フィッシャー=ディースカウとブレンデルの「冬の旅」(1979年、DVD)

フィッシャー=ディースカウとブレンデルの1979年のライブの「冬の旅」のDVDを入手、聴きました。フィッシャー=ディースカウの冬の旅は、LPとCD合わせて12種類持っていて、それで全てかと思っていたらこのDVDがまだあったので取り寄せてみたものです。録音時期としてはバレンボイムと入れたものと同じ年です。ですが、バレンボイムとの盤が、色々と変化を取り入れた「変化球」の「冬の旅」だったのに対し、このDVDは60年代の演奏に近いオーソドックスなものです。ただ、DVDのせいだからかもしれませんが、CDに比べると音質が落ちる感じです。DVDの「冬の旅」はもう一種類、クヴァストホフとバレンボイムのを持っています。こちらはクヴァストホフがいわゆる「サリドマイド児」だったということを初めて知って衝撃的でしたし、演奏自体も素晴らしいものでした。しかし、このディースカウ・ブレンデルのDVDはそれほどの感激は与えてくれないですね。「冬の旅」に関しては、「映像」の必要性は疑問に思います。

遠藤周作の「海と毒薬」

遠藤周作の「海と毒薬」を読了。1945年の九大医学部における、アメリカ人捕虜に対する生体解剖事件を題材にした小説です。Wikipediaで読んだ実際の事件と、遠藤のこの小説はかなり異なっているように思います。遠藤の関心は「日本人とは何なのか」が主なものであり、大した葛藤もなく、生体解剖を行った関係者の姿がある意味淡々と描かれています。実際の事件は、当時(1945年5-6月)、日本の都市へ無差別爆撃を繰り返し、罪のない一般市民の命を奪っていたB-29の搭乗員への憎しみがあり、どうせ死刑にするなら、という発想で生体解剖を行ったということが推測されます。だからといって生きた人間を医療実験に使った関係者の罪は免れ得ないものだと思いますが、遠藤の描写は非常に一面的で突っ込みにかけるもののように思います。遠藤はこの作品については第二部を書く予定があったようですが、実際には書かれずに終わりました。

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」を部分的に読みました。以前、白井喬二の「富士に立つ影」をくさしたものについては読んでいましたが、今回直木三十五の「南国太平記」をどうくさしているかが知りたくて買ってみたもの。ちなみに三田村鳶魚は昭和27年没で既に著作権は切れていますので、国立国会図書館のデジタルアーカイブなどで無料で読むことができます。ただ、それは読みにくいので文庫本版を買いました。
ともかく、とてもネガティブです。自分自身で取り上げた作品を「読むのが苦痛」としています。それから、作品の全部はたぶん読んでいません。特に白井喬二の「富士に立つ影」と中里介山の「大菩薩峠」は冒頭の所だけしか読んでいないのは明白です。
特に鼻につくのが、「○○というものは私は今まで見たことも読んだこともない。」という言い回しを再三することで、そうは書いてありませんが、「なのでそういうものは存在しない。」と暗に言っています。ある意味とても傲慢です。例えば白井喬二の「富士に立つ影」では、「築城師、城師などというものは聞いたことがない。」と書いています。それに対し、白井喬二は「さらば富士に立つ影」という自伝の中で、築城家熊木伯典、佐藤菊太郎の名前は、「築城家列伝」の中で見つけたといっており、実在の人物で、「富士に立つ影」の連載中にその子孫にあたる人(双方)から手紙をもらったと語っています。白井喬二は「国史挿話全集」を編むほど、江戸時代の文献に広く目を通していますから、私は白井喬二の方を信用します。
直木三十五の「南国太平記」についての評論も読んでみましたが、こちらも歴史的な事実の誤りを指摘するというよりは、どちらかというと登場人物の「口の利き方」を細々と批判しています。こういう身分のものが、別の身分のものに、このような口の利き方をする筈がない、というような指摘が延々と続きます。たぶん三田村鳶魚の言っていることはほぼ正しいのでしょうが、大衆小説家が歴史に題材を取って小説を書く場合、そこまで調べなければいけないのかと思います。
取り上げられている作品は、「南国太平記」と「富士に立つ影」、「大菩薩峠」以外は大佛次郎の「赤穂浪士」、吉川英治の「鳴門秘帖」、林不忘の「大岡政談」(丹下左膳)、佐々木味津三の「旗本退屈男」などです。
私は大衆小説が本来持っていた荒唐無稽なエネルギーを失ったのは、この三田村鳶魚の本が一つの原因であると思います。

