前半はかなりかったるい展開でしたが、後半は楽しめました。エピソードIVでレイアはどうやってデス・スターの設計図を手に入れたのか、デス・スターがああもあっさり反乱軍の攻撃で破壊されるのは何故かという誰もが考える疑問についてきちんとつながりの良い答を出していて、その点は好感を持ちました。
ちょっと疑問だったのは、「フォースの覚醒」に続いてまたもpolitically correctなスター・ウォーズだったことで、別に女性が主人公である必然性は無かったと思います。ちなみに「フォースの覚醒」はググってみたら、やはりpolitically correctnessを批判している人は多くいました。また、変なカンフー坊主が、”May the force be with us”をお経のように唱え続けて、フォースが宗教化していたのも変でした。後、現在スイッチメーカーに勤めている身としては、マンマシン・インターフェースがあまりにも進歩していなくて原始的なのが引っかかりました。今の現実のインターフェースの方がずっと進んでいるのでは。

野村胡堂の「三万両五十三次」(上)

野村胡堂の「三万両五十三次」(上)を読了。この本を買ったのは、Amazonで「白井喬二」で検索したら出てきたので、てっきり白井喬二作品だと思って間違って買ったもの。現物が届いてみたら、白井喬二はこの全集の監修をしているだけでした。お話は、幕末に幕府の武士が京都の勤王の公家達を懐柔しようと、三万両という大金を持って東海道を旅して京都まで行こうとするのを、その三万両を途中で奪い取ろうとする勤王の志士達と、お蓮という女盗賊、元は盗賊だったが親父から頼まれて三万両の守護をすることになった牛若の金五、三万両の護送をカモフラージュするために、京都まで嫁入りの行列をするお蝶、そのお蝶を慕う千代松などが絡み合う話です。いわゆる「お宝の移動」物です。美女がたくさん出てきて、その盗賊のお蓮に加え、勤王の志士の妹の真琴、花嫁のお蝶、三万両を運んでいく馬場蔵人を父の仇とつけねらう小百合などです。上巻では小百合はかなり影が薄いです。箱根の関所の破り方が、作者が実際に現地検分してかなり詳しく記載されています。また、「名曲決定盤」の作者として知られるクラシック音楽好きだけあって、「最高音(ソプラノ)」、「交響曲(シンフォニィ)」といった単語がよく出てきます。ただ、話の進め方はちょっと冗長で、長すぎると感じます。下巻でどうなるか。