ギュンター・グロイスベックの「冬の旅・白鳥の歌」

ギュンター・グロイスベックの歌、ゲロルト・フーバーのピアノ伴奏による、シューベルトの「冬の旅」、「白鳥の歌」を買いました。クラシックのCDを買うのはかなり久しぶりです。ブラームスの交響曲第1番ほどではありませんが、シューベルトの「冬の旅」も昔から集めていて、現時点で60種類くらい所有しています。「冬の旅」は本来は、テノールのための歌曲集なのですが、何故かテノールの名演というのはあまりないように思います。(エルンスト・ヘフリガーのものは、ちょっとヒステリックな感じがしてあまり好きじゃないですし、ペーター・シュライアーは、「美しき水車小屋の娘」は好きですが、「冬の旅」はイマイチだと思います。)
一番傑作が揃っているものはバリトンによるもので、有名なフィッシャー・ディースカウやハンス・ホッターがそうです。意外にいいのは、バスと女声によるものです。大学の時に、シューベルトの日本での最大の研究家であった故石井不二雄先生が、私に推薦してくれたのは、バスのマルッティ・タルヴェラのものでした。また比較的最近買った、フルッチョ・フルラネットのものは私の大のお気に入りです。史上もっとも遅い冬の旅です。このグロイスベックもバスですが、奇をてらわずに、ストレートに力強く歌っており、とても好感が持てます。
なお、女声による冬の旅では、ロッテ・レーマン、クリスタ・ルートヴィヒのものがお勧めできます。

NHK杯戦囲碁 王銘エン9段 対 本木克弥7段

本日のNHK杯戦の囲碁は新しい期になって1回戦の第1局。黒が王銘エン9段、白が本木克弥7段の対局。黒は3手目でいきなり大高目で、初めて見ました。ただその後2間に締まったので普通の布石に戻りました。黒は上辺と下辺に展開しましたので、白は右辺にワリウチから2間に開きました。黒はここで左下隅の星からケイマした白に肩付きしました。白が下を這って受けたのに黒は手抜きで右辺を打ちました。白はすかさず下辺に展開し、黒の肩付きを悪手にしようとしました。黒は右辺の白を攻める展開になりました。しばらく右辺の攻防がありましたが白は手を抜いて上辺の左上隅にかかりっぱなしの黒を1間に挟みました。黒はこの石を動いて挟んだ白を攻めようとしましたが、ここで単純な2間開きではなく上辺の黒に付けていった白の手が機敏でした。結果として上辺の白は眼二つの活きになりましたが、右上隅の黒も、上辺左の黒も味が悪く、ここで白が一本取りました。その後黒は左辺に打ち、左上隅の白を封鎖しようとしました。そこで白は上辺左の黒の味悪を追及していきましたが、そこは黒がうまく打ち、白は大した戦果は上げませんでしたが、黒1子を取っての厚い活きが残ったのはメリットでした。黒はその後右辺の白への攻めをしつこく狙いましたが、白にあっさりかわされて、左辺に先着されてしまいました。そのため左辺の黒が攻められ、その代償に左下隅から左辺で白に大きな模様を築かれてしまいました。ここが全部白地だと黒は負けなんで黒は三々に打ち込みました。この黒が活きるか死ぬかで勝ち負けが決まることになりましたが、本木7段は的確に受けて黒を全部取ってしまい、なおかつ下辺の黒5子も取りました。これで勝負がつき、本木7段の中押し勝ちになりました。

フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」

シューベルトの「冬の旅」をもっとも多く録音した歌手は、疑いの余地なく、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウです。それでは何回録音したか?Amazonのある所では7回と書いてありましたが、とんでもない!私が持っているものだけでも12種類あります。

1.1948年、クラウス・ビリング(ARCHIPEL)
2.1952年、ヘルマン・ロイター(audite)
3.1953年、ヘルタ・クルスト(CDO)
4.1955年、ジェラルド・ムーア(EMI)
5.1955年、ジェラルド・ムーア(INA)
6.1962年、ジェラルド・ムーア(EMI)
7.1965年、イェルク・デムス(グラモフォン)
8.1971年、ジェラルド・ムーア(グラモフォン)
9.1978年、マウリツィオ・ポリーニ(FKM)
10.1979年、ダニエル・バレンボイム(グラモフォン)
11.1985年、アルフレッド・ブレンデル(フィリップス)
12.1990年、マレイ・ペライア(CBSソニー)

私が最もお勧めするのは、上記の4の、最初のジェラルド・ムーアとの録音です。モノラル録音ですが、堂々の直球勝負という感じで、素晴らしいです。1960年代の録音は、ちょっと知的すぎて鼻につく感じです。1979年のバレンボイムとの録音では、直球ではなくかなり変化球を駆使するようになります。11と12は有名ピアニストを起用して目先を変えたものですが、衰えが目立ちお勧めできません。

ちなみにもう一種、ブレンデルが伴奏しているDVDがありますので、私の知る限りでは録音は13種類です。

獅子文六の「娘と私」

獅子文六の「娘と私」を読了。昭和28年から昭和31年まで「主婦之友」に連載された、自伝的私小説です。ラジオドラマ化され、さらに昭和36年にNHKの朝の連続ドラマになります。この「娘と私」が現在まで続くNHKの朝の連続ドラマの第1回です。獅子文六がフランス人の女性と結婚し、巴絵という一人娘(物語中では麻理)が生まれますが、その妻は日本での暮らしがストレスになって病気になり、フランスに帰国してしばらくして病死してしまいます。麻理ちゃんはまだ6歳でした。獅子文六は、その頃はまだ文名も上がらず、親の遺産もなくなり、しかも家の用事と子供の世話で文章を書く十分な時間も取れず、大変苦労します。私は獅子文六という人は苦労なしでとんとん拍子に文壇に受け入れられたと思っていたので意外でした。麻理ちゃんは白薔薇学園(実際は白百合学園)という小学校に入り、そこの寮に入りますが、ある冬の日、重症の肺炎にかかり、戦前のことで抗生物質もなく、死にかかりますが、学校の寮からは冷たく追い出されてしまいます。幸いなことに麻理ちゃんは命を取り留めますが、その後も度々大きな病気にかかり、その負担は獅子文六にのしかかります。獅子文六は後妻を迎えることを決意し、何度かのお見合いの後、千鶴子(実際の名前は静子)と再婚します。この再婚の後、書かれた作品が「悦ちゃん」で、この小説に出てくる麻理ちゃんのしゃべり方が、悦ちゃんのしゃべり方にそっくりです。「悦ちゃん」の最後のシーンは、父親である碌さんが、鏡子さんと再婚し、九州に引っ越して暮らし始めるのですが、そこで悦ちゃんが、友達から「悦ちゃんのママは継母でしょう?」と聞かれたのに対し、悦ちゃんが「継母は『ママ』と『はは』を合わせたものなんだから、世界で一番いいお母さんなのよ」と答える所です。これこそ獅子文六が「悦ちゃん」で書きたかったことで、再婚した妻と麻理ちゃんが実の親子以上に仲良くなって欲しいという思いを込めたものでした。なお、「悦ちゃん」に出てくる、カオルさんという、芸術家が好きだけど子供は好きではない女性も、獅子文六と見合いした人がモデルみたいです。幸いにも再婚した千鶴子さんは心の優しい人で麻理ちゃんを可愛がり、麻理ちゃんも新しい母親に懐いて、獅子文六をほっとさせます。この新しい奥さんは愛媛の出身で、獅子文六一家は昭和20年の12月に、疎開していた湯河原の混乱を避けて、愛媛に移り住み、そこで2年ぐらい暮らします。この時の体験が元になって「てんやわんや」という作品や、「大番」が生まれます。この奥さんはしかし、麻理ちゃんが成人し、もうすぐお嫁に行くという時期になって、元々心臓肥大があってそこから来た脳血栓で、命を落とします。NHKのサイトで見ることができる「娘と私」の動画は、麻理ちゃんの結婚式のシーンであり、亡くなった奥さんが遺影として参席しています。
その他、戦後獅子文六が戦争協力者としてパージの対象になり、そしてすぐに許された事情などもわかり、獅子文六ファンにとっては、非常に興味の尽きない内容になっており、お勧めできます。

水無飴とボンタンアメ(山本夏彦の「二流の愉しみ」)

山本夏彦の「二流の愉しみ」を取り寄せて、「『水無飴』始末記」を再読。今村の水無飴は明治時代に、森永のキャラメルに遅れること数年で出たもので、元になっているのは熊本の朝鮮飴(求肥飴、今でも熊本で売っています)だということです。これでセイカ食品のボンタンアメと、水無飴が似ている理由が判明しました。ボンタンアメも元々、セイカ食品の社員が朝鮮飴を一口サイズに切って遊んでいた所から思いついたもので、ベースは朝鮮飴です。水無飴の説明は、「餅米と水飴と砂糖からなり、それをキャラメル大にかためて、それを一つ一つを白いかたくり粉でまぶして、蝋紙のかわりにオブラートで包んだもの。オブラートごと食べる。」とあり、ボンタンの果汁が入っていないだけで、基本的にボンタンアメと同じです。ボンタンアメの発売開始は大正年間ですから、オブラートで包むなどは先行していた水無飴を真似たのではないかと思います。

獅子文六の「大番」(下)

獅子文六の「大番」(下)を読了。上巻はギューちゃんの恩人の木谷社長が自殺する所で終わりましたが、失意のギューちゃんは帰農するつもりで故郷の愛媛に戻ります。しかし、都会暮らしですっかり体力が落ちたギューちゃんにはもう農業は出来ず、大阪と愛媛の間でのヤミ物資の取り引きに手を染めることになります。太平洋戦争が始まって、この戦争は負けると予感したギューちゃんは再び株を始め、日本の負けで相場が下がると予想しますが、案に相違して初戦は日本軍が勝ち続け、ギューちゃんはヤミで儲けた資金をすっかりすってしまいます。戦争中はそういう訳でぱっとしなかったギューちゃんですが、戦後2年目で再び東京に出て、また株を始めます。戦争前に大損して迷惑をかけていたため、戦後新しく開設された取引所の正会員になるのに苦労しますが、パルプ産業の将来性を見抜いて大規模な買いを行い、大きく当てて大丸証券を設立します。その後は色々紆余曲折があるのですが、女好きのギューちゃんは最大で6人の女性を囲います。しかし、心に秘めているのは、故郷で天皇と言われた森家の令嬢の可奈子さんで、戦後は森家は没落しますが、ギューちゃんは何かと可奈子さんの世話をします。しかしギューちゃんの一生を賭けた恋の結末は…
「悦ちゃん」は子供向けの作品ですが、「大番」は完全にアダルト向けの作品。しかもお堅い週刊朝日での連載だというのがちょっと驚きです。経済小説として見ると、今の経済小説に比べると深みはありませんが、花登筺の「どてらい男」のような一代でのサクセスストーリーの嚆矢のような作品だと思います。

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獅子文六の「大番」(上)

獅子文六の「大番」(上)を読了。週刊朝日に1956年から1958年に連載された作品です。主人公は、四国の愛媛の貧農の息子に生まれた赤羽丑之助(ギューちゃん)です。横山まさみちの漫画に出てきそうなキャラクターです。このギューちゃんが地元の名士の超美人の娘にガリ版刷りの恋文を渡したことが事件になり、ギューちゃんは東京に出奔することを余儀なくされます。ギューちゃんは株屋の小僧として働き始め、少しずつお金をため、自分でも投機をやり始め、一旦大きく当てて今の金で2億円くらいを稼いだと思ったら、次の株で失敗して借金を背負い、また立ち直って世話になっている富士証券の木谷社長と一緒に、鐘紡株を巡る仕手戦に買い一方で参加し、紆余曲折がありながら、一時は大成功し、今のお金で数十億円もの利益を上げます。しかし、その後政府の投機抑制方針などもあって、鐘紡株は暴落し、ギューちゃんは逆に10億円くらいの借金を負い、また世話になった木谷社長は自殺してしまう、という所で上巻は終わります。舞台になっているのは昭和一桁の頃で、世界大不況の頃から始まり、515事件や226事件、盧溝橋事件などがあって、その度に株価に影響を与え、ギューちゃんはその波に翻弄されます。ちなみに、ギューちゃんが愛媛出身なのは、獅子文六の二番目の奥さんの実家が愛媛で、獅子文六自身も戦後2年ばかり宇和島に避難していたからです。「てんやわんや」も四国独立騒ぎを扱った作品で舞台は愛媛です。ちなみに、「鐘紡」は戦前日本で一番大きな会社でした。他にも日本産業(日産)や、久原鉱業(日立製作所の源流)みたいな懐かしい会社名が登場します。

